51.攫われエルフと混迷魔獣
「あー、ぬし様ぬし様! わちき持て余す煩悩、身体、そして暇にゃあ」
ゴロゴロと喉を鳴らしながらイセが首にまとわりついてくる。
「……外で遊んできたら?」
屋敷の居間で書類を整理している途中だった僕は、ため息をつく。
そんな僕の背中に彼女はその顔をこすりつけ、甘ったるい声を出した。
「飼い犬は毎日の散歩が健康の秘訣ですにゃあ。ならばわちきのような愛玩猫にもぜひぜひ首輪と縄を付けてご近所散歩を所望するにゃ」
「……その散歩スタイルはどうかと思うけども」
他人から見られたら奇異の目で見られること間違いない。
とはいえ、気分転換に遊びに行くのは悪くないとも思う……。
少々頭の中で本日の予定を考え込んでいると、呼び鈴が鳴った。
イセを振り払って僕は玄関へと迎え出る。
そこにいたのはエルフのイスカーチェさん。
彼は僕の顔を見ると神明な面持ちで用件を切り出した。
「少し相談したいことがあるのだが……」
「どうしたんです?」
「……ちょっと人探しを依頼したくてな。この前いたろう。三つ目の子が」
メアリーか。
「どんな人を探してるんです?」
「……うむ、そこが問題でな」
彼女の言葉に僕は首を傾げた。
「その子は遠縁のエルフなのだが……。まあエルフの爪弾きというか……私が言うのもおかしなことだが、エルフの中においては発想が異端でな。里で暮らすよりもこの村で暮らした方が良いと思って呼び寄せたのだ」
「異端……」
べつに人を取って食うとかでなければ、村では歓迎だけれども。
僕がそんなことを考えていると、彼女は腕を組んで話を続ける。
「……ただ私も手紙でやりとりをしたことがあるだけで、外見的な特徴などはわからない。エルフはこの辺ではあまり見ないので、それが大きな特徴とはなりえるが……」
手がかりがないということか。
「話を聞くに数日前に街を出発していて、もうこの村に到着していてもおかしくないのだ。何かトラブルに巻き込まれた可能性はある」
彼女は顔を険しくする。
「……しかしその子は言うなれば変人だ。ただ単に寄り道をして遅れている可能性もある。なので冒険者ギルドに頼むのも気が引けてな。それもあって相談しにきた」
なるほど。
たしかにとりあえずで調べてもらうならメアリーが適任だろう。
「うーん、まずは彼女に相談してみましょうか」
「ああ、助かるよ」
イスカーチェさんはそう言って笑顔を浮かべた。
☆
「……とりあえず南の方を探索してみます」
イスカーチェさんから話を聞いたメアリーは快くそれを引き受けてくれた。
行方不明になった子の移動手段は徒歩ということで、行方がわからなくなった時期から推測して探索範囲を徐々に広げてもらう。
一時間ほど玄関の前で座り込んだところで、彼女は声をあげた。
「……あっ」
「お、何かわかった?」
ゲームの駒として使っていた石を地面に置く。
イスカーチェさんと暇つぶしにしていた陣取りゲームの勝利を収められそうな局面であったが、今はそんな場合ではない。
「……ええと……その人かどうかはわかりませんが、小さな洞窟の前に生活痕がありますね……。焚き火……骨……」
「骨……」
「街道から外れた場所に、ひっそりと。……まるで何かから隠れるように」
人を食う魔獣……?
いや、焚き火ということは盗賊か何かか……?
