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56.予行演習ハネムーン

 鳥の鳴き声がして、カーテンの隙間から光が漏れ出る。

 その太陽の光を感じて彼女は眼を覚ました。


「ふわ……」


 眠い眼を擦りつつその上半身を起こす。

 そこはキャンピングカーの中だった。

 ベッド二つに小さな調理台と飲み水の入った壺に神棚。


 彼女が周囲を見回すと、隣のベッドに寝ている男の姿が見えた。

 何やら夢を見ているのだろうか、彼は聞き取れない寝言を言って笑みを浮かべる。

 それを見た彼女はその口元に笑みを浮かべると、彼を起こさないよう注意しながら出口の扉を開けた。


 ガチャリ、と小さな音を立てつつその扉を閉める。


「んん……!」


 彼女が背伸びをすると、潮風が彼女の髪をなびかせた。

 朝日はまだ水平に近く、その日が始まったばかりだということを彼女に知らせる。


「んー……」


 彼女は少し考えた後、胸元の裏地に縫い付けたポケットから巾着袋を取り出す。

 中を確認すると、銀貨が数十枚見えた。

 彼女は笑顔を浮かべると、その足を海へと向けて歩み出す。


 車を止めていた郊外から海岸沿いに町へと向かう途中、見覚えのある帽子を被った少年を見かけた。


「あ、マリネロさん」


 彼女が声をかける少年はそれに気付き応える。


「変な格好のねーちゃん」


「へ、変な格好……」


 彼の言葉に彼女は笑顔をひきつらせた。

 彼女の和装はこの地域においてはたしかに異彩を放っている。


「ちょうど良かった。昨日のお詫びに、あの兄ちゃんに魚の切れ端でも持ってこうと思ってたんだ」


 少年が手に持っていた革袋を掲げた。


「お魚?」


「うん。ちょっと魚の水揚げを手伝ってさ。働いた分の駄賃の他に、クズ魚は自由に持ってっていいんだ」


「ほほう、さすが港。……ちなみにお魚とかも売ってるんですかね?」


「ああ、新鮮なのが並んでるよ。行く? 行くなら案内するけど」


 彼女は少年の言葉に少し悩んだ後、笑顔で頷いた。



   ☆



「賑わってますねぇ」


 市場には多くの人々が集まっていた。

 至る所で魚の売買が行われ、商人や漁師が品物や買い手を求め足早に行き交う。

 彼女がそんな様子を眺めていると、道ばたのザルの上に魚を並べた初老の男性が声をかけた。


「おうなんだマリネロ、今日は女連れか?」


「バカ言え。この子は旦那持ちだよ」


 冷やかす男性の言葉に、少年は顔をしかめて答える。


「……だ、旦那……!」


 彼女は小さくその言葉を呟いた。

 そんな様子に気付かず、少年は男に言い返す。


「それよりこっちは客だよ、客。値引きの一つでもしなよ」


「おう? そうか。今日のオススメはこのカツオよ。俺が釣ったんだ」


「嘘つけ。船持ってないだろおっさん」


 二人のやりとりを聞きながら、彼女は並ぶ商品を見る。

 海老や蟹にカツオ、ブリ、ニシン、アジとさまざまな魚が並んでいた。

 彼女はそれらの魚の目を覗き込んだりしつつ、品定めを行う。


「それじゃあ、こちら一つ欲しいんですけども」


 彼女は一番大きなカツオを指差した。

 その言葉に男は眉をひそめる。


「一尾まるごとかい? 切ろうか?」


「いえ。ちょっと作りたい物があって」


「へえ。いいよ、十銀と言いたいとこだが、お嬢ちゃん可愛いから五銀にしてやろう」


「よく言うよ。相場そんぐらいだろ。もう一声安くしてやりなよ」


 少年の言葉に男は笑い、アジを手に取る。


「じゃあこいつも付けるってことでどうだい」


「どれも鮮度がいいですね」


 彼女は並べられた魚たちのエラをめくったり少しつついたりしながら、その様子を見ていた。


「お、わかるかい嬢ちゃん」


「ええ。そのお値段で大丈夫ですよ」


 彼女はそう言って財布から銀貨を取り出すと、彼へと手渡した。


「おう。ありがとよ嬢ちゃん。ついでにこれも持って行きな、あとこっちも」


 小魚をいくつか一緒に紐で結わえ、彼は差し出す。

 少年がそれを受け取った。


「……こんなに食いきれるかな」


「大丈夫です。保存食にするので」


 彼の言葉にそう答えたあと、彼女は周囲を見渡す。


「あとはお野菜と……海藻は売ってないんでしょうか?」


「海藻? そんなもん食うのかい?」


 彼は訝しげな顔を浮かべた。


「ええ。美味しく食べられますよ」


「ふーん……。まあねーちゃんほどの料理人がそう言うなら、探してみるか」


 少年が市場の道を先導する。


「そっちに野菜の市場。……って言ってもあんまりイイもんは売ってないけど。あと海藻なんて売る奴はいないから、あっちの海岸を見に行こう。たぶん打ち上げられてるのが少しあるはずさ」


