2.家内安全SSS
疲れ果てていたせいか随分と寝てしまっていたようで、すっきりとして目覚めた。
暗い。
ランタンがついている。
石造り。
は? 地下牢?
いつもと違う状況を一瞬で理解する。
「おはようございます、主様」
頭の上から可愛らしい声がかけられる。
黒髪の少女に膝枕をされているようだった。
「うおぉぉっ!」
慌てて離れて立ち上がる。
誰も入っていない地下牢の前に僕の声が響いた。
その様子にくすくすと笑っているが、そう、記憶が正しければ彼女は――。
「――あ、アンデッド……!?」
僕以外には言葉が聞こえない。
何年も人が出入りしていない場所に突然あらわれる。
そして魔力吸収……。
それらから推測するに、この少女はおそらくアンデッドのはずだ。
いや、それにしては僕が知るアンデッドとは全然違うのだけれども。
「……そんな物騒なものではありませんよ。酷いです主様」
彼女は子供のようにぷくぅと頬を膨らます。
「わたしは座敷わらし。この家の守護者です」
「ザシキワラシ……?」
聞いたことの無い名前だ。
ゴースト、ゾンビ、スケルトン、グール……。どうにもそれらの種族は当てはまりそうにない。
「ええ。呼びにくければ”ハナ”とでも」
にっこりと笑うザシキワラシに対して警戒心はなくならない。
だって僕がここまで生きてきた中で意思疎通できるアンデッドなんて存在は、見たことがないのだから。
伝説レベルの話なら、魔術で自身を不死者とする高位アンデッドのような存在は聞いたことがある。
しかしそうだとしたら、この目の前の存在はいったいどれほどの力を持つのだろうか。
こちらの命を握られているような錯覚を憶えて背筋を震わせる。
「えっと……ハナ、さん……?」
昨夜のようにまた手を両手で握り、彼女は顔を近づける。
「そんな、呼び捨てで構いません主様!」
若干魔力が吸い取られるような虚脱感を感じた。
僕は魔法を使えないから、多少吸われる分には問題はないのだけれど。
「わ、わかった、わかったから、少し離れて! 君に触られるとどんどん魔力が吸い取られるから」
僕の言葉に彼女は慌てて手を離す。
「わたしったらなんてはしたないことを。申し訳ありません主様」
顔を赤らめる彼女と対照的に、僕は顔を青褪めさせていた。
……どうやら彼女に敵意はないし、こちらの言うことも聞いてくれるようだ。
となれば、一つ一つ疑問を晴らしていくのがいいだろうか。
「……ま、まず、キミ。ザシキワラシっていうのは何? アンデッドではないの?」
「座敷わらしは、住む家に幸運をもたらす妖怪です」
うーん、わからない!
ザシキワラシという専門用語を聞いたら、さらにヨーカイという専門用語が出てきたぞ!
これはここを突っ込んで聞くよりも、違うことを聞いたほうがいいのかもしれない。
そもそも人間に「人間って何?」って聞かれても困るだろうな。
「僕って何?」って聞かれたら「穀潰し!」って家族は答えるだろうしね!
ハハハ!
……辛い。
「君はいつからここに?」
「ずっとずっと昔です。前の主が行き場の無くなったわたしを召喚したのです」
果たしてそれはいったいいつのことなのだろうか。
「……とはいえその主は正しくわたしを認識できなかったのですが。たまに波長があった夜にしか声も姿も感じられないようでしたので、こっそり悪戯して遊んでいたら出ていってしまって……」
わあ、迷惑。
こんな広い館の夜、少女の声や姿が見え隠れしたらそりゃ怖いだろう。
「そうこうしているうちに、家の持ち主が変わったのを雰囲気で感じました。わたしは家を依代にしているため、家の主こそがわたしの主様なのです」
そう言って彼女はじっとこちらを見つめる。
……正確には父親が主の気もするが、細かいことは気にしないでおこう。
実際に住むのは僕なのだし。
「……あ、主って何をしたらいいの? お給料は払えないんだけど……」
そんなお金などない。
明日の暮らしすらおぼつかないのだ。
かといって無償で主人と認めてくれるなど、そんな都合の良い話もないだろう。
「……はい。対価としてわたしが求めるのはこの世に存在するための妖力……こちらでいう魔力です」
彼女は僕の顔色を伺う。
「この屋敷にいる間は消耗しませんが、十分な魔力がなければこの館が朽ち果てたときに消えてしまいますし、他に移ることもできません」
彼女の言葉に、触れ合った時に肌越しに魔力が吸われたことを思い出す。
「……つまり僕の魔力を根こそぎ奪いたいってこと……?」
「滅相もありません! 昨夜はその……久々の魔力に触れたことで、水を吸う高野豆腐のように体が勝手に求めてしまって……ごめんなさい」
彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
コーヤドーフとやらが何かはわからないが、おそらくスポンジの一種だろう。
僕は魔法の才能がないので、気を失わない程度に魔力を吸われる分には全く問題がない。
彼女としても、滅多に訪れない屋敷の主が霊感スキル持ちというのは都合が良いのだろう。
霊感自体を持つ人間というのは珍しくはないが、スキル判定で認識されるほどの大きな霊感才能を持つ人間はほとんどいない。
……まあ日常生活において一切役に立たないので、そもそも他人に申告しない人も多いのだけど。
「……それで、僕が主になったら君は何をしてくれるの?」
ゴクリ、とつばを飲み込んだ。いや、決してやましい気持ちはないよ、うん。
ほんとほんと。
「……あなたのお傍に仕えます。どのような困難が立ち塞がろうと、必ずやあなたの望みを叶えましょう」
少女はその瞳に決意を湛えてそう言った。
……彼女はおそらく上級のアンデッドレベルの力を持っている。
彼女と主従関係を結べば、兄たちのように魔法や剣術の才能が無い僕でもこの地で生きていけるかもしれない。
そして父を見返してやれる可能性だってある。
僕は覚悟を決めて、ゆっくりと頷いた。
「わかった。僕が責任を持って君の主になろう」
「……ありがとうございます。では、こちらの本にサインを……」
サイン?