「洞窟の中までは視えません。……ごめんなさい、私がもっと有用であれば……」
「大丈夫! すっごく助かったから!」
彼女が謝り出す前に感謝の意を伝えておく。
とりあえず手がかりがそれしかないのであれば、調べてみるしかないだろう。
ここからは冒険者ギルドに任せるべきかもしれないが――。
「ぬし様! 話はまるっと聞いたにゃあ! 協心戮力、すなわち猫の手も借りたいわちきの出番! このままだと退屈に蒸し殺されるところだったにゃあ!」
ずっと僕の背中に寄りかかり、イスカーチェさんとの陣取りゲームを見ていたイセが叫んだ。
……まあこうなるよな。
とはいえ、正直僕もちょっとだけ興味が無いといえば嘘にはなる。
それにエルフの子の安否も急いで確認しておきたいところだ。
「……じゃあ、ちょっとだけ行ってみようか」
☆
メアリーを案内人にして、僕たちはカシャに乗って街道を南に向かった。
カシャの速度で一時間ちょっと。
そしてそこから更に、オフロードモードに変形してもらって南東へ向かう。
そうして荒野をガタゴトと走り、僕たちは目的の洞窟の前までやってきたのだった。
そこは木々に覆い隠された、パッと見ただけでは洞窟とも思えないような洞穴の入り口だった。
「……たしかに何者かが生活しているようだな」
イスカーチェさんはカシャから降りつつ、その眼を周囲に向けた。
たしかに言われてみれば、焚き火跡のようにも見えなくはない。
……僕だったら素通りしてしまいそうだけど。
「……洞窟の中にその子が――」
――いるのかな。
そう言おうとした瞬間、ガサリと頭上で音がする。
ふと上を見上げると、木の上から黒い影がイスカーチェさんへとその身を飛びかからせようとしていた。
「――イスカーチェさん!」
僕の声と視線を見て彼女は咄嗟にその身を跳ねさせる。
それと同時に僕の後ろからイセが飛び出した。
ギャリ、と硬質な音が響いたと思うと、その影はイセに弾き飛ばされる。
「――にゃは」
何事もなかったのかのように彼女はイスカーチェさんの側へと両手両足をつけて着地した。
イスカーチェさんはその身を地面に投げ出しながら、イセの方を向いて言葉を漏らす。
「……助かった」
倒れ込むように跳んだイスカーチェさんに怪我はなさそうだ。
「んっふー。感謝はぬし様にするといいにゃあ」
彼女はその瞳で青黒い影を睨みつけ、視線を逸らさずそう答えた。
「なんだか堅物さんな雰囲気にゃあ。もっと笑顔浮かべての~んびり生きないと人生楽しくないにゃ」
彼女はそう言ってそれに話しかけた。
その影が数歩こちらへ向かって近寄ってくる。
木々の間から差し込んだ光が、その姿を照らした。
「――狼人間……!?」
そこにはがっしりとした体格を持つ、全身を青い毛で覆われた狼人間の姿があった。
その体格は僕なんかよりも随分大きくて二メートルほどはある。
「……グ……ググ……!」
彼はその大きく裂けた口から唸り声を漏らすと、姿勢を低くした。
どうやらイセの言葉に答える様子はなさそうだ。
「グォォオオオオ!」
彼は叫び声を上げながらイセに襲いかかる。
僕は緊急事態と判断して、持ってきていた契約の本に手をかけた。
しかし――。
「――にゃは」
狼男の動きに合わせてイセは笑うと、空中に跳んだ。
まるで踊るように一回転すると、その足はタイミングよく人狼の顔を捕らえて蹴り飛ばす。
その巨体に似合わない勢いで人狼は地面を転がった。
本人も何をされたのかわからないのか、困惑の表情を浮かべつつその身を起こす。
「――何だと……!? ……待て、お前は……!?」
狼男は慌てて言葉を発した。
喋れたのか。
彼はどうやら話し合いに応じて――。
「――待たないにゃあ」
シャキン、という音と共にイセは手を顔の前にかざすと、その指の先から一瞬で長い爪を生やした。
「もっと楽しもうにゃ?」
そう言ってイセは跳ね、追撃の蹴りを彼の胴体に入れる。
「ち、畜生……!」
彼はイセの蹴りの反動から後ろへ下がりつつも、彼女と同じく鋭い爪を立ててそれを迎え撃った。
