19.拾いものはなんですか
「うぉぉおおお!」
ロープを掴んだ腕が猛烈に引っ張られる。
その先には輪っかを首に引っ掛けたヒポグリフ。
僕は今、ピンチに陥っていた。
少数のヒポグリフの群れが村の近くにいるという話を聞いたのが数時間前。
口の中でお肉の味を思い出しながら、ヒポグリフを捕まえるべく僕はやってきた。
しかし――。
「クエー!」
「ひえぇ!」
軽々捕まえて村に連れ帰るつもりが、当然のように力で競り負ける。
ヒ、ヒポグリフってこんなに力が強かったのか!
知識としては知っていたが、以前あっさり追い払えたことですっかり油断していた。
走りながらバッサバッサと翼を動かし始めるヒポグリフ。
ズザザザっと地面を引きずられる僕。
ロープ! ロープを放さないと!
絡まっ! 絡まって……はずれな……はず……はずれたっ!
しかしすでに足は空中に浮き始めている。
ま、まずい! ここで放したら――!
「ぎゃーー! 助けてー!」
宙吊りになるようにヒポグリフにぶら下がる。
体が浮遊する感覚に腹の底から叫び声をあげた。
「……はいはい。お姉ちゃんがついてますよー」
背中に柔らかい感触。
「サ……サナトー!」
天狗の妖怪サナトだ。
彼女はその背中の両翼を羽ばたかせながら、僕の脇に腕を回した。
サナトにそっと抱えられて、ロープを手放す。
ヒポグリフはそのまま大空の彼方へと消えていった。
「し、死ぬかと思った……」
安堵に胸を撫で下ろす僕をゆっくりと地面に降ろしながらサナトは笑う。
「頑張ったね、若くん。えらいえらい……」
サナトに褒められながら僕は腰が抜けてその場に座り込んだ。
うーむ、そうそう簡単には捕まえられないか……。
何か作戦を考えなければ……。
頭の中で考えを巡らせていると、サナトが後ろを振り返る。
「――あら?」
彼女の背後にそれはいた。
「くぇー」
高さは膝ほどぐらいだろうか。
それは小さなヒポグリフの子供だった。
羽はまだ小さく、よたよたと歩いてサナトに近付く。
「くぇぇ」
その足にすがりつくように、小さな頭を擦り付けた。
背中の羽を見て同じ種族だと勘違いしているのだろうか。
「あらあらー?」
サナトはその瞳をキラキラと輝かせながら、中腰になってヒポグリフの子供を撫でる。
「きゅぅー……」
そのヒポグリフの子供は目を閉じながらくすぐったそうに声をあげた。
サナトは笑いをこらえるように若干震えつつ、ぎゅっとその子を抱きしめる。
「くえっくぅー」
ヒポグリフは喜んだように反応した。
「……若くん……」
サナトはこちらを振り向く。
「お姉ちゃん、この子飼いたいなぁ……?」
「え、ええ……?」
ヒポグリフは温厚とは言え、雑食だ。
人を餌にすることもあると言われている。
果たして人に御しきれるのだろうか……。
「ね……若くん。いいでしょう?」
サナトはじっと僕の目を見つめて首を傾げる。
「……確かに食料に余裕はあるけど……」
「きゅぇっ、きゅ?」
ヒポグリフはサナトの真似をしてこちらを見つめる。
う……。
その愛らしい瞳は心を直接殴りつけるようなインパクトを僕に感じさせた。
「……きちんと、面倒を見るならいいよ」
「……やったぁ。若くん、いいこいいこ……」
優しくサナトに抱きしめられる。
ヒポグリフもそれに続いて僕にタックルした。
☆
「あら、晩御飯の食材ですか? 主様」
