14.ゴーストの取り分
「ゴーストの声が聞こえたんだ。”お酒を飲んでみたい”って」
「嘘を言うんじゃない!」
父に叱られてすごすごと部屋に戻る。
乳母にお酒をねだるところを見咎められたためだ。
墓場で出会ったゴーストは、確かにそう言った。
要望を口にするゴーストなんて出会ったのは初めてだった。
しかしお酒も嗜好品。
子供にはまだ早いと大人たちは分けてはくれない。
特に父上は深酒こそすることはないもののお酒が大好きだし、その製造には敬意を払っている。
味もわからない子供が無駄に消費することを見過ごしはしないのだった。
そもそもゴーストの声なんて、僕以外の人には聞こえないのだし。
幼い頃から同世代の子供たちにも、嘘つきだと何度もバカにされた。
それでも、僕には聞こえたんだ。
せめて彼らの声が恐ろしいものだったなら、僕は怪談話の名手となれていたかもしれない。
しかし彼らが話す言葉は、生前の意識の中から最期まで偶然に残ってしまったものになるらしい。
誰かが調べたわけではないが、僕の経験から言えばおそらくそれで正解だと思う。
例えば復讐の半ば倒れた冒険者でも、意識を失う直前に「あれ洗濯物取り込んだっけ……」という想いが強く残ってしまえばそれがゴーストの言葉になるようだった。
だいたいは「死にたくない」とかがほとんどだけれど、稀にかわいそうになるぐらい変な言葉を言うゴーストもいる。
僕はお酒を諦めて、部屋で本を読む。
本だけが僕の友達だった。
なぜなら、父上や乳母は厳しいし――。
バン! と勢いよく部屋の扉が開かれる。
「いよう! 元気しているか!? 我が弟よ!」
借り揃えられた短髪、少年の身でありながらも鍛えられた筋肉。
「話は聞いた! さあ行くぞ! ついてこい!」
――兄は、僕とはぜんぜん違う世界の住人だったし。
☆
兄貴に強要されて自家製の果樹園からブドウを盗み出してくる。
うわーん、またあとで怒られるのは僕なんだ。
兄貴は怒られそうになるとさっと消え失せる。
その危機感知スキル、僕にもわけてください。
僕がキッチンに戻ると、そこには大きな革袋を用意した兄貴が待っていた。
「遅い! バレたらどーする!」
どーもこうも怒られるしかないでしょう。
ああ窃盗だなんて、貴族ともあろうものがこんな悪いことに手を染めてしまった……。
「ほらぶどうの茎を取り除け。そしたらこの中に入れて潰すんだ」
言われた通り、茎から果肉を外して皮ごと放り込む。
二人でプツプツと地味な作業をしていると、後ろから声がかけられた。
「甘いぞ! 愛しの弟たちよ!」
どこからか現れてその長髪をフサァとなびかせるのは、五つ年上の兄上だ。
「いいや、むしろ甘さが足りない! ここは砂糖も入れるべきなのだ!」
彼は問答無用で荒い粒子の砂糖をザザーッと流し込む。
「よし!」
そうして果実と砂糖を袋に詰めると、兄貴は僕に木の棒を渡した。
「叩き潰せ!」
兄上と兄貴に急かされて、僕は袋を置いて木の棒で叩きつける。
口を閉じてればたぶん漏れてはこないだろう。
グシャッ、グシャ。
しばらく叩いた後に疲れ果ててその場に座り込む。
そこそこ実は潰れたはずだ。
「よしこれで二週間ほど待つ」
「長ぇ!」
兄貴は兄上の言葉を無視して、革袋を口に運び一口。
「うまい!」
兄貴は僕に袋を渡す。
僕も指を入れてそれを一舐め。
「……ぶどうジュースだ」
甘酸っぱくておいしかった。
☆
兄に言われた通り封をしてしばらく放置したその袋を持って墓場へと向かう。
中身は確認していないが、本当にこんなものでいいのだろうか?
