26.氷の密室を打ち破れ
「――で、こんなとこに連れてきて何なの?」
雪女のユキを連れてきたのは、村の中心に近い改装した家だった。
古くは村の倉庫として使われていた小さな石造建築の家で、今は外面を白で塗って新築のようにしている。
「この家に住んで欲しいんだ。プレゼントだよプレゼント、うん」
「えー、突然なに? お屋敷にいたらハナちゃんがお世話してくれるしべつにいらないんだけど」
口を尖らせるユキ。
しかし彼女を連れてきたのには理由がある。
「中も綺麗に改装したし好きに使ってくれていいんだけど、この家にはちょっとした仕掛けがあるんだ」
裏手へと回る。
そこには地下へ繋がる扉と階段があった。
「この下に水路を引いているんだ」
「はー……?」
困惑するユキと一緒にその地下へと降りる。
薄暗い通路の先には、石造りの空間が広がっていた。
部屋の奥には、まるで浴槽のような石の囲いがある。
「な、なになに? 変なことしないでしょうね。食らわすわよ、必殺冷凍パンチ」
彼女は「シュッシュッ」と口で言いながら、その場で拳を素振りする。
「冷凍パンチっていったいどんなパンチなんだ……。それはともかく、見て。ここを回すと水門が開いて水が入るんだ」
備え付けられたハンドルをキュルキュルと回す。
すると奥から水が流れてきて、水を張った。
「……で、逆に回して閉じる。これでプールの完成」
「ふーん?」
「で、ここからがお願いしたいこと」
持ってきた契約の本を開く。
「君の存在を定義しよう」
本から水色の光が漏れ出る。
ユキは物珍しそうにそれを見つめた。
「雪女は雪山に住む妖怪だ。それは天候を操る」
「まあそうね」
彼女は頷く。
「雪を操り吹雪を起こす。それなら、その力は雪を生み出し氷を作る」
「でしょうね」
あっけらかんと彼女は言う。
「……あれ、もしかして必要ない?」
本の光が少し弱まった。
「まあ当たり前と言われればそうだろうし。わたしはたぶん、この世界でもそれぐらいはできるんじゃないかな」
「そ、そっか……」
「でも、”当たり前”と思うことが重要なんだろうね。わたしたち妖怪は」
彼女は人差し指を立てて、僕に向けた。
「存在するのが当たり前。氷を操るのが当たり前。その当たり前という認識の先に、わたしたちは存在する」
ユキは小難しいことを言った。
「だから、続けてちょうだい?」
彼女は悪戯っぽく笑った。
僕はそれに頷く。
「……よって君は、温度を司る」
僕の言葉と共に、本から光が放たれた。
その光は彼女を淡く包む。
「熱を奪い、全てを停止させる停滞の雪の華」
僕の言葉と共に、青白い光は彼女の胸元に吸い込まれていった。
彼女は笑う。
「……うん、いい感じ。つまりはこの水を凍らせればいいのね」
彼女は目の前の水面に向き直る。
「うん。一日に一回でも作ってもらえれば、それを勝手に持ってくからさ」
「ふーん。氷室ってわけね」
彼女は感心したように頷く。
ユキを召喚したときの様子からいって、彼女はハナやカシャのように働き者というわけでもないようだった。
雪女は雪山に住んでいるらしいので、おそらく気候が合わないのだと思う。
そんな中で無理に働いても辛いだろう。
彼女に協力してもらいつつ、それでいて一番労力の少ない方法を考えたつもりだ。
「いーよいーよ、合格でーす。その為に用意したおうちってわけね」
彼女は笑顔を見せてくれる。
どうやらお気に召してくれたようだ。
「……まあでも、ごはんはハナちゃんのを食べに行くけどね~」
彼女の言葉に僕も笑う。
「賑やかな方が楽しいからね。歓迎するよ」
なかなか大所帯にはなってきたが、最近では僕の収支もプラスだし一人分の食費ぐらいは何とかなりそうだった。
「さーて、それじゃあ早速わたしの力、見せたげまーしょかっ」
彼女が肩を回す。
やる気になってくれたようだ。
彼女は目を閉じると、水のプールの上に手をかざす。
ゆっくりと息を吐くと共に、彼女の周りを水色の光が覆った。
「……氷凍られ凍りましょう。寒さ寒々寒空に」
リズミカルに詠うような彼女の言葉に合わせて、周囲の空気の温度が下がっていく。
あまり聞いたことのない詠唱だ。
この世界の呪文体系とは少し違うのだろう。
「絶対零度の水の上。一人残った君独り」
彼女は息を吸うと、ノックするように手の甲で水面を叩いた。
その瞬間、そこを基点として雪崩のように水の中が凍りついていく。
水槽全体が凍りつき大きな氷塊となると、その冷気は空気へと散乱してゴゥ、と吹雪を引き起こした。
