30.脳内侵犯アマノジャック
「彼の地よりいでよ――」
屋敷のリビング。
その場には僕の他に、ハナとサナトがその様子を見守ってくれていた。
手をかざした契約の本から、青白い光が漏れる。
新たなる妖怪の召喚。
もうなりふり構っていられない事態を解決する為、藁にもすがる思いでその名を呼んだ。
「――天邪鬼!」
僕の声と共に、本の中から漆黒の奔流が漏れ出る。
それは人の形に寄り集まると、影となって空間に立ち尽くす。
まるで次元の裂け目のような異質な影は、徐々にその輪郭をはっきりとさせていった。
「――へえ。ボクなんかを喚び出すなんて、物好きな主人もいたものだね」
そこに現れたのはショートカットの黒髪にハナぐらいの身長をした中性的な容姿の少女だった。
声を聞かなければ、少年と見間違えたことだろう。
黒の詰め襟姿に角ばった平たい帽子を被っており、その衣装は男性的であった。
「ボクの名前はサグメ。悪名高い天邪鬼さ。君はどうしてボクなんかを喚び出したのかな。誰か不幸のどん底に落としたい相手でも――」
彼の言葉を遮り、僕は床に手と膝をついて叫んだ。
「父上に反逆する力をくれ!」
「……はい?」
聞き返す彼女の足に、僕は縋り付く。
「頼む! もう今日の馬車に乗らないと間に合わないんだ! 僕を助けてくれ!」
「ちょ、ちょっと! な、なんだコイツ!?」
サグメは困惑してハナの方を見るが、ハナは同情するような目で僕たちの様子を見つめているだけだ。
「僕に勇気を与えて欲しいんだー!」
☆
ダイタローに自信を付けさせておいて恥ずかしいのだが、それでもやっぱり嫌なものは嫌なのだ。
父上は僕にとってのトラウマだ。
いやだいやだ、ぼくあいたくない。
しかし幼児退行したところで事態は解決しない。
今日中に村を出発して父上に鉱山の転用の報告をしなくては、鉄工所の建設工事の着工に遅れが生じることになる。
しかし村の代表者として他の人に頼むわけにもいかず、こうして僕は馬車に揺られて街へと向かっているのだった。
今では道が整備されたおかげで半日ちょっとで辿り着くようになったとはいえ、それでもちょっとした小旅行の距離だ。
「……いやさあ、もっと常識を考えようよ」
馬車の中には僕と天邪鬼とユキ、そして数名の乗客が乗っていた。
ユキは本人が街を見てみたいと言ったのと、念のための護衛として同行してもらっている。
「こっちもさ、天邪鬼として必要なイメージがあるだろう? 初対面で土下座とかする? フツー」
彼女は溜息をつく。
――天邪鬼。
人の心を読み取り、それを利用して悪戯をする妖怪だ。
つまり人心掌握のプロ。
とはいえ、人に悪さをする妖怪なので召喚するリスクはあったのだが……。
「……ごめん。もう考えている時間がなくて……」
僕は宿題は提出の直前までやらないタイプだ。
そして結局やらなくて怒られる。
あとにあとに引き伸ばし続けていったその結果が今の状況だ。
僕の謝罪を受けて、彼女は片肘をついて馬車の外を見つめた。
「いろいろ考えてたんだよ、これでも。喚び出してくれたのは嬉しいけど、あんまり素直に従ってもまた天邪鬼としての霊格に関わるっていうかさ。変に利用されるのも癪だし、かといって送り返されるのも遠慮願いたいし」
ぶつくさと不満をつぶやく彼女に、それを見ていたユキは呆れるように口を開いた。
「何よひねくれちゃってさ。結局カッコつけたがってるだけじゃん。だっさー」
「うるさいツンデレは黙ってろ」
「なっ……! つんでれぇ!?」
ユキに言葉を吐きつけて、サグメは溜息をつく。
「ていうか、協力するだなんてボクはまだ一言も言ってないからね? 契約してないんだよ? わかってる? なのに無理矢理こんなとこ押し込んでさ」
「うう……。でももう君に頼るしかないんだ。あとでなんでも言うこと聞くから……!」
「……ふーん」
その言葉に、品定めをするような目で彼女は僕を見た。
「なんでも、ね」
彼女は薄っすらと口の端をつりあげる。
……うう、なんだか不味いことを言ってしまった気がする。
とはいえ、この局面を無事乗り切るには彼女の力に頼りたいのだ。