「畜生はそっちも一緒だにゃあー」
イセは彼が振り回す爪を器用に避けながら、その合間を縫って何度も人狼を殴打する。
そんな様子をメアリーは手で顔を覆いつつ観察していた。
「あわわわわ……。た、たぶんお相手の方はそろそろ動けなくなると思うので、止めてあげた方が……」
どうやら彼女の観察眼によればイセの方が圧倒的に優勢のようだ。
……とはいえ戦いの心得もない僕が、そのダンスのような二人の攻防の間に入れるわけもなく。
僕は一方的に殴り続けるイセの背中に緊張感なく声をかけた。
「……手加減してあげてねー」
「にゃはーい!」
彼女は嬉しそうに声をあげつつ、その玩具と遊び続けるのであった。
☆
「……すみませんでした……」
一方的にボコボコにされた狼男は地面に座り込み謝罪を口にした。
「にゃはー! ごめんで済んだら刑罰不要にゃ! さらし首? さらし首にしちゃうにゃ?」
「まずは話を聞いてからね……」
僕の言葉に彼はぽつぽつと語りだした。
「……その……人間が近付いてくるのがわかったんで……襲ったっていうか……」
彼は歯切れ悪くそう言った。
僕はそれに首を傾げつつ口を開く。
「……食糧にするにしても、いきなり襲うのはリスクが高いと思うんだけどな」
僕がそう呟くと、彼はこちらを不安そうに見つめた。
「全員を殺せる自信があった……にしても、食べ切れる量じゃないよね」
僕が視線を向けると、彼は何も言わずその視線を逸らす。
「……何かを守っていた?」
狼男は僕の言葉に黙って眼を閉じた。
「……行方不明のエルフの子を探しに来たんだ。……君が襲ったのかな」
僕が洞窟の方を見ると、彼は何かを諦めたようなため息をついた。
「……洞窟の中にいる。殺してはいない」
僕はメアリーとイスカーチェさんに頷く。
二人は洞窟の奥へと入っていった。
しばらくすると、そこから一人のエルフの子を抱えて出てくる。
その子は肌の露出が多い軽装の服に身を包んだ髪の長いエルフで、種族しての特徴として大変顔立ちが整っていた。
とても愛らしい顔に低い身長。
イスカーチェさんと並ぶとその低さが際立ち、随分子どもっぽく見える。
とはいえエルフなので、僕にはその年齢を予想できないのだけれど。
「……奥で縛られていた。特に怪我もないようだ」
イスカーチェさんがそう言うと、その腕に支えられたエルフは衰弱しているのか儚げな笑みを浮かべた。
「どうも……ジェニーです」
どうやら無事らしい。
……となればあとはこのワーウルフの処遇についてだけど……。
「……ま、待ってくれ! 出来心だったんだ!」
彼は僕の視線に慌てて首を横に振った。
「ひ、人も食ってない! ていうか俺も元は人間なんだ! 信じてくれ!」
「ええ……?」
元人間のワーウルフ……?
たしかに前見た本では、ワーウルフは人をさらってその種族を増やすという話も聞いた気がする。
……ということは。
「……じゃあ、その子をさらった理由はもしかして……?」
僕の言葉に、彼は目を伏せた。
「……俺は昔、冒険者だったんだ。でも遺跡で狼人間に噛まれてこうなっちまった……。街に戻るわけにもいかずここでサバイバルしていたんだが……」
彼は少し言葉をためらいながら、空を見上げた。
「……どうしても……恋人が欲しかったんだ……!」
……なるほど、切実……。
僕は彼に尋ねる。
「……それでこの子をさらった、と。でも良心の呵責に耐えかねて何もしなかった……ってことかな?」
僕の言葉に彼は首を横に振った。
「……その子……めっちゃ可愛いくて好みの子だったからついさらっちゃったんだけど……」
彼はその瞳に涙を浮かべた。
「男だった……」
「えっ」
僕はジェニーと名乗ったエルフの子の方に視線を向けた。
「あ、あはは……ごめんなさいボク……その……べつに騙すつもりはなかったんですけどぉ……」
ジェニーは顔を赤らめながら苦笑する。
……どうやら本当らしい。
パッと見どこから見ても女の子に見える。
というかそのスカートとか女性物だよね……?
