60.VSヴァンパイアロード(中編)
「君が普通のヴァンパイアだとは思えない」
僕は地面に倒れる白髪の少女、ミラへと問いかける。
その手はイセに蹴り飛ばされた炎を受け、爛れた火傷を負っていた。
ヴァンパイアは強力な再生能力を持つという。
なら彼女は、凶悪な魔族として知れ渡っているヴァンパイアとは一線を画する存在なのかもしれない。
「でも子供たちをさらって血を吸っていた……。ならもしかすると、君は何かの病気なんじゃないかと思って」
ヴァンパイアは血を吸って仲間を増やすという。
その血族を増やす方法は、以前見かけた狼人間によく似ていた。
もしかすると彼女もワーウルフと同じように、魔族ではなく元々人間だったのかもしれない。
彼女の病的な白い肌や赤い瞳も、そんな病気の影響だったりするのではないだろうか。
「だから、ヨシュア。頼む」
ヨシュアは僕の言葉を受けて、彼女に近付く。
そしてその手の平を彼女に向けた。
「……ほう」
ヨシュアは小さく呟く。
「……我が主よ。この女は――」
言いかけたヨシュアの言葉を遮って、ゴキリという音がした。
同時に彼女を押さえつけていた兄貴が弾き飛ばされて、壁にぶつかる。
「――ぐへっ!」
兄貴を振りほどいた彼女は、続けざまに目の前のヨシュアに蹴りかかった。
その蹴りは彼の頭蓋骨を蹴り飛ばす。
それは首から下に別れを告げてぽーんと飛んで行った。
「ヨ、ヨシュア!? 大丈夫!?」
首が取れたヨシュアに声をかけると、彼は首の無い胴体だけで叫んだ。
「なんと! 我の首が出ていくとは! 親不孝者な首である!」
彼がおろおろしていると、起き上がったミラは後ろに跳んで距離を取る。
無理矢理拘束を振りほどいた彼女は、その代償に片腕をぶらりと吊り下げなら部屋の入り口を背にして立った。
一方、壁に叩きつけられた兄貴はよろめきながらその場に立ち上がる。
「……こ、こいつ自分で腕を折りやがった……!」
少女はその赤い瞳を前髪の奥に隠したまま、口の端を吊り上げた。
「ふふ……ふ……。わたしが? 病気ですって?」
彼女は脂汗をかきながら声を震わせた。
「……わたしは生まれたときからこの身、この姿のまま。――白髪赤眼の化物としてこの世に生を受けたんです」
彼女は呼吸も辛そうに肩で息をしながらそう言った。
つまり彼女は生まれながらの魔族――?
呪われた血って言うのは……。
僕が考えを巡らせる横で、ヨシュアは何とか拾った自分の頭蓋骨をグリグリと首に押し付けながら彼女の方に視線を向ける。
「――我が主よ。この女は何の疫病にも感染していないぞ。しいて言うなら、多少免疫力が弱いか」
ヨシュアの言葉に、彼女は折れた腕をぶら下げつつ笑った。
「……生まれつき肌が弱く、太陽の光を浴びた部分は赤く爛れて火傷になった」
彼女は絞り出すように声を出す。
「医者には十歳を越えては生きられないと言われ、母も親族も皆わたしを化物扱いして地下へと閉じ込めた」
彼女の頬や首筋、腕や脚にいくつもの赤い紋様が浮かび上がった。
あれは……古代文字……?
