27.駆け抜ける嵐の男
「これは?」
「鉄鉱石だ」
机の上におもむろに拳ほどの大きさの赤褐色の石を置いて、ドワーフのムジャンはそう答えた。
その日僕は珍しくやる気を出し、役所として使っている元宿屋で帳簿を整理していた。
溜まっていた分の仕事を片付け終えて「さあ今日はあとはのんびりするかー」と背伸びをした時、その部屋の扉は開かれた。
「最近、各地に散らばったドワーフが噂を聞いて村に集まって来ている」
ムジャンは淡々と説明を続けた。
西のドワーフの国が滅ぼされたことで、行き場を失ったドワーフは各国に渡り細々と暮らしていたらしい。
しかし財産も縁も無いゆえに、貧しい生活を強いられることも少なくないと聞いている。
そこでこの地で生活を安定させたムジャンの噂が広まり、各地からドワーフ達が集まってきたようだった。
村としては種族がどうであれ、ドワーフ達のような手先の器用な住人が増えてくれるのは大歓迎だ。
ドワーフに多い豪放磊落な性格を疎ましく思う人間もいるが、それもゴブリン達と一緒で付き合い方の問題だ。
協力するところは協力する、生活を分けるところは分ける。
とりあえず今はそれでいいと思っている。
「……で、そんな奴らに仕事を割り振りたいと思っててな。それで鉱山を見させてもらった」
以前は村の主要産業だった金鉱山。
今ではすっかり金の産出量も減ってしまっている。
「でまあ、金はちょっと望み薄だけどな。鉄鉱石の鉱床がありそうな地質だったんでちょっと掘ってみたってわけよ」
……ドワーフの「ちょっと」っていったいいくらだ……?
以前はポポポーンと家を建てていた。
今度もスポポポーンと地下深くまで掘ったとかじゃないよな……?
「あそこからは鉄が出来る。俺達なら製鉄所を作れる。水神様の水もあるし、立地としても悪くない」
ムジャンは笑みを浮かべる。
「どうだい、村長殿。俺たちに投資してみないか」
彼は少し緊張しているのか、その表情を硬くした。
現在総勢五十人ほどにも及ぶドワーフ達の移住希望者がいる。
彼らの生活が、ドワーフ達を取りまとめるムジャンの肩にかかっているのだ。
「いいよ」
僕は即座に頷く。
「おいくら? 足りない分は村のみんなに出資を募ってみるのも手かな……」
僕の言葉に彼は目を丸くした。
「ま、毎度のことながら、あんた本当に肝が座ってるな……」
「ええ……? そうかな……」
むしろ精霊亭を新築したとき、彼らには当初ほぼ無償で働いてもらっていた。
その分の賃金は後から支払っているが、その時の彼らは僕らの村に投資してくれたに等しい。
なら今度は、村が彼らに恩を返す番だろう。
そもそも彼らはすでにこの村の住人で、仲間なのだ。
「建設用地と採算ラインをエリックたちとも相談して……あー、もう一つやっかいなことがあったなぁ」
天井を見上げる。
この村の金鉱山は領主の明確な所有物として徴税の対象になっている。
その山を鉄鉱山として再開発するには、さすがに許可を取らなくては駄目だろう。
そうなれば税の計算も全部見直しで……あーうー。
「……どうしたって、一度帰らなきゃダメか……」
深い深い溜息をつく。
……いや、そもそも最初はさっさと実家に帰りたかったんだっけ。
今までの出来事を思い出す。
――ああ、帰りたくない……。
……いや、違うか。
僕が帰るのは、この村なんだ。
……うん、そう考えればちょっと父上に顔を出すのもそんなに悪くは――。
――うーん。やっぱり気が重いぞ。
そんなことを思い巡らせていると、唐突に部屋のドアが勢いよく開かれた。
「お~! いたいた!」
その男は断わりもせずズカズカと中へ入って来る。
僕と同じ髪色の頭髪は短く刈り込まれ、その身を革鎧に包んだ帯刀の男。
僕はその顔に見覚えがあった。
ていうか、まあ、あまり認めたくないものの、結構似ているのだ。
「――よっす久しぶり! 遊びに来たぜ~。相変わらずひょろっちぃなぁ、セーム!」
「あ……兄貴……!」
彼の名前はアレックス・アルベスク。
我が家の次兄だ。
☆
「迷ったあぁ!」
南西に広がる帰らずの森に、僕の声が響き渡る。
「はぐれたあぁ!」
奥の塩湖に向かうまでの道は切り拓かれたものの、藪に入り込めば土地勘の無いものはすぐに迷い込む。
僕は残念ながら、ゴブリン達とは違って土地勘を持たない者に分類される。
「もう何なのあの人おぉ!」
涙目になりながら僕は叫んだ。
引きずられるように馬に乗せられ、「さー狩りだー」と訳もわからず森の中に連れ込まれて今に至る。
「ど、ど、どうしよう」
まずい、まずいぞ。
契約の本は置いてきたし、今役に立つものなんて……。
ハッ!
