12.荷馬車の車窓から
「人を呼んでくる! 血清があればいいが……!」
「酒場に行ってこい! あるとしたらあそこだ!」
御者が馬車を降りて駆けていく。
頭がグラグラと揺れた。
――ああ、私はここで死ぬのだろう。
思えばそんなに悪い人生でもなかった。
若き頃から領主に仕え、国のため民のためこの身を粉にして働いてきた。
今は民に嫌われる徴税人の仕事をしているが、それも誰か知識のある者がやらねばならない必要なことだ。
しかしできれば最期にもう一度、孫の顔が見たかった……。
揺れる頭でそんなことを考えていると、視界に顔が映り込む。
それは一人の少女だった。
どことなく孫に似ている気がしないでもない。
さてはとうとうお迎えが来たか、とぼんやりと見つめていると、彼女は突然踊りだす。
シャカシャカシャン。
シャカシャカシャン。
ああ、幻覚が見え始めたのか。
その少女は両手に一対の楕円の棒を携え、奇妙な舞を踊る。
シャンシャンシャン、シャンシャンシャン。
シャンシャンシャカシャカシャン!
ついにはさきほど毒蛇に噛まれた痛みも感じなくなってきた。
そろそろ死期が近いようだ。
最期に思い残すことはないだろうか。
――ああ、そういえばお坊ちゃまの顔を見ておきたかった。
大恩ある主人の子。
十年以上前に一時だけ教育係をしていたことがある。
勉学は苦手のようであったが、自由で思いやりのある子だった。
今、彼はどうしているだろうか。
「ふー。なかなかの強敵だったです」
ひとしきり舞って満足したのか、額の汗を拭って少女はどこかへと去っていく。
彼女は死神か何かだったのかもしれない。
ぼんやりと空中を眺めていると、その蛇に噛まれた足が感覚を取り戻していることに気付く。
「……ん?」
足を動かすと何なく動く。
上半身を起こす。
さきほどまであった倦怠感はまるで無い。
突然の自身の体の変化に首を捻った。
これはまさか、私は死んでしまったのではないだろうか。
自身の身体を抜け、霊魂として彷徨うことになったのでは……?
身体が軽い。
馬車の外へと出てあたりを見回す。
暖かな日差しを注ぐ太陽が、少しまぶしかった。
☆
「これ、今期の帳簿と税金だ」
村を取りまとめるエリック氏が貨幣の入った革袋を差し出す。
この村は主な産業が鉱山のわずかな金しかなく、収支が少ない。
普段から役人を置かずにその裁量に任せているのは、それぐらい取れる税金が少ないからだ。
魔族との領土戦争における拠点としても、この地の金鉱山は抑えておきたい。
しかし住人全てを養う金もない。
そこで数十年前、時の領主は開墾を奨励しつつ行き場のない者をこの地に誘致して開拓村を作った。
税金を安く抑える代わりに、支援は最低限に自分達で生活していくことを条件としたのだ。
その試みは当初は成功していたのだが、昨今の経済事情ではそろそろ村の生活は厳しくなるのではないかと思われていた。
だが渡された袋は想像以上に重い。
最悪の場合は徴収せずとも良い、とまで領主に言われてきたが、どうやら杞憂だったようだ。
「金の産出量が増えたので?」
私の問いに、エリックは頷く。
「産出自体は増えてないが、みんなやる気を出しててな」
噂によれば、彼も妻を娶ったらしい。
国全体が不景気に困窮する一方、この開拓村は活気に溢れているようだった。
「喜ばしいことですな」
つい笑みがこぼれる。
国全体がこのようになればいいのだが。
そういえば先程外を見た時、ところどころに畑が見えたことを思い出す。
「農業も始めたのですかな? ……ああ、自家製の作物はもちろん税の対象外なのでご安心を。他方と取引する場合はまた別なので、表立ってはやらないように。もし売買できるほどに十分な量が収穫できるようであれば、こちらにお知らせください」
「ああ、ありがとう。そのときはまた声をかけるよ」
