5.河童の仲直り大作戦
ハナに羊皮紙とペンを用意してもらうことができたので、二日ほど村を歩いて簡単な地図を作った。
大雑把なものだが、自分でわかればそれでいい。
その中でもいろいろと発見あった。
屋敷の裏の朽ち果てた庭園を発見したのもその一つだ。
元は立派な庭園だったのだろうが、人に忘れられたことと世界の荒廃が重なり酷いことになっていた。
草木は荒れ放題で枯れかけているし、真ん中には底なし沼が出来ている。
あやうく僕もその住人になりかけたところだった。
しかし沼があるということは水源があるのかもしれない。
枯れかけているとはいえ、草木が生えているのもそのおかげだろう。
そんな今にも消滅してしまいそうな庭園を見て、実家の庭師の爺ちゃんのことを思い出す。
花壇を作る手伝いをしては父上に怒られた。
今じゃあ天国に行ってしまったけれど、爺ちゃんと一緒に作った花壇は今の代の庭師がきちんと手入れしてくれているだろう。
そんな風に実家に思いを馳せながら酒場で朝食を取っていると、女将のマリーさんに話しかけられた。
「先生の魔法は他のとこには使えないのかい?」
ギクリとしつつ、少しむせる。
今日はソーセージもついたので少しはお腹が満たせそうだなーなんて思っていたら、とんだ不意打ちだった。
ちなみにもう少し安くてもいいんじゃないだろうかという値段のままではあるが、貴重な食材を分けてもらっているだけマシなのだろう。
「……どうでしょうね、ええ。いやその、やってみないとわからないところがあって」
しどろもどろに言い訳する。
実際に廃坑からは湧き水が出たものの、他の場所でも成功するかどうかはわからない。
「そうかい。いやね、坑道まで水を汲みに行くのが辛いっていうのもあるんだけど、水量がちょっとね」
湧き水は廃坑の少し奥の壁から湧き出ていて、そこから汲んで持ち帰る。
普通に重い水を持ったままだと、歩いて一時間ぐらいはかかってしまうかもしれない。
隣村まで行くのよりは遥かに楽だが、かといって便利とも言えない距離だ。
「……調べてはみますが、期待はしないでくださいね」
「ああ、助かるよ」
酒場の女将は笑顔でチーズを一切れサービスしてくれた。
☆
「……というわけなんだ」
屋敷の居間で事情を二人に説明する。
「それは……野菜不足ですね」
「小豆を育てるです」
頷くハナと、マラカスだけ姿を現すアズ。
そんな器用な消え方ができるのか、と感心してしまう。
「……いや、そこじゃなくてね? 僕の食生活の相談じゃなくてね? ていうか小豆って野菜扱いでいいのかな?」
「しかし主様、栄養が偏っていてはヒトは死んでしまいます」
真剣そのものといった表情で彼女はまっすぐ僕を見つめた。
うう、たしかに彼女の言うことは正しくはある。
「……でも野菜を栽培しようにも、やっぱり水が足りないんだよ」
土壌に染み込むぐらいの湿気はこの村にほとんど存在しない。
昔は村のどこでも畑が作れそうなぐらいにはあったらしいが、魔族との戦争で精霊が消失して以来はずっとこの調子らしい。
「というわけでもっと水源を増やせないかな……って思うんだけど」
アズ(マラカス形態)の方に目を向ける。
「……むずかしーです。アズ一人の力では平地に川は作れません」
「あずちゃんでも無理なのですね……」
と、アズの言葉にハナは困った表情を見せる。
そうか……無理か……と僕も諦めかけたが、その言葉尻が気になった。
「……ん? アズ一人じゃダメなら、他に誰かの力を借りれば出来るの?」
チッ、と空中から舌打ちが聞こえた気がする。
「……アズ?」
何か隠しているらしい。
「……水が大量に確保できたら小豆畑ができるかもしれないぞー……?」
僕の言葉に観念したのか、彼女はその姿を現した。
アズはしぶしぶテーブルの上の契約の本を開くと、その中からとあるページを開く。
「こいつ。……うぜーですけども」
しかめっ面でそう言い残すとアズは消える。
音を生み出す妖怪であるアズすらもうるさく感じる妖怪とは、いったいどんな妖怪なのだろうか。
「……ハナ、召喚していいと思う?」
僕の問いかけに、彼女は笑みを浮かべて頷いた。
「ええ、彼女は気難しい子ではありませんし」
彼女。
……また女の子なのか。
妖怪は女の子しかいないのか?