ポケットの中に何かある!
恐る恐る、ポケットからそれを取り出す。
「……鉄鉱石ぃ!」
そこに入っていたのは拉致される直前に掴み取った赤茶色の石だった。
そう、これがあれば迷った森の中でも安心!
……そんなわけあるか!
心の中で一人自分にツッコミを入れつつ、周囲を見渡す。
木、木、木。
……あ、野いちごみーっけ。うまーい。
――そんなことしてる場合じゃない!
このままでは森の肥やしになってしまう!
混乱して辺りを見回している僕の背後で、ガサリと茂みをかき分ける音がした。
僕は喜び振り返る。
「兄――! ……貴」
「ヴ……ゥアー……!」
そこには僕よりも頭二つ分ほど大きな毛むくじゃらの存在。
「――あ、はは。随分、毛深く……なっちゃってまぁ……」
人食い熊。
獰猛な熊だ。
つよい。
こわい。
説明、おわり。
「……ま、待つんだ! 僕はほら……こんな痩せっぽちだし、全然美味しくない……かも……?」
熊に話しかけつつ、後ろへじりじりと下がる。
ああ、こんな時に動物会話スキルがあれば……!
いや、会話スキルがあってもきっとこの熊は「オマエ今日ノオヤツ」とかしか言わない気がする!
なんていうかもう、目が獲物を見るハンターの目だ。
「ブグォー!」
彼は僕の必死の説得も虚しく、口を開けて襲いかかってきた。
「うわああああ!」
咄嗟に手元の鉄鉱石を投げる。
ナイスシュート!
運良く熊の口の中に入る。
しかし熊の突進の勢いは衰えず、僕は弾き飛ばされた。
「ぷぎゃっ!」
着地地点は茂みの中。
勢いが草木で殺されたので幸い怪我は無さそうだ。
しかし命の危険は今もすぐ目の前にある。
熊は石を吐き捨てると、ゆっくりとこちらを向いた。
「ひっ……!」
熊が前足を地面に着き、こちらへ襲いかかる体勢を整え――。
「グォー!」
熊は悲鳴をあげて仰け反る。
その腕に、剣の一太刀を受けたからだ。
「――一矢報いるとはよくやった。いや一石を投じたと言うべきか? よくわからんが、さすが俺の弟だ!」
「……兄貴ぃ!」
そこには抜き身の長剣を持った兄がいた。
その姿はまるで救世主。
……でもそもそも、この兄のせいで大変な目にあっているということを僕は忘れていないぞ……!
兄は首をコキリ鳴らすと、力を抜いたように長剣を構える。
「それじゃあ、だらしない弟へのレッスンワン。よーく聞いとけよ」
未だ戦意を失っていない熊は、その大きな爪を振りかぶる。
「まずは己と相手を知れ」
彼はその攻撃を紙一重で避ける。
続けて第二撃、三撃と熊は腕を振り回すが、その攻撃は寸でのところで空を切った。
「間合いが分かれば、攻撃を受けることはない」
兄は鼻歌混じりに後ろへ飛んで距離を取る。
いや、そんな芸当出来るのはあなたぐらいでしょう……。
心の中でツッコミを入れる僕の前で、熊は四つん這いになり兄へと体当たりを仕掛ける。
「レッスンツー。相手を不利な状況に追い込め」
彼はそれを軽く避けると、すれ違いざまに蹴りを入れた。
「グゥォー!」
熊は吠える。
その身体には、熊の進行方向に存在した尖った木の枝が突き刺さっていた。
熊は身をよじるが、周囲の木々が邪魔をしてなかなか身動きできない。
「レッスンスリー。自分の得意な状況に持ち込め」
兄は剣を熊の目に突き立てる。
熊は声を上げてその場を離れようとするが、視界不良により行動を阻む木々を振り払うことができない。
兄は死角から大きく振りかぶって、渾身の力を込めて熊の心臓を貫いた。
熊は息絶え、動きを止める。
「……ん~! 俺様ってば完璧!」
「……兄貴ぃ……」
言いたいことは山のようにある。
僕は恨みがましく兄を睨んだ。
「弱っちい弟に授業をしながら今晩の飯が調達できる。一石二鳥だろ? 教えたことはきちんと覚えとけよ」