「わたしはあらゆる魔術に縋り付き、世界を呪い自身を呪った」
その紋様は赤い魔力を放ちつつ、その光が彼女の身体を包んだ。
「……世界がわたしを吸血鬼と呼ぶならば、わたしはその名を喜んで受け給いましょう」
ビキ、と。
ガラスにヒビが入るような音が、彼女の肩から聞こえた。
「――わたしの名はミラ・ブリコルカ」
彼女の腕の火傷がみるみるうちに再生していく。
「……父が死に血族が絶えた今、わたしはブリコルカ家の当主にしてこの地の正当なる領主です」
その赤い瞳に魔力を湛え、彼女はその場の人間を見据えた。
「――そして同時に、わたしは民を苦しめる吸血鬼として君臨する……!」
彼女はその両手を広げる。
魔力の渦が彼女を中心に巻き起こった。
その片方の手に赤い炎、もう片方の手に青い氷雪が収束していく。
「……にゃは。冷たいのも同時に来られたら、流石のわちきもコタツで丸くなるしかないかにゃあ……」
ミラの様子を見て、イセは笑みを浮かべながらもその頬に一筋の汗を流した。
――ま、まずい!
素人の僕でもわかる膨大な魔力の圧力が、空気を振動させた。
その魔法が放たれれば、僕らはこの部屋ごと一瞬で蒸発しかねない。
……何とか止めないと……!
彼女の言葉を頭の中で整理する。
彼女は領主の娘として生まれ、魔術を学んでその呪術により自身を強化していて――。
「……そ、それなら君は――!」
僕は彼女に語りかける。
「――君は元々、吸血鬼でもなんでもないってことじゃないか……!」
僕の言葉に彼女は薄く笑った。
「――父は民の血税を、わたしを生かす為の魔術研究に投じました。……その為に違法薬物の密売にも手を出した」
彼女はどこか憂いを感じさせる笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「無辜の民の血をすするのが吸血鬼であるならば、わたしこそまさに吸血鬼と呼ばれるに相応しい存在でありましょう」
彼女は静かにそう言った。
「そしてその認識がわたしの存在を押し上げ、膨大な魔力と生命力をもたらす……!」
彼女の身体に描かれた魔術紋が、その言葉に呼応するように脈動する。
……つまり彼女は呪術によって、町の噂を魔力に変換しているってわけか……!
……ん?
だとすると。
「――それじゃあ行方不明のスラムの子どもたちは……?」
彼女の口ぶりからして、実際に血液を吸っているわけではないのだろう。
なら子どもたちはいったい何のためにさらわれたんだ?
僕の質問に彼女は目を伏せた。
「……魔術の研究にはどうしても実験体が必要なんです。何者にも縛られない無垢な存在が……」
――じゃあ、マリネロはもう……。
僕が最悪の想像を頭に思い浮かべたのと、その声がかかるのは同時だった。
「――ス、ストップストップ! その姉ちゃんは悪い奴じゃないよ! 姉ちゃんも落ち着いてよ! その兄ちゃん、怪しい奴じゃないから!」
廊下から聞こえてきたその声に、その場の全員が視線を向ける。
部屋の入り口には以前の姿と全く変わらないマリネロと……。
「――あのー、ごめんなさい。遺跡の下層で邸宅の地下室に繋がる道を見つけちゃったみたいで……お邪魔しちゃいました……?」
そこには昼に地下遺跡で別れたメアリーの姿があった。
「壁に耳あり障子にメアリー……なんちゃって」
場を和ませようとしたのか、彼女ははにかんだ笑みを浮かべる。
その言葉にミラは毒気を抜かれたような表情を浮かべ、その手に宿る魔力を霧散させた。
「……マリネロ、地上には出てこないようにと――」
ミラの言葉を遮り、少年は首を振る。
「姉ちゃんはスラムの孤児を匿ってただけなんだ。飯も食わせてもらってるし、今までいなくなった奴らもこの家の地下で暮らしてる!」
彼の言葉にメアリーが頷いた。
「ええ、地下には何人かの子供たちが……。みんな特に虐待されたような様子もなく……。ごめんなさい勝手に覗いてしまって……」
申し訳なさそうに謝るメアリーに続くように、マリネロは言葉を放つ。
「御禁制の薬だのなんだので、町の治安はどんどん悪くなってたからさ。俺たちを保護して、生きていくために魔術を教えてくれてたんだ。……でも姉ちゃん、すげー貧乏だから全員一気に連れてくることはできなくて……」
「マ、マリネロ……! 領主としてそのような内情を民に知られるわけには……!」
ミラは慌てる様子を見せた。
……マリネロの言うことが本当なら……。
僕は頭の中で情報を整理する。
彼女は領主である父親が死んで、子どもを保護して、呪術でヴァンパイアの力を得ようとしていて。
……そもそも密輸船を沈めたのだって彼女だし、それはきっと町の為にやったことだ。
だとすると、彼女は全然悪者でもなんでもなくて……?
