43.VSエンシェントドラゴン(後編)
「オ……オ……オオオオ……!」
ダイタローと取っ組み合いながら、ドラゴンはその身をよじった。
「ぼくは……! もう、臆病者は卒業するんだー!」
ドラゴンが動けないよう、ダイタローはその首を押さえ込む。
そんな彼らの前に一匹の水の龍が迫った。
「ダイタローの勇気に続くのでありますよ!」
ミズチが吠える。
「これが最後、全力全開の一撃であります!」
彼女と共に空を翔るは巨大な水の龍。
その水は彼女を呑み込むと、そのままドラゴンに迫った。
「――水龍大津波!」
ダイタローの体を避けるようにして、水龍はドラゴンへとぶち当たる。
それはバシャアンと音を立てて弾け飛び、またもドラゴンを石壁へ叩きつけた。
「――ユキ殿!」
ミズチの叫びと共に、元は水龍だった霧雨が周囲の空中へと飛散する。
「……ダイタロー! ちょっと寒いけど我慢してよねっ!」
ユキはそう叫んだあと、詠唱を始めた。
「――氷凍られ凍りましょう。寒さ寒々寒空に――」
その呪文と共に大気に撒かれた水分が凝固していく。
そして、その後ろからサナトが続いた。
「――風さん風さん、ちょっとお姉ちゃんのこと、手伝ってくれないかなー?」
彼女の言葉に合わせて風が吹く。
その氷を含んだ風は、吹雪となってドラゴンに向かい吹き荒れた。
荒ぶる氷雪の中、ダイタローの肩の上に乗ったサグメは彼の頭に手を当てる。
「さて、ダイタロー。そろそろ解除しないと君の体への負担が限界を超えそうでね。ちょうど頭もいい感じで冷えてきただろう?」
彼女はそう言うと、人差し指を口の前に立てて小さく呟いた。
「――脳内侵犯、アマノジャック――!」
サグメが目を見開くと同時に、ダイタローはその表情を強張らせる。
「う……ぷ……」
彼は口元を押さえると、みるみるうちにその体を縮ませていった。
五十センチほどまで縮んだ後、ダイタローは酔い潰れたのかそのまま意識を失う。
「……さあ、後は任せたよ」
サグメはそう言うと、彼を抱えてその場を素早く離れた。
「――いきます!」
サグメの言葉に、ハナが応える。
「――家内安全、新築祈願――!」
サグメたちがその場から離れたのを確認すると、彼女は言葉を紡いだ。
それと共に、ドラゴンを覆う吹雪の中で小さな四角い雪の塊が出来ていく。
「――氷雪牢獄――」
ハナは空中で手を動かす。
まるで何かを縫い合わせるような手の動きに合わせて、次々とその雪の塊がドラゴンの体を取り囲んでいった。
「――神座座敷牢!」
雪で作られた歪な雪洞が、崩れかけた石壁をその基盤としてドラゴンを拘束していく。
ドラゴンは体の自由を確保しようと力任せに暴れるが、雪の壁は壊れるそばから次々と再生してドラゴンの身体を雪の中に埋もれさせていった。
ドラゴンは吹雪を焼き払おうとしてか、その口を大きく開ける。
ガチン、とドラゴンが歯を噛み合わせた。
しかし火花が散っても引火はせず、火炎は放たれない。
ガチン、ガチン、と二度三度ドラゴンは歯を鳴らす。
シャン。
そんなドラゴンの前。
そこにまるで雪が降りしきるような冷たい音が響く。
シャン。
その吹雪の中心。
自身の身体を白の世界に紛れ込ませるように、その中でアズは舞い踊っていた。
「――その穢れ、洗い落とさせてもらったです」
シャン。
「腐敗による可燃ガス。それは毒で、穢れそのもの」
シャン。
「新たに精製しようにも、この低温じゃあ細菌は活動できねーです」
シャン。
「ここが年貢の納め時です!」
ビシッ、とマラカスをドラゴンに向けてアズはポーズを決めた。
「――おーれっ!」
シャン。
アズたちの行動によってドラゴンの火炎と行動が一時的に封じられたその瞬間を逃さず、カシャは地面を駆け抜ける。
その上に跨ったファナがドラゴンへと迫った。
「……さてさて。死霊の信仰を改めるなんて初めてなのですが」
彼女は淡々とそう言って、ドラゴンの目の前でカシャの上から降り立つ。
懐から取り出した短杖を地面に突き刺して、彼女は小さく呪文を唱えた。
