59.VSヴァンパイアロード(前編)
「……よっ、と……!」
兄貴に手を引かれ、柵をよじ登る。
盛大に鉄柵にぶつかったものの、その音は最小限に抑えられ辺りに響くことはない。
シャン。
闇が支配する忘れ去られたようにボロボロな庭園を、ふよふよとマラカスが浮いていた。
「警備の一人もいねーな」
先程トサカ頭の男が言っていたように、そこを見回るような人影は見受けられない。
うっすらとした明かりが灯る領主邸を、僕たちは庭の端から見据えた。
「……これ、誰かに見つかったら僕たち捕まっちゃうんじゃ……」
僕の言葉に兄貴は笑う。
「まあ大丈夫じゃねーの? 抜け目のないお前のことだ、あのジャリ姫の親書とか持ってきてんだろ?」
僕は目を逸らした。
「そ、それがその……無くしちゃって……あはは」
僕の言葉に兄貴は声を荒らげる。
「無くしたぁ!? 何やってんだお前! 抜け目ありまくりじゃねーか!」
「あ、兄貴だってそういうの持ってないの!?」
「俺様がそんなもん持ってるわけねーだろ! バカ!」
「バカはどっちだよバカー!」
口論を始める僕と兄貴の間にマラカスが割って入った。
「おめーらうるせーです! アズが抑えられる音にも限界ってもんがあるですよ!?」
シャンシャンと音を鳴らして空中にマラカスが踊る。
「あっはっは! お前の友達やっぱおもしれーな!」
そう言って兄貴は浮かぶマラカスをつついた。
それに反応してか、さきほど召喚された時と同様にアズがその姿を見せる。
「うおっ! ちっこいのがまたでてきた! すげぇー!」
「……いぇい」
マラカスを握ったまま、両手でピース。
「……二人とも、静かにね」
僕は苦笑しつつ二人を連れて領主邸へと近付いた。
その外観は手入れがされていないのか、かなり老朽化しているようだ。
壁面を植物の蔦が広がり、まるで何年も放置されたかのような邸宅だった。
その大きさは僕の実家と同じように大きく、結構豪奢と言えるのだけれど……。
そっと窓を覗き込むと、その中には誰もいない廊下の暗闇が広がっていた。
「おりゃ」
兄貴は剣を窓枠へ差し込んで、パキリ、とガラスにヒビを入れる。
「……手慣れてるね」
「さすが俺様」
……どうして手慣れてるのかは聞かないでおこう。
彼は窓枠からガラスをそっと外し、地面に置く。
内鍵を外して窓を開け、その身を中に滑らせた。
「へえ、雰囲気出てるじゃねーの」
兄貴に続いて僕とアズも中へ入る。
その中は外と同じく古ぼけていて、あちこちに蜘蛛の巣も見えた。
満足に掃除もされていないようだ。
「……本当に人が住んでるのかな」
僕は内装の感想を漏らした。
通路に蜘蛛の巣がないところを見ると、まったく使われていないというわけでもなさそうだけど。
兄貴は注意深くあたりを伺う僕の様子に構わず、ずんずんと先を歩き始める。
「ちょ、ちょっと待ってよ……! 何のために静かに忍び込んだのさ……!」
「そりゃもちろん、そっちの方がカッコイイからだよ」
兄貴はそう言って堂々と歩みを進めた。
僕は慌ててその後に続く。
客室が続く廊下に月明かりが差し込んでいた。
ボロボロの窓枠に汚れた花瓶。
手入れがされていないその内装は、まるで幽霊屋敷だ。
「おっ。親玉がいそうな部屋はっけーん」
兄貴は見つけた大きな扉へと手をかけた。
この家が普通の造りの物であれば、館の主人の部屋でもおかしくない。
ゴクリと息を呑む僕をよそに、兄貴は躊躇なくその扉を開けた。
「さあて、ご対面だ」
兄貴の言葉と共に僕は中を覗き込む。
ロウソクに照らされた広い部屋の奥には、ぽつんと棺桶が一つ置かれていた。
周囲にはまるで死者を送り出すような白い花々が飾られ、この部屋だけは掃除がされているらしかった。
「うわぁ……すっごいスタンダードスタイル……」
なんて吸血鬼めいた部屋……!
