32.氷上の妖精
「絶対許さねーのであります!」
「あーもー、ゴメンて……」
今日ものんびり暖かな日差しと戯れようかと庭に出ると、ミズチとユキが何やら口論を始めていた。
何やらただならぬ様子に声をかける。
「どうしたの?」
「あっ、ご主人! 聞いて欲しいのでありますよ!」
ミズチはビシッとユキを指差して言葉を続けた。
「ユキ殿に殺されかけたのであります!」
えー……?
いったいどういうことだ……。
涙目で僕に訴えるミズチに、ユキは申し訳なさそうに謝った。
「……だからさー、ごめんってばー。わざとじゃなかったの」
ユキは口を尖らせて言った。
どうも嘘をついているようには見えない。
僕は溜息を吐きつつ、ミズチに尋ねる。
「いったい何があったんだい?」
僕の言葉に、ミズチも目を細めて事の顛末を話し出す。
「それは今朝早くのことであります……。自分はその時、庭の池の中で寝ていたのであります……」
目を閉じて思い出すミズチの言葉に、ユキが口を挟んだ。
「だってさ、水の中だよ? 寝てるとは思わないじゃん?」
「自分は水虎であり水精霊でもありますからー。水はウォーターベッドなのでありますぅー」
ミズチは口を尖らせつつ、言葉を続けた。
「……そうして自分が寝ていると、水面からバシャンバシャンと音がして目が覚めたのであります」
「……ほら、ノックしてたじゃん」
「まさかそのまま寝てたら氷漬けにされるとは夢にも思わないのでありますよ!」
ミズチがいないと思ったユキは、そのまま池を凍りつかせたようだ。
「……なんでまたそんなことを」
僕がユキに尋ねると、彼女はバツが悪そうに笑った。
「いやちょっと、滑りやすそうな池だなぁーって思って……」
「その為に自分は死にかけたのであります!」
そうして彼女が池をスケートリンクにして滑っていたところを、ミズチが鬼の形相で氷をぶち割ったということだろう。
池の中には氷の残骸がぷかぷかと浮かんでいた。
「あわや凍死! もし気付かずにそのまま寝てたら変死体として発見されていたところでありますよ!?」
「……まあ、助かったからいーじゃん!」
「よくないのであります!」
プンスカ怒るミズチの気持ちもたしかにわかる。
「……まあまあ、落ち着いてミズチ」
彼女の肩を叩いてなだめる。
「ユキはもう二度としないこと。いいね?」
「はーい」
ユキは素直に返事をした。
「ミズチもまあ、本人もこう言っているわけだし……」
「……むぅ。まあご主人がそう言うなら……。二度目は無いのでありますよ! 自分の怒りはそう簡単に収まらないのでありますから!」
ミズチはビシィッとユキを指差す。
「あはは、本当にごめんね。今度何か美味しいものでも作ってあげるからさ」
彼女はミズチに向かって手を合わせ、ウィンクした。
「ふむ……。……それならキュウリシャーベットを作ってくれるなら考えないでもないのでありますよ……?」
はっはーん。
さては結構ミズチの怒り、お手軽だな?
そんな二人のやりとりを横目に、僕は氷が浮かんだままの水面を見つめた。
「スケート、か」
☆
「たーっ!」
ドドン、とダイタローが地面を踏み鳴らす。
するとそこには足首ぐらいの深さの足跡が出来ていた。
「やった! 出来たじゃないか、ダイタロー!」
僕の声に、三メートルを越える巨体になったダイタローははにかんだ笑みを見せた。
「あ、ありがとうございます……ご主人さま」
村のはずれの空き地に、僕はダイタローを連れてやってきていた。
遊び場を作るために、地面を一段掘り下げたかったからだ。
「いやーさすが伝承通りのだいだらぼっち! よっ大将! いいねー!」
僕の言葉にまた少しダイタローは大きくなる。
「じゃあこの調子でここらへん一帯を凹ませたいんだけど、大丈夫かな」
「はい、ご主人さま」
ダイタローは照れながら、足を踏み鳴らしつつ地面に足跡をつけていった。
ドン、ドン、ドスンドスン。
足首ぐらいまでの深さで三百メートル四方の低地を作ったところで完成だ。
額の汗を拭うダイタローを僕はねぎらった。
「助かったよダイタロー」
「えへへ……」
ダイタローを労いつつ、次は僕が頑張る番だ。
掘り下げた低地に木の端材を組み合わせて木枠を作っていく。
カーン、カーン。
ダイタローに礼を言って別れてから一時間ほど作業を続けた。
しかしその成果を見て手が止まる。
低地の端っこの数メートルの壁面を、ちょっと歪んだ木枠で覆い終わったのが現状。
……さすがに一人でやるには分量が多すぎるか?
