31.グレートティーチャーA
「これでいいのか」
村の中央広場。
ドワーフのムジャンが削り出して並べ合わせた長方形の分厚い木の板と、木材を持ってきてくれた。
板の大きさは縦に人間一人が寝転がれるほどの大きさだ。
その端にはヒモを通すような穴が空いている。
表面は平らに加工されており、木目の上に指を滑らせるとつるつるとした触感が返ってきた。
「うん、ありがとう」
村の広場でそれを受け取り、僕はそこから数日をかけてゆっくり作業を進める。
この前、街に行った時に錬金術師を営む爺さんにいろいろと聞いてきた。
小さいころから兄貴と一緒に訪ねては悪戯を教えてもらっていたが、いったい何歳なんだろうな……。
僕が物心ついたときにはもう爺さんだった気がする。
そんなことを考えながら、僕はまず木の板に色を塗り始めた。
青キャベツから抽出した染料に黒のインクを混ぜ、それを板に塗り込む。
この板を乾燥させて、濃い青色の木板を作った。
乾いたら爺さんの店で買ってきた緑礬を水に溶かして塗り、また乾かす。
完成した板を、木材を組み合わせて作った柱の間にぶら下げた。
結構時間はかかったものの、これで完成。
……とはいっても、乾燥を待つ時間が大半だったんだけれども。
「さて、あとは……」
僕は倉庫にしまっていた樹皮を取り出してくる。
以前に森の低木を伐採した時に剥がしておいたものだ。
それを天日に干して乾燥させたものを、ハンマーで叩いて引き伸ばす。
次に、木の端材で作った簡素な椅子と机をいくつか広場に並べる。
石灰石の切れ端、インクとヒポグリフの羽で作ったペンを準備。
これであらかたのものは揃ったはずだ。
「……よーし完成だ!」
数日かかった工程がようやく終わり、僕は空を仰ぎ見る。
そこには一面の青空が広がっていた。
☆
「先生、できました」
「先生ー! わかんなーい!」
「先生恋人いないのー?」
「そーダそーダ! 嫁作レ、ボス!」
「はーい質問は一人ずつ手をあげてねー!」
子供や子供じゃない生徒の騒がしい声に、僕は声を大にして叫ぶ。
机に着いた彼らの手元には、樹皮を乾燥させて作ったノート紛いの物と羽ペンがあった。
樹皮は外側はゴツゴツしているものの、内側ならなんとか文字を書けなくともない。
べつに綺麗に書く必要はないので、メモ書きとして使い終わったら燃料となる。
「あと、授業に関係ない質問は無し! ガスラクはあとで覚えてろよ!」
そこには天井と壁の無い教室があった。
十人ほどの生徒を前にして、僕は教鞭をとっている。
僕の後ろには大きな黒板があり、歪な形の石灰で授業の内容を書き進めていた。
とはいっても、そんなに複雑なものを教えているわけではない。
基本的に文字の読み書きや簡単な算数計算ぐらいだ。
農業や鉱業などの一次産業に従事していた者の識字率は低い。
親の世代も正確に文字を読み書きできないまま暮らしている場合も多いし、誰も教える人がいないからだ。
最近は村への移住者も爆発的に増えていて、その子どもたちもまた増えてきている。
しかし文字が読めないと仕事の伝達や取引契約の齟齬など、今後様々な問題が発生してくることだろう。
それらを今から少しずつでも解消する為、ここに学校を作ったのだった。
学校とは言っても、一回数時間程度の授業を暇な日に受けてもらうだけの些細なものだ。
僕がいろいろ試してノウハウを蓄積したら、これもまた村民に仕事を放り投げようと思っている。
今のところおおむね授業は順調だ。
言葉を喋ることができない人はあまりいない。
日常生活で覚えられるからだ。
だから文字の読み方から始めて、書き方を教えていく。
そんな授業を経て、物覚えの良い年長者たちを先駆けとして生徒たちは次々と文字を覚えていった。
