62.港にまつわるエトセトラ
僕らは港町の反乱が終わって、噂の拡散と収束に奔走した。
町では吸血鬼の噂は立ち消え、代わりに謎の魔法少女騎士マジカルスノーの存在が囁かれた。
それから一週間。
ようやくやるべきことが終わった、そんな僕たちは今――。
「あの……大変心苦しいのですけれど」
新たな町の暫定領主たるミラは、窓を遮光したリビングの中でおずおずと口を開いた。
僕は彼女の声に振り向き返事をする。
「は、はい……」
僕はハナが新品に作り変えたソファーの上で寝転がりながら、アズとショーギなるゲームを遊んでいた。
ダイタローと一緒に木片を削って作ったゲーム盤である。
それぞれのコマに独特なキャラクター付けがされており、その特殊な挙動を用いて相手の大将を討ち取るゲームだ。
「――ちょっと待ったです!」
アズが盤面のコマを一つ前の状態に移動させた。
「アズ、また……? いやまあいいけど……」
「もう三連勝してるんだから手加減しやがれです……」
悔しそうに内頬を噛むアズ。
僕は苦笑しつつ、再びミラへと視線を戻す。
「――あ、ごめんえっと……」
僕が話の腰を折ってしまったことを謝ると、彼女はため息をついた。
「――いいえ、べつにいいのですけれど……」
彼女は部屋の中に視線を巡らせる。
そこには妖怪たちの持ち込んだ私物があった。
町の地下遺跡から拾ってきたよくわからない壺や置物、お土産屋で売られているような貝殻やアクセサリー、海岸に打ち上げられていた枯木や岩石……。
そんなさまざまなガラクタが、家の中を占拠していた。
彼女は言葉を選ぶようにしながら、僕へその視線を向ける。
「いつまでこの家に……?」
「……ごめんなさい……」
僕は妖怪たちとその領主邸へと滞在していた。
かなり自由に。
とても快適に。
……結構な大人数なのでキャンピングカーに泊まることはできない。
その為、ミラの館へ滞在していたのだが……。
「さあ! サナト行くのでありますよ! 遺跡が我々を呼んでいるのであります!」
そんな僕とミラの様子を気にせず、ミズチが声をあげた。
「元気ねぇ。でもお姉ちゃんも今日はもうちょっと先に進みたいなぁ」
「あ、あ……。道案内はお任せください……。すみません、無理を言ってしまって……」
ミズチにサナト、そしてメアリーが領主邸の地下に繋がる遺跡へと出かけていく。
……うーん、地下遺跡を満喫していらっしゃる……。
彼女たちはメアリーが興味を持った地下の遺跡の探索を行っていた。
彼女たちの話によれば、今まで誰も到達できていなかった遺跡の深層にはアンデッドや魔法生物たちが徘徊しているらしい。
それらは意思を持たない為に上層へ昇って来ることもないのだが、力を持て余した彼女たちにとってそこは格好の遊び場となっているようだった。
先日は魔道具らしき物まで発掘してきており、彼女たちの遺跡探索の意欲を更に刺激することになっている。
そんな彼女たちの後ろ姿を見送りながら、ミラは苦笑した。
「――まあ、賑やかなのは良い事なんでしょうけど」
彼女は寂しそうに笑った。
彼女自身、父親を失ってまだ間もないはずだ。
僕や妖怪たちが家にいる事で多少心強く感じてくれているのかもしれなかった。
――とはいえ。
「そ、そろそろ帰るよ。大丈夫……」
僕は額に一筋の汗を浮かべながらそう言った。
……エリックに仕事を押し付けていたとはいえ、いい加減帰らなければ怒られることだろう。
今頃は彼も育児と仕事に忙殺されているかもしれない。
しかしロージナへと意識を向けている僕に、台所からお煎餅を持ってきたハナが声をかけた。
「……主様、本当に大丈夫なのですか?」
「え……?」
彼女は心配そうな表情を浮かべながら、僕やミラに海苔の巻かれたお煎餅を配る。
「この地の経営に失敗したら主様にも影響が及ぶのでは……」
「あ、そうだね……。たしかにこのまま帰ってもダメか……」
あれからすぐ、前領主の遺した帳簿を確認すると結構な赤字となっていた。
このまま放置してしまえば、僕……というか我が家がその赤字分を負担しなくてはいけなくなるだろう。
そんなことになったら、父上に何を言われるか……。
というか、負債を払いきれなくなればブリコルカ家だけでなく我が家も存続が危うくなってしまう。
