35.嘘と本音のボーダーライン
「たしかにこれはいい物だな……細かな装飾がされている……」
「うむ……。これはおそらくアナライズグラスと呼ばれる類のマジックアイテムだな……」
ドワーフのムジャンとエルフのイスカーチェさんが冒険者ギルドの受け付けの前で顔を突き合わせていた。
特に喧嘩というわけではないらしい。
「……で。そいつの価値はわかるのか? わかんねーのか」
カウンターの奥にいるエリックの問いに、ムジャンは目を逸らした。
彼らが交互に見ているのは、一対のエメラルドの板で出来た眼鏡だった。
赤色の細かな宝石で彩られており、その黄金の金属部分には古代の遺失文字が刻まれている。
華やか過ぎてセンスが良いとも思わないが、原材料の値段だけでも価値がありそうな一品だった。
「まあ装飾品としての価値はわかるが……。ちなみに度が入ってるレンズってわけではなさそうだ」
腕を組んで答えるムジャン。
一方のイスカーチェさんは、それを自身の顔に取り付けてムジャンの方向を見た。
「私も使い方はわかるが……」
彼女は柄の部分を触って魔力を込める。
するとエメラルドのレンズ部分に細かな古代文字が表示された。
「……うむ。人物に向けるとその概念が分析表示されるようだ」
二人の様子に、エリックも腕を組んでため息をつく。
エリックが困り果てているように見えたので、僕も声をかけてみる。
「どうしたの?」
エリックは僕の言葉に首を横に振った。
お手上げらしい。
「どうもこうも、金に困った冒険者から買い取ったんだが……」
エリックはため息を吐いた。
「……おいくらで?」
「……金貨三枚。少なくとも宝石と装飾の値段なら……妥当……じゃないか……?」
自信無さげに彼は苦笑を浮かべる。
金貨三枚といったら結構な大金だ。
……三ヶ月は仕事しなくていいなあ。
「……ちなみにそのこと、マリーには?」
彼の妻の名を出す。
最近はお腹も大きくなってきたようで、あまり表には顔を出していない。
「……まだ言ってない」
彼は顔をしかめた。
あーあー。
やっちゃったなぁエリック。
「……いや、違うんだよ。これは人助けであってだな……」
何も聞いていないのに言い訳しつつ、エリックは冷や汗をだらだら流す。
……彼はなんだかギャンブルに弱そうな人種な気がする。
僕がそんな失礼なことを頭の中で考えていると、後ろから話を聞いていたのか一人の紳士が話しかけてきた。
「おや、これは珍しい逸品」
彼は僕たちの間に割って入ると、その眼鏡を見てわざとらしい声をあげた。
「中々の意匠に宝石の輝き。こちらを今いくらでお買いになったと?」
「お、おう……? 金貨三枚」
「三枚!」
エリックの言葉に紳士は驚きの声をあげた。
「なかなか良い買い物をしましたな……。しかしどうやら装飾品にはあまり興味のない様子」
彼はこの場にいる僕たち四人を見渡す。
全員が苦笑を浮かべた。
「どうでしょう、よろしければ金貨四枚で私が買い取りますが」
エリックの顔が輝く。
どうやらマイナス収支にはならなさそうだ。
僕もエリック夫妻の仲が壊れずに済んでホッと胸を撫で下ろす。
しかしそんな僕の頭の中に、突然声が響いた。
「――吊り上げろ」
悪魔の囁きか!? と驚いたところで声に聞き覚えがあることを思い出す。
後ろをチラリと振り返ると、そこにはついさっきまでカウンター席でグラスを傾けていた天邪鬼のサグメの姿があった。
彼女は僕の目を睨みつける。
その目は真剣そのもの。
悪戯というわけではなさそうだった。
……ふむ。
少しぐらいなら失敗しても僕が買い取ればいいか……。
僕は内心ドキドキしながら口を開く。
「――やっぱり僕が買い取ろうかな」
突然の僕の乱入に、その場にいたみんなが目を見開いて驚く。
「……金貨五枚で」
ちょっとだけ値上げする。
このぐらいならまあ、僕でも問題なく払える。
その言葉に紳士はやや考えた素振りを見せてから、口元に手を当てつつ言葉を発した。
「……ならこちらは金貨八枚で」
当初の金額の倍の値段だ。
そんなに価値のある物なのだろうか。
これはなかなかいい仕事をした、と思っているとサグメが後ろから二度背中を叩く。
同時に頭の中にまた、彼女の声が響いた。
「相手の顔を見ろ」
言われた通り紳士の顔を見る。
街から来たそこそこ裕福な商人だろうか。
見ない顔ではあるが、口髭を携えスラリとした中年の男性だ。
僕が毒にも薬にもならないような彼から受ける印象を分析していると、またも声が響く。
「口元を隠すのは隠しごとがある証拠だ。指先を世話しなく動かしているのは緊張。視線を伏目がちに逸らしているのは自信の無さ、つまり不安」
サグメはグイッと背中を押してくる。
「倍プッシュだ」
え、ええ……!?