休憩を挟みつつ文字の読み書き、加減算や掛け算などを教えて朝から既に二時間ほどの時間が経過している。
「ギエー! 頭が爆発しそウ!」
すぐには覚えられない者もいるが、何度か来てもらえればきっとそのうち習熟してくれるだろう。
「……じゃあ、次は気分転換に別のことをしに行こうか」
彼らに声をかけ、僕たちは場所を移した。
☆
「ここの玉ねぎ野郎ドモは今日が旬の真っ最中です。今日中に全部引き抜いてしまうです!」
アズの号令のもと、村の畑に人海戦術を投入する。
これぐらいの手伝いは日頃からやっている農家の子もいるのだけど、農業の経験があまりない子もいる。
こんな開拓村ではいつ何が起こるかわからない。
何かあった時の為に、触りだけでもみんなには作物を作るということを体験しておいて欲しかった。
「倒れた茎を引っ張って、傷をつけないよう慎重かつ大胆に引き抜くです!」
いくつもの甘玉ねぎが引き抜かれ、それをまとめて荷車に乗せていく。
「そしたらヒモで括って天日干し! これで長期保存ができるです」
アズの指示の下、生徒たちは甘玉ねぎの収穫を続ける。
「茎が千切れたヤツとか玉が大きいヤツは分けておくです! 日持ちが効かないのでパパッと食べるです」
――ああ、楽だ。
ちなみに僕はその様子を見ながら、畑の横に寝転がって自身の体を天日干ししていた。
――今日は働きすぎだよなぁ。
「そこ! サボるんじゃねーです!」
バレた。
アズに指をさされたので仕方なく立ち上がる。
僕も生徒たちに加わって、たくさんの甘玉ねぎを収穫した。
☆
「というわけで、今日はお肉料理を作りまーす。それじゃあみんな、井戸の水で手は綺麗に洗ったかなー?」
広場に戻って今度はハナが教壇に立つ。
横にはアズとカシャがお手伝いとして待機している。
「手が汚れたまま調理するとお腹をこわすので、必ず手を洗ってくださいねー」
広い長机の上に材料が置かれ、ハナは調理を開始する。
料理というのは味を楽しむ為でもあるが、何より重要なのは未調理の食材を安全に食べられる状態にするという部分が大きい。
「まず先程採ってもらった新玉ねぎをみじん切りにします。玉ねぎを切ると果汁が目に染みて涙が出るので、苦手な人は切った状態で少し水につけておいてくださいね」
ハナはそう言うと玉ねぎをナイフで細かく切り刻む。
「では皆さんもやってみましょう。猫の手のように丸めて切ると良いと言われますが、要は手のでっぱり部分をなくして刃物に巻き込まれないようにしよう、ということです」
まだ十歳に満たない子もいる為、ハナは優しく基本から教えていく。
教える内容を丸暗記してもらってもいいのだが、できればその理由や背景についても知ってほしかった。
そうすることで応用が利くようになるからだ。
手を洗っても調理器具を洗っていないのであれば、意味がない。
そのようなところから病にかかることもあるとハナは言っていた。
「多少不格好でも構いませんよ。そしたらこれに米粉をまぶしておきます」
みじん切りにした玉ねぎに米粉をまぶすと、次にハナはお椀に入れた粗挽き肉を取り出した。
「次にこのバイソン牛の挽き肉にお塩を振って少し混ぜましょう」
器に挽き肉を入れて手でかき混ぜる。
生徒の子たちも楽しそうにそれに従った。
「そうしたら先程の玉ねぎを入れて、次に溶いた玉子を入れます。そうしていっぱい混ぜましょうー」
ハナの言葉に従い、みんなで材料をこね回す。
小さな子たちには新鮮な感触のようで、彼らは楽しそうに笑っていた。
「では次に形を整えて、中央は少し凹ませて下さいね。これは火を通しやすくする為です。火を通すことで玉ねぎがさらに甘みを帯びます。火を通さずに食べるとお腹をこわす食材も多いので気をつけてくださいね」
ハナの言葉に小さい子たちは「はーい」と元気よく返事をする。
