57.船上の密会
「で、ですから僕はアルマ姫の命を受けて来た者で……」
「はあ……あるま……?」
その日、僕はまず挨拶として領主邸を訪ねることにした。
しかしその門の守衛をしている老齢の兵士に阻まれ、僕は領主へと会うことができないでいたのであった。
「どうかお引き取りくだされ」
彼は門を開ける素振りも見せずにそう言った。
「本当なんです! ……ええっと……証明できるものは……なにもないんですけど……」
結局姫からの書簡はどこかにいってしまったし、僕自身はブリコルカ卿と面識などない。
……うむ、我ながらどこに出しても恥ずかしくない怪しさだ……。
「……どのようなお方であれ、しばらくは誰も通すなとのご命令です」
「そ、そんな……お話だけでも……」
「……先日お命を狙う輩が現れましてな。犯人が捕まるまでは何人たりともお通しすることはできませぬ」
なんてバッドタイミング。
何とか挨拶だけでもしておきたかったが、これ以上粘ったところで目の前の雇われ門番のおじいさんが困るだけだろう。
「で、では……アルマ姫の命で、アルベスクの者が来たとだけお伝えください……」
その言葉に兵は頷く。
僕は肩を落としつつ、その場を後にするのだった。
☆
「……吸血鬼、ですか……?」
僕は昨日知り合った少年マリネロに紹介された料理屋で、女将が言った言葉を繰り返した。
「……まあ、噂だけどね?」
恰幅の良い彼女は笑う。
領主との面会を諦めた僕は、港町を歩き回っていた。
といっても別に観光して回っていたわけではない。
村を長い期間留守にするわけにもいかないので、いったいこの町に何が起こっているのか探っておこうと思ったのだ。
……ほ、本当だぞ。
この手に持ってる貝殻のイヤリングはハナへのお土産であって、「よ! 兄ちゃん格好いいね!」と乗せられて買ったわけではないぞ……。
町で一番美味しいと噂の料理屋でアサリのパスタを突付きつつ、僕は店主に最近の噂話を聞いていた。
太麺の麦の香りとアサリから出た出汁の旨味が口の中で絡み合い、濃厚な味わいを演出している。
ついでに頼んだカツオのチーズ焼きも、お肉のようにジューシーな味と食感で僕に至福の時をもたらしてくれていた。
「領主さまが乗っ取られたんじゃないかって……あ、あたしが言ってたって言うんじゃないよ。まあみんな言ってるんだけど」
暇そうな時間を狙って来たおかげか、女将は詳しく聞いたわけでもないのにそんな話をどんどん話してくれる。
彼女いわく、近頃の領主は全くその姿を見せないらしい。
随分前から領主は厳しい税を領民に課し、そうして得た金を使って呪術にのめり込んでいたのだとか。
その末に吸血鬼となり、夜な夜な町に出ては子どもをさらっては邸宅で血をすすっている……。
……と、そんな内容の噂だった。
よくある怪奇譚だ。
とはいえ実際、行方がわからなくなっている子どもたちもいるらしい。
……結構大事なのでは……?
なんで騒ぎになっていないんだ?
「……じゃあ王都からやってきた騎士団っていうのは……」
「ああ、なんか最近うろついてるらしいね。王様が討伐に乗り出したんじゃないかってみんな噂してるよ」
……てっきりアルマ姫はブリコルカ卿を援助する為に彼らを寄越したのかと思ったけど、違うのか……?
