24.お子様予行レッスン
「んんん~~! さすがに起きるかぁあ……!」
今日は二度寝してしまった。
もうお昼近いかもしれない。
でも頭はすっきりはっきり、体の調子も良い。
今日も良い一日が始まりそ……ん?
ベッドの上。
足の間がこんもりと盛り上がっていた。
「……なんだ……?」
布団をめくる。
そこには両手の拳ほどの大きさの、薄茶色い楕円形の物体があった。
「……これは……」
触る。固い。
持つ。重い。
ずっしりとした重量を感じる。
振ってみると、中の液体が動く感触。
「……た、たまご……?」
え?
僕が産んだの?
いやいや、そんなはずはない。
僕は男だ。
いや、それも違う。人間は卵を生まない。
では誰が?
まさか妖怪は卵生なのか?
いや、そんな、バカな。
まずカシャはありえないだろ。
あの無機物のフォルムで産むのだとしたら何も信じられなくなる。
ハナとアズも完全な人型なので考えにくい気もする。
ミズチは?
水かきが生えているし、魚人と同じく卵生なのでは?
いや魚卵はもっと柔らかいし、水中に産卵するはずだ。
……となればつまり、サナトか……!?
彼女なら鳥人のようだし、こんな卵を産んでもおかしくないのでは……!?
な、なぜこんな場所に?
もしや「これはあなたの子供ですよ」という意味なのか!?
いやしかし身に覚えは……あっ!?
そういえば少し前にミズチが蒸留酒を作るとか言い出して、みんなで味見してたら記憶を失ったような……。
まさかあの時に……!?
僕が脳内をハイスピードで回転させていると、ノックと共に扉が開いた。
「主さまー。そろそろ起きられては……」
「ハ、ハナ!?」
僕は慌てて卵を服の中に隠す。
「ど、どうされました……? あれ? そのお腹は……」
膨らんだ僕の腹部を見て彼女は首を傾げた。
な、なんと説明したものか。
……いや、隠したとしてもいずれバレる。
ここは正直に言おう!
「僕、赤ちゃんができたかもしれない!」
「えええええ!?」
ガシャン、とハナは持っていた水差しを落とした。
☆
「いやーそうだよなー。普通に考えたら卵なんて産むわけないよなー」
遅い朝食をとりながら笑う。
「人騒がせにもほどがあります……!」
ハナは頬を膨らませる。
「ごめんごめん、まさかシャナオーの卵だとは……」
件のヒポグリフは、今は元気に外を遊び回っている。
どうやら僕が寝ている間に部屋に侵入し、卵を産んで出ていったらしい。
ドアを開けて忍び入るなんて、賢すぎるのも困り物だ。
それにしても、もう彼女は卵を産むほど大きくなったのか。
いやそもそも、ヒポグリフは卵生だったのか。
家の本では群れとして頻繁に移動するので、巣はもたず卵も産まないと読んだ記憶がある。
本が間違いだったのか、この子が特別なのか、それとも定住すれば胎生から卵生に切り変わったりするのか……?
まあ家にあった本はかなり古い本だったから、いまいち信用もできないのだけど。
そうしてヒポグリフの生態系に対する考察を深めていると、ハナが卵を持って立ち上がる。
「無精卵だと思うので、これは食べてしまいましょうか」
「そうだねぇ。このまま腐らせるのももったいないし……あっそうだ」
僕も立ち上がり、ハナの背中を押して一緒にキッチンへ向かう。
「主様?」
「前した約束、果たそうかなって」
卵を叩きヒビを入れ、殻を割って器に開ける。
「おお、本当に玉子だ……」
「鶏卵より若干色が濃いですね」
その黄身はオレンジ色に近い。
「さすがにちょっと量が多いな……。三分の一ぐらい使おう」
小皿に玉子を分ける。
「残った分は茶碗蒸しでも作りましょうかねぇ」
ハナがニコニコと笑みを浮かべる横で、砂糖を加えて混ぜ込む。
「ハナ、麦粉はあったっけ?」
「ああ、すみません今きらしていて……代わりにこれはどうでしょう」
ハナは口の広いツボに入った白い粉を取り出す。
「片栗粉……じゃないな。……これは?」
「お米です。お団子を作ろうかと思って、米粉にしておいたんです」
「ふんふん……。使ってみようか」
ザザーッと荒い米粉を入れる。
次にバイソンの牛乳を投入。
入れすぎないよう注意しつつ、さっくりと混ぜる。
それを一口サイズに小分けにする。