元気がいいのは良いことだ。
「そしたら米粉を少しまぶします。穀物の粉を入れることでお肉に粘り気を与え、ふんわりとまとめることができます。基本的に麦や米は生のままだと消化できずお腹をこわすので、元の形のまま食べる場合も必ず火を通してくださいね」
パンパン、と中の空気を抜くようにハナは形を作っていく。
「それじゃあ次はこれを焼いていきましょうー」
ハナは底の浅い焼き鍋を取り出すと、そこに牛脂を入れた。
準備していたカシャが、即席のかまどに火を入れる。
「焦げ付かないよう脂を伸ばしたら、お肉を投入します。じっくり焼いて色がついたらひっくり返しますよー」
数分焼いて肉汁が出てきたところを、ハナは木べらでひっくり返す。
脂の芳ばしい香りが周囲に広がった。
「そしたら蓋を閉じて、じっくり待ちます。熱を逃さず均等に熱を通せるように」
ガスラクが涎を垂らしながらそれを見る。
「そろそろいいかな……? ……よし、完成でーす!」
ハナがフライパンから皿に移す。
肉汁が滴るその姿は、見る者の食欲を刺激した。
「じゃあみなさんも順番にやってみましょーう」
彼女はそう言って、家で作ってきたおにぎりを取り出し皿に取り分けていく。
今日はハンバーグランチだ。
なんだか童心に返ったようで、胸がワクワクと踊る気がした。
☆
みんなで作ったハンバーグはふんわりとしており、噛むとほろほろと溶けるように崩れて口の中で肉汁がジュワッと広がった。
脂の甘味が濃厚に舌の上でとろけ、あとから玉ねぎの甘さと肉の旨味がやってきて口内に染み渡る。
肉の臭みはなく、それはまるで濃厚な肉のパンケーキでも食べているかのような味わいだった。
昼食の美味しさに満足して、青空教室は解散となる。
昼食を提供することは授業に出席する動機づけでもあった。
貧しい家庭であるなら食事付きとなれば出席しやすくなるだろう。
昼食の材料費は村の経費から落としている。
農作業の手伝いを入れても赤字ではあるが、将来的に見て村に必要な投資だ。
――相手の気持ちを考える。
どうしたら参加してもらえるか。
どうしたら有効な知識を持ち帰ってくれるか。
いろいろと考えた結果が、今日の青空教室だった。
僕は満腹となった腹を抱えて広場の横に寝転がる。
村に来た時は荒れ果てていた地面も、今では草花が芽吹いていた。
風を感じて太陽の光を浴びていると隣にハナが座る。
「お疲れですか」
「……うーん、少しだけね……」
何事も初めてのことは疲れるものだ。
何かを教わることは多々あれど、人に教えるだなんて人生初めての経験だ。
「まあ無事終わって良かったよ」
ハナはクスクスと笑った。
ちらりとハナの表情を覗き見る。
彼女は優しい笑顔でこちらを見ていた。
……膝枕とか、してもらえたり、するかな……?
僕は上半身を起こす。
「……ね、ねえハナ」
僕は少し気恥ずかしく思いつつも彼女の名を呼び――。
「――あー! 先生! 何してるの!」
帰ったはずの生徒の子に声をかけられた。
彼がとてとてと走ってくる。
「ん、んんー……? そ、そうだなぁ。太陽の光を浴びてたんだよ」
「そうなの!? じゃあ遊ぼ!」
「えっいや、僕は……だからその……日向ぼっこが忙しくて……」
「みんなー!」
彼は他の子供たちを呼び集める。
……どうやら逃げ場はなさそうだ。
――ああ、もう、しょうがないな。
「……よーし! じゃあ遊ぶかぁー!」
僕は気持ちを切り替えて立ち上がる。
任せろ!
やるからには、全力でやってやる……!
僕が実家の仕事をサボりにサボって磨き上げた、最強の遊びたちをお前達に教えてくれるわー!
「やったー!」
「先生ありがとー!」
僕は彼らに混じって全力で遊びだす。
ハナはその様子を遠くで見守りながら、穏やかな顔で笑っていた。