頭の中で情報を整理するが、上手く噛み合わない。
もっと詳しい情報が知りたいところだけれども。
「その騎士の人たちは今どこに?」
僕の言葉に彼女は肩をすくめた。
「さあ。泊まってるなら、港の一番でかい宿じゃないかい?」
なるほど。あとで訪ねてみよう。
考えるより直接聞いたほうが早そうだ。
「ありがとうございます」
僕はそう言ってお勘定を払おうと立ち上がる。
しかしそのとき、背後の客の声が僕の耳に入った。
「……なんでも今、港に泊まっているらしいぜ」
何気ない男性客のその言葉は、向かい側に座る男性へと投げられた言葉だった。
「――ああ例の女だらけの船」
その言葉を聞いた瞬間、僕の動きは止まる。
流れるような動作で椅子に座り直した。
「……美味しかったのでもう一皿」
小声で女将にそう言うと、彼女は首を傾げつつ料理に取り掛かる。
僕はそんな様子を黙って見つめながら、全神経を耳元に集中させるのであった。
☆
日も沈み、闇が空を覆う中。
身支度をして僕は港にやってきていた。
いくつかの船が停泊し、その船体に波を受け揺らいでいる。
お昼の料理屋の中での盗み聴きから、その詳細を聞き取ることはできなかった。
しかし、彼らはたしかにこう言っていた……。
”なんでも最高の快楽を味わえるらしいぜ”。
――そう、僕は知的好奇心の為にこうして船を見回っているのだ。
決してやましい気持ちじゃない……未知の光景を見たいと思う冒険の心……そう、それはアドヴェンチュァ……。
薄暗い倉庫街を歩きながら心の中でそんな戯言を並べていると、注意力散漫となってしまっていたせいか何かに衝突してしまう。
「あたっ!」
「……ったい……!」
足元から女性の声。
どうやらぶつかって転ばせてしまったらしい。
「す、すみませっ……ん……?」
その声の主を見て、思わず謝罪の言葉を詰まらせた。
そこに尻もちを付いていた彼女の姿に自身の眼を疑う。
全身を濃い藍色のローブとマントですっぽり覆い隠し、その顔には面妖な模様の入った仮面。
左右が非対称のどこかの部族を思わせるような造形の悪趣味な仮面は、まるで怪しさが足を生やして歩いているかのようだった。
彼女はすぐに立ち上がると、僕の様子を伺うようにずずいっとその仮面の付いた頭を近付けた。
「こんなところで何をしているんですか? ……怪しい」
どうやら身長は僕より少し低いらしい。
「そんな格好した君が言うの……?」
「なっ……! この服のセンスがわからないなんて……!」
彼女の言葉に自分の顔が引きつるのがわかった。
……あまり関わらない方がいい人かもしれない……。
「……いえなんでもありません……。それじゃあ僕はこれで……」
僕が足早にその場を立ち去ろうとすると、ぐいっとその服の裾を掴まれた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいって! 何をしているのか、って聞いたの? わかる? アンダスタン?」
彼女の力は強く、振りほどけそうにない。
と、とはいえありのままに説明するわけにも……。
「え、えっとその……ちょっと船を探していて」
「船? なんの船?」
グイグイ彼女は裾を引っ張る。
……ううむ、ここはある程度話してしまうか。
もしかすると彼女も女性ということで、関係者の可能性もあるし……。
「う、噂を聞いたんです。女性ばかり乗ってる船があるって……」
ちょっと恥ずかしいのでぼかしつつそう答えた。
僕の答えに彼女は納得したようにその手を離す。
「なるほど。……つまりあなた、客というわけね?」
「きゃ、客!? いや、そういうわけじゃ……」
「違うんです? どっちですか!」
イラついたようにずい、とその仮面を近付ける彼女。
「え、ええと……その……客……のようなものです……」
僕の言葉に彼女はその仮面の下部に手を当てると、考えるように声を漏らした。
「ふむ……。わかりました。ええ、全て理解しましたとも……!」
彼女は多数ある船の中、その一つをビシッと指差した。
それは小さな家ぐらいの大きさはある中型船で、何の旗も掲げられてはいない黒い船だった。
「では、行きましょうか」
彼女はそう言うと、僕の腕に自身の腕を絡ませた。
「え!? え!?」
まるで恋人のように身体を寄せると、そのまま僕を船の方へと押し出す。
「……と」
彼女はその仮面を外した。
赤い瞳。
まるで吸い込まれるような真紅の瞳を持ち、病的なまでの白い肌をした少女。
ローブの隙間にその白色の髪が見えた。
彼女はすぐに首下からローブをめくり上げ、口元を覆い隠す。
目だけを露出させた格好で、彼女は僕の背中を押した。
「あ、あの……?」
「いいから黙って歩いてください」
彼女はそう言うと、その白い頬を赤らめる。
「今から……そうですね……。……わ、私たちはその……こ、恋人……という、間柄ということにしましょう」
彼女は少し恥ずかしそうに咳払いした。
こ、恋人!?
……はっ、そうか!
そういう設定なのか!?
し、しかし恋人っていったいどうすればいいんだ……?