い、いいのかな、こんなにクラシックで……。
僕の素直な感想を背に受けつつ、兄貴はずんずんと部屋の中へ進む。
「ちょ、ちょっと! 兄貴! まずいよ! 明らかに最初の犠牲者になるパターンだよこれ!」
不用心に進む彼を止めるべくその後を追った。
「なーに言ってんだか」
兄貴は僕の言葉なんてどこ吹く風でその棺桶の蓋に手をかける。
「どこの世界に好き好んで棺桶で寝るような奴がいるってんだよ」
兄貴は笑ってそう言った。
……そうは言うけど、吸血鬼と言ったらみんな棺桶で眠るものでは……?
僕は部屋の中を見渡す。
その部屋の窓はカーテンで覆われていて、確かにわざわざ棺桶で寝る必要はないのかもしれないが……。
そんな僕の様子に構わず、兄貴は静かに棺桶の蓋を持ち上げた。
「常識で考えろ。常識で」
「兄貴にだけは言われたくないセリフのトップスリーに入る言葉だね……」
まさか兄貴に常識を説かれる日が来るとは。
彼は僕とアズの方を振り返ると、中を見るようジェスチャーで促した。
「……ほら、これが町を騒がす吸血鬼の正体だ」
「……これは」
そこにいたのは身なりの整った中年男性の遺体だった。
棺桶の中に静かに横たわっている。
「死んでるな」
その首筋にはナイフのような傷跡が残っている。
致命傷だろう。
兄貴の言葉にアズもその棺桶に手をかけて、中を覗き込んだ。
「……冷てーですね」
アズが言ったのは棺桶のことだ。
それは魔法でもかけられているのか、ひんやりとした冷気を放っていた。
「腐らないようにしてんのかね」
兄貴はちょんちょん、とその男の血色の失せた頬を指でつついた。
僕はおそるおそる尋ねる。
「アンデッドではないんだよね……?」
「――ええ、当然です」
僕たちは突然後ろからかけられたその声に振り返った。
入り口の扉の前で、声の主は言葉を続ける。
「アンデッドになるには精神構造体からのアクセス経路が必要……。通常は物理的にそれを遮断することで防ぐことができます」
そこにいたのは、幻想的な長い白髪を携えた真紅の瞳を持つ少女。
彼女の顔に僕は見覚えがあった。
「君は……!」
彼女は先日、僕と共に密輸船へ乗り込み問答無用で沈めた少女だ。
あの時は全身を藍色のローブで隠していたが、今は漆黒のドレスに身を包んでいる。
真っ白な肌とのコントラストが彼女の美しさを際立たせていた。
「……あら、あなたはあの時の。ここにお薬はありませんよ」
彼女は薄く笑みを浮かべる。
それを見て兄貴は口笛を吹いた。
「やあ、べっぴんさんだ。どうだいこれから一緒にお茶でも」
「お断りします。わたし、正面玄関を避けてアプローチされるのは好きではありませんの」
彼女は取り付く島もなく兄貴の軽口を受け流す。
「そうかい。そりゃ残念だ。何度か訪ねたとは思うんだがね」
兄貴の言葉に彼女は眉をひそめた。
「……もう日も沈んだというのに、我が家にいったいどんなご用件で? ……と言っても、大体予想はついていますが」
彼女の言葉に僕は友好的な笑みを顔に張り付けながら答えた。
「……領主様にお会いしに来たんですけども。さる高貴なお方のご命令で」
正直に僕がそう言うと、彼女は訝しげな顔をする。
「……高貴? 王族が? ……そう。なるほど、そういうことね」
彼女は頷くとその表情に笑みを浮かべた。
「ではわたしが直接お伺いいたしましょうか。……力加減は苦手なので、どうかお話の前に力尽きないでいただけると嬉しいのですけど」
そう言って彼女はドレスの裾をひるがえすと、その右腕を頭上に掲げた。
「わたしの名前はミラ・ブリコルカ。以後お見知りおきを。……そして、さようなら」
ミラと名乗った彼女の右手の中に光が生まれる。
あれはあの時の魔法……!?
こんな狭い室内で使われたら、僕たちチーズ蒸しパンになっちゃう……!
契約の本を取り出してページを開く。
いや、間に合わないか……!?
