44.悠久ぶりの神活セミナー
「えー……それではお名前をどうぞ」
屋敷のリビングで面談を始める。
僕の対面に座る黒のスーツ姿の男は、おもむろに立ち上がるとその竜の頭蓋を天井に向けた。
「我は疫病神! この地を支配する竜神であり、異界の魔神である!」
僕はそれを見て呆気に取られる。
彼はコホン、と一つ咳払いをすると、そのまま何事もなかったかのようにソファーへと腰掛けた。
「我のことはヨシオ……いや、ヨシュアと呼ぶがよい。新たなこの地の神となるのに旧き地の名は必要なかろう」
「は、はあ……」
つい生返事を返してしまう。
旧き地とは、彼が召喚される前にいた魔界か何かだろう。
「……えーそれでは、次にお聞きしたいのは契約内容についてですね……」
契約。
随分といい加減な物ではあるが、一応お互いの利害を一致するためには妖怪とは契約を交わしている。
彼が僕に従う代わりに求めるのは……。
「――我を神と祀るがよい」
彼は一言、そう言った。
……う、ううむ。
たしかにミズチなんかは水神としてこの村では信仰されているし、ハナなんかも守り神として存在は定義している。
しかしいざ神と言われても、いったいどう奉ったものだろう。
僕は意を決して彼に質問する。
「……何か特技は」
「ふっ、愚問であるな」
僕の言葉に彼は答える。
「我こそが不浄と瘴気を支配する混沌の魔神!」
……えーと。
「……それはこの村にどのようなメリットが……?」
「わからぬか」
彼はソファーに背を預け、ふんぞり返った。
「主君たる汝を、最強であり最凶の存在である魔王にしてやろう」
「……いえ……結構です……」
「なんだと!?」
僕の答えに彼は驚愕の声をあげる。
いやだって、そんな魔王とか言われても。
僕はこの村の村長であって、べつに侵略戦争とかするわけじゃないし……。
「……ふっ。なるほどな。魔王などという地位に興味はないと。見上げた男だ」
「え、あ、うん。まあ……」
魔王になっても遊んで暮らせなさそうだしなあ。
そもそも魔王ってなろうと思ってなれるものなのか?
称号っていうか、勝手に呼ばれるものなんじゃないの?
「なんと大きな器を持つ者よ……。ますます我が主に相応しき男」
「あ、ありがとうございます……」
僕はとりあえず礼を言うが、別に誉められるようなことではない。
「……しかしだ、主候補よ。ならば逆に問おう。お前は我をいかに使役するつもりか」
彼の問いに僕は頭を捻った。
言われてれば、彼にどう暮らしてもらうかなんて考えてもみなかった。
あの時はただドラゴンゾンビを妖怪の形に落とし込むことを考えていただけだ。
しかしだからといって、彼を放置するのも恐ろしくはある。
そもそも今は彼も対話をしてくれてはいるが、召喚した妖怪が僕の言うことを聞いてくれる保証はどこにもない。
異世界の魔物、妖怪。
そして疫病を司る疫病神という種族。
下手をすれば村が全滅……などということも考えられなくはない。
しかし彼に頼めることといえば……。
「――ハナのお手伝い、とか」
「……ほう?」
僕の言葉に、彼はその骨の頭を斜めに傾げた。
☆
「主様! 見てください! 味噌です! お醤油! たまり醤油がこんなに!」
ハナは喜びに打ち震えながらそれをツボに取り分ける。
キッチンに居たハナに声をかけ、ヨシュアの力を利用してみてもらった。
結果できたのがその黒茶色の粘土のような物と、そこから溢れる濃い色の液体だ。
前々から発酵食品を仕込んでいたハナのお手伝いである。
ハナはパパっとミソを塗り込んだおにぎりを作る。
それをサッと炙ると、僕とヨシュアの前に置いた。
「味噌焼きおにぎりです!」
ハナが目を輝かせながらそれを差し出す。
僕は初めての調味料に戸惑いつつも、それを口にした。
なかなかクセの強い匂いだが、食べてみれば塩味が効いてミソの風味が広がる。
慣れればこの風味が癖になりそうだ。
一方のヨシュアもドラゴンの骨で作られたその口へと放り込んだ。
食べられるんだ……骨でも……。
「……うむ、独特な味噌の風味に塩味が米の甘みを引き立て、芳ばしい焼き跡がまた美味い。これぞ握り飯」
舌、あるのかな……。
僕がまじまじと彼の様子を伺っていると、彼は遠くを見つめた。
「……美味い。確かに美味いが……これは違う! 違うのだ!」
彼は天へ向かって咆哮した。
「……お醤油の方が良かったですか?」
「違ぁう!」
ハナの言葉に彼は大きく首を振る。