するとそこを基点として魔力が溢れ、杖は地面に青白い魔法陣を描く。
彼女はドラゴンを正面に見据えると、ゆっくりと息を吐いた。
「――それでは、異端審問を始めましょう」
その声と共に彼女の体から青白い魔力が溢れ出る。
「主の名の下にその御霊を曝け出しなさい。汝嘘を吐くべからず、汝真実を語るべし。その真意、真相、真なる心を持って主の前に平伏しその御心を受け給え」
彼女は抑揚なく呪文を唱え終えると、その両手をドラゴンに向けた。
「――その狂乱の信仰、悔い改めなさい」
その手から放たれた魔力の光がドラゴンに向かって広がっていく。
「――サニティハート」
彼女が静かに言葉を発すると、その光はドラゴンを束縛する呪いを断ち切るようにその体全体を包み込んでいった。
「オオ……オ……我ガ名……は……! 我が名を……!」
空へ向けて言葉を絞り出すドラゴン。
その身体からは、無数の怨霊が離れていくのが見えた。
それはおそらく彼を縛る、古代の信仰という名の残留思念。
再びファナがカシャへ乗り込み、その場を離れるのと同時に吹雪もやむ。
ドラゴンの体を拘束していた雪の牢獄も、その力を失い元の水へと姿を変えた。
それを合図にして、僕はシャナオーの背中に乗って空から彼に近付いていく。
「――さあ、レッスンスリー」
今なら、彼にも僕の声が届くかもしれない。
「”自分の得意な状況に持ち込め”」
そう、僕の得意な状況は――。
「――君の存在を定義しよう」
僕は空を翔るシャナオーの背の上で、契約の本のページを開いた。
「――其は時間に取り残されし古代の竜神」
青白い光が契約の本から溢れ出す。
「その名は古代竜でもなく腐敗竜でもない――」
それは不浄を振り撒く古代神。
「君は災厄と瘴気を司る腐敗の神――!」
ドラゴンの体の表面から、緑色の魔力が湧き上がった。
「――同調せよ! 疫病神!」
僕の声を受けて、ドラゴンから溢れた魔力が寄り集まり形を作る。
「ふ」
それは竜の頭蓋骨だった。
「ふはは」
ドラゴンの前に、人のサイズと遜色ない大きさの頭蓋骨が白く浮かび上がる。
集まる魔力はその竜の髑髏の下に、黒い人体を作った。
「ふはははは!」
竜のしゃれこうべに黒のスーツ姿。
歪な姿をした男が、宙に浮いて笑っていた。
「――呼び掛けに応じて顕現した」
男はそう言うと、両の手の平を天に向け掲げる。
「我こそが! 異界の魔神にしてこの地を統べる古代の神である!」
男の声に反応するように、ドラゴンは吠えた。
「オ……オオ……オオ……!」
「哀れなり。そのような姿になってまで、まだ生に固執するか我が半身よ」
彼は右手をドラゴンへと向ける。
「――さあ、閉幕の時間だ」
ドラゴンはその男に視線を向けながら、唸り声をあげた。
「我が名を……崇め讃えよ……!」
それと同時に、その全身から緑色の魔力の奔流が溢れる。
その魔力は吸い寄せられるように疫病神の体へと向かっていった。
「我は……この地の……神なりっ!」
ドラゴンが叫んで右腕を振りかぶる。
しかしその巨大な腕は男に届くことはなく、途中から千切れてぼとりと落ちた。
「我は……民の……願いを……!」
ドラゴンが翼を広げる。
しかし翼はその端々から、まるで灰のように崩れていった。
それを見て、疫病神はドラゴンへと静かに声をかける。
「……もう休め。我が半身よ」
疫病神の声と共に、どんどんとドラゴンはその身を崩壊させていった。
カラン、と音を立てて、サナトの剣がその首から落ちる。
「オ……オオ……我……よ……」
サラサラと砂が舞うようにその肉体が朽ちていく。
「……後は……頼ん……だ……」
骨とわずかな痕跡を残して、ドラゴンはその身を消失させた。
雲の合間から朝日が差し込む。
「――託されよう。その望み、その力、その存在意義。我がしかと受け給うた」
竜骨の頭を持つ男はどこか寂しげにそう呟いた。
僕はシャナオーから降りて、横たわるドラゴンの骨の前に降り立つ。
日の光はまるで死した彼を弔うかのように、その白い骨を照らしていた。
☆
「いぇーい! のってるかいベイベーです!」
三日後の夜。