僕は恐る恐る彼女の肩に腕を回してみる。
「ひゃっ!」
よりいっそその顔を赤くして、彼女は僕の腕にしがみついた。
「ちょ、調子に乗らないでください!」
「ご、ごめんなさい……!」
ええと、でもこの手、どうしよう……。
僕は彼女の肩にそっと腕を回したまま、その船の前へと辿り着く。
そこには女性の船員が灯りを片手に立っていた。
こちらも暗い色の服に身を包んではいたが、隣の少女のように全身を覆い隠してはいない。
船の見張りなのかその女性は訝しげにこちらを見る。
「客よ」
少女がそう一言発すると、見張りの女は少し考えながらも視線をこちらから放さずアゴを船内の方へ向けた。
入れ、というサインだろう。
隣の少女に押されるように、船から掛けられた梯子を伝って船内へ乗り込む。
船の揺れる感触が気持ち悪い。
しかしそれ以上にこれから始まることに期待を寄せると、胸が高鳴った。
甲板の上に昇ると入ってすぐに声を掛けられる。
「……あら、いらっしゃい」
甲板の中央で椅子に腰掛けていたのは紫のベールを付けた色黒の女性だった。
年は中年に近そうだが、その豊満な肢体からは妖艶な雰囲気を醸し出している。
ベールの奥の顔に笑みを浮かべて彼女は言葉を続けた。
「お求めはどちら?」
僕はゴクリを喉を鳴らした。
そんな様子に構わず、僕の隣の少女は口を開く。
「一番良いものを」
少女の言葉にその女性は目を細めた。
それと同時に、後ろに待機していた別の船員の女性が奥の船室へと消える。
何かの符丁だろうか……?
しばらくすると、その船員が高価そうな赤い箱を持ってきた。
それを僕たちの前に置くと、ベールの女性が箱を開ける。
「金貨十枚になります」
そこに入っていたのは、少量の黒い粉末だ。
これは……。
隣の少女はそれに近寄ると、膝をついてその粉を素手で触った。
「これは? 吸うヤツ?」
その様子にベールの女性は薄く笑った。
「ええ。お湯に溶かしてパイプで」
……そ、それは。
僕は記憶の引き出しをひっくり返す。
吸引、粉末、高価な値段。
それはおそらく植物から抽出、乾燥させた御禁制の”気持ちよくなる”お薬なのでは……!?
……た、たしかに!
たしかに僕は気持ち良くなれると噂を聞いて、この船に来たわけだけど!
背筋の凍える感覚がした。
やばいところ来ちゃった……!
だらだらと冷や汗を流し始める僕を尻目に、赤い瞳の少女は立ち上がる。
「ありがとう。じゃあ……そうですね」
彼女は腕を広げ、ローブを翻した。
「全部頂きましょうか」
彼女の言葉に、ベールの女性が眉をひそめた。
それと同時に白髪の彼女は後方へと飛び上がる。
普通の人間とは思えないようなその跳躍に、目の前の女性は立ち上がった。
「何奴っ!」
えっえっ?
置いてけぼりの僕は二人の姿を交互に見比べる。
見れば、後方へ飛んだ白髪の少女はその手に赤い光を収束させていた。
あ、あれは……どこかで見たような……。
……そうだ、サラマンダーの炎!
――って、あんなのこんな場所で打ち込んだら……!
僕は慌てて甲板を見渡す。
そこには備え付けの四角い木片があった。
緊急時用の軽木で出来た浮き板だ。
僕はそれを腕に抱えて、大急ぎで甲板の端へと走る。
風に乗って少女の声が聞こえた。
「――空虚なる素、その身を燃やし業炎となれ――!」
その言葉と共に、眩い光が辺りを照らした。
僕は船のへりに足をかける。
……とうっ!
僕は勢いを付けて海へと飛び込んだ。
契約の本、置いてきてよかった……!
「――エクスプロード・キャノン!」
少女の声と共に、僕の後方で爆音が鳴り響いた。
☆
何発もの火炎球を打ち込まれ、炎をあげる船。
僕はその横をじたばた必死に泳ぎ、陸へと這い上がった。
か、体が浮きさえすればこんなもんよ……!
