25.雪のプリンセス
「ハーナー。ハーナさん」
村に出かけるついでに何か入用なものはないかと思い、家の中のハナを探す。
「あら、主様」
地下室で漬物を仕込んでいるその姿は、全身をエプロンで覆ったような少し野暮ったいものだった。
「……その格好は?」
「割烹着です。この服を装備するとぐぐーんと料理力が上昇するんですよ」
料理力ってなんだろう……。
魔力の親戚か何かだろうか。
彼女は僕の様子を見て、クスクスと笑う。
「冗談です」
「なんだ……何か凄い力が発生するのかと思ったよ」
「そういう訳ではありませんが、正装といいますか」
僕の言葉にハナはくるりと一回転すると、いつもの格好に戻った。
「便利だ……」
「着込む分にはある程度ならパパッと」
彼女は人差し指を唇に当てると、少し考え込む仕草を見せた。
「んー……。お出かけになるなら、お塩を少々いただいてもよろしいですか?」
「塩? また漬物でも作るのかい?」
ハナの作ったキャベツのピクルスは酸味が利いててなかなかに美味しい。
作物の収穫量が増えたのはいいが、さっさと防腐処理をしなければどんどんと腐ってしまう。
塩漬けやピクルスは味も去ることながら、保存の観点から言っても大変重要だ。
ハナの作るピクルスの味わいを思い出していると、彼女は首を横に振って小さな樽を取り出した。
「いえ、小豆で味噌を作ってみようかと思いまして」
「ミソ?」
ハナは頷く。
彼女の持っている樽の中には、潰した小豆が詰まっていた。
「はい。完成すれば食卓にバリエーションが増えます」
「へえ。楽しみだなぁ」
それがどんなものかはわからないが、アンコと同じようにソースの類だろう。
塩漬けというなら、魚醤のようなものなのかもしれない。
「あまり保存食ばかり食べていると栄養が偏ってしまいますけどね。塩分が高いので」
ハナは苦笑する。
塩の取りすぎはあまり体に良くないらしい。
「うーん。といっても食べ物を日持ちさせる方法といったら、塩漬けか乾燥させるかぐらいしかないしなぁ」
魚や肉の燻製や、天日干しの合わせ技などはよく見る。
「あとは砂糖漬けなんかもそうですね。あれも水分を抜くことが重要らしいんですけど。餡子も甘くした方が日持ちするんですよ」
「へえ」
そういえばジャムなんかも保存食だ。
アンコはアズキのジャムということか。
「まあ冷蔵できれば一番手っ取り早いんですけどねぇ」
「冷蔵かぁ」
たしかに暖かくてじめじめした場所だとすぐに腐ってしまう。
灌漑用の水路を使って何とか食べ物を冷やせないものかな。
兄貴に聞いた話だと、狩りをした後に川で肉の温度を下げたりしていたらしい。
血抜きと共に行うことで、腐るのを遅らせることができるとか。
でも水分が多過ぎても腐ってしまうんだろうか……。
大昔に東のブオルケ山脈に連れられていったことを思い出す。
あの時も兄による誘拐だった。
くそう兄貴め。
幼心に高山病で死ぬかと思いながら見た景色は、真っ白な雪原だった。
あんな風に氷や雪がたくさんあれば、食べ物の保存には有用なのかもしれない。
「……そういえば」
契約の本の一ページを思い出す。
そこには確か、そんな雪を操る妖怪がいたはずだ。
名前はたしか――。
「――ハナ、雪女ってどんな子?」
☆
村の用事を済ませて屋敷へと帰る。
途中買った塩を渡して、念の為ハナとともにリビングでそれを執り行う。
「――彼の地よりいでよ」
青い光と白色の風雪が本より生じた。
「”雪女”!」
激しい吹雪が部屋を駆け抜けた後そこには、一人の少女が残った。
テーブルの上……ではなく、すぐ横のソファーの上に寝転がっている。
「――んー……? ……誰、あんたら」
白い肌と青みがかったサイドテール。
身長は僕より少し低いぐらいだろうか。
肩出しの黄色いシャツとショートパンツに身を包み、彼女は覇気の無い声をあげた。
その姿を見て、ハナが苦笑を浮かべる。
「ゆ、雪女……さん?」
「……そうだけど?」
彼女の答えに、ハナは笑みを張り付かせたままその動きを止めた。
ハナの手を引き、雪女に聞こえないよう声を潜める。
「……”名前と違って暖かみのある優しい子”っていう話だったけど……」