「ハナちゃん……!?」
玄関の前。
ヒポグリフを見て包丁を取り出したハナに、サナトがその子をかばうように抱きしめた。
「サナトが拾ってきたんだけど、飼おうかと思って……」
「なるほど、たしかに育てた方が食べがいがありそうな――」
「ハナちゃん……お肉から離れましょう……?」
「冗談です」
サナトの言葉にクスクスとハナは笑う。
しかしサナトにしてみれば同じ翼を持つ者ということで、いろいろと思うところがあるのかもしれない。
「たしかにヒポグリフちゃんのお肉は美味しいけど……」
そうでもなかった。
もう食べてたのか……。
「……まあ、成長したら農耕馬として働いてもらうのもありかもしれないね」
僕はそう言ってヒポグリフを撫でる。
カシャはいるものの、その負担を分散することができるかもしれない。
「くえー?」
ほんのりと生命の危機を乗り切ったこともつゆ知らず、首を傾げるヒポグリフ。
「お湯を沸かしますね。一度体を洗ってあげましょう。……あ、そういえばお名前は?」
「あー、そういえば決めてなかったなぁ……。サナトが決めるかい?」
僕の言葉にサナトは頷く。
「じゃあ……うーんと……シャナオウ……とか、どうかしら……?」
「シャナオー?」
僕が聞き返すと、ヒポグリフは「クエー!」と鳴く。
「……どうやら気に入ってるみたいだし、いいんじゃない?」
「……ふふ。よろしくね、シャナちゃん」
サナトがシャナオーに抱きつくと、くぇぇと声をあげて喜んだ。
☆
翌日、シャナオー用の簡素な小屋を庭先に作る。
小屋というよりはただの仕切りと屋根ともいうべき悲惨な出来ではあるが、最近は僕の大工姿も板についてきたんじゃあないだろうか。
シャナオーにはいろいろと躾けなければいけないことがある。
躾けができなければ、人との共同生活なんて無理だろう。
本当ならそのへんはサナトに任せたかったんだけど……。
「シャナちゃんはお姉ちゃんとお風呂入るんだよねー。よしよし、いいこいいこ」
……ずっとこんな調子なので、あてにはできない。
ちなみにシャナオーは女の子だったので、羨ましいだなんて思ってないぞ。
本当だぞ。
というわけで僕はサナトに協力して、シャナオーの面倒を見ることにした。
甘やかし担当のサナト。
躾け担当の僕。
うーむ、貧乏クジだ。
これ成長したら僕だけ嫌われるやつなのでは?
しかし間違っても、彼女が村の畑を荒らしたりしては飼うことなんてできない。
屋敷の中で粗相でもしたら、怒ったハナによりその日の食卓に上がることになるかもしれない。
そんなわけで、今日はロープで作った首輪をシャナオーにつけて散歩をしていた。
シャナオーはまだ小さいためか何にでも興味を示してつつきまわる。
石をつついて首を傾げ、虫をつついて驚き。
……なかなかに愛らしい。
そんなシャナオーに引きずられるように荒れ地を散策していると、またも彼女は何かを見つけたのか岩陰をつつきだした。
「おいおい今度は何を見つけたんだ~? 蛇とかには近付いちゃあダメ……だ……ぞ……」
それが何かを認識して言葉を失った。
そこには力無く横たわっている者がいた。
人ではない。
魔族。
それはゴブリンと呼ばれる下級魔族だ。
身長1メートル程の、鼻と耳が尖っていて目の大きい魔族。
頭が悪く、そのぶん人族や上級魔族より野蛮で暴力的らしい。
――死体か?