「……兄貴には剣術スキルがあるからそんなことが出来るんだろ……」
兄は昔から腕っ節が強い。
今は国の騎士団に所属しているはずだ。
「アッハッハ! あんな子供の頃の嘘、信じてたのか。俺が持ってるのは危険感知のスキルだけだっつーの」
「えええ……」
危険感知スキル。
魔力の流れで次に来る攻撃や、トラップなんかを見破る反応スキルだ。
そういえば、兄貴は子供の頃から素手の殴り合いもめっぽう強かったっけ。
「剣術は学んだんだよ」
兄は尻もちをついたまま座っていた僕に手を差し伸べる。
「いいか、セーム。得意なこと、不得意なこと。そりゃ重要だよ。でも苦手なことだって得意にすることは出来る」
僕は兄の手を取った。
「――わかってるよ。村で学んだ」
僕は立ち上がる。
兄は笑った。
「そうかそうか! そりゃ良かった。人生何事も勉強だぜ」
「兄貴の口から勉強なんて言葉が出るとは……」
僕は溜息をつく。
兄貴が家庭教師の授業をサボらなかったこと、一度も見たことがないんだけど……。
「アッハッハ! それじゃあこれ持って帰るぞ! 今夜は熊鍋だ!」
彼は片方の熊の肩を担ぐと、もう片方を僕の肩にかけた。
「ぐお……! ……重い……。……っていうか、帰り道わかるの……?」
僕の問いに兄貴は口の端を釣り上げる。
「当たり前だろ? 俺を誰だと思っていやがる」
昔から兄貴は様々な自然を相手に戦ってきた野生児だ。
そんな兄なら、こんな森など庭先を歩くようなものなのだろう。
僕たちは視線を交わし、村に帰るのだった。
――ちなみにその後、三時間ほど森の中を彷徨い歩いたことは心に強く刻みつけておく。
忘れないぞクソ兄貴……。
☆
「アッハッハ! ぐえー! もう飲めん!」
村に帰ってきたら帰ってきたで、兄貴の台風っぷりは止まらなかった。
突如、道行くサナトを捕まえ勝負を挑んだ。
剣の腕を競うのかと思ったら、精霊亭にやってきて飲み比べ。
いったいなぜ飲み比べなのか、なぜ勝負なのかと聞いてみると、単純に好みのタイプの子が剣を持っていたからアプローチをかけただけらしい。
背中の羽も気にせず、本当に自由奔放な人だ……。
「あらあらー。もう終わりなのかなー?」
ワインに蒸留酒、ハナが作った米酒と、さまざまなアルコールを飲んだ後に兄貴はテーブルに突っ伏す。
サナトはまだまだ余裕そうだ。
恐るべし……。
「……威勢がいい兄ちゃんだねぇ」
女将のマリーが笑う。
「すみません、騒がしくて……」
少し筋張った熊肉の鍋の前で苦笑する。
身内が醜態を晒しているのは大変恥ずかしい。
マリーもそれを察してくれたのか、酔い醒ましの水を置いてカウンターの奥へと戻っていった。
「セームぅ……」
兄貴はテーブルに顔を寝かせながら、僕の名前を呼んだ。
「はいはい。もうお酒はいいでしょ」
僕の言葉に、彼は穏やかな笑みを浮かべた。
「……いい村だな。朝にまわってみたが、活気がある」
兄の言葉に僕も笑った。
「でしょ? 自慢の村だよ」
僕の答えに、兄は目を閉じる。
「……ああ。お前も自慢の弟だ」
それだけ呟いて、彼はそのまま眠りについた。
☆
翌日の早朝、兄は挨拶一つせずに村を出ていった。
本当に嵐のような人だった。
彼の見えない背中を眺めるように、ベランダから外の景色を覗く。
そんな僕に、ハナが声をかけた。
「お兄様がいらしてたんですか? 言ってくだされば挨拶に行きましたのに」
ハナの言葉に、僕は苦笑する。
「恥ずかしくてあんまり見せたくないな」
「……どんな御方なんです?」
ハナの言葉に、兄の顔を思い浮かべた。
「……ガサツで乱暴で、だらしなくて――」
差し込む朝日に目を細める。
台風一過、空は晴れやかだ。
「――そんな、自慢の兄貴だよ」