22.火車ブートキャンプ
庭に出て背伸びをする。
太陽の光が気持ち良い。
澄んだ池に小豆畑と葡萄畑、そして水田。
以前ゴブリンたちに踏み荒らされた場所もすっかり元通りの農地に戻っていた。
田んぼをみるとヒポグリフのシャナオーが、その稲の根本をついばんでいる。
「あ、悪戯しちゃだめだよ!」
「クエー?」
僕が慌てて近付くと、シャナオーは首を傾げた。
そのクチバシの間には虫の切れ端。
「……と、虫を食べてくれてたのか。ごめんごめん」
以前より体が大きくなったシャナオーを撫でる。
既に頭の高さは僕の胸ほどあった。
飛びこそしないものの、この前は少し背中に乗せてくれた。
関係は良好といえるだろう。
「よしよし……と、うわっ」
彼女の毛並みを撫でると、手先にごっそりと毛がついてきた。
頭や胸周りの毛が生え変わっているらしい。
「あーあー……。……ちょっとおいで」
「クェー」
シャナオーを田んぼから連れ出し、手櫛を入れる。
生え変わった抜け毛はするすると取れていき、最終的に両腕いっぱいの毛玉になった。
「クエエー!」
体が軽くなったのか、シャナオーははしゃいで駆けていく。
「本当なら仲間たちと毛づくろいをするんだろうな……。ちょっと気にかけておくか……」
彼女の後ろ姿をぼんやり見ていると、声をかけられた。
「ご主人ー! 見て! 見てこれ!」
ミズチがツボを抱えてやってくる。
「うわ……。……本当に上達したねぇ」
それは陶器だった。
色や模様こそ簡素なものの、造りはしっかりとして光沢がある。
形はまだ歪みがあるとも言えるが、気にならないほどわずかなものだった。
普通に店に並んでいてもおかしくないだろう。
「ふっふっふ。水神の力をフルに活用して作ったのでありますよ。こう、回しながら」
自慢げに胸を張るミズチ。
「……ところでご主人のそれは何でありますか? ぬいぐるみでも作るのでありますか?」
「いや作らないけど……。……んっ、そうか」
僕は手元の毛玉に視線を向ける。
こんなにもっさりと毛が取れるなら、羽毛として利用できるかもしれない。
ちょっと商品に出来るか考えてみるべきか……?
頭の中に数字を並べていると、ポシュウ、と空中へ火を放っているカシャの姿が目に入った。
「……なにあれ?」
僕の疑問にミズチが答える。
「なんだか最近、カシャ殿はアンニュイな雰囲気を醸し出しているのであります。たまに空を見てはああして溜息を」
「あれ溜息なのか……」
そこらへんに引火したら大変な溜息だ。
何か悩みが解決してやったほうがいいのだろう。
僕はカシャに近付き声をかける。
「カシャ、そんな顔――顔? ……して、どうしたの?」
カシャは悩みだとか憂鬱だとかそういうのには程遠い外見をしているのだが、何かあったのだろうか。
「……イエス、マスター。本機はその存在意義を今一度確認しています」
カシャは無機質な声で言う。
「存在意義? ……暇になったってこと?」
「ノー、マスター。村民からの協力要請はしばしば発生しております。現在は日々上下水道の整備を行っています。ただ……」
カシャは珍しく、少し言いよどむ。
「……本機はマスターの生命守護機能に不足を感じます」
「守護機能って……ああ、もしかして――」
以前ゴブリンの盗賊たちを相手にしたとき。
親玉を前に、僕は命を危険にさらした。
あとからハナにはたっぷりこってりしっかり、そのことでお説教は受けたのだけど……。
そのときカシャは僕の隣に居た。
カシャは僕を守りきれなかったことに責任を感じているのだろう。
「気にしなくていいのに」
カシャは火の車。車輪の妖怪だ。
車輪とは接地面積を少なくすることで地面との摩擦を少なくし、移動効率を高めるための機構。
当然、その妖怪たるカシャは車輪としての性質を大きくその姿に反映している。
横転すれば行動できなくなるのだろう。
「あのときカシャがいなかったら、僕は最初の一太刀で真っ二つにされていたよ」
僕は笑うが、カシャは納得していないようだった。
「……ノー、マスター。ミス・ハナに顔向けできません。マスターの命は、本機が預かったのです」
カシャはその体を変形させ、ガシャコンガシャコンと謎の前後運動を始める。
「……なにしてるの?」
「イエス、マスター。筋力トレーニングです。これで貧弱な本機もあっという間にビルドアップ」
カシャはガシャコンガシャコンと駆動を続ける。
……ど、どうしよう。
どこから突っ込んだらいいんだろうか。
「……が、頑張って……」
僕はそれ以上かける言葉も見つからず、生暖かい目でそれを見守りながらその場を後にした。
☆
新装開店したマリーの店へ頼まれていた牛乳を届ける。