シャナオーがつつき続ける中、おそるおそる近付く。
……息がある。
しかし意識は無いようだった。
「……さて、どうしたものかな」
☆
「……主様」
屋敷の多数ある客間の一室。
そこでハナがじとりと僕を見つめた。
「ご、ごめん」
つい目を逸らす。
「……いえ。主様は優しいお方ですから」
ハナは笑って溜息をついた。
怒ってはいないらしい。
「随分と肌が緑色の方ですが、この方は……?」
「……ゴブリン。下位魔族で獰猛らしいから気をつけて」
「……ドワーフさんの次はシャナオウちゃん、その次はゴブリンさんですか……」
呆れたようなハナの言葉。
僕が思わずそれに苦笑すると、ベッドの上に寝かせていたゴブリンが身をよじった。
「ウ……アァー……?」
彼は寝ぼけたように目をこすりつつ起き上がる。
周囲の様子をぼんやりと見回した後、こちらに気付いて声をあげた。
「な、なンだー! お前ラ! ニンゲンだー?」
彼はしわがれた高音を発して驚いた。
「……僕はセーム。君が倒れていたから連れてきたんだけど……もしかして迷惑だったかな……?」
「倒レ……? ソウだ! キングのやつ! オレぶった! 許セない! オレ悪いコトしてナイのに!」
一人ぷりぷりと怒り出す。
一応言葉は通じるようで、少し安心する。
「……君はどうしてあんなところにいたの? よかったら聞かせてくれない?」
僕の言葉を聞いているのかどうかわからないが、彼は自身の鬱憤を晴らすように事情を話し始めた
「森で薬草採ってタ! オレ頭良いカラ! そしたら帰り道デ、怪我したバイソンいた! 痛いの可哀想ダった……」
この辺にはマダラバイソンという、茶色のまだら模様をした獰猛な牛が生息している。
気性は荒く、特に繁殖期は馬車ごとその大きな角で粉砕されるような事故も毎年発生していた。
彼はそんな怪我をしたバイソンの手当をしたらしい。
ゴブリンは頭が悪く、人の心は理解できないと本に書いていた。
しかし彼は怪我をしたバイソンに同情したのだという。
……もしかすると理解していないのは、僕たち人間の方なのかもしれない。
そんなことを考えている僕をよそに、彼は言葉を続ける。
「ソレで、薬草使った。そしたらキングに怒らレて、殴られタ。あンまり強く殴ルから、逃げ出してきタ……」
彼は目に涙を溜める。
うーん、その話が本当ならちょっと可哀想だ。
「そっか……。それでその、”キング”に殴られて君は怪我をしていたんだね」
キングとは彼らの群れのリーダーなのだろう。
……彼を保護したらエリックに怒られるかな……?
バ、バレなきゃいいかな……?
いや、そもそも現在魔族とは休戦中だ。
手荒な扱いはしちゃいけないはず……。
僕はひとり頷く。
「……もし良かったら、怪我が治るまでここにいるかい?」
僕の言葉に彼は笑みを浮かべる。
「いいノカ!? ヤッタ! お仕事サボれる!」
そんなに待遇が良くないのだろうか。
「……君はどこから来たの?」
北西の魔族の街からだろうか。
しかしかなりの距離があるので、迷ったにしては距離が離れすぎている気もする。
「オレ、盗賊団! 色んなとこ行って、馬車トカ旅人襲う!」
「え……?」
「今度、村、襲うタメに来た!」
彼はあっけらかんとそう言った。
☆
「……で、そのゴブリンを捕まえたと」
酒場にみんなを集めて事の顛末を説明すろと、エリックは眉間にシワを寄せてそう言った。
なお問題の張本人は今はカウンター席に座っており、出された料理をパクパクと口に入れている。
「ンンメェェ~!」
彼は自家製のワインを混ぜ込んだワインパンと干し肉、芋のスープを順々に食べていく。
どれも簡単な物だが、それぞれ素材の旨味が凝縮された自慢の一品だ。
「……悪いヤツじゃ無さそうでしょ?」
僕が彼を指して笑うと、つられるようにマリーも笑った。
「確かに。少なくとも嘘はつけなそうだ」
マリーの言葉にエリックは溜息をつく。