飴と鞭……というわけでもないが、厳しくするだけでは税金の徴収は難しくなるだけだというのは身をもって知っている。
腕に覚えのある者や力のある圧制者ならまだしも、わたしのような老体には厳しい。
「畑は……村の賢者サマのおかげでな」
そう言って彼は笑う。
「――賢者?」
私は彼の言葉を聞き返した。
☆
エリックが笑いながら「実際に見てみたほうがいい」と勧めてきたので、村を見て回ることにする。
農作業に精を出す女たちから話を聞く。
街からやってきた賢者が、農業を彼らに勧めたらしい。
曰く、水の無い地に恵みの雨をもたらしただとか、一夜にして荒れ果てた地を耕しただとか。
眉唾物としか思えないその逸話に、眉をひそめる。
おそらく噂に尾ひれがついているのだろう。
流れの魔道士でもやってきたのだろうか。
そのような者の中には、神の名を騙り反乱を扇動する者もいる。
最悪の事態にならないよう、その者の素性ぐらいは確かめておかねばなるまい。
そう思い彼の住む館へ続く道を歩いていると、鉄人形のような鉄で出来た車両が畑を走っていた。
どうやら次々と作物を収穫をしているらしい。
その技術力に感心する。
あれも賢者とやらの仕業だろう。
そこから察するに、たしかにその腕は奇跡とも言うべき技術を持っているのかもしれない。
俄然、興味がわいてくる。
村の住人の話を総合すると、それなりに人格者でもあるとのことだった。
素晴らしい人材であるなら、領主殿に上申して登用すべきだろう。
更に彼の屋敷へと歩みを進める。
そこで私は信じられない者を目にした。
金色の髪に白い翼。
一目でわかった。
天使だ。
その天使が館から飛び立ち、どこかへと飛翔していく。
思わず私は手を重ね祈る。
おお、神よ。
この地には神の祝福がもたらされたのだ。
もしやあれが水を司ると噂されている、精霊の姿なのかもしれない。
☆
そうしてその屋敷の戸を叩くと、中から一人の若いメイドが出てきて私を迎えてくれた。
どうやら主人はちょうど出かけており、家にはいないらしい。
そのうち帰ってくるだろうとのことで、私は失礼して中で待たせてもらうことにした。
リビングに通されると、品の良い家具が私を出迎えてくれる。
よほどの職人が作ったのだろう。
家具一つ一つがこの館の主人の品格を表しているかのようだった。
「こちら……お口に合うかわかりませんけど、どうぞ。この村で取れたものも使っているんですよ」
メイドの少女が皿に乗った料理を私に出してくれる。
パンの一種だろうか。
薄く伸ばしたパン生地で、何やら粘性の高い黒い粉末を包み込んでいる。
礼を言ってそれを口にする。
パイ生地が裂けるような乾いた音が響き、その香りが口の中にいっぱいに広がった。
皮はさっくり、中はしっとりとした感触をしている。
麦の甘い香りが広がると同時に、中の黒いソースの風味が鼻の奥へと広がる。
「村で取れたあずき豆を砂糖を加えながら煮詰めて餡子にして、それをパン生地で包んでみました」
形はなくなっているが、これは豆か。その芳ばしい香りが広がり、甘く味付けされたソースの口当たりがさっと溶けるように舌の上に広がる。
それは馴染むようにパリパリとした薄いパン生地と絡まり、優しい甘さを口全体に感じさせた。
「これは……他では食べたことがない味です。大変興味深い。いやはや、なかなかの味わいです」
「ありがとうございます。アンパンと言う料理です。ちょっとアレンジはしてますけど」
少女は私の反応が嬉しかったのか、くすくすと笑った。
アンパン。
甘味としてのパンの味わい方は、この歳になってもワクワクする。
自ずと笑みがこぼれた。
この館の主人は、メイドに対する客人への持て成しも十分教育しているようだ。
きちんとした礼節を持った立派な御方なのだろう。
私の中には今や彼に疑いを持つ心は消え失せていた。