……この調子だと数ヶ月はかかるかもしれないな。
まあ別に急ぐものでもないから、暇なときにでもコツコツ作っていくか……。
日も暮れてきたので今日はもう帰ろうと日曜大工の道具をまとめると、ノームの一人がこちらを見つめているのに気付いた。
「何してるのだー?」
いや、彼は木槌を持っているのでブラウニー……なのか……?
僕にはよく見分けがついていない。
同じ村の住人としては申し訳ないとは思うが、彼ら個体差も薄いんだよな……。
「遊び場を作ってるんだ」
僕はちょいちょい、と彼を手招きする。
素直に彼は近づいてきてくれた。
「遊び場? オイラも遊べる?」
「うん、完成したら一緒に遊ぼうね」
瞳を輝かせる彼に、僕は考えていた設計案を伝えた。
興味を持ってくれたら気ままな彼らでも手伝ってくれるかもしれない。
しかし僕が構想していたその概要を伝えると、彼は「ふーん」と首を傾げて去っていった。
……反応が悪くてちょっと寂しい。
まあ、ノームは普段からかなりの気まぐれ屋さんだからしょうがないか。
僕もその日は疲れていたので、さっさとうちに帰った。
しかし翌日そこに来た僕はその目を疑う。
「か、完成している……」
そこには木を使って作られた一面の枠組みが出来ていた。
地面の中だけを覆うはずだったそれは、まるで闘技場のように四方に壁が出来ており、四隅に侵入するための入り口があった。
周囲にはベンチが複数設置されていて、遊び疲れたらそこに座ることもできそうだ。
せ、精霊の力を無駄に濫用してしまった気がする……!
僕は少し申し訳なく思いながらも、ノームに感謝の祈りを捧げた。
今度なにか、ハナの祠においしいものでもお供えしに行くとしよう。
☆
「うひょー! すっごい滑るのであります!」
「先生、たのしいよこれー! ありがとうー!」
「止ま……止まらねーです! 誰か止めるです! 誰かー!」
各々がスケートリンクの上でその滑りを楽しんでいた。
ミズチが水を張りユキがそれを凍らせた氷の上を、子どもたちや妖怪たちが滑っている。
彼らの靴の裏には骨で作ったブレードが紐でくくりつけられていた。
牛骨を削り出し穴を空けたものだ。
そうして接地面を少なくすることでスケート靴となり氷上を滑りやすくなる。
みんなが思い思いに滑る中、一番上手く滑っているのはやはりユキだった。
彼女は靴を金属のスケートシューズに変化させると、優雅に氷の上を舞い踊る。
滑ったあとの軌跡でハート型を描くように、彼女はその体を翻した。
その後ろを真似するように、小さなノームたちがソリを使って走っていく。
僕は横からその様子を眺めていた。
みんな楽しそうで、僕もこのスケートリンクを作った甲斐があるというものだ。
ほとんどはノームがやってくれたんだけど。
「……あの、主様」
ハナが僕に話しかける。
「ん? なんだい、ハナ」
「その……」
ハナは言いにくそうに躊躇いながら口を開いた。
「……そろそろ、手を、離して、いただけるとぉ……」
僕はふるふると膝を震わせながらハナの肩を掴んでいる。
「……待って。もう少ししたら……きっと……慣れるから……」
「いえ、あの、わたしも……限界が近そうでして……」
ハナもその膝を震わせ、腕を交差させるように僕の肩を掴んでいる。
僕たち二人は氷上の上で、お互いにその体を支え合っていた。
……だってスケートなんて滑ったことないもん!