……これからはロージナでの収益だけではなくて、この港町の収支も好転させないと僕が責任を取らなきゃいけない……。
僕は顔に笑みを張り付けながら、ミラへと向き直った。
「もう少し滞在しておこうかな……なんて」
僕の言葉に彼女は頷く。
「ええ。この町の為なのでそれはこちらとしても是非。ただ、その……」
彼女は足元に転がっていた、サグメがお土産屋から買ってきたオモチャの蛇を拾った。
「……少しだけ……屋敷の使い方にも配慮してもらえるとですね……」
「す、すみません! すぐ片付けるんで!」
プエー、と蛇の口から空気の音が漏れた。
☆
「とは言ったものの……」
僕は海岸を歩きながら、水平線を眺めていた。
「僕はいったいどうやってお金を稼いでいたんだ……?」
ぼんやりと海を見つめる。
ロージナでは無我夢中で生きる糧を探した。
その結果いろいろな成果が実を結び、今や町とも言える規模になっている。
しかし今から同じことをこの港町でやっても、同じように町を豊かにできるかといえば……。
僕が頭を捻っていると、視界の端に黒スーツの怪しげな男が目に入った。
彼は堤防の上で木の棒を振っている。
「――ヨシュア」
彼に声をかける。
こんなところで何を――。
「ふはははは! 入れ食いである!」
釣りだ。
彼は手に持った釣り竿を引き上げる。
するとその釣り糸の先には銀色の平たい魚が食らいついていた。
「ふあーっはっはっは! なんと! なんと愚かしき魚類共か! 我が巧みなフィッシングテクニックに翻弄され続けておるわー!」
彼の横には何匹もの魚が入った魚籠が置かれていた。
ふ、普通に魚釣りしているだけなのになんて怪しいんだ……。
「……大漁だね」
「む? これは我が主」
彼はそう言ってこちらに向き直る。
……え? 気付いてなかったの?
今の高笑い、完全に独り言……!?
僕は見てはいけないような物を見た気がして、そっと心の中にそれをしまいこんだ。
ヨシュアはカチカチとその頭蓋骨を震わせながら低く笑う。
「ふ、は、は、は、は……! 今晩の食材は任せておくがいい……。多数の魚を馳走してやろう」
「う、うん……凄いね、その量。ヨシュアは釣りが上手いんだね……」
僕が感心してそう言うと、彼は海の方を見つめた。
「ふ……実はこれには種も仕掛けもあるのだ、我が主よ」
ヨシュアが片方の手を海へと向ける。
すると海面が少し波打ち、そこにいくつかの緑色の光が生まれた。
「これはあくまでもわかりやすく可視化したものであるが、あの魔力の周辺は瘴気が溜まりやすい地形となっている」
瘴気。それは目に見えない微生物の集合体。
「……海が汚れているってこと?」
僕の問いかけに、再び彼は左右に首を振った。
「否、あの部分は餌が豊富ということだ。微細な生物が滞留しており様々な瘴気が存在する。そしてその微生物を魚が求め集まる。つまり天然の撒き餌があるような優れた漁場と言えよう」
そうこうしているうちに、再びヨシュアの釣り竿が引っ張られる。
「ふははははは! 来た来た来たぁー! しかと見るがよい! ここに釣り師の伝説を刻みつけてくれようぞ!」
……そんなに大きな声をあげたら魚が逃げてしまうんじゃないだろうか……。
僕はそう思いながらも、水面を見つめた。
……そうか。魚か。
この町にはこの町の良さがあるんだ。
ロージナとは違う、この港町にあった特色を活かさなくては。
僕はヨシュアに笑みを向ける。
「……ありがとう、ヨシュア。ちょっとわかった気がするよ」
「む? よくわからんがわかったぞ、我が主! ふはははは!」
笑い声を響かせながら、ヨシュアは更にもう一匹の魚を釣り上げた。
☆
「ダイタロー! ゴー!」
「はい……ご主人さま……!」
その翌日。
僕とダイタローは海岸の浅瀬にやってきていた。
海の中に入って巨大化したダイタローが、その巨大な拳を打ち下ろす。
バッシャーン! と大きな水しぶきが上がった。
「……イセ! どうどう?」
「大漁にゃあ! すごいにゃあ、ぬし様!」
何匹かの魚がぷかりと浮かび上がる。
それを見て、魚籠を腰に付けたイセが水の中へと飛び込んだ。
バシャバシャと水面を泳いで、魚を回収していく。
ダイタローの繰り出す衝撃で、魚たちの意識を奪う漁法だ。