「……そんなあっさり混ぜ終わっていいんですか?」
「うん、あんまりかき混ぜるとパンケーキになっちゃう。それはそれで美味しいんだけどね」
一つ一つ麺棒で引き伸ばす。
そうしてハナと代わりばんこに生地を作っていった。
「まあ型抜きしてないからちょっと形は歪だけど、おっけーおっけー。これをかまどに入れて網焼きだ」
魔道具で火を付けてじっくり待つ。
とはいえ焼きすぎると焦げてしまうのでコマ目に様子は確認しつつ。
きつね色になったら裏返す。
裏面も同じく色がついたら取り出して、そこから冷めるまでじっくり待って水分を飛ばすと――。
「――じゃーん! お米クッキーだー!」
「わあぁっ!」
ハナが子供のように笑顔ではしゃぐ。
「へへ、さてお味はどうかな……」
常温になったクッキーを一つ摘んでハナの口元へ。
「あーん」
ハナは少し迷いながらも、目を閉じて口をあけた。
「はむ……んん……しっとりしていて牛乳の味が口の中に広がって……おいしい……」
僕も一口。
しなりとした食感で甘さとミルクの香りが広がったあと、お米の芳ばしい味わいが舌の上に広がる。
もう少し火を入れればさらに固くなりそうだが、お米で火を入れすぎるとサクサクというよりはカチカチになりそうだった。
「うん。小麦粉とはちょっと違うけど、十分美味しいクッキーだ」
「ええ……。これは餡子もつけても美味しいかも……」
ハナは笑顔でぽりぽりとクッキーを食べる。
バターとか干しぶどうを乗せても美味しそうだなぁ。
そうだ、今度ジャムも作ってみよう。
「前に、一緒にクッキー作ろうって約束したからね。ちょっと遅くなっちゃったけど……」
思えば結構時間が経ってしまった。
「覚えていらっしゃったのですね、主様……。ありがとうございます」
ハナは笑みを浮かべる。
「……でも、これで二人だけの約束は無くなってしまいましたね」
ハナは僕の手をとって、小指同士を絡ませた。
「次は何の約束をしましょうか?」
ハナの言葉に僕は笑う。
二人でどんな約束を取り付けよう。
僕たちはお昼までのんびりと話し合った。
☆
「これ作ったんでどうぞ」
酒場へクッキーのおすそ分けをしにやってきた。
店頭に並べてもらうのも考えたが、それにしては少し量が足りない。
というわけで日頃の感謝を込めて知り合いへと配ることにした。
「ああ、ありがとうねぇ。助かるよ」
マリーは笑顔でそれを受け取り、一摘み。
「……ああ、いい味だね。そろそろわたしも手伝いの子達に料理を仕込まなきゃねぇ。どうにも上手く教えられないよ」
「料理かぁ」
「ああ。他にも店の仕事やら文字の読み書きやら……なかなか仕事しながらは難しくてね」
村の中でもまだまだ文字を読み書きできる人は少ない。
むしろ文字の読み方さえわかれば、マニュアルを作っておけばいいだけなんだけども。
「とりあえず忙しいのなら手伝った方がいいですか?」
「いや、ちゃんとできる人を育てなきゃダメさ」
マリーは目を伏せながら答える。
「……その、子供ができたみたいでさ。さっさと引き継がないと、エリック一人じゃ回らなくなっちまいそうだ」
子供。
「子供って……赤ちゃん?」
「そ、それ以外に何があるのさ」
マリーは少し顔を赤らめる。
いや、ほら……卵とか。
「いえ、なんでもないです……」
今朝の出来事はそっと心にしまっておく。
「……それにしても赤ちゃんかぁ。いやぁ、本当におめでたいよ。エリックもお父さんになるんだね」
素直に祝辞を述べた。
子供ができることは本当におめでたいことだ。
しかしそうなると現実問題、マリーは出産と育児を担当しなくてはいけない。
「宿のことは僕もいろいろ考えておくね」
マリーが抜けた穴を埋めるには、村全体でバックアップするべきだろう。
今から産婆の手配もしておかないといけない。
まだまだ村人は少ないとはいえ、今では僕が来た時の二倍以上の人数がこの地に住んでいる。
ゆくゆくは育児や教育をフォローする施設も必要になっていくかもしれない。
みんなが文字を読めれば、もう少し仕事の伝達も早くなるんだけれど。
「……まあ、安心して。村をあげて手伝うから」
僕の言葉にマリーは笑う。