それはともかく早速召喚を開始する。
右手を本の上に乗せ、呪文を唱える。
「――彼の地よりいでよ」
本から光が漏れ出る。
そこに書かれている名前を読んだ。
「――”水虎”!」
空間を切り裂く音ともに風圧が生じる。
テーブルの上に青黒い魔力の塊が発生したと思うと、すぐにそれは縮まり一人の少女を置いていった。
それは十六、七ぐらいの女の子だった。背はアズより大きく僕よりは少し小さそうだ。
髪は肩口付近でバラバラに切り揃えられており、モミアゲだけ胸下まで伸びている。
生え際は脱色されているかのように銀色で、黒とのグラデーションが淡く見えた。
緑の柔らかそうな薄手のシャツに、体の線がぴっちりと出る伸縮性のある素材で出来たレギンス。
背中にはこぶし大ほどの小さなバックパックを背負っている。
そして何より目を引くのが、その手の指の間。
そこにはうっすらと水かきがついていた。
「……半魚人?」
僕が口に出すと、彼女は前髪の隙間からジロリとこちらに視線を送り口を開いた。
「み……」
ゆらりとその体の輪郭が揺らめく。
「……みず……」
バタン、と机の上で彼女は倒れる。
……水?
「……あ! もしかして、この子……エラ呼吸とか!?」
☆
「いっやー! 助かったのであります! あ、自分の名前はミズチと言うのであります! 水虎、もしくは河童のミズチ! よろしくお願いするのでありますよー!」
慌てて水が入ったタルの中にぶち込むと、その子はすぐに目を覚ました。
エラ呼吸ではないらしいが、水分が枯渇すると魔力を消費するらしい。
あずき洗いよりも水属性に近しい気がするが、なるほどたしかに完全に水がなくなった以前の状態でこの子が出てきていたらすぐに干からびてしまうところだったろう。
なので運任せで選んだときにはアズが召喚されたのだと思う。
「おや、ハナ殿と……アズ殿の魔力を感じるのでありますな!?」
ミズチが笑顔で空中に視線を向けると、アズの返事が返ってくる。
「このハゲ河童……」
「ひ、酷いであります! アズ殿! 自分これはハゲているわけじゃないのでありますよ!?」
本を改めて読むと、水虎は頭部に大事な皿を乗せているらしい。
なぜ皿なのかさっぱりわからないが、髪の模様がそう見えたのだろうか。
「……仲悪いの?」
「……ちょー悪いです」
アズの答えに、ミズチが声をあげた。
「え、ええー!? 自分そんなに嫌われているのでありますか!? いったい何が原因で!?」
「自分のその無駄に大きな胸に聞いてみやがれです」
「そんな……。たしかにアズ殿が音でおびき寄せた人間を、悪戯で川に引きずり込んだことはあるのでありますが……」
怖い。
悪戯で済むのだろうか……。
僕は泳げないぞ。
「しかもそれ一度や二度じゃないです。全部アズのせいにされたです。許せねーです」
シャンシャン!と音がなる。
怒りを表現しているようだ。
「う、うう……! チャンスを、チャンスを頂きたいのであります! 自分はアズ殿と仲良くなりたいのであります!」
タルの中で叫ぶミズチに、姿を見せないアズ。
さて、どうしたもんかな。
☆
ミズチとの契約条件、それはアズと仲良くなりたいということだった。
きゅうりが好物ということなのでそれを対価として求められるかと思ったが、意外にも彼女との関係修復を一番に望んでいるらしい。
当然だが、契約は前払い。
彼女に協力してもらうには、アズとの仲を取り持たなくてはいけない。
「自分はあずき洗いと仲良くなりたかっただけなのであります」
彼女は水樽を持ったままそう言った。
水から出て外を出歩いてはいつ倒れるかわからないため、乾いてもいいようにタルごと移動することにした。
幸いにも彼女は怪力で、水樽の一つや二つ余裕で持ち上げられそうだ。
「その人が喜ぶことをしてあげたらいいんじゃないかな……」
「と言いますと」
僕の言葉にミズチは尋ねる。
「例えば贈り物とかかな。アズが欲しいものは何だと思う?」
「……きゅうり?」
「うーん、惜しい。それは君が好きなものだね!」
この子、重症だ。
「そ、そんな……きゅうりをもらっても喜ばないのでありますか!?」
「なるほどその衝撃の受けっぷり、もっと根本的なところから教えてあげないとダメかな……」