しょうがないじゃん!
なんでみんなあんな風に滑れるの!?
心の中で叫び声をあげつつ、僕は意を決してハナに言う。
「……わかった、せーのでいこう」
「は、はい主様……!」
「いくよ……せー――」
僕たちが息を合わせてその体勢を脱出しようとした瞬間。
「はいチョットゴメンヨー」
氷の上を滑ってきた天邪鬼のサグメが、僕の背中に衝突していった。
「――ちょっとぉぉ!?」
「主様っ!? ――ひゃあぁ!」
僕たち二人はもつれ合いながら姿勢を崩して滑っていく。
その場にいたみんなが、僕たちの様子を見て笑った。
☆
「ほーらおチビたちー。あずきアイスだぞー」
数人の子どもたちとノームがユキの周りに群がっていった。
彼女は器に盛られた数本の氷菓子を彼らに渡していく。
「急いで食べると歯が欠けちゃうからねー。のんびり食べなー」
子どもたちがそれを受け取って、笑いながら駆けていった。
子どもは元気だなぁ。
僕は彼女に近寄る。
「おねーちゃんぼくもー」
僕の声にユキは呆れた顔を見せて固まった。
「……ハナならノってくれるんだけど」
「主くん、ハナちゃんに甘え過ぎじゃない? ……いや、ハナちゃんが甘やかし過ぎなのか……。あとで言っとかないと」
「こ、困る! やめて!」
僕の心を癒やしてくれる清涼剤が……。
本気で狼狽える僕の様子を見て、ユキは笑いながら小豆のアイスを差し出してくれた。
それを受け取り、口に含む。
カリッ。
うん……硬い。
ゆっくり溶かしながら食べよう。
表面を歯で削るようにして口の中に入れると、サッと溶けて甘みが口の中にふんわりと広がる。
小豆の風味とその冷たさが、絶妙な感触となり舌をとろけさせていった。
「はぁ……美味しい」
思わずため息が出る。
「そんなに?」
ユキは苦笑した。
「ほんとホント」
王都まで行くならまだしも、実家ぐらいだとアイスなんて贅沢品は食べようと思ったところで食べられない。
まさかこんな田舎で味わえるようになるだなんて思ってもみなかった。
うーむ、これはきっと売れるぞ……。
まあユキはそんなに商売っけは無いみたいだけれども。
「ユキはこういうのよく食べるの?」
僕の質問に彼女は曖昧な表情を見せる。
「うーん、そういうわけでもないけどね。自分じゃあんまり作らないし」
自分で作らないということは、誰かに作ってもらっていたんだろうか。
雪女の集落とかそういうところで暮らしてたのかな。
毎日アイスだと体が冷えそうである。
彼女は沈みゆく夕日を見つめる。
太陽の光を浴びて、スケートリンクは既に溶け始めていた。
「ここは、いいなぁ……」
何かを思い返すように、彼女は呟いた。
「……まあ僕たちの村だからね」
つられて僕も西日を見つめる。
彼女はまぶしそうに目を細めた。
「……なんだかんださ。毎日楽しいよ、わたし」
彼女は一歩、夕日に向かって歩いた。
「……最初は何もないとこだと思ったけど、ここにはいっぱいあるんだね」
彼女は陽の光を浴びながら背伸びをする。
「食べる物も、遊ぶ場所も、友達も。あっちじゃあ見つけられなかったこと、いっぱいある」
日差しを背にして、彼女は振り向く。
「ありがとう、主くん」
その表情は、今までに見た彼女の表情の中で一番穏やかだった。
「どういたしまして」
僕は笑った。
姫に満足していただけたなら幸いだ。
僕たちは片付けを始める。
今日のスケート遊びはおしまい。
また今度、遊びたくなったらユキにお願いして氷を張ってもらおう。
僕は荷物をまとめながら、明日に思いを馳せた。
――さて、明日は何をして遊ぼうかな。