「そ、そのはずだったんですが、わたしの知っている雪女さんとはちょっと違うといいますか……」
「ちょっとー。全部聞こえてるんですけどー?」
僕たちの内緒話を彼女は聞き咎める。
「人のこと呼び出しといてさー。その言い方はないんじゃないかなー」
「あっ、はい……ごめんなさい……」
気だるげに言う彼女に思わず謝る僕。
フォローするようにハナが間に入る。
「こ、この方はわたしたちの主様で、こちらの世界に喚び出して頂いた方でもありますのであまりそのような態度も――」
「そんなん知んないしさー。べつにまだ契約したわけでもないし、いきなり主人面されても困るっていうかー」
ハナの言葉も立て板に水とばかりに受け流され、彼女はぐでりとソファーに寝そべる。
「あー、じゃあ……契約、する? ほら、魔力がさ……」
「えー。面倒くさーい」
即答される。
……なかなかコミュニケーションが取りにくい相手だ。
いや、むしろ今までの妖怪たちの方が素直過ぎたんだろう。
普通はこれぐらいの態度の方が当たり前なのかもしれない。
「……そこを何とか! 君の力が必要なんだ」
「うぇー、そういうの暑苦しいなー」
彼女はゆっくりと上半身を起き上がらせて、僕の姿を値踏みするように見た。
「ふーん……」
彼女は興味なさそうに呟いたあと、眠そうな目をしたまま少し笑う。
「あー、じゃあさー……」
彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「わたしをお姫様にして」
☆
お姫様。
つまりは王権を持つ者の娘。
彼女をお姫様にする。
王様と結婚するのではダメだ。
それでは王妃になってしまう。
それは女王様であって、お姫様ではない。
ならば、王子と結婚するしかないな。
ただ第一王位継承者となればそのライバルは多数いるだろう。
そもそも次期王妃となる人物を、貴族の血筋でもないものから選べるものだろうか。
そうなると側室や愛人……? いや、それはお姫様とはいえないのでは……。
となれば、革命……?
彼女に誰かと結婚してもらった後、その相手の父親を王に就かせれば……。
「くっ……無理だ……」
幾度目かの思考実験に失敗する。
何度考えても、彼女を姫の地位に就かせるのは無理だった。
「主様、ここは諦めるのも手かと……」
リビングに彼女を寝かせたまま、僕はハナと二人自室で相談をしていた。
お姫様、なんという難題なのだろうか。
「……ハナ。ちなみにハナはどんな風にされるのがお姫様になるってことだと思う?」
「え、わ、わたしですか……?」
「うん」
ハナは少し躊躇いながらも口を開く。
「……そうですね……。……こほん。――まず、わたしは茶屋で働いているんです。薄給で。いつも笑顔で町のみんなを元気付ける、そんな存在です」
「ほ、ほほう」
何かやたら細かい設定だな。
薄給設定とか必要?
「それで、いつも通り接客をしていると、横暴なお客さんがやってきます。”てめー、ちょっとこっちきてお酌しやがれー”」
「お茶屋さんなのに……?」
「”いやっ、やめて”と拒否するのですが、抵抗むなしくお酌させられます」
お茶を注がせる暴漢の姿を思い浮かべる。
なんだかまったりした光景だ。
「そしてそこに彼は通り掛かるんです。きらびやかな装飾に身を包んだ、白馬に乗った青年が」
「町中で馬に乗ってるの……!?」
まあこんな辺境の村ぐらいならありえるかもしれないけど……。
「彼はお忍びで茶屋に団子を食べにきた将軍様です」
「将軍!? ていうか、全然忍んでないよね? 白馬でしょ!?」
軍の指揮官による凱旋パレードの途中とかではなかろうか。
「彼は刀を抜くと一撃のもとに横暴なお客さまを切り捨てる!」
「殺すの!?」
「”畜生覚えてやがれ”と男は駆けていきます」
「生きてた! アンデッドかな……」
「そこで将軍様は言うのです。”お怪我はありませんか、おハナさん”」
「名前知ってるんだ。それ通りかかったんじゃなくて、計画的な犯行なのでは……?」
「あなた様の方こそ、と気遣うわたしに彼は答えるのです。”わたしは平気です。あなたを見ていたら、痛みなどどこかへ消えてしまいました”」