「我は異界の魔神にしてこの地の新たなる神! このような飯炊き夫の仕事がしたいのではない!」
叫ぶ彼に、ハナは残念そうな顔を見せた。
「……発酵には時間がかかりますので、お手伝いいただければ大変助かるのですが……。とっても美味しいお味噌なのに……」
ハナの言葉にヨシュアは少しその動きを止めると、小さく言った。
「……たまにであれば、手伝おう。……その代わり、握り飯はまた頼んだぞ」
「はい、喜んで」
彼の言葉にハナは笑って頷いた。
☆
「……つまり発酵と酒の神……?」
「貴様、我を恵比須顔にして宝船にでも乗せるつもりか!」
僕の提案を頭ごなしに彼は却下した。
……なかなか良い案だと思ったんだけど。
リビングに戻って僕は彼の面談を続ける。
「……そうは言っても、あまり物騒な内容だと……」
不浄と瘴気を前面に打ち出した神として祀ったりしたら、悪い噂がたちそうだ。
異端審問騒動にはならないにせよ、農作物に毒があるだのと変な風評が立てられては村の交易に関わる。
「もうちょっと穏便な神様じゃないとみんな信仰してくれないかもよ」
「……むむむ」
彼は首を傾ける。
「そもそもなんでそんなに怖い方向にこだわりがあるの?」
僕の問いに彼は胸を張った。
「神だからな」
「……そ、そう……」
僕は視線を逸らす。
流石に不浄の神の信仰となれば異端審問官、動いちゃう?
どうなの? 教えてファナさん。
僕が眼鏡の司祭を思い出している横で、彼は真っ直ぐにこちらを見た。
「……民を守る神ともなれば、外敵の一つや二つ排除しなければならん。であれば、それが畏怖される名であるべきは当然のこと」
「……外敵……」
確かに敵対する勢力に恐怖を与えるというのなら、力を誇示することは必要になるのかもしれない。
「……でも、あんまりそんな相手もいないんだけどな……」
「なんと!? 今の時代は平和だとでも言うのか?」
「平和とは違うけど……どこの国も戦ってる余裕がない感じかな」
魔族との戦争は停戦中。
……まあ確かに、野盗や野良ドラゴンゾンビといった脅威はあったものの、頻繁に来るようなものでもないし。
ていうかそんなのぽんぽん来てくれても困るんだけど……。
「ふむ……。過去、我が神として君臨した時代とは異なるようだな……。異界の我の時代とも違うようだし……」
彼は異界の疫病神としての性質と古代の竜神としての性質が混ざっているようで、なんだかややこしい。
「しかし……そうなれば、いったいこの時代の神とは何をしたらよいのだ……?」
彼は首を傾げる。
そんな僕たちの様子をいつからか見ていたのか、一人の妖怪が口を挟んだ。
「――ふっふっふ。話は聞かせてもらったです」
なんだか既視感のある口上だ。
「その悩み……この地の豊穣神、あずき洗いに任せるです!」
ポーズをとりながら、面白おかしい祀られ方をしたはずの彼女がその場に姿を現す。
「ほう……」
彼女の言葉に、疫病神は興味深げに身を乗り出した。
……アズ、もしかして暇なのかな……?
☆
「……それでどうするというのだ」
「ふっふっふ。ここで待っていればターゲットが勝手にやってくるという寸法です」
村の東側にあるアズの祠。
近くの小屋の影に身を隠しつつ、僕たちは遠くからそれを覗いていた。
その祠は今やフリルやリボンで可愛らしくデコレーションされている。
なんだか罰当たり感があるが、祀られている本人がやったのだから問題ないのだろう。
むしろあれが信仰の正式スタイルになっちゃうのか……?
僕が信仰とは何かと思い悩んでいると、アズが声を潜めつつ言葉を発する。
「……来たです! 二人とももっと隠れるです!」
そこに現れたのは一人の少女だった。
彼女は祠にあずきをいくつか供えると、その前で手を合わせる。
……ほ、本当にアズが信仰されている……!?
なんだか不思議な気分だ。
「アズなんかでいいの……? 大丈夫……?」
素直な感想を口にすると同時に、アズは無言の肘鉄を僕の脇腹に食らわせた。
いたい。
「……さあ、出番ですよ疫病神! あの子の望みを叶えて来るです!」
アズに背中を押され、疫病神のヨシュアはおずおずと少女に歩み寄る。
確かに神が信仰を得るために最も手っ取り早い方法は、人々の願いを直接聞くことかもしれない。
「名付けてアズの信仰プレゼント作戦です……!」
彼女はヨシュアの様子を興味津々といった様子で眺めつつそう言った。
……信仰を融通したというよりは、アズが面倒くさくて押し付けたんじゃあ……?