倍って……十六枚……?
いくらなんでも、そんな……いやしかし……。
僕は少し考える。
ここで吊り上げに失敗した場合はどうなるか。
そんな金額すぐには払えないし、エリックが迷惑を被る。
とはいえ金貨八枚で買いたい人間がいることは証明されている。
それなら、街で鑑定してもらって売リ払えば同じぐらいの値段にはなるはず……。
よし、サグメの言葉に乗っかろう。
僕が覚悟を決めると、サグメがまた頭の中に直接話かけてきた。
「スマイルスマイル。不安を悟られるな。力を抜いて相手の目を見ろ。不敵に笑って、いつも通りの間抜け面」
間抜け面ってお前……。
心の中で抗議の声をあげながら、しかし僕は言われた通りに笑顔を作って肩から力を抜いた。
「……じゃあ、金貨十五枚出そうかな。これぐらいなら十分元が取れそうだし」
僕の言葉に、紳士は顔をしかめた。
……一枚足りないのは、僕のチキンハート故の所業だ。
サグメは気に食わないのか、少し強めに僕の背中を叩いた。
だって! だって!
しかし僕の不安を他所に紳士は顔をしかめつつも言葉を続ける。
「なら、十六枚で……」
彼は頭を抱えてそう言った。
サグメは何も言ってこない。
ここで決着を付けた方がいいということだろうか。
「……そんなに欲しいのであれば、僕は遠慮しておきましょう。最近では北の遺跡群を探索する冒険者が増えて、たびたび発掘されますし」
僕は心臓をバクバクさせながらそう言うと、紳士は感心するように目を見開いた。
「ほう……それはそれは。良いことを聞きました。なるほど、今後この村にはしばしばよらなければならないようだ」
彼はそう言って笑うと、財布を取り出す。
金貨十六枚と眼鏡を交換して、彼は満足顔で店を出ていった。
「……おいおいセーム、すげーな。お前鑑定眼も持ってんのか……?」
エリックが呆れたように呟く。
まあ都合金貨十三枚分の収入があったわけだし、エリックとしては驚くのも無理はない。
このあたりの貧しい生活を送っていた人であれば、年収にも匹敵する大取引だ。
「いや、実はこれは……」
僕が種明かしをしようと後ろを振り向くと、そこには既にサグメの姿はなかった。
「……まあ、何でもいいや。それにしても大儲けだ! 今日は俺のおごりだぜー!」
エリックが機嫌よく叫ぶ。
僕はその様子に苦笑しつつカウンターに目を向ける。
麦茶の入ったグラスの中で溶けた氷が、カランと音を立てた。
☆
「お、いたいた」
沈む夕日の光が注ぐ中、子どもたちが遊んでいた。
そんな様子を眺めつつ、サグメは農地の柵に腰掛けている。
「……なんだい? 君はストーカーの趣味でもあるのかい?」
「いやいや、そういうわけじゃあないんだけど」
僕も彼女の隣で、柵に体重を預ける。
子どもたちは紐でくくった凧を空に浮かばせていた。
アズやサナト達が彼らを先導している。
……凧にくくりつけられているのは、あれ、もしかしてガスラクか?
いやいや、まさかな……。
何かの人形だろう。
「降ろしテー!」と声が聴こえるような気がしたが、きっと幻聴だ。
僕はそれを思考の外においやると、サグメに向かって口を開いた。
「さっきはありがとう」
僕は彼女に礼を言う。
彼女のおかげでエリックは大金を稼ぐことができた。
ついでに村の宣伝もできたので大助かりだ。
僕の言葉に彼女は笑った。
「そっちの方が面白そうだと思っただけさ。見たろあの商人のおっさんの顔」
サグメの言葉に僕は苦笑する。
まあ少し可哀想な気もするけど、適正価格で売れたのだろうしお互い様だ。
僕はそんなことを思いながら、サグメに考えてきた提案を切り出した。
「……最近村にはいろいろな人が増えてきた。冒険者や商人の人たちもそうだし、様々な取引が行われている」
僕の言葉にサグメは眉を潜めて薄く笑みを浮かべた。
「ははぁん、読めたぞ。ボクにその間に立てとでも言うんだろう」
「いや、まあ、そんなところではあるけれど……」
彼女がサポートしてくれれば、嘘や不正な取引なんかを未然に防げるはずだ。
……我ながらなかなか良いアイデアだと思うのだけど。
「……だから、君の存在を――」
「――お断りだね」
彼女は柵から降りて立ち上がった。
「……ボクの存在は定義しない」
彼女は遊ぶ子どもたちを見つめながら、言葉を続ける。
「確かに、ボクを嘘を司る神として定義し直すことは可能だろう。でもそれは逆なんだ。逆しまなのさ」