壁一面に霜が張り付き、空気が凍える。
その中心に立つのは雪女。
彼女はゆっくりと目を開けると、僕の方を振り向いた。
「……寒ぅッ!」
「君も寒いの!?」
彼女は両腕を自分の体に回すと、ガチガチと震えだした。
「寒いに決まってんじゃん!」
「じゃあなんで薄着なのさ!」
「暑がりだからだよぅ!」
シャツとショートパンツの姿は見てるこっちが寒そうだ。
「あー寒さむ……。早く出よ」
彼女が震えながら扉に手をかける。
僕もその後に続いて……と歩こうとしたら、彼女が足を止めた。
「どうしたの?」
僕の問いに、彼女はゆっくりと振り向く。
「……なんか、凍ってるんだけどぉ」
見れば、扉が完全に凍りついていた。
「へ?」
ドアを押す。
びくともしない。
「ちょ、ちょっと。これは……」
「何とかしてよお!」
「僕のセリフだよ!」
ユキはへっくち、とクシャミをする。
その様子はまるで普通の少女のようだ。
「雪女じゃないの……!? 温度操ってよ!」
「あー……無理無理。わたし下げることしかできないって」
「そ、そうは言っても入り口は他にはないし……」
水路は人が通れるほどの大きさではないし、そもそもハンドルも凍りついている。
「……よし。じゃあ僕がやってみよう……」
彼女を横に押しのけて、ドアに体当たりしてみる。
ドン、と乾いた音が部屋に響いた。
……びくともしない。
ていうかめっちゃ肩が痛い。
くそう……。
もっと体を鍛えておけばよかった……!
……って何度この村に来てから思ったことだろうか!
いや、今更後悔しても仕方がない。
彼女を見ると、体を縮こませながらガタガタと震えていた。
「ユキ、大丈夫?」
「ちょ、ちょっとまずい……かも」
彼女の吐く息が白い。
僕は彼女を抱き寄せる。
「あっ……」
「緊急事態だから我慢して」
彼女の体温を感じる。
それは普通の人間と同じく暖かった。
「……妖怪って低体温症とかあるの?」
「……あると言えばある」
腕の中で彼女は答える。
「妖怪だって寒かったり大きな怪我したりしたら死んじゃう。わたしやハナちゃんみたいな人型は特に、その特性は人と変わらない」
カシャなんかはそこから全く外れた存在なのだろう。
「……ただ。妖気や霊力……魔力って言うんだっけ? それを消費することで身体的な異常を修復することができるけど……ああ、口を開くのも寒い!」
寒さに耐えかねたのか、彼女はぎゅっと抱きついてきた。
……徐々に力が抜けて行くのを感じる。
「ちょ、ちょっと……魔力が吸われていく……んだけど……」
筋力が弱まっているわけではないが、くすぐったい。
「無茶言わないで……! わたしはハナちゃんたちみたいな神霊に片足突っ込んだ子たちとは違うの!」
彼女の震えが大きくなる。
……ハナといえば、あれ? そういえば……。
「……ていうか、ハナが言ってたけど服は変えられるんじゃないの?」
ユキのドレス姿を思い出す。
彼女は僕の言葉にハッと目を見開いた。
瞬時に体を離し、彼女はくるりと一回転。
「あったかーい!」
もこもことした、まるで毛皮を着込んだかのような暖かそうな服に彼女は身を包んでいた。
「……それはよかった」
今度は僕の方が寒くなる。
震える僕を見ながらユキは、扉の方を見つめた。
「……とはいえ、このままここにいるわけにはいかないね。早く出ないと二人とも凍え死んじゃう」
「自分の冷気で凍え死ぬとかスゴイ間抜けだ……」
「うるさい!」
チョップ。
全然痛くはなかった。
……まあ、自滅しそうになるほど彼女の冷気が強力だったということなのだろう。
この状況から脱出する方法は……これしかないか。
僕はさきほど閉じた契約の本を開く。
彼女は僕の様子に気づいて口を開いた。
「……新しい子を呼ぶの?」
「……それしかないかなって」
震える手でパラパラと本のページをめくる。
この状況を脱却する妖怪は……。
「……ハナちゃんからも聞いたけど、気をつけてね。妖怪全てがあなたの味方をするとは限らない」
妖怪にも種族差や個体差があるということだろう。
しかし、かといってこのままここにいるわけにもいかない。
「まあ、ヤバイヤツだったらわたしが氷漬けにしたげるから。安心しなよ」
彼女は笑顔を作る。
今は彼女を信じよう。
どんなことが起こるかわからないなら、どの妖怪を選んでも……いや、待てよ。
そうだ、どうせダメもとなら……。
「……ちょっと試してみたいことがあるんだ」
☆
ガン!