「はっ……根本的なところ……! なるほどであります……!」
ミズチは感嘆の声をあげた。
「つまり……きゅうりの苗……?」
「うーん何から教えよう!」
投げ出したくなってきた。
「冗談冗談、川辺ジョークでありますよ!」
「皿たたき割ってやろうか」
「ヒィッ! これは髪の毛であります!」
「大丈夫、貴族ジョークだから」
そんな冗談を交わしつつ、僕達二人は裏庭へとやってきた。
庭といっても面積は屋敷と同じぐらいある。ちょっとした舞踏会場よりも大きいだろう。
「さて……まずは粘土を作ろう」
転がっていた錆びたスコップを振るい、適当に土を掘る。
少しだけ掘ると、赤い土が見えてきた。
「おっ、よさそうな土」
「紛うことなき土であります!」
少し中を掘り起こす。
正直言って本当に目当ての物が出来るのかはわからないが、子供のころに庭師の爺ちゃんとやった内容を思い出す。
「水分……は泥でいいかな」
庭の中央にある底なし沼。
足を取られないよう注意をしつつ、その泥をスコップですくって掘った穴へと入れる。
「よし、これをコネて粘土にする。やってみて」
「ハ、ハイであります!」
ミズチは言われた通り穴の中で泥をこね始める。
まだ主従関係を結んだわけでもないのだが、素直に従ってくれた。
「あっ! ご主人!」
というか既に主人と呼んでくれた。
やっぱりこの契約というやつ、ルーズだ……。
「水を! 自分に少し水をかけてください! そうまるで餅付きのように!」
モチツキがわからないが、タルから少量の水をすくって彼女にふりかける。
「ふおおお! 元気百倍であります! やったるでー!」
ぐちょぐちょぺったんぺったんと物凄い勢いで泥をこね始める。
……うん、アズが何故この子を毛嫌いするのかちょっとわかった気がする。
アズは音の妖怪なのにそれよりも騒がしいもんな、この子……。
アイデンティティの危機だよ……。
それぐらい元気とも言えるのだけれど。
そんなことを思っていると、空中にマラカスが見えた。
どうやら気になって見に来たらしい。
……順調順調。
そうこうしているうちに粘土として土がまとまっていく。
おお、そうそうたしかこんな感じ。
「よしじゃあ器の形にしよう」
こねこね。ミズチは歪な器を作る。
崩れてはいけないので、結構分厚くなってしまった。
しかし少々歪なぐらいが味があるだろう。
手近な枝の切れ端を拾い、底にいくつかの穴を空ける。
空気孔だ。
「あとはこれを乾かす」
「水分を飛ばすのでありますか!? こいつ死んでしまうのでありますよ!?」
あわわ、と怖がる彼女のことは無視して、木の板の上に乗せて日当たりの良い場所に置く。
「よし、これで休憩。君は休んでて。僕は今のうちに水を汲んでこよう」
綺麗な水はミズチが占領してしまったので、また水を汲みに行くことにした。
☆
「さて、次はこっち」
数時間後。
人の頭ほどはありそうな大きさの革袋を取り出し、さきほど掘った穴に中身を入れる。
「うわ、なんでありますかコレ……」
「生ゴミ」
酒場からもらってきた。
若干の異臭はするが我慢がまん。
そこに横から掘り出した土を入れ、更に泥を入れる。
「そしてこれを混ぜる」
ザクザクザク、とスコップで空気を含ませながら混ぜていく。
「だいたい握ったときに水を感じるぐらいかな。多すぎると腐るから、それぐらいまで水を足しつつコネてみて」
「任せるのであります!」
グニグニぎゅっぎゅと土の状態を確認しつつ、土を作っていく。
「このぐらいでどうでありますか!?」
「たぶん大丈夫……だと思う」
まあ、多少間違っても最後には何とかなるだろうと楽観的に考える。
「そしたらこれをさっきの器に入れる」
もちろんまだ粘土のままで完全に乾ききってはいないが、それでも少しは固まってきたそれに完成した土を入れる。
「完成!」
「わー、完成であります! ……何が?」
ミズチが首を傾げる。
なんちゃって植木鉢の完成だ。
しかし器もただの粘土のまま。
中の土だって、ただゴミを混ぜ込んだだけなのでこれが腐葉土になるには更に発酵時間が必要だ。
ここに、おまじないをかける。
さて、成功するかな?