☆
古都ウルブズ。
西から東へと流れるカナル川沿いに発達した都市で、その周囲には国内有数の穀倉地を持つ。
そんな古くからある街に馬車が着いた頃には、既に日はとっぷりと暮れていた。
僕たちは街の中心にある領主邸へと辿り着く。
まあつまりはそこは僕の実家なのだけど。
ハナも来たがってはいたが、彼女は村の守り神でもあるのであまり外に出歩くのはよくないだろう。
むしろ僕がいないときにこそ、僕の帰るべき家を守っていてほしかった。
久々に家の門をくぐる。
手入れのされた庭先には、今も数々の花が咲いていた。
後ろにサグメとユキを連れた僕の姿を見て、使用人たちは口々に出迎えてくれる。
「お帰りなさいませお坊ちゃま」
「セーム様、お体に変わりありませんか?」
「あらスケルトン……失礼、お坊ちゃまでしたか。おやつれになられたような……いや元からだったような……」
再会そうそう軽口を叩きつけてくる乳母に、父への手土産として持ってきた酒壷を渡す。
「……おかげで少しは体力がついたよ。みんな久しぶり」
僕は笑って挨拶をしたあと、父の部屋へ向かった。
この時間はいつも自室で領内からの報告に目を通しているはずだ。
廊下を通って扉の前へ。
深呼吸。
「……よし」
気合を入れる。
さあ行くぞ。
「……ふうっ!」
首を回す。
リラックスだ。
「……うむ」
ドアの取手に手をかけた。
「……ふぅー」
息を吐く。
「……さて――」
「――はよいけ!」
ユキとサグメに同時に尻を蹴られた。
「ば、バカ、本当に開けちゃったらどうするんだ!」
「開けなさいよ!」
「何のために来たんだよ!」
扉の前で僕たちが騒いでいると、中から「開いている」と父の声が掛けられた。
僕は意を決して扉を開く。
その正面の机には父が座っていた。
白髪交じりの髪に整えられた口髭。
その眼光は未だ衰えを知らず、僕のことを射殺すように一瞥した。
「セームか」
視線を手元の報告書に戻し、興味なさげに言葉を続ける。
「何のようだ」
父の言葉に、喉がかわいて声が出なくなる。
呑み込む唾もない。
立ち尽くす僕の様子に、父は溜息をつく。
「ロージナで暮らせと言ったはずだが」
頭が真っ白になり、だらだらと冷や汗が流れ出た。
ふと、背中に手のひらの感触。
父の死角になるように、サグメが僕の背中に手をあてていた。
まるで耳元で囁かれているかのような彼女の声が、頭の中に流れこんでくる。
「――顔を上げろ。胸を張れ。相手の目を見るのが怖いなら、視線を下げて首元を見ろ」
彼女の声に促されるまま、言われた通りに顔をあげる。
少し息が楽になった気がした。
「――ほら、要件」
またも脳内に響く声。
そう、要件は――。
「……ロージナの鉱山の扱いについて進言したく参りました」
事前に考えていた内容が頭の中から出てきた。
父が視線をギロリとこちらに向ける。
こ、こわい。
「続けろ」
父の言葉に、僕は喉を引きつらせる。
トン、とサグメが背中を叩いた。
今度は声は聞こえてこない。
でも言うべきことはわかっていた。
「……金の採掘量は減少するばかりです。その為、鉄鉱石の採掘に切り替えたいと考えています」
僕の言葉を受けて父は眉間にしわを寄せ、しばし考える。
「……見込みはあるのか」
心臓がバクバクと高鳴る。
それを知ってか知らずか、サグメはまた背中を叩く。
すると、今度は頭の中に兄貴の声が聞こえてきた。
すっと心臓の鼓動が落ち着き、口が動く。
「――はい。ドワーフの専門家が鉱床の有無の調査を行ったところ、かなりの量の埋蔵が確認できるとの報告結果が出ています。仔細については追って書面にてお知らせいたします」
「――ふむ」
――相手を不利な状況に追い込め。
兄貴が僕に言った言葉だ。
父は領地経営の専門家ではあるが、採掘業の専門家ではない。
僕は言葉を続ける。
「鉄工業が軌道に乗れば、さらなる税収が見込めます」
――自分の得意な状況に持ち込め。
ここ最近のロージナからの税収は、当初のニ十倍以上の金額になっている。
その実績がある以上、父もおいそれと無視はできないはずだ。