風が吹いて彼女の髪をなびかせた。
「きっとそうなればボクは真実を司る神になってしまう。いや、されてしまう。公明正大な取引と公平を司る商売と裁判の神……ああ、いったいボクの原型はどこにいってしまったのやら」
冗談めかして言う彼女に尋ねた。
「……でも、それは悪いことじゃあないんじゃない?」
ハナ達はこの地の精霊として形を変えている。
決して元の形がなくなったわけじゃあない。
「ああそうだよ。悪いことじゃあない。きっとそれは正しい。――でも、だからこそボクは反逆する」
彼女は僕の目を覗き込んだ。
「詐欺や詐称なんていうのはそりゃ悪いことさ。でも嘘には良い嘘だってたくさんある。君だって何度も嘘をついて来ただろう?」
村に来てからのことを思い出す。
最初は「村を良くする」なんて盛大に吹聴した。
結果的に嘘ではなくしてしまったけれど、言ったときは根拠なんてゼロだった。
村に水をもたらした時、僕は「魔法で水を湧き出させた」とみんなに言った。
あれは明確な嘘だ。
でもみんなの安心を作るために必要な嘘だった。
思い当たる節がどんどんと出てきて黙り込む僕に、サグメは笑った。
「それが普通。君は優しいからね。嘘も方便、ナイフと同じく使い用さ」
彼女は一歩、僕に近付く。
「……そんな君だからこそ、お願いしたい」
彼女はその体重を預けるように、僕の胸に重なった。
「サ、サグメ」
彼女の体温を感じる。
少しだけ、魔力の抜ける感触がした。
「――ボクは天邪鬼。君たちとは相容れない悪鬼なんだ。……でも、ボクの存在を否定しないで欲しい」
彼女の言葉に、僕は空を見上げた。
なんだか頭がこんがらがってきた。
彼女は相手の心を操って悪戯をする妖怪で。
――でも。
「……君の名は天邪鬼。嘘つきで悪戯好きで――」
彼女の頭に手を置いた。
「――だけどお人好しな、僕たちの友達だ」
僕の言葉に、彼女はうつむいたまま口元に笑みを浮かべた。
「……お人好しはどっちだか」
彼女はそう言うと、僕の首筋に唇を寄せた。
「サグ――!?」
「……ふふっ」
僕がその名を呼ぶ前に、彼女はすぐに体を離す。
「……残念だけどボクは天邪鬼なんでね」
彼女は僕に背を向ける。
「――君に呪いをかけた。ボクを友達だなんて言ったから、きっと酷い目にあっちゃうよ」
そう言って、彼女は夕日を背にウィンクしつつ舌を出した。
「まあ、嘘だけどね」
☆
僕が家に帰ると、ハナが夕食を用意して出迎えてくれた。
ほのかな脂の香りが食欲を刺激する。
「おおー、今日の晩御飯は何かなー」
「ええ、今日は買ってきた鳥肉に下味をつけて片栗粉で揚げた鳥の唐揚げと……あれ? 主様……」
ハナが僕の顔を見て、真顔になった。
僕はその様子を見て首を傾げる。
「ん? どうかし――」
「――主様、いったい何をしていらしたんですか?」
ハナの言葉に先程の光景を思い出し、冷や汗が出る。
いや、僕は楽しくサグメとお話しただけで、別にやましいことは――。
僕が視線を逸らすと、ハナは目を見開いたままこちらをじっと見つめた。
「……その首筋」
「えっ!?」
思わず先程、口付けされた場所を押さえる。
ま、まさか跡が付くほど強く吸われていたのか……!?
ハナの視線が突き刺さる。
サ、サグメのやつ!
まさかこれを狙って――!
「主様……?」
「ハナ、ストップ! そのナイフはまずい! とりあえず凶器は置いて、ゆっくりと話し合おう!」
僕は彼女に呼びかけながらじりじりと後ろへと下がる。
背中にぽふん、と柔らかな感触が生じた。
「あらあらー? 若くん、修羅場? 修羅場なの?」
いつの間にか、後ろにいたのはサナト。
良かった! とりあえずこれで命は――!
「あ、さっきサグメとキスしてたマスターです。不潔です」
「アズゥ!?」
見てたの!?
いや、ていうかその説明はまずいって!
「……主様……そんな……! 私に至らないところがあったばかりに……」
カランとナイフを取り落とし、顔を手で覆うハナ。
「あー、マスター泣かせたー。悪いやつです」
「ち、違う! っていうか今泣かせたのはアズじゃない!?」
どうしていいかわからず手を震わせながら、僕は叫んだ。
「こ、これは全部……アイツの策略なんだー!」
僕の声が屋敷に響き渡る。
どこからか、サグメの笑い声が聞こえた気がした。