 彼女はうなずき、少年の後を付いていった。




   ☆



 賑やかな市場を抜け海岸でいくつかの海藻を見繕った後、彼女は人目を避けるように浜辺に停めていた車の下へ戻ってくる。

 少年には川の水を汲みに行ってもらい、その間に準備を始めた。


 彼女はまたも主を起こさないよう音を忍ばせながら、カシャの背部に設置された居住空間から調理器具を取り出す。

 折りたたみ式の椅子やテーブルを組み上げ、平らな地面へと広げた。

 手頃な石を並べて持ってきた炭と薪を入れる。

 カシャに火を付けてもらってから金網を敷き、そうして焚き火を作った。


 彼女は少年からもらった魚の切れ端に塩を揉み込む。

 海に注ぐ川は近くにあるようで、その間に少年は戻ってきていた。


「さて、それじゃあ朝ごはんを作りますよー」


 その言葉に少年は目を輝かせる。

 期待の眼差しを受け止めながら、彼女は調理を開始した。


「まずはお米ですねー」


 鉄で出来た飯盒に研いだお米と水を入れ、その上に置く。


「さあ、あとは任せました。沸騰したら蓋をしめてください。それを合図でカシャさんに火力を強くしてもらいます。吹きこぼれても蓋は開けないでくださいね」


「お、おう。やってみるよ」


 そう言って少年にご飯を見てもらいながら、次に彼女は鍋を用意した。


「お味噌汁から~」


 彼女は歌うようにそう言って生姜を刻み、皮などの食べにくい部分を水と共に鍋へ入れて煮立たせる。

 煮立ったら先程の魚のアラを沸かした生姜湯に投入。

 少し湯通ししたら魚だけ取り出して捨て、うろこや赤黒くなっている血の塊を取り除きながら水洗いする。

 湯通ししたそれに水と少量の酒を入れて火にかけた。


「取り出したるは村特産の太い大根と、市場で買った細いネギ!」


「俺ネギ嫌い……」


 彼の言葉を受け、彼女は指を立てる。


「好き嫌いはよくありませんよ。……まあ苦手なものを無理して食べる必要はありませんけど。ネギの香りは魚の生臭さを緩和しますから、風味付けに必要なのです」


 そう言って持ってきた大根、市場で購入した葱を一口サイズに切って鍋に入れる。


「次はこのアジ!」


 煮立つのを待ちながら、彼女はおまけでもらったアジを水洗いしながら捌いた。

 側面、頭、腹へと包丁を入れて硬い表皮やうろこ、頭や内臓を取り除く。

 三枚におろして大きな中骨を取り除いたら、小骨をとりつつ皮を剥いでそれを細かく刻んだ。


 トトトン、と小気味良い音があたりに響く。


「……魚の団子でも作るの?」


「いいえいいえ、これはこのままです」


 彼女の言葉に、彼は首を傾げた。


 それをよそに、彼女は煮立った鍋を火から降ろして味噌を入れる。

 溶け込んだ味噌の香りが、潮風と混ざりあい周囲に漂った。


「おお……不思議な匂い。あ、こっちもちょっと焦げ臭いぞ」


 吹きこぼれた飯盒からご飯の炊ける匂いがして、彼女はそれを開いてかき混ぜる。


「……うん。ちょうどいい感じです。おこげ付きですよ」

 