ガン!
バキィ!
力任せに殴られた氷漬けの扉がはじけ飛ぶ。
内側から破られたその扉は外側に向かって倒れ、中の冷気が外に放出された。
「うあーーー! さっむいのであります!」
中から一番に外に出たのは、水虎ミズチ。
「ごめんごめん。突然来てもらってありがとうね」
謝る僕に、彼女は首を振る。
「いやいや、咄嗟の機転……さすがご主人であります。悪いのは自分の冷気を操れないやつでありますよ」
「なによー! しょうがないじゃないさー! こっちでは初めてだったんだから! こんなに強力になってるなんて思わなかったんだもん!」
二人が睨み合う。
「ストップストップ。まあ結果無事だったんだからいいじゃないか」
「よくないのでありますよ。下手したらご主人は凍死していたのであります」
「あはは……」
氷室の中で僕が召喚したのは、水虎だった。
既に召喚した妖怪を呼べばどうなるのか。
その疑問を抱いた僕は、水虎で試してみた。
ミズチが召喚されたなら、その怪力でそのまま開けてもらうことができる。
もし別の水虎が召喚されて襲いかかってきたとしても、あの氷室の中では水も使えなければ空気が凍りついているために湿度も低い。
おそらくミズチが召喚されたときと同様に、大した脅威にはならないであろうと踏んだ。
結果、池で寝ていたミズチが召喚され、寒さに震えながらも扉を叩き壊してもらったのであった。
「うー……」
ユキはバツが悪そうに唇を尖らせる。
「ほら、反省しているみたいだし。ね?」
「え~? 本当でありますかぁ~?」
ミズチの言葉に、彼女は視線を逸らしつつも答える。
「反省……してるわよ。わたしが悪かった……です。ありがと、主くん」
よく見ると彼女は少し瞳に涙を浮かべていた。
脱出の安堵もあるのかもしれないが、これ以上責めるのは可哀想だ。
「……ああ、そうだ。それじゃあ代わりに……というわけでもないけど、お願いがあるんだけど……」
僕の言葉に、ユキは首を傾げた。
☆
「おお……! 凄い! これがあのシャーベット……!」
僕たちは屋敷のリビングで、みんなで食卓を囲んでいる。
そしてユキに苺と葡萄を渡して、凍らせてもらってシャーベットを作ってもらっていた。
シャーベットを作れるのは氷魔法を極めた極々わずかな料理人だけだ。
当然、それを食べるには王都でもびっくりするほどのお金がかかる。
「結構、難しいわね……これ」
手先の冷気を調整しつつ、果物を凍らせていく。
「かひんこひんでありまふ」
完全に凍りついた葡萄を口の中に入れたままミズチは言った。
「み、見てなさい! 今に完璧なシャーベットを食べさせてあげるんだから……!」
彼女は手元の果物の山へと真剣な眼差しを向ける。
なんだかんだいって、彼女もこの村に馴染んできたような気がした。