ゴブリンのガスラクに頼んで絞ってもらっているバイソン乳は、なかなかに濃厚な味わいだ。
星降りの精霊亭と看板が掲げられた扉をくぐる。
……なんでも星降りとは流星のように現れた僕を示しているとのことだが、こっ恥ずかしいのでそれは誰にも説明しないようにマリーたちには強く抗議しておいた。
これは歴史の闇に葬りさらねばならない案件だ。
中に入ると、住み込みの従業員が出迎えてくれる。
彼らはドワーフのムジャンたちと共に移住してきた人間の少年少女たちだ。
幼いころから厳しい環境で育ったせいか、彼らは表情が乏しい。
それでも最近は接客を通して、少しずつ感情を表に出してくれるようになってきたと思う。
「ああ、セーム!」
こちらに気付いたマリーが声をかけてくれる。
賢者様呼びはやめてもらった。
村長と呼ばれるのもまだ慣れていないので、ひとまず名前で呼んでもらうようお願いしている。 周りを見渡すと、まだ昼だというのに数組の客がテーブルに座っている。
なかなか繁盛しているようだ。
「今日も盛況みたいでよかった」
彼女に牛乳が入ったツボを手渡す。
このあと村の中を回って数軒に配る予定だ。
ゴブリンたちが村に馴染んできたら、この仕事も任せたいところなんだけど。
「ああ、この調子でいけば宿の建設費はすぐに村に返せるよ。これもあんたのおかげだね」
今日も北の地の探索へと向かう冒険者に移住希望者、商機を探す商人など十組以上の宿泊客がいる。
村はどんどん賑やかになっていた。
彼女は牛乳の代金として、銀貨をテーブルに置く。
……これだけ見れば、僕は村長というよりは牛乳配達員だな。
「今日はシチューにしようかねぇ」
そう言ってマリーは笑う。
マリーのバイソン乳のシチューは絶品だ。
イモと肉がとろとろに煮込まれ、村で取れる野菜がふんだんに使われている。
……何の肉かはわからないが、それは気にしてはいけない。
荒野にも動物はいる。
荒れ地ネズミとか……紫大蛇とか……。
……まあ、最悪お腹を壊してもアズがいるから大丈夫!
冷静に考えればあんまりよくない気もする。
とはいえその味は大変美味しい。
「あとで少し分けてもらおうかな」
持って帰ればきっとハナたちも喜ぶだろう。
僕はテーブルの上に置かれた銀貨を受け取る。
僕はヒポグリフの革をなめして作った財布にそれをしまうと、マリーに向けて笑顔を作った。
「……そうそう、建設費用はべつに急がなくてもいいからね。それよりじゃんじゃん使ってじゃんじゃん」
お金は使わないと経済は回らない。
むかし家庭教師の先生に習った話だ。
「そうは言っても、こんな田舎じゃあ使い道もあんまりないからね」
マリーは冗談めかして笑う。
言われてみれば確かにそうだ。
前に比べて若干暮らしは楽になったものの、娯楽もなければ品物もない。
せめてもう少し暮らしを楽にする道具でもドンドン買い換えられたらいいんだけど。
この前精米する時に借りたマリーの家の挽臼なんかも、もうボロボロだった。
ムジャンたちドワーフに作ってもらえばすぐだが、彼らも今は移住者の住居の用意に忙しい。
暮らしに余裕はできても、人と物が足りなかった。
どうにかする方法は無いかと考えていると、宿の二階から二人の男たちが話しながら階段を降りてくる。
彼らは見覚えがある顔だった。
以前、旧い宿の時に仲介をした冒険者と商人だ。
また北の地での冒険を終えて帰ってきたのだろう。
「――で、その遺跡の地下でアンデッドの親玉を追い詰めたら、何か仕掛けを動かしたわけよ。”古代の魔獣よ目覚めよ!”って。まあ結局装置が腐ってたのか、何も起こらなかったんだけどよ」
「ほうほう。毎回あなた方の冒険譚は面白いですなぁ。街に戻る度、息子に話をせがまれるんですよ」
どうやらその後の関係は良好のようだ。
「しかし今日はもう戻らなくては。もう少し行き来が楽になればいいのですが、なにぶん道が険しくて」
この村は一時期は陸の孤島とも呼ばれていた歴史があるほどの孤立地域だ。
東は山脈、北は荒野、西は森が広がり、南の王都へ続く道は岩石や倒木が多く、整備されていない。
その為か、隣村からの馬車の定期便も数日に一回だ。
金のある商隊ならまだしも、個人で行き来するにはどうしても交通の便が悪かった。
「おう、じゃあ残りの商談はまたの機会に」
冒険者の男も名残惜しそうに彼を見送る。
もう少し人と物の流通を増やしたいところだ。
何をするにしても人と金が必要だが、それが無い僕にできることは――。
僕はぼんやりと天井を見つめた。
「筋トレ……か……!」
☆
カシャに乗って、僕は村の入り口へとやってきた。
南側の簡素な門の横には一つの大きな岩石がある。
僕はカシャから降りてそれに手を触れる。