僕が彼女に疑いの眼差しを向けているのをよそに、ヨシュアは少女に話しかける。
「幼子よ。そこで何をしている」
「ひ、ひぇえ!」
まあ、そうなるよな……。
頭が竜の頭蓋骨だもんな……。怖いよ……。
しかしヨシュアはそんな少女の様子にも構わず、言葉を続けた。
「この祠に願いを捧げに来たことはわかっている……。我が叶えてやろうというのだ、さあ……! お前の望みを口にするが良い……!」
彼の威圧的な言葉に少女はもう涙目になっていた。
やめたげてよお!
僕が間に入ろうかと身を乗り出したところで、少女はおそるおそるその手を開いて彼に見せる。
「それは――」
ヨシュアはそれを見て言葉を漏らす。
僕もそれを覗き込もうと首を伸ばした。
「――ぴよちゃん」
少女は小さな声で言った。
その手の平には、鳥の雛の亡骸があった。
☆
「少女よ、我が力では死した命を取り戻すことは出来ない」
祠の近くに小さな穴を掘った。
穴にその雛を埋葬する。
ちなみに、穴を掘ったのは僕である。
……ま、まあべつに文句があるわけじゃあないけれど。
涙を拭う少女を前にして、ヨシュアは言葉を続けた。
「……だが少女よ。生き物は皆、死を迎える。それは寿命のない種とて例外ではない。必ず終わりはやってくる」
彼はその場に膝をつくと、雛が埋まる地面へと手を乗せた。
「死した骸は微生物によって土へと還る……」
彼の言葉と共に、その手に緑の魔力が宿った。
「そして土の養分となったその体は、やがて植物を育てるだろう」
シャン。
アズが後ろでマラカスを振ると、その音と共に地面から芽が出た。
それはむくむくと成長して、小さな若木となる。
「草木を食み動物は育つ。その獣はまた死に土へと還る。それがこの世の理である」
少女は涙を流し続ける。
「納得がいかぬのであればそれも良い。それに抗うのは自由だ。だが――」
彼はその木を見下ろした。
「死者に心を囚われるな。それは呪いとなりお前自身を蝕む」
彼は少女の頭を優しく撫でる。
「……思う存分泣け。そしてそれが終われば前を向け。……お前はまだ、生きているのだから」
彼の言葉に、少女は頷いた。
……死者に心を囚われるな、か。
信仰に囚われその身を亡者へと落とした彼にとって、それは自分に向けた言葉でもあるのかもしれない。
少女はしばらくその場で泣いた後、僕たちに礼を言って去って行った。
少女の姿が見えなくなり、ヨシュアは口を開く。
「……なるほどな」
彼はこちらに顔を向けた。
「つまり我は未だ神の器ではないと……そう言いたいのであろう」
「え?」
「子ども一人の願いすら叶えられぬ者が神を名乗るなどおこがましいと……。ふ……ふはは! ふはははは!」
突如高笑いを始めるヨシュア。
……えーっと……。
僕がその様子に気圧され反応に迷っていると、彼は空を見上げた。
「よい。それでこそ我が主となる男よ。よかろう、そこまで言うなら我を見事御してみせよ」
待って。
何も言ってない。
僕まだ何も言ってないよ。
「我が主よ。汝と契約しよう」
彼は笑うようにその頭蓋骨をカタカタ震わせた。
「我を神の座へと導くがよい。その対価として、我はこの世すべての物を汝に授けよう」
「えっ……あの……結構です……」
僕んち発酵食品とかでいっぱいなんで……。
「ふははは! 謙虚たるは汝の美徳よ。実に良い! ならばこの世界、我が神となった暁には汝への供物とするとしよう!」
「あの、本当に僕……」
僕のかける声を振り払うように彼は背中を向けた。
「そうとなれば我もまた信仰を集めてこの地の神となるべく、一からやり直すとするか」
彼はそう言って考えながら歩き出す。
「まずは住人一人一人の話でも聞いてまわるか……。いやそれならいっそ悩みの相談所でも建てるべきか……」
あ、結構実践的だな。
住人たちの悩みを気軽に相談してくれる場所があれば村の運営にも……ってそうじゃなくて!
「ほ、本当に世界とか供物とかそういうのいいから……! もっとこう、楽しく暮らして……!」
勝手に世界征服とか始められても困る!
「ふははは! うむうむ、楽しくなってきたぞ! 目指せ天下統一!」
「目指すなー!」
僕の声を背に受けて、疫病神は過去を振り返らず歩いていく。
願わくば彼が村の疫病神にならないことを祈りつつ、僕もその後を追った。
……まあ、きっと大丈夫。
この村には幸運の女神もついていることだし。
きっと明るい未来が待ち受けてくれると信じて、僕たちはそこへ向かい共に歩みを進めるのであった。