彼女は一冊の分厚い本を棚から取り出す。
赤い装丁で、表紙には何も書かれてはいない。
古臭いがまるで高級な日記帳のようだ。
開かれたページには「契約者」と書かれている。
少しためらいつつも、僕はペンを探す。
あ、持ってない。
「……あら、では失礼して」
彼女もそれに気付いたのか、僕の人差し指を口に咥える。
「――ッつ!」
少しだけその先端に痛みが走った。
彼女が口を離す。唾液が糸を引いた。
人差し指からは少量ながら血が出ている。
その指でページを触ると、それは金属のように血液をはじく。
そしてその血はまるでペンとインクのように指の先端に集結して留まった。
指を滑らせサインをする。
――セーム・アルベスク。
名前を書くと血文字が赤い光を放ち、辺りを照らす。
すぐに光が収まると、まるで最初にそこに書かれていたかのように血が定着して黒く変色した。
「……これで契約完了です。主様」
ハナと名乗ったザシキワラシの少女は、僕の手をとる。
「ありがとうございます――。この数十年間、大変孤独でした」
見れば、うっすらとその瞳には涙が滲んでいる。
いったい数十年の間の孤独というのはどれほどに辛いのだろうか。
しかし僕にはそれを推し量る術はない。
僕は何もできない。得意なこともないし、頭だってそれほど良いとはいえないだろう。
そんな僕が出来ることと言ったら……。
「……これから末永くよろしくね、ハナ」
彼女に笑顔を向けた。
僕が出来ることといったら、安心させる言葉をかけることぐらいだ。
彼女も笑みを浮かべる。目じりに一滴。
「はい!」
こうして僕とハナの契約は完了した。
少なくても僕もハナも、これで孤独からは解放されることだろう。
☆
ハナに案内されてリビングへと移動する。
窓から光が差し込んでいる。
どうやら僕は朝まで眠っていたらしかった。
テーブルを挟むように置かれたソファー。
どうやら年代物のようでひどくカビ臭い。
「少々お待ちくださいね」
彼女が優しくぽんぽん、とそれを叩くとまるで水面に波紋が広がるようにソファーが綺麗になっていく。
瞬く間にそれは新品のようなソファーへと姿を変えた。
「こ、これは……魔法? ……修復……というよりは時間逆行か……?」
いや、そんなはずはないだろう。
そんな魔法が使えるのは魔王クラス、いや現代の魔王ですら使えない。
神話時代の遺失魔法……?
ちらりとハナの方に目を向けると、彼女は自慢げに鼻を高くしていた。
僕の視線を感じ取り、ハナはコホン、と咳払いを一つする。
「わたしの力は……こちらではスキルと言うのでしたっけ。それは”家内安全”。家の中のことであれば大抵のことはお任せください。少々魔力を使用しますが、たとえ焼夷弾が落ちてきたところであなたの身を守りましょう」
彼女はそう言ってにっこりと笑う。
ショーイダン。
またわからない単語が出てきたが、おそらく隕石かなにかだろう。
おそらく大袈裟に言っているんだと思う。
「……それじゃあ水とかも用意できるのかな? 喉が乾いちゃって」
昨日から水分を摂取していない。
王都と違って上下水道が整備されているなんてことはないだろう。
しかし彼女の力ならもしや食費を浮かすことができるのでは――?
しかしそんな僕の期待を打ち砕くように、彼女はスッと目を逸らした。
「えっと……屋敷の中に井戸はありませんので……」
無理らしい。
まあそれはそうか。
諦めて酒場に水を分けてもらいにいこう。
「そっか。じゃあ外に出てくるよ。ハナも行くかい?」
僕の言葉に彼女はまたもバツが悪そうに視線を逸らす。
「す、すみません。わたしは家の外に出ると魔力を消費するので……せっかくの主様からの魔力を無駄遣いはできません。どうしてもというなら付いていきますが……」
「いや、そこまでじゃないよ」
よく考えたら他の人には見えないのだから、彼女を連れていたら誰もいないのに会話する変人と思われるかもしれない。
僕は彼女に留守を任せ、酒場へと向かう。
しかしその歩みは村の中央広場で止まることになった。
☆
何人かの人間が井戸のある中央広場に集まっていた。
そしてそこには昨日の酒場の給仕の女性もいた。
「……どうかなさいましたか?」
声をかけると彼女は笑顔を見せてくれた。
しかしその表情にはどこか陰りがある。
「井戸がね……枯れたんだ」
……この喉の渇きを潤すことは、しばらくできそうになかった。