僕たちの間に沈黙が広がる。
しかしその静寂を盛大に打ち破る者がいた。
「……ばーーーかっ! 知るかアホ!」
声をあげたのは兄貴だった。
「俺たちはあんたの事情とか知ったこっちゃないの! あんたのかわいそうな半生だとか死ぬほどどーーっでもいい!」
いきなりの兄貴の言葉に、ミラは目を丸くする。
「だいたいなんでそんなに悪役じみた台詞回ししてんだよボケ! 悪ぶってんのがカッコイイとか思っちゃう年頃か!? ああん!?」
兄貴はヅカヅカと彼女の前に近付くと、人差し指を立ててその額を突っついた。
「あうっ! ち、違……この術式は吸血鬼としての存在確立を行って同調させることで、伝承としての強度を保ちつつわたしの魔力と生命力を――」
「知らねーよ! モノホンの魔族が領主に成り代わってたんじゃねーかと心配しちまったじゃねーか! ただの通りすがりの俺たちに八つ当たりしてんじゃねーぞ!」
……忍び込んでおいて通りすがりと言い切る兄貴の神経は本当に図太いなぁ……。
そんな兄貴の怒鳴り声を受けて、白髪の少女はその瞳に涙を浮かべた。
「そ、そんなの……そんなの知らないもん……! 父様はわたしの為に町のお金を使い込んでるし、勝手に殺されちゃうし、頼れる人も信じられる人も誰もいないし……!」
彼女はぽろぽろと涙をこぼす。
……あー、兄貴泣かせたー。
「使用人だって門番のお爺ちゃん以外、雇うお金ないし……。こんなに町が荒れ果てた状態で父様が死んじゃって、わたしにできる事なんて魔術ぐらいしかないし……」
彼女はその顔を両手で覆って、その場にへたり込んだ。
「わ、わたしにどうしろって言うのよーーー!」
そう叫ぶと彼女は泣き出す。
……そ、そうか。
彼女、世間知らずの箱入り娘だったんだ。
何もわからないまま、自分だけで町の混乱を何とかしようとこんな状況に……。
彼女は涙を流し続ける。
その頬に魔術紋が浮かび上がった。
「……だから吸血鬼の噂でわたしの魔力を底上げして、父様を殺した犯人を捕まえてやろうって……!」
彼女の感情の昂りに応じてか、周囲に赤い魔力が溢れていく。
その紅い瞳が更に色を濃くして、心なしか耳も尖り牙が生えているように見えた。
幻覚……? いや、これは……!
「絶対に、許さない……! この体がどうなっても、わたしは必ず……!」
彼女は涙をこぼしながら、感情を叩きつけるように言葉を紡ぐ。
それに合わせて彼女の周りを魔力の渦が吹き荒れた。
「……みんな、みんな嫌いだ……! 誰も助けてなんてくれない……! だからわたしのような化け物が町の為に出来ることなんて、こんなことぐらいしか……!」
その言葉は支離滅裂だ。
それはまるで彼女の感情の荒ぶりと共に、その魔力が暴走しかけているかのように見えた。
このまま放っておくとマズイことになるかもしれない……!