「――空虚なる素、炎熱の葬列の果てに敵を貫け――!」
白髪の少女の詠唱と共にその手に赤い光が収束し、炎が巻き起こった。
「――アズ!」
横にいる彼女の名を呼ぶ。
「――ファイア・ジャベリン!」
ミラの手から放たれる炎の前に、アズが躍り出た。
シャン、と音を立てつつ彼女はそのマラカスで炎の槍へと斬りかかる。
マラカスの先端から植物の苗が生い茂り、その火炎を包み込んだ。
「……げっ。ちょっとやべーです……!」
マラカスから生えた植物の幹は、生い茂る傍から消し炭となってその身を散らしていった。
数秒の拮抗の末、多量の燃えカスをあたりに撒き散らしつつもアズは炎の槍を防ぎ切る。
「……あら、なかなかの魔力量ですね」
涼しい顔をして言う白髪の少女に対し、アズは全力疾走をした直後のように肩で息をしていた。
「相性最悪です! 選手交代! 次は防げねーですよ!」
アズの声に僕は慌てて契約の本のページを開く。
相手が炎なら……!
「……其は野生と情熱を司る炎の化身――!」
一方で僕の詠唱に反応して、白髪の少女も先程と同じように右手を上げる。
「……空虚なる素、炎熱の葬列の果てに敵を貫け――!」
僕と彼女の詠唱が交錯した。
「――我が前にいでよ猫又っ!」
「――ファイアジャベリン!」
それぞれの身体を、赤い光を伴う魔力が覆う。
閃光が交差して、目の前に激しい炎が立ち昇った。
ミラの手から放たれた炎を一身に受け、爆炎の中にその影は立ち上がる。
「……にゃっはぁ」
彼女は身体のラインを際立たせるようなポーズを取りながら、楽しそうな声をあげた。
「召喚そうそう肉盾扱いとは、動物愛護の精神がなってないにゃあ」
傷一つ負った形跡もない彼女の様子を見て、僕は胸を撫で下ろす。
「……ありがとう、イセ。助かったよ」
突如目の前に現れ炎の槍を受け止めた猫娘の姿を見て、ミラは目を細めた。
「まさか召喚魔術……? 遺失魔法を使うなんて、あなたいったい……?」
彼女の問いに僕は答える。
「……僕はセーム・アルベスク。西のロージナの代表だ」
僕の名乗りに彼女は片眉を上げた。
どうやら彼女の興味を引けたらしい。
「アルベスク……? どこかで聞いたような」
目を細める彼女に、僕は対話を続けようと質問を投げかける。
「……君こそ何者なんだ。君がブリコルカ卿なのか……?」
彼女はミラ・ブリコルカと名乗った。
その名が正しいのであれば、彼女がこの地を治める領主なのだろうが……。
その異様な白髪と死人のような白い肌、赤い瞳に目がいく。
「……ええ。そう。私が忌まわしきブリコルカ家の血を引く現当主」
忌まわしき血。
それはもしかして……。
「君は……ヴァンパイアなのか」
吸血鬼。
魔族の一種で、人間の血を吸うことで自らの生命を生き永らえさせる不死者。
彼らは血を吸うことで血族を増やすとされている。
魔術に長け、人ならざる怪力を持ち、再生力が高いが太陽の光を浴びると灰になる……。
僕の問いかけに彼女はその顔に笑みを浮かべた。
「……ええ、そうね」
彼女は自身の身体を抱きしめるように、腕を組んだ。
「ここに在るのは民の血をすすって死の運命を克服した、悪業の限りを尽くす吸血姫」
彼女は僕のことを射抜くように、その赤い瞳で見つめた。
「さしずめあなたたちは王命によって派遣された勇者様、かしら」
彼女の言葉に兄貴が口を挟む。
「そのヴァンパイアの姫さんがこんなところで何を? 町の子どもをさらったのはお前さんなのか?」
彼女はその口の端を吊り上げて笑った。
「……ええ。スラムの子どもたちのことなんて誰も気にしないの。この世界の中ではとても孤独な存在。多少減ったところで、問題ないでしょう?」
その言葉に兄貴もまた挑発するような笑みを向ける。
「はーん。現にこうして乗り込んで来るやつがいるとは想像できなかったのかあんた。だとしたらよっぽど無能だな」
兄貴の言葉に彼女はその表情を消した。
「……そんな人間ばかりなら、もっとこの世界は幸せになるのでしょうね」