☆
植木鉢の底板ごと運び、屋敷の南側のベランダへと置く。
ここなら日当たりも良いだろう。
「……ハナ」
「はい、ここに」
僕が呼ぶと、彼女が後ろに現れた。
「君の存在定義を聞いてもいいかな」
存在定義。
彼女の妖怪としての在り方。
「はい。わたしは座敷わらし。この家に幸運をもたらします」
そうだ彼女は家を守る妖怪。
そしてその力で以前、屋敷の家具達を新品同然にしてみせた。
――ならば。
「このベランダは屋敷の中で、この植木鉢は新たな家具だ。でも家具として成立するにはもうちょっと時間が必要だ」
この泥と土の塊を、家具として定義する。
「だからハナ、こいつを君の力で立派な鉢植えにしてくれないか」
「お安い御用です、主様」
ハナがそう答え、しゃがみ込む。
鉢植えを優しくトントン、と叩くと、その表面が姿を変えて滑らかになっていく。
中の土もふんわりと空気と湿気を含んで盛り上がった。
ミズチの作った歪さはそのままに、そこにはしっかりとした鉢植えが出来上がった。
「お、おおー!? ハナ殿は凄いのでありますなー」
「いいえ、ミズチちゃん。わたしの力はあくまでも家具になった物に働く力。主様が元となる概念を用意しなければ、このようなことはできません」
「ほえー! よくわからないのでありますが、さすがでありますなご主人!」
……いや、今のはやっぱりハナの力が凄いんだと思うけど……。
奥ゆかしいというか、主人を立てるのが上手い子だな、本当。
そしてポケットから小豆の種子を取り出す。
それを鉢植えに埋め込み、土を被せた。
「はい、完成。これで小豆ができたらアズにプレゼントしよう。そうすればきっと、あの子も喜んでくれると思う」
「はい! であります!」
ミズチが元気よく返事をすると、突然その後ろに現れたアズが彼女の背中を蹴りつけた。
「ギャッ! 何をするのでありますか! アズ殿!」
「……どーせテキトーなミズチのことだから、きっと水やりを忘れたり、水をかけ過ぎて腐らせてしまうです」
「うっ! 反論できないのであります!」
いや、そこは食い下がろうよ。
もうちょっと頑張ろう?
「……だから、その鉢植えはアズがもらってやるです。ミズチは手を出すなです」
「お、おお!? 自分のプレゼントを受け取ってくれるのでありますか!? やったー!」
「……べつにミズチの為じゃねーです。契約を満たさないと、マスターが困るです」
ぷい、とアズは視線を逸らす。
「……アズ、お礼は?」
その様子をみて苦笑しつつ声をかけた。
「……ありがとです、ミズチ」
視線を合わせないまま、彼女は感謝の言葉を口にする。
ミズチは感激の声をあげて、笑顔を浮かべた。
「許してくれるのでありますね! アズ殿!」
アズを抱え上げるように抱き締める。
「放しやがれです。気持ちわりーです。ベタベタするなです」
そう言いながらも、アズは抵抗していなかった。
「はっ!」
何かに気付いたように、ミズチは彼女から離れる。
すぐに膝をついて地面に伏せた。
「――失礼しました、ご主人。このミズチ、契約通り貴方様にお仕えさせて頂きます。数々の無礼をお許し下さい」
突然かしこまられ、少し困惑してしまう。オンとオフの差が激しい子だ。
しかし本来は彼女たちのとっての契約とはこのようなものなのかもしれない。
こちらも片膝をつき、彼女に手を差し伸べた。
「顔をあげて。これからもよろしくね、ミズチ」
彼女は顔をあげ、笑顔を浮かべる。
「はい、ご主人。あなたのおかげでアズ殿と仲直りできました……。――本当に、ありがとうございます」
僕の出した手をぎゅっと握り返してくれる。
その手は温かった。