イスカーチェさんの方に視線を向けると、彼女はバツが悪そうに咳払いをした。
……なるほど、異端とはこういうことか……。
エルフの里、恐るべし。
狼男は話を続ける。
「……でも逃したら冒険者が討伐に来るかもしれないし……。『もう男の子でもいいか……。いやしかし』……って迷ってたんだ……」
「おいおいおいおい」
思わずツッコミを入れてしまう。
……まあどちらにせよ間に合って良かった。
色んな意味で良かった。
……しかしどうしたものかな。
彼自身、反省もしているようだし……。
僕が悩んでいるとイセが声をあげる。
「処刑かにゃ!?」
「しないしない。……イセだって猫人間みたいなもんでしょ」
「そんな心外にゃ! わちきは生まれも育ちも猫・ネコ・ねこ! こんな後追いでイヌ科の仲間入りを果たした奴とは出来が違うんだにゃあ」
彼女はそんなことを言って尻尾をブンブン振った。
彼も好き好んで仲間入りしたわけじゃないだろうに……。
……んん? 待てよ。
彼は遺跡で噛まれて人狼になったって言ったっけ。
「――そうか、それなら……もしかすると……」
僕は契約の本のページを開いた。
☆
「ふはははは! 毛を剃り牙を削り、毎日太陽の光を浴びるがいい。我が力の範囲たる村の中で一月ほど暮せば、貴様が人狼に変化することもなくなるだろう」
「ほ、本当か……!? な、治るのか!? この体は……!」
――獣人。
それは古代より存在する魔族の一種で、人族の獲物を噛むことにより仲間を増やすとされていた。
噛んで増やすという行為。
つまりそれは媒介に唾液を使っているということ。
……逆に言えば、唾液を介さなければ彼らはその数を増やせない。
となればそれは元々魔族だったのではなく、風土病のような物なのではないだろうか。
そう思った僕は疫病神であるヨシュアを召喚して、彼の身体を分析してもらった。
どうやら僕の目論見通り、悪さをする瘴気の一種が活動していたらしい。
「ふはは! 我が主の機転に感謝するがよい! あと数年放っておけば、脳を喰らい尽くされ貴様はただの獣として徘徊することになっていただろうな!」
「そ、そんなことに……!?」
ワーウルフの彼は顔を驚きに歪めさせつつ、その頭を下げる。
「ありがとうございます! ありがとうございます……! 俺、また人間に戻れる日が来るなんて……!」
「ふははは! このような不衛生な場所にて、栄養も満足に取らず暮らしていては病には勝てぬぞ!」
ヨシュアの言葉に僕も笑った。
「二人とも今日は僕のうちに来なよ。ご飯を御馳走するからさ」
僕の言葉に、エルフのジェニーも笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。お助けいただいただけでなく、そこまでしていただけるなんて……」
「こいつはこんなでも村の長だからな。今から媚を売っておけよ」
ジェニーの言葉にイスカーチェさんは冗談めかして笑った。
……ううん、改めて彼の声を聞いても女の子にしか見えないぞ……。
スカートの下に覗く太ももが眩しい。
僕がそんなふうにジロジロと彼を見ていると、イセが声をあげた。
「あっ! ぬし様が男の色香に惑わされて道を踏み外そうとしているにゃ」
「わあ……禁断の恋……!」
メアリーも両手で顔を覆いつつ、その指の間から瞳を輝かせた。
「ち、違う! 見てない! 見てないよ! きょ、今日の晩御飯はなんだっけなー! 肉じゃがだっけー!?」
あからさまに話を逸らす僕に、みんなは笑う。
その晩、僕たちは新たな村の住人二人を迎え、共にハナの手料理の味を楽しんだのであった。