 彼女はそう言ってご飯を器によそった。

 その上に刻んだ葱と先ほど細切れにしたアジを乗せて、すりおろした生姜をトッピング。

 最後に村から持ってきた醤油を垂らした。


「これで完成です!」


「お、おお……。そっちは生のままなのか……」


「はい。新鮮なのでこのまま食べれます」


 二人がそんな会話をする中、味噌の匂いにつられてか彼女の主人が起き出してくる。

 寝ぼけ眼を擦りつつ、彼はあくびをした。


「ふわー。いい匂い……」


「お、兄ちゃん。遅いな」


 彼女はその様子にクスクス笑いながら、どんぶりとお椀を三人分並べる。


「朝ごはん出来てますよ。今日のごはんは大根のアラ汁とアジのたたき丼です」


 三人は折りたたみ椅子に座り、食卓を囲んだ。

 少年はおそるおそるスプーンを取ってそのスープに口を付ける。


「……おお、こんな匂いなのにちゃんと美味い……」


「お味噌は慣れると美味しいですよ。豆を発酵させた物なんですけど」


「魚醤みたいなもんか……。これはこれですげぇ美味いよ。魚の出汁も出てるし、この野菜も味を吸っててすげー美味しい」


 ズズ、と少年はアラ汁をすする。


 一方で彼女の主人は不慣れな箸を使いながら、眉をひそめつつどんぶりをつついていた。

 その様子を見て彼女は笑う。


「……大丈夫ですよ、主様。食中毒は起こさないように調理しています」


「う、うん……。わかった……」


 彼は意を決してそれを口に含んだ。


「……おお。ぷりぷりした舌触りに醤油の香りが広がって美味しい……。生臭さも無いんだね……」


「調理の仕方もありますけど、やっぱり身が新鮮なのが一番ですね。村では楽しめない味だと思います」


 彼女はそう言って箸を取るが、「あ」と手を叩くと箸を置く。

 食事をよそに小さな器へごはんとアラ汁を取り分けると、キャンピングカーの中へと持っていった。

 その中に備え付けられた神棚に、それらを供える。



「……と。移動分社とはいえ、これはやはり自分自身に祈ることになるんでしょうか……?」


 彼女は首を傾げた。

 その神棚にはミズチが作った小さな人形が並んでいる。

 妖怪たちのデフォルメされた姿が象られたそれらの人形は、見る物によっては可愛らしく映ることだろう。


「……深くは考えないでおきますか……」


 彼女は手を合わせると、瞳を閉じる。


 ――この地でも、幸運が訪れますように……。


 彼女がそう拝んでいると、突然声が響いた。


「……わー! ごはんだー!」


「へ?」


 彼女が目を開けると、そこには小さな妖精の姿。


「ノ、ノームさん……!? 付いてきたんですか……? 今までどこに……?」


「んー? オイラもよくわかんないのだ!」


 そう言ってノームは神棚の上の食事を手掴みで食べ始める。


「……精霊を輸入してしまいましたか……」


 彼女は少し不安を覚え苦笑しつつも、外の食卓へと戻るのだった。



   ☆



 食事が終わった後、彼女の主人は町へと出ていった。

 港に来た用事を済ませるらしい。

 それに合わせて少年も帰っていった。


「さて」


 彼女は拾ってきた昆布とテングサを水洗いして天日干しにする。


「これは干しておいて……と」


 そうして天気の様子を伺いながら、買ってきたカツオを捌いた。

 頭と内臓を取り除いて三枚に下ろす。

 それを鍋に入れ、沸騰しないよう注意をしつつ煮込んだ。

 一時間ほど煮込んだ後で水に入れて骨を取り除き、そうして出来た身をカシャの上に吊るす。


「……カツオを乾燥させている間に……」


 彼女はカシャの後ろに積んでいた鉄の板を取り出して組み立てる。

 それは何枚かの薄い鉄板が組み合わせられた物で、組み上がると箱になるように作られていた。


「よいしょ……と」


 彼女は焚き火の上にそれを覆いかぶせる。

 しばらく乾かしたカツオの身を金網に載せ、その箱の中に入れた。


 薪の中へ持ってきた木片を投入して煙を立たせる。

 そうしてカシャに火力を調整してもらいつつ、晩御飯の準備を並行しながら数時間かけてカツオの燻製を作った。


「何度か繰り返せばこれで鰹節が……ふふふ」


 黒く変色したカツオの身を眺めつつ、彼女は笑みを浮かべる。

 海の先には水平線が見え、潮風が彼女の肌を撫ぜた。


「……主様はいつごろお帰りになられるのでしょうね」


 彼女は立ち上がり空を見つめる。

 青い空が際限無く広がっていた。

 ふと朝市での話を思い出して、彼女は小さな声でぽつりと呟く。



「……お帰りなさいませ、旦那様……なんて」


 一人そう言って、彼女は恥ずかしそうに俯く。



「……イエス、ミセスハナ」


「はうわっ!」


 カシャの声に彼女は驚き声をあげた。


「カシャさん聞いていらしたんですか!? いえ、わたしと主様はそのような関係では、わわわ!」


 慌てて言葉を並べ立てる彼女に対し、カシャは言葉をかける。


「本機に休息は必要ありませんので」


「そうですよねー! あはは! いやあ一人きりだった期間が長いせいか、独り言が多くなっちゃって! あっ! そうだ! お水汲んできましょうー! そうしましょう!」


 彼女は耳まで真っ赤にしながら早口でまくし立てると、手ぶらでその場を駆け出す。

 浜辺の道を歩く彼女の頬を、傾いた太陽が赤く照らしていた。

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