……塩湖でこっそり練習していた甲斐があった……。
「……どうしましたか!」
僕が海水でびしょ濡れになりながら息を整えていると、そこに女性が駆けてきた。
「……む、その顔は……セーム殿……?」
そこに居たのは軽鎧を着込み、困惑した表情を浮かべた生真面目そうな女性だった。
「……コロネさん!」
以前、姫の護衛と侍女を兼任していた彼女の姿がそこにあった。
「……大丈夫ですか? 轟音がしたので来てみましたが、いったい何が……」
彼女の後ろをみると、数人の男女がいた。
中には鎧を着込んでいる人もいたので、噂の騎士団だろう。
「ええと、僕も何がなんだか……」
船の方を見れば、既に船はその積荷ごと沈みかけていた。
白髪赤目の少女はもうどこにもいない。
いったいどこに消えたのだろうか。
そして先程のベールの女性なども船から脱出し、桟橋へとよじ登ろうとしているのが見えた。
……まずい。
彼女たちからしてみれば、僕も船を沈めた先程の少女の仲間だろう。
非合法を生業とする彼女らを説得……は難しそうだな……。
……それなら。
「コロネさん! あいつら、麻薬の密売人です!」
彼女たちを指差して僕は叫ぶ。
僕は全力で彼女たちを売り飛ばした。
……ご、ごめんなさい。個人的な恨みはないんですが……!
「何っ……!?」
僕の言葉にコロネさんは剣を抜き、即座に臨戦態勢へと移った。
流石プロ、素早い。
コロネさんの様子を見て、ベールを付けていた女性は顔をしかめる。
「くっ……騎士団の密偵だったか……」
彼女は忌々しげにそう吐き捨てると、抵抗する素振りも見せずにコロネさんたちにそのまま捕縛された。
あ、危ない……。
最悪僕が捕らえられる側に回っていた可能性もあるかも……。
コロネさんが僕の顔を覚えてくれていて助かった。
安堵する僕に、密売人たちを他の仲間に任せたコロネさんが手を差し伸べてくれる。
「怪我はありませんか、セーム殿」
「ええ、何とか……」
僕はその手を取って立ち上がった。
「麻薬の売人の船を沈めるとは……さすがです、セーム殿。姫もお喜びになることでしょう」
彼女はその瞳に尊敬の念を浮かべこちらを見つめる。
……うっ。純粋なその視線が痛い。
なぜ僕がここにいるのかについては、巧妙に隠し通さなくては……。
そんな自身の保身を考える僕をよそに、彼女は海に視線を向けて眉間にしわをよせて残念そうな顔をした。
「……しかし証拠も回収したかったのですが、さすがにこれでは無理そうですね」
船は燃え上がり、今や半分以上が海の中へと沈みかけていた。
全て沈没するのは時間の問題だろう。
「……ああ、それじゃあ少しだけここで待っていてもらえますか?」
僕の言葉に、彼女は首を傾げた。
☆
「ご主人さま、これで全部だと思いますー」
海にその半身を浸からせたまま、ダイタローは積荷ごと沈んだ船を陸へ引き上げた。
その家よりも大きな体を見て、密売人の女性たちは口を大きく開けて怯えている。
「あ、あたしらはただの運び人だよ! 何も知らないんだ!」
彼女たちは恐れおののき勝手に喋り始めていた。
取り調べの手間も省けることだろう。
一度契約の本を取りにカシャの下へ戻り、それに乗って港へとやってきた。
その時には既に船はすっかり海の底へと沈んでしまっていたのだが、ダイタローを召喚してすくい上げてもらったのだった。
「ダイタローありがとうー!」
僕が頭上のダイタローに向かって手を振ると、彼は嬉しそうに笑って体を小さくしていった。
その横でハナが微笑む。
「……ミズチちゃんは海水が少し苦手ですからね。普通に泳ぐ分には問題ないらしいんですけど」
僕はそんなハナのアドバイスを参考にダイタローを召喚したのだった。
陸に揚げられた船を見上げる僕たちの下へ、コロネさんがやってきて一礼する。
「ありがとうございます、セーム殿。おかげでだいぶ仕事が減ります。こんな場所の犯罪まで嗅ぎつけるその嗅覚、御見逸れいたしました。さすがです」
笑みを浮かべる彼女に、僕は慌てて手を振った。
「いえいえいえいえ! ……ところで皆さんは、この町で何を?」
僕はこの場所にいた理由へと話題が及ぶことを避けるべく、咄嗟に話を逸らす。
そう、僕はたまたま!
偶然ここに通りかかっただけなのだ!
そんな僕の思いをよそに、彼女は伏し目がちにその問いに答えた。
「――我々がここに来た理由はブリコルカ卿への助力の為と……」
彼女は声を潜めて言葉を続ける。
「叛意あればそれを征伐する為」
その瞳に決意を湛え、彼女はそう言った。