ここまでの品格を持つ御方なのだから、もしかしたら高貴な血筋だったりするのかもしれない。
私がそのメイドからの歓待に満足していると、屋敷の入り口から物音がした。
どうやら館の主人が帰ってきたらしい。
少し緊張しつつ立ち上がる。
いったいどのような御人なのだろうか。
身だしなみに失礼がないかを確認する。
そうして待ちわびていたところ、部屋に入ってきたその姿を見て私は驚愕の声をあげた。
☆
「お坊ちゃまぁぁぁ!?」
「うわーーー! アムダレッド先生ーーー!? なんでここに!?」
思わず叫んでしまう。
なんで屋敷に帰ったら先生がいるんだ。
僕が鉱山の視察から屋敷に戻ると、そこには十年以上前の教育係……アムダレッド先生がそこにいた。
すっかり老け込んでしまったようにも見えるが、その面影は変わらない。
むしろ彼が僕のことを憶えていたことのほうが驚きだ。
それにしても、この先生はめちゃくちゃ厳しかったんだよな。
何度も授業をサボっては怒られた。
今でもしっかりと彼のことを覚えているのは、その時の印象が強く残っているからだ。
しかしそんな先生がいったい何故ここに?
もしや十年越しの宿題の提出とか……?
そんな風に昔のことを思い出していると、彼はとつぜん膝から崩れ落ちた。
「お坊ちゃま……お坊ちゃまがまさか、これほどの方になっておられるとは……」
「え、ええ……? どういうこと……?」
突然そんなこと言われても、状況が飲み込めない。
そんな崩れ落ちるほどのダメ人間ってこと……!?
「さすが領主様のご子息であらせられる!」
「ええ……」
父と並べられてもあんまり嬉しくない……。
というか僕と並べることは父上をバカにすることになるのでは……?
僕はべつにいいけど……。
しかしアムダレッド先生を見るとなにやら涙まで流し始めている。
「せ、先生。とりあえず落ち着いて。僕、そこまで怒られるようなことしましたっけ……?」
「いいえ! 滅相もありません! あなたの所業はすべてお父上にご報告させていただきますので!」
「え、えええ!?」
ちょっと待ってちょっと待って!
僕、父上に景気良く追い出されてから、まだ一銭も稼いでない!
もう数カ月は経つというのに村の人達や妖怪のみんなに甘えてまともにお金も稼いでいないなんて知られたら、いったい今度はどんな反応をされることか!
「あ、アムダレッド先生! どうか! どうかそれだけは!」
僕も膝をついて懇願する。
「な、なぜですか!? セームお坊ちゃま!」
「……まだ、その時ではないということです……」
父上のことだ。
”家の名に恥の上塗りをし続けるお前はもう生かしてもおけん!”と暗殺者でも雇いかねない。
も、もうちょっとしたら本気出すから!
アムダレッド先生はハンカチを取り出し涙を拭う。
「……わかりました。あなたにも何かお考えがある様子」
「そ、そう! 考えてる! 凄い考えてるよ!」
考えついていないだけだから。
……考えてる、ナウ。
「ではこのことは私の胸に秘めておきます……」
良かった……。
何とか首の皮一枚繋がった。
「……それでは私は馬車で隣町へ行きますので、今日はこのへんで……。ご自愛ください」
「え、ええ先生こそ」
「お心遣い誠に感謝いたします。一時とはいえあなたの教育係となれたこと、忘れはしません」
……僕のことなんて綺麗さっぱり忘れてくださっても結構ですよ!
僕はそう思いながらも口には出さず、彼を見送った。
☆
馬車の中、アムダレッドは思い返す。
十数年振りに見たかつての学徒は立派になっていた。
当時から聡明な部分はあったが、今では人材にも恵まれ多くの人望を集めている。
彼は空を見つめ、天に祈る。
――どうか神よ、お坊ちゃまのことを見守りください。
荷馬車は彼の想いを乗せて道を行く。
その祈りを運ぶように、一陣の風が馬の頬を撫ぜた。