「……ああ、ありがとう。頼りにしているよ」
彼女の言葉を背に、僕はその場を後にした。
☆
子供……育児……。
教育、か。
知識水準を引き上げれば、領民一人あたりの生産効率は上がっていく。
それはゆくゆくは国力の増加にも繋がるはずだ。
……と、昔兄上に子守唄代わりに聞かせられていた気がする。
難しい話だったのですぐに眠ってしまったのだけれど。
しかし今まではなんとなくやってきたけど、人に物を教えるときってどうすればいいのかな。
文字を覚えろー、と言ったところですぐに覚えてくれるわけではないだろう。
頭を悩ませながら歩いていると、水田にしゃがみ込んでいる少女を見掛けた。
「……うんうん、わかるですよ。だからこっちも譲歩して――」
「――アズ……と、ごめん。お邪魔だったかな」
アズに声をかけたが、何やら田んぼと込み入った話をしているようだった。
「……いーえ。大丈夫です。ちょっと品種改良の相談をしていただけですし……」
「品種って相談でどうにかなるもんなの……!?」
「何か御用です?」
立ち上がった彼女に、僕は頷く。
「……うん。アズはそうやって植物と対話するのが得意だけど、何か人に教えるコツってあるのかなって」
今後、子供たちや新たな住人もどんどん増えていく。
僕は比較的誰とでも話せる方だとは思うのだが、それでも人に何かを教えたことはない気がする。 もうちょっと真面目に家庭教師の授業を受けておくべきだったな……。
僕の疑問にアズはフッと溜息を吹いて笑う。
「マスターが自分で言ってたことです。人に対話するのも教えるのも、相手を理解するのが手っ取り早いです」
そういってアズは目線を庭の方に向けた。
そこにはぷかぷか池に浮くミズチの姿があった。
「あー、なるほど。そういえばそんなこともあったね……」
相手の気持ちになる。
ミズチを召喚したとき、僕が彼女に言った言葉だ。
どうやったら教えられるか、ではなくて。
”どうしたら覚えたくなるか”を考える。
ふむふむ……。
「ありがとう、アズ。早速いろいろ考えてみるよ」
僕の言葉に、アズは指を二本立ててこちらへ向けた。
☆
なりきる……なりきる……。僕は今、赤ん坊だ……。
心の中でそう唱える。
僕は今、自室のベッドの上で服の上から股間に布を巻いて横になっていた。
そう、おむつ代わりだ。
実際いたすわけではないが、こうして赤ん坊の気持ちになることでマリーの子が生まれた時の事前練習をしておくのだ。
みんなに文字を教えるのも重要だが、赤ん坊を育てるのも村にとっての重要な課題になる。
そのために僕は、赤ん坊になりきる!
だーっ。
だだー。
あーっ……うーうー。
きゃっきゃ……!
まんまー。
……はっ! 見えた!
外に出たくなる……!
このベッドではダメだ……柵をつけないと……。
そもそも飽きさせないよう子供用のオモチャもいろいろ作っておかないとな……!
口に入れても大丈夫なようなものを考えなくては……。
いろいろとアイデアが思い浮かんでくる。
このなりきり作戦は完璧だ……!
ようし、さっそくムジャンに相談して――。
僕が頭の中で来るべき日に備えた思考を巡らせていると、突然部屋の扉が開いた。
「主様ー。お夕飯が……」
顔を覗かせたハナが持っていたお盆を取り落とした。
「ハ、ハナっ! 違うんだ! これは!」
親指をしゃぶっている場合ではない。
「いえすみません主様本当ごめんなさい失礼します申し訳ありま――」
早口で扉をしめようとする彼女を、僕は慌てて引き止める。
「――違う! 違うんだハナ! 話を聞いてくれ!」
「いえ主様! わたしも主様のあるがままを受け入れられるように努力します! ですが今は! どうか今はご勘弁を! 突然過ぎて心がついていかないのです! 少しお時間をください!」
「違うから! お願い話を聞いて! 頼むー!」
ハナの足に全力ですがりつく。
そしてその様子を見つけた人物がまた一人。
「あらー? 何してるの? 赤ちゃんごっこ?」
「げぇ! サナト!」
「お姉ちゃんも混ぜてー」
彼女が加わり、その場は阿鼻叫喚の地獄と化した。
結局、誤解を解くのにそれから一時間かかった。
僕は悪くない……違うんだ……信じてくれ……。