実家で読んだ本に書かれていたのを思い出して試しにやってみたのだが……。
「んにゃあ……。結構底にも沈んでるにゃあ……。孤軍奮闘、これはわちき一人だけではちょっと回収は困難やも……」
そう言って彼女は海底へと潜っていく。
……ううむ。この捕り方だと、無駄に海を荒らしてしまうことになるかもしれない。
濫用は控えるべきか。
「……ダイタロー! ありがとうー! もういいよー!」
体を大きくしたままだったダイタローは、その身体を縮める。
僕らは三人で力を合わせて、周囲の海の中を漁った。
「……ふう。結構量があるなぁ」
結局持ってきた魚籠だけでは足りず、追加で木箱を港から借りてきて魚介類を詰め込む。
樽いっぱいほどにはなりそうだ。
「……さすがのわちきにもこれは食べきれないかもにゃあ……」
「ぼ、ぼくも頑張って食べる……けど」
ダイタローはその身体を巨大化すれば多量の食事をその胃の中に入れることができる。しかし消化の時間は普通にかかる上にその後小さくなると胃もそのまま小さくなるので、結果大量に食べたところで吐き出してしまうのだった。
かといって魚はすぐに食べないと腐ってしまう。
その為、できるだけ早く防腐加工をしなければならない。
おそらく単純にこの町の漁獲量を増やしたところで、簡単に収益を増やすということは難しいのだろう。
「まあ、これはとりあえず持ち帰ってみよう」
僕らはそれらを担ぎつつ、屋敷へと向かうのだった。
☆
「イワシやニシンなんかの傷みやすい魚は、まず腐りやすいエラと内臓を取り除きましょう。ついでに頭も取り除いて……」
屋敷の台所で、ハナがそう言いながらナイフを魚の体に入れていく。
「船上でそのまま塩漬けにすれば、長い間保存できます。こうすれば遠洋で獲れ過ぎたときも安心ですね」
「なるほど、そんな方法を使えば……」
僕が相槌を打つ横ではユキが氷魔法を唱えていた。
「……まあ、冷蔵も基本よね。冷凍すれば腐敗はしないし、しっかり凍りつかせれば寄生虫も駆除できて一石二鳥だし」
いくつかの魚や貝を凍りつかせる彼女の様子を見て、ミラは興味深そうに頷いた。
「……これならわたしもできそう」
ユキの横でミラは詠唱を始める。
その手に青い冷気が宿り、次々と鮮魚を凍りつかせていった。
「……といっても、私は太陽が出てる時間は外に出られないのだけど」
彼女は天井を見つめた。
今は既に日は沈んでいる。
「……まあ君自身が漁業に関わることはできなくても、君に出来ることはきちんとあるよ」
「そうかしら」
僕の言葉に彼女は首を傾げた。
「うん、例えば……」
ちょうどその時、夕飯の匂いにつられてかマリネロを筆頭にしたスラムの子どもたちが屋敷を訪ねてくる。
彼らは以前の事件のあとは元のスラムの地下へと戻ったが、こうして毎晩夕食を共にしていた。
彼らの健康状態を維持する為と、町の中との情報共有の為に。
僕らは同じ食卓につく。
途端に賑やかになる部屋の中で、僕はミラに笑いかけた。
「……あの子たちには魔術を教えていたんだよね? まずは冷気の魔法から教えれば、彼らにも仕事が出来るんじゃないかな」
「そうか……そうね。少し時間はかかるけど……。そうね基礎概念に三週間……それから暗記の方向でいけば……」
彼女は口元に指を当てて何やら呟きだす。
どうやら魔術の習得時間を考えて、どのぐらいの月日がかかるか計算しているらしい。
……僕なんかより彼女の方がよっぽど優秀かも……。
「――さあ、難しいお話は後にしてごはんにしましょうか」
ハナは笑いながらそう言って、並行して調理を進めていた今日の夕飯を皿に取り分ける。
「今日の晩御飯はイワシのつみれ汁に、カレイと香草の蒸し焼き、カワハギの南蛮漬けですよー」
イワシの身をすり潰した団子の味噌汁に、カレイのムニエル、カワハギのフライの甘辛い和え物がテーブルに並べられた。
村から持ってきたごはんをよそって、みんなで食卓を囲む。
「いただきまーす!」
夜の領主邸に子どもたちの元気な声が響いた。
それはこの町の未来を示しているかのようで、きっとこれからも子どもたちの元気な声が絶えず続いていくことだろう。
僕はそんなことを考えながら、食卓に並ぶ魚を取り分けるのであった。