……町に流れる噂。
それは町の人々が信じた吸血鬼という魔物。
その噂は呪いとなり、彼女の復讐心と呪術に同調してその身体を吸血鬼にしようとしているのだろう。
とんだ邪法だ。
……しかしそれがこの事件の真相なら、僕がするべきことは……。
僕は彼女の前に立って、手を差し伸べた。
「――君の存在を定義しよう」
彼女は顔をあげて、僕の目を見つめる。
「君の名はミラ・ブリコルカ」
吸血鬼という半信半疑の噂。
多くの者に信じられた怪異。
それはすなわち、信仰。
「プライドが高くて、責任感が強くて、だけど父親思いで、町の子供たちのことを心配していて、ちょっと不器用な……でもとっても優しい――」
僕はその信仰を、否定する。
「――そんな普通の、人間の女の子だ」
僕の言葉と共に、周囲を包む魔力の圧力が弱まった。
次第に彼女を取り囲む赤い光がゆっくりと霧散していく。
「あ……。魔力が……」
その吸血鬼へと変貌し始めていた容姿も出会ったときのような状態に戻り、頬や腕に見えていた魔術紋も薄くなっていく。
彼女は力なく首を左右に振る。
「……ダメよ。わたしこれじゃあ、父様を殺したやつを見つけられない。スラムの人たちがわたしの命を狙ってるって聞いたもの。町のみんなに殺されちゃう」
マリネロが膝をついて、座り込んでいる彼女の肩に手を当てた。
「だ、大丈夫だよ。きっと俺らが話せばあいつらもわかってくれるよ」
マリネロはミラのことを励ます。
しかしその言葉に、兄貴が口を挟んだ。
「――さあてそいつはどうだかな。あいつらの中にはどうもキナ臭い奴が紛れ込んでやがる」
兄貴は言っていた。
彼らを扇動する者があの中にいると。
「おそらく俺やお前が前に出て話したところで、『ヴァンパイアに操られている』だの難癖つけられて殺されるのがオチだろうさ」
兄貴の言葉に、廊下の窓を見つめたメアリーが呟いた。
「あー……。たぶんその人たちですかね? 屋敷の周りにちーらほら。あんまり時間は無さそうです」
周りの視線を受けてメアリーが言葉を続ける。
「……お屋敷の周りに明かりを持った人が十数人。おそらく全部でその数倍はいそうな感じですけど、暗いので全ては見えませんね……。ごめんなさい」
彼女の言葉に兄貴は不敵な笑みを浮かべた。
「さあて、どうしたもんかね。正面から物理的に説得してみるか?」
物理的に説得って。
それたぶん、ただ殴りかかるだけだよね?
「ふはははは! 良いぞ! 我が瘴気の力ですべてを死滅させてくれよう!」
「にゃはぁ! 消し炭かにゃあ!?」
喜々として声をあげる妖怪二名。
「待って待って! 君たちが暴れたら本当に魔族の仕業にされちゃうよ……!」
ヨシュアとイセを諌める。
そんなことしたら僕含めて騎士団に討伐されかねない。
スラムの反乱者といえど、彼らも町の民には違いないのだし……。
それに兄貴の言葉を信じるなら、彼らも誰かに操られているだけなのだろう。
「じゃあ逃げるか?」
兄貴の言葉に、僕は少し考えて首を横に振った。
「……僕たちは彼らに反乱の理由を与えちゃいけないんだ」
頭に血が昇っている彼らと正面からやり合わず、やり過ごさなくてはいけないのは確かだ。
でも、ただ逃げたのでは僕たちはヴァンパイアとして逃亡を図っただけになる。
それでは事態は解決しない。
「――そして、この吸血鬼騒ぎの原因を作った犯人を炙り出す必要がある」
僕は静かにそう言った。
……その為にはここから逃げたり、ただ追い返すだけじゃあ駄目だ。
彼らの反乱を平和的に収めて、そして犯人を捕まえる。
その為に必要なものは――。
頭の中をひっくり返す。
村での出来事、契約の本、そして……。
僕はその場のみんなに視線を向けて、頷いた。
「……僕たちで倒すんだ。吸血鬼の噂を――!」