その石の目線の高さには、風化してぼんやりと薄れたロージナという文字が刻まれていた。
「改めて見ると大きいなぁ」
高さは人の身長二人分ほど。
とてもじゃないが人の手で動かすのは無理だろう。
「イエス、マスター。巨大な花崗岩です」
トラクターモードのままのカシャは答える。
「……この岩は村がある前から目印にされてたんだってさ。ずっと人に親しまれてきたんだ」
「なるほど。それは信仰の対象。偶像です」
きっとこの岩なら、下手に祠を作ったりするより効果があるはずだ。
持ってきた契約の本を開く。
「カシャ。こんなことは余計なお世話かもしれないんだけど……」
本からオレンジ色の光が漏れる。
「君はべつに、強くならなくてもいいんだ」
僕の言葉に、カシャは少し沈黙した。
「……ノー、マスター。承服できません。本機の存在意義は――」
「――君の存在意義を、定義しよう」
夕日の光がカシャの体を照らした。
「君の存在は”火”と”車”。その要素は、どちらも人類が生み出した叡智の結晶だ」
人は火を利用し、車輪という機構を発明して文化を発展させた。
「ならば君は僕たちの子供のようなもの。君という存在こそが僕たち”人”の象徴とも言える」
火車の存在を定義する。
「……文化とは伝播し広がるもの。本能をぶつけ合う戦の場ではなく、その理性的なネットワークの維持を君に託したいんだ」
僕の言葉にカシャはキュイン、と唸り声をあげる。
「……イエス、マスター。承認します」
その声色はいつも通り無機質なものだった。
僕は少し安堵する。
納得してくれたのだろうか。
「……其の名はカシャ」
この場に僕たちの他に人はいない。
しかし長い間、人類の想いをその身に受けた巨大な古い石がある。
「火と工学、そして交易と情報の伝達を司る存在――」
その本質は――。
「――即ち……”文明”!」
僕が叫ぶと、本から赤い炎が噴出した。
それはほのかな暖かさと共に、噴水のように周囲へと広がった。
炎を浴びた巨石に朱色の太い縄が絡みつき、そこにひらひらとした白い布が幾本も生える。
「……これは」
僕が呟くと、カシャが答えた。
「エクセレント、マスター。道祖神です。旅人を守る、道の神」
キュイィンとカシャがうなり、旋回する。
「本機はこれよりこの地の偶像存在と同調し、文明の発展と守護を担当する精霊となります」
カシャはガシンガシンとその形を変形させる。
その身体は僕の身長よりも大きくなり、横にでかい。
前方には全てを押しつぶすような巨大な車輪ができていた。
「その為には文化の伝播経路が必要です。さあ、マスター。ロードローラーモードです。ご搭乗下さい」
言われるままその背中に乗る。
そこには座りやすいシートが備え付けられていた。
「……速度は抑えてね。安全運転でお願いします」
「イエス、マスター。それでは発進します」
カシャはそう言うと、鳴き声をあげて動き出す。
動き出すと共に、前方に地面を這うように光が走っていく。
「おお……」
その速度は人が走るより少し速かった。
その無骨な形とは裏腹に、踏み潰す前には前方に虹色の道ができていく。
そして後からカシャの前方のローラーが通る。
その通った後には、馬車がニ、三台は余裕を持って通れるほどの綺麗な道が出来ていた。
「……すごいな。この道が出来れば、今までよりも随分早く街まで行けそうだ」
虹色の光が真っ直ぐと地面を進む。
その光が通った先から地面が隆起して、そこにあった岩や凹凸、木や草花までもが横に避けていく。
「イエス、マスター。移動効率は大きく向上することでしょう」
カシャの言葉に僕は頷く。
迷うこともないだろうし、馬が転ぶこともなくなるだろう。
「……マスター」
カシャが走りながら言葉を発する。
「本機の使命は本来は人に使われることです。ですが――」
唸り声をあげながら、カシャは進む。
「本機は――私は精霊として活動してもよいのでしょうか?」
いつもの無機質な声とは少し違う、どこか自信なさげな声でカシャは言った。
僕は笑う。
「――もちろんだよ、カシャ」
空を見上げた。
夕日はもう半分以上沈みかけている。
「きっと、たぶんだけど、君たちは元から精霊だったんじゃあないかな。もしくは幽霊と精霊の中間、みたいな」
僕の霊感スキルはアンデッドの声を聞くスキルだ。
しかしウンディーネの声もノームの声も聞こえた。
だからきっと、この霊感スキルってやつは、精霊の声も聞こえるんだと思う。
「だから、良いも悪いもなくて。君は最初っからカシャで、妖怪で、精霊で……」
一番星が見えた。
「僕たちの友達なんだ」
キュルルル、とカシャは鳴き声をあげる。
「……センキュー、マスター」
そうして僕たちは道の舗装を続ける。
帰るのは、少し遅くなりそうだった。