広場の中央で叫ぶアズの声に合わせて、村民たちが声をあげた。
結局街へと向かった村の住人たちは一日ウルブスを見学したあと、何事もなかったかのように村へと戻ることができた。
石材などの消費はあったものの、おおむね村に損害はない。
妖怪たちにも大きなダメージはなく、重症のサナトも僕が魔力を供給することで怪我はだいぶ回復した。
今回は大きな怪我だったので瞬時には治らないが、一週間ぐらい経てば完治するらしい。
あとの被害と言えばダイタローが翌日、二日酔いで寝込んだぐらいだ。
新たに喚び出した疫病神も、今のところは暴れることもなく対話に応じてくれている。
そうして村には平和が戻り、あとには巨大な竜の骨と多量の鱗が残った。
他にも牙や翼の骨なんかは特に魔道具の材料として大きな価値を持つらしい。
その利用方法はまだ決まっていないが、村に大きな恩恵をもたらすことだろう。
僕は屋台で買った腸詰めを口にしつつ、近場の地面へ腰掛ける。
用意された舞台の上では、アズを中心としてハナやミズチがぎこちなく踊っていた。
そんな僕に声をかける影が一人。
「おや、これは村長さん。少しよろしいでしょうか……同伴……合同……ええっと」
「……うーん、なんだろう。同意?」
「ぶっぶー。相席でした」
「クイズだったのそれ……!?」
ファナは僕の言葉をスルーして隣の地面に座った。
彼女はいつも通りの無表情のまま、ユキの露店で買ったのであろうかき氷を口に入れる。
「……この村、わたくしも気に入りました。祖父の愛した地を守っていただきありがとうございます。感謝、感謝……」
淡々と彼女はそう言った。
僕はそんな彼女に恐る恐る尋ねる。
「……それは、その……異端の疑いとかは特に無いということで……?」
ドラゴンとの戦いの際に知って驚いたが、彼女は王都から派遣されて来た異端審問官のようだった。
――異端審問官。
異教徒を弾圧する為に組織された、王都の神殿の秘密部隊。
あくまでも噂ではあるが、いくつもの異端の村を焼き払ったという話も聞いたことがある。
僕の問い掛けに彼女は無表情のまま頷いた。
「ええ、ええ。それはもう。宗教儀礼も信仰も、この村に問題はありません。巷では過激派と囁かれている我々ですが、実態はちょこちょこ諸国を見回って内乱を起こしそうな者たちがいないか目を光らせているだけのただの密偵です」
彼女は淡々と答えた。
この村に問題がないか、こっそり調べ続けていたらしい。
「実は国とべったりの諜報員なのですが、その点はご内密にお願いします」
なんか今さらっと重大な機密をバラされなかった?
僕は動揺しつつもそれに相槌をうつ。
「そ、そうなんだ……。君は村に来てからずっとそんな顔をしてたから、てっきり怒ってるのかと思ったよ」
僕の少し失礼な物言いに、彼女はその無表情を崩さずに答えた。
「……異端審問官は精神に作用する白魔法を使うその性質上、次第に感情を表に出すことができなくなるんです」
「え……!?」
そんな事情があったのか……!
そうとも知らず、僕はなんて無神経なことを……。
「嘘です」
「嘘かよぉ!」
一瞬、聞いてはいけないことだったのかと反省したのに!
僕の純真な心を返して!
そんな僕の心の中の叫びをよそに、彼女は無理矢理口元だけ緩めたような笑みを作った。
その笑みは少しぎこちない。
「……わたくしは元からこうなのです。実は今めっちゃ楽しんでますよ。ええ、心の底から」
そう言って彼女は舞台に目を向けた。
広場の喧騒が聞こえてくる。
その横顔から彼女の感情を読み取ることはできないが、本人がそう言うならきっと楽しんでいるのだろう。
「――それは良かった」
僕は安堵のため息をつく。
彼女の視線の先に目を向けると、そこではみんなが笑っていた。
この光景は、僕たちが守ったものだ。
「……好きなだけ滞在していってね。……きっとこの村は、これからもっと楽しくなっていくからさ」
きっと明日からは、また素敵な日常が始まるはずだ。
僕はその光景がいつまでも続いて欲しいと、そっと空を見上げて星に願った。