話は終わった、とばかりに彼女はその手を高く掲げた。
「――でもわたしは悪い吸血鬼だから……自分の命を延ばす為ならば、他人のことなんてどうだっていいの」
彼女の手に赤い魔力が集中していく。
どうやら彼女は対話に応じる気はないらしい。
「――イセ!」
「にゃはっ!? お話は終わったかにゃあ!? わちき何があったのかさっぱりわからないまま放置されていて、ちょっとばかし欲求不満にゃ」
僕たちのやりとりの間でおとなしく座っていたイセが元気よく飛び上がった。
「……弱肉強食、即ちそれは自然の摂理にゃ。殴って勝った者が言うことを聞かせる。とーっても簡単にゃあ」
イセの言葉に白髪の吸血鬼は笑った。
「ええ、とてもシンプルで素敵な答え。あなたとは気が合いそうですね」
彼女はそう言うと魔法の詠唱を始める。
それが終わると同時に、イセ目掛けてその手のひらを向けた。
「――ファイア・ジャベリン!」
彼女の右腕から炎が放たれる。
「――二重奏!」
そしてその左腕から続けざまに追撃の炎が撃たれた。
二本の炎の槍が空中を翔けてイセに迫る。
「――にゃは」
しかし彼女が笑った瞬間、その炎は意思を持つようにイセの周囲へとまとわり付いた。
「――支配権侵犯!?」
ミラはイセの様子を見て、目を見開いて息を呑む。
「んにゃあ。ちょっとばかしわちきのこと、舐めすぎかにゃあ?」
イセは炎を丸めて宙に浮かべる。
ミラはそれを見て慌てて詠唱を始めた。
「にゃおぅ!」
イセの身体が宙を舞い回転すると同時に、その炎の球が蹴り出される。
「――アイス・バレット!」
ミラの声と共に、彼女の目前で炎が炸裂した。
イセの蹴り込んだ火の玉が、彼女の身体を包んだ。
「――他人の魔力への介入なんて、いったいどこの神代魔法よ……!」
炎を振り払いながらその姿を現した彼女は毒づく。
ドレスのあちこちには焦げ目がついていた。
「……あれは……」
彼女の右手には火傷。
それに何もおかしなところはないのだが……。
……でも、もしかして。
「……イセ!」
僕の声にイセはちらりと振り向く。
「彼女を取り押さえたい! ……サポートは誰が必要?」
契約の本を開く僕にイセはニヤリと笑うと、白髪の少女に視線を向けた。
「いらないにゃあ。これ以上増えられても守りきれないしぃ……」
彼女は大きく股を開いて、自身の胸を地面につけるほどの低い姿勢を取った。
「猫は狭い所が好きなんだにゃあ」
そう言った瞬間、彼女の姿は壁際にあった。
目で追いかける前に壁を蹴り天井を蹴り、白髪の少女へと飛びかかる。
「――ちっ!」
舌打ち一つ、彼女は身を翻してその攻撃をかわした。
そのまま踊るように一回転すると、勢いを殺さないままに回し蹴りをイセに放つ。
イセは両手を交差してそれを受け止め、そのまま後ろに弾き飛ばされた。
白髪の少女は薄く笑う。
「――魔術士は体術が苦手だと思いましたか?」
「思うね」
その声は彼女の死角から発せられた。
「――な……!?」
アズの力で音を殺して忍び寄った兄貴が、タックルを仕掛けて彼女を押し倒す。
「あんた細い腕してるのにすげー怪力だ。魔術の一種か? でも力の使い方を何にもわかっちゃいない」
そう言いながら彼は少女の腕を捻り上げた。
「……おっと抵抗するなよ。自分の力でその綺麗な腕が折れるぞ」
「……くっ……!」
彼女はその顔に苦悶の表情を浮かべた。
――よし、今のうちに……!
「――其は疫病と瘴気の神」
契約の本から緑色の魔力の光が漏れ出す。
「我が前にいでよ……疫病神!」
僕の前に深緑の空間が発生し、そこから竜の頭骨の頭をした男が姿を現した。
「ふははははは! 我が主よ、よくぞ我を――」
「話はあと! ヨシュア!」
口上を邪魔されて彼はやや不満そうにする。
だがそんな場合でもないと悟ってくれたのか、僕の言葉を待つように大人しく黙ってくれた。
「――彼女を診てやってくれ!」
僕は地面に組み伏せられた少女を指して叫ぶ。
「――ほう?」
ヨシュアはその空洞の眼窩に魔力の光を宿らせて、横たわる白髪の少女をねめつけた。