ひっそりとした墓場の中、そのゴーストは変わらずそこにいた。
墓石の前でふわふわと漂っている。
直接浴びせるのもなんだか違う気がして、僕は革袋の中を彼女の下の墓石にぶちまけた。
赤紫の液体が白い石を汚す。
……うーん、後で父上に怒られるかな。
そんなことを考えていると、そのゴーストがこちらを向いた。
驚きに身体を震わせるが、ゴーストはこちらの様子に構わずスッと近づいてくる。
足がすくんで動けなかったが、彼女は僕の目の前で止まった。
「……ありが……とう……」
ゴーストは小さな声でそう言ったあと、その透けた体をどんどん薄くしていった。
ありがとうありがとうと、何度も何度も呟く。
それはしばらくすると消えてなくなり、その場には最初から何もなかったかのように静寂が広がる。
ぼんやりと何もなくなった空間を見つめていると、いつからそこにいたのか兄上が声をかけてくる。
「ほう、魔法も使わずゴーストを退治したのか」
「……わかんない」
もしかするとどこかに行ってしまっただけなのかもしれない。
「何、白魔法で退治するときだろうと、ああも穏やかには消えぬだろうよ」
兄上は一部始終を後ろから見ていたらしい。
「ありがとう、セーム」
兄上は礼を口にする。
全然そんなものは必要ないのだけど。
そうしたくなったから、しただけだ。
「……いいか、セーム。お前は私たちが持っていない物を持っている」
兄上が数歩歩いて、空を見上げた。
「お前はゴーストの声を聞くことができる。だがそれだけではない」
空を見上げたまま、彼は目を閉じる。
「魔法の才や剣術の才が無かったとしても、それを持っていないということもまた、お前の持つ力となるのだ」
なんだか自分の世界に入り込んで、思わせぶりなことを語りだす兄上。
「それは役に立たないと今は思うかもしれないが、必ずやお前の身を助ける日が来る」
難しいことを言っていてよくわからない。
この状態を僕と兄貴は”兄上の面倒くさいモード”と呼んでいた。
こういう時の兄上は放っておくことに限る。
しばらく空を見上げた兄貴は、満足したのか僕の方に向き直る。
「……さあ、別れの挨拶は済ませたか? あまり長居する場所でもない。用が済んだなら帰ろう」
僕は頷き、兄上のあとに続いた。
ばいばい。
☆
ドアを叩かれる音で目を覚ます。
「あら、主様。起きておられましたか」
扉をあけてハナが入ってきた。
「……おはようハナ。もう朝か……」
「もうお昼近くですよ。昨日はおつかれのご様子でしたしね」
農業が軌道に乗ってきたが、今度は食べきれない量の食物ができてしまった。
もちろん少ないよりは良いのだが、腐らせる前に防腐処理をしなければいけない。
早めに加工をしなければと、昨日は少し張り切りすぎたらしい。
眠い目をこすりあくびを一つ。
どうやら懐かしい夢を見ていたようだ。
兄達のことを振り返る。
今頃二人とも、どうしているだろう。
元気にしていればいいのだけど。
夢は今から十五年ぐらい前の話だったかな。
詳しくは憶えていないが、あのあと庭のブドウを盗んだ罪で三人とも怒られた気がする。
「……懐かしい夢を見ていたんだ」
僕の言葉にハナは微笑む。
「良い夢であったのならば幸いです。まだ召喚されてはいませんが、獏や枕返しなど夢に関する妖怪もいるので何かあったらご相談ください。悪戯好きな子たちですが悪い子ではありませんよ」
「……そういえばハナも前のこの家の主人には悪戯してたんだっけ?」
「あ、あはは……。どうしても気付かれなかったので……」
そっとハナは目をそらす。
まあ僕も小さい頃は悪戯ばかりしていたので、何か言える立場ではないのだけど。
……ああ、そうだ。
昔の悪戯といえば――。
「……そういえばハナ、この家の地下室って改装してもいいのかな?」
「地下室ですか? たぶん大丈夫だと思います。前の主人は魔法の研究に使っていたですが……」
地下には地下牢や本棚があった。
しかし他にめぼしいものはなく、おそらく必要な物は前の持ち主が既に持ち出してしまったのだろう。
「……今度は何をするんです?」
ハナは期待するような表情を浮かべる。
毎日変化のある日常に、ハナも楽しんでくれているのだろうか。
「ワインを作ろうかなって。ブドウが結構実ったからさ」
帰らずの森から持ち帰った果物の中では、ブドウが一番この土地に合うらしかった。
ノームの一件で急成長したブドウは、いくつかの樽を埋めるぐらいには収穫できた。
収穫したばかりだというのに、もう次の果実が実り始めている。
ノームの力、恐るべし。
他の野菜や果物もある中、ブドウが腐る前に村だけで消費するのは難しいだろう。
なので腐る前にワインを作れないかという魂胆だ。
聞きかじった知識しかないが、小分けにして色々試してみるのもいいかもしれない。
「素敵なお考えだと思います」
ハナはにっこりと笑ってくれた。
「ハナはお酒は飲むの?」
僕の問い掛けに、ハナはくすりと笑みを浮かべる。
「……どっちだと思います?」
ううん。
なかなかに難しい。
「……ワインが完成する日まで、楽しみにしておこうかな」
「……はい、ではその時に」
僕の答えに、ハナはクスクスと笑った。
「……さ、主様。それではお着替えになってご朝食を。今朝の献立は青キャベツのスープとお肉和えマッシュポテトです」
そういえばお腹が空いた。
僕は起き上がると背伸びをする。
窓から差し込む光が、僕とハナを照らしてくれているようだった。
――今日も、楽しい一日が始まる。