「……領民に無理な負担を強いるような、子供の空想ではないということか」
「はい」
自信を持って答える。
そんな僕の様子に父は大きく息を吐くと、一言答えた。
「……わかった。好きにしろ」
「――はい」
父は手元の書類を机の上に置くと、僕をまっすぐと見据えた。
「セーム」
ドキリ、と心臓が飛び跳ねた。
「――噂は聞いている」
噂。
一体どんな噂が街では広がっているのだろうか……。
「……引き続きロージナは任せた。他に報告はあるか」
父の言葉に、僕は目を伏せた。
「……い、いいえ。特には……」
吐息が漏れる。
……とりあえずは、これで無事報告は終わった。
あとはさっさと帰って――。
そう思った僕の背中に、トン、と衝撃。
頭の中にサグメの声が響いた。
「嘘つくな」
サグメの言葉を聞いて、僕の口が半ばひとりでに動き出す。
「……いえ。もっと、報告したいこと、あります」
僕の言葉に、父が視線を向けた。
「――村の人たちに、よくしてもらっています」
少し声が震えた。
「僕はやっぱり、あんまり役には立ってはいないけれど、村の農業や交易も順調です」
何を言っているんだ僕は。
そんなことは、税収が増えたことで父は知っているはずだ。
「みんなと協力して畑を耕したり、建物を建てたり、盗賊を撃退したり……毎日、みんなで笑って暮らせるようになりました」
言葉がまとまらない。
「だから……父上、僕は――!」
言葉に詰まって黙りこくる。
こんなのまるで、駄々をこねる子供のようだ。
そんな僕の様子を見て、父はゆっくりと口を開いた。
「セーム」
一瞬の沈黙。
――怒られる。
目をつぶる。
「――よくやったな」
父の声に顔をあげると、その顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
父のそんな顔を見たのは、いったいいつぶりだろうか。
父は少しバツが悪そうに椅子を回し、僕に背中を向けて窓の外を見る。
「……セーム、今日は泊まっていきなさい。使用人の皆も、喜ぶだろう」
父はその表情をこちらに見せないまま言葉を続けた。
「――よければ、今夜は少し村での話を聞かせておくれ」
父の言葉に、僕は頷いて答えた。
窓の外から、月明かりが部屋を照らしていた。
☆
翌朝。
手土産に持ってきた米酒を父は大層気に入ってくれた。
大の酒好きだから、呑みすぎないように注意して欲しいものだけれども……。
使用人のみんなに別れを告げて、村へと旅立つ準備をする。
少しばかりユキとサグメと街を見回って錬金術師の店で入用な物を買い込んだあと、村へ行く馬車へと乗り込んだ。
「――いやあ、昨日の君の顔。なかなか見ものだったよ」
馬車の中でサグメがくつくつと笑う。
隣ではユキもまたニヤニヤした笑顔を浮かべていた。
……くそう。
あんな子供っぽいところを見られてしまうだなんて。
やはり妖怪とは性悪なものなのだ。
サグメは笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「まあ主従の契約なんて結ばず、ボクはボクで好きにやらせてもらおうかな。文句あるかい?」
「文句はまあ、ないけれど――」
彼女は悪戯好きなんだろうけど、決して悪いやつではないとは思う。
それなら自由に暮らしてもらっても構わないのかもしれない。
「――でも一応、礼だけは言っておくよ」
なんだかんだ、父とまともに話したのは数年ぶりだった。
「ありがとう、サグメ」
僕の感謝の言葉に、天邪鬼はそっぽを向いた。
「……そっちの方が面白そうだと思ったからやっただけさ。おかげで笑えた」
彼女の様子を見て、ユキは笑う。
「恥ずかしがってんの? 悪ぶっちゃってさー。そういうの今時流行んないって」
「……うるさい。この軽薄ビッチ」
「……は、ハァ!? わたしのどこがビッチだっつーのよ!」
「その格好だよ格好!」
「あんたこそそんな暑苦しい格好して――!」
ギャーギャーと二人が口喧嘩を続ける中、馬車はロージナへと向かって進む。
僕は外の景色を眺めながら、生まれ故郷の景色を見送った。