「いや、将軍は怪我一つ負ってないよね? 重症なのはチンピラの方だよね?」
「そうして二人は見つめ合い、彼はこう言います。”ずっと前からお慕い申していました”と……。どうですか! 主様!」
「どうですかと言われても! それ町のゴロツキよりずっと危ない人じゃない!?」
僕の言葉を無視して、彼女は手の平を天に掲げる。
「大まかな流れはさておき、これこそが主様に求められる姿です!」
ハナは自信満々に言い切った。
「ほ、本当? それがお姫様になるってことなの?」
「間違いなく」
彼女は頷く。
う、ううむ……。
ハナの理想を叶える為には、まず将軍にならなくてはいけないのか。
これはなかなか厄介だぞ。
「……ともかく、特別扱いです。特別に扱われることが重要なのです」
そ、そうなのか……。
お姫様のような特別扱いをして欲しいという願い。
そんな願い、僕に叶えられるのだろうか……。
……とりあえず、やるだけやってみるか……。
☆
夜。
扉を開けて入ってきたハナを見て、雪女は驚きに目を丸くした。
「……お迎えにあがりました、プリンセス」
彼女は黒の燕尾服に身を包み、髪をアップにして笑顔を浮かべている。
その姿は可愛らしい少年のようで、雪女は思わず息を呑んだ。
「さあ、お車がお待ちです」
ハナはそう言って彼女の手を取る。
慌てて彼女は立ち上がった。
「な、な、何……?」
「自己紹介がまだでした。わたしは座敷わらしのハナ」
ハナはそう言いながら玄関の扉を開けた。
そこには四輪自動車となったカシャの姿があった。
隣に立つ一張羅のスーツに身を包んだセームが、助手席の扉を開ける。
「さあ、プリンセス。こちらへどうぞ」
彼が手を差し伸べると、ハナはバトンタッチするように雪女の手を渡した。
セームは彼女を助手席のシートへ座らせ、自身は運転席へ座る。
「カシャ、頼んだよ」
「イエス、マスター」
エンジン音と共に、彼ら二人を乗せて車は出発した。
☆
そこにあったのはまるでミニチュアのお城のような建物だった。
彼女はそれを見て呆然と立ちすくむ。
「プリンセス、お手を」
セームの言葉に従って、困惑しながらも彼女は腕を引かれてついていく。
扉を開けると、中にはテーブルと机がワンセット。
その部屋は天井が高く、石壁が広がっていた。
しかし、それは途中で途切れていて、中途半端に奥の壁から夜空が覗いている。
「……なにこれ。作ったの?」
「見ての通り、作りかけだけどね」
彼は苦笑する。
表の姿はハリボテだ。
古い石造建築の家を改装して作っている。
しかしドワーフの力を持ってしても一日では現状のような半端な姿が限界で、内装どころか壁すらも完成していない。
雪女はまるで廃墟のようなその家の中を歩く。
「ふーん……」
彼女は笑って椅子に座った。
セームもそれに続く。
奥からいつの間に先回りをしていたのか、ハナが姿を見せた。
「……こちら自家製のワインと、バーニャカウダ風温野菜のカッテージチーズ添えになります」
ハナは二人の前にワインの入ったグラスと、村で採れた野菜にチーズがかかった皿、暖かなソースで満たされた器を置く。
野菜をソースに浸して食べる料理らしい。
「本日の料理は花咲イモの冷製スープ、バイソン牛のグリルに、チーズリゾットと青キャベツのピクルスで、デザートは粒苺のシロップ漬けを予定しています」
彼女はそう言って後ろへ下がる。
セームはワイングラスを取って笑った。
「……こんな感じでどうでしょう、お姫様」
「うーん……」
彼女は口に手をあてて考える。
「……全然ダメね」
彼女はそう言いながら、自身の体を抱きしめるように腕を回した。
すると彼女のラフな服装の上に、白いドレスが着飾られていく。
「……まあ、今はこれで我慢したげる」
彼女は悪戯っぽく笑ってワイングラスを手に取った。
「次も期待してるね」
ウィンクしつつ、グラスを小さく振る。
「わたしの名前はユキ。貴方の名前は?」
彼女は彼の名前を尋ねた後、ハナを呼び三人でテーブルに座る。
そうしてそれぞれ自己紹介をしながら、三人は夕食を楽しんだ。