「まあ面倒見るのはまだいいにしろ、盗賊団だって……?」
エリックは頭を抱える。
そんなエリックの様子を見て、ゴブリンは元気に声をあげた。
「そウだ! オレ盗賊団! でも……下っ端……。毎日殴らレて……辛イ……」
過去の出来事を思い出したのか、すぐに生気が抜けたように縮こまる。
心が憔悴しているのかもしれない。
エリックもそれを見て少し同情したのか、複雑な表情を浮かべた。
「……演技だったりは……しないよな……?」
注意深くエリックがその様子を観察していると、ゴブリンは突如何かを思いついたように声をあげる。
「……アッ! ソウか! コノ村! キングに報告シタら褒めラレる!?」
彼の言葉に、エリックは毒気を抜かれたように言葉を失った。
苦笑しつつ僕は彼に忠告する。
「それはやめといた方がいいと思うヨー。また殴られるヨー」
「アー! そっカー! オマエ頭良イナー! 優しイし! 気に入ッたぞ!」
僕の言葉に心底感心したようにそう言って、彼は再び食事に戻った。
その風貌と違い、よく咀嚼してじっくり味わって食べている。
「……ムジャンはどう思う?」
黙って座っていたドワーフのムジャンに意見を聞いてみる。
彼は魔族たちの街で暮らしていた。
それなら彼らの事情に詳しいはずだ。
僕に聞かれて、彼はゆっくりと口を開いた。
「魔族は憎い……と言いたいとこだが、正直オレらもゴブリンどもについてはそこまで悪い印象は無ぇ」
ムジャンは腕を組んだ。
「いけ好かねぇゴブリンもいるが、大抵のゴブリンは俺らと同じように奴隷みたいな扱いをされてやがる。そんな状態だとよ、仲間意識みたいなもんができちまうんだわ。意思疎通もできるし、奴らも奴らで情みたいなもんはある」
「オカワリ!」
ムジャンの言葉を遮るように彼はお椀を差し出す。
マリーは苦笑しつつ、それを受け取った。
「……まあ頭は悪いがな。遠慮も知らねぇ。だが付き合い方さえきちんと考えれば、共存はできる」
ゴブリンを見た。
彼自身は危険でないというなら、残った問題はその盗賊団についてだ。
……それなら。
「……ねえ君、名前は?」
「ガスラク!」
元気よく彼は答える。
「そうか、ガスラク。一つ相談があるんだけど、君ここで暮らしてみない?」
僕の言葉に、彼を含めたその場の全員が目を見開く。
「オ、オオゥ……? ここ……デ?」
「この村に住めば毎日お腹いっぱいごはんが食べれるよ」
「エッ!? そンな夢みたいなコト、本当にあっていいノカ……!?」
僕の言葉に彼は大袈裟に驚く。
「本当だよー。毎日言われたお仕事をすれば、三食昼寝付きで殴られることもないよー」
「エェェ!?」
彼は椅子からずり落ち、驚きのあまり口を大きく開けた。
「昼寝マデ……!? こ、ここハ天国……?」
「僕たちの言うこと聞けるなら保証するよー。今ならサービスで住処も付くよー」
「住ム! ここ住ム! オ前ボスか!? 靴舐めルか!?」
襲いかかるような勢いで、ガスラクは僕の足元にしがみつく。
「舐めなくていいです……。でもね、今ひとつこの村には問題があるんだ」
「モ、問題……?」
彼は恐る恐る尋ねた。
僕は中腰になって、彼の目線の高さに合わせる
「そう。近々盗賊団に襲われるんじゃないかって話があってね……。襲われたら村が滅んでしまう」
「困ル! オレの安住ノ地! フルサト!」
いつから君の故郷にまでこの村は格上げされたんだ……。
いや、そういう気持ちで住んでくれるならそれに越したことはないのだけど……。
「――それなら、協力して欲しいんだ。この村を救えるのは君だけだ」
「オレ……だけ……?」
彼は首を傾げる。
「そう! 君だけ! 君だけがこの村を救う英雄になれる! 勇者だ!」
僕の言葉にしばらく考えた後、彼はその瞳を輝かせた。
「……ナル! ボス! 命令クレ! クダサイ! オレ勇者なる! チヤホヤされたイ!」
彼は元気よくそう答えた。