119.王都の暗部
「……ところでぬし様。あいつはどこだにゃ」
イセと共に三番街を歩いていると、彼女はそんな質問をしてきた。
僕は首を傾げる。
「あいつって、マグのこと?」
視線を逸らしつつ無言で頷くイセに、僕は現状を説明する。
「マグは今宿屋でナクアとに一緒にお留守番してるよ。……気になる?」
「なっ! べつに気にしてなんかないにゃ!」
僕の言葉にイセは慌てて首を振ると、口を尖らせた。
「あいつは弱っちぃから、そろそろ野垂れ死んだかと思っただけにゃ」
……それを気にするっていうと思うんだけど。
とりあえず情報も得たことだし、宿に戻るのも手かなぁ。
あと調べておきたいことは……。
「ああ、マグの働いていた場所も聞いておけば良かったな」
さきほどのチンピラは、マグが王子のお気に入りだという話をしていた。
だとしたら度々交流が会ったということだろうし、暗殺事件のときに彼女が働いていた場所が事件現場となった可能性もある。
そんなことを考えていると、突然イセが足を止めて一つの古い建物を見上げた。
「……それなら、たぶんここにゃ」
彼女の視線の先を見ると、そこにはひときわ大きく雑多な建物があった。
増改築がひたすらなされたのであろうその建物は、歪に拡張されて五階建てぐらいの高さになっている。
その増築された部屋のどの外観もがミスマッチで、まるで子供が積み上げた積み木のようだった。
「匂いがするんだにゃ。……懐かしくて、嫌な匂いにゃ」
僕はイセの言葉に鼻をひくつかせてみるものの、特段変な匂いはしなかった。
しいて言うなら、三番街特有の生ゴミのような匂いが風になってほんのり吐き気を刺激するぐらいだ。
きっとそれは猫又としての嗅覚なのだろう。
僕はイセの言葉に従い、その建物に近付く。
「入ってみようか。何か情報が聞けるかもしれない」
「……やめたほうが良さそうだけどにゃあ」
イセはそう言いながらも、僕に寄り添うようにして着いてきてくれた。
古めかしい引き戸を開けると、戸につけられた鐘がガラガラと鳴る。
「……おじゃましまぁす」
入った店の中は、ほの暗かった。
閉められたカーテンの隙間からわずかに差し込む日の光が、店の中を照らす。
カウンターにいくつかのテーブル。
そこはまるで寂れた酒場のようで、その奥には長い煙管を持った女性が座っていた。
長い黒髪に黒のドレス。豊満なプロポーションと気怠げな瞳からは、妖艶さを感じる。
一瞬その女性に目が奪われたものの、後ろからイセに背中を小突かれて我に返った。
「――油断するんじゃないにゃ。妖術にゃ」
イセに言われて背筋を伸ばし気合いを入れた。
……そういえばイセは、誘惑の術の専門家だった。
気を抜いていては魅了されてしまう。
僕たち二人の姿を見て、その女性はこちらへと微笑みを向けた。
「……何か御用かしら」
「ええと、少しお話を聞きたくて」
女性の雰囲気に気圧されつつ、僕は口を開く。
「ここで働いていた女の子について、なんですけど……」
僕の言葉に彼女は目を細める。
そしてゆっくりと煙を吐いた。
「いないわ」
「……へ?」
聞き返す僕に、彼女は何でも無いように言葉を続ける。
「いないと言ったの。この店で働いている女の子なんていない。わかるかしら」
彼女の表情からは何も読み取ることができない。
場慣れしているのだろう、肝が据わっている女性だ。
僕は諦めて、質問の切り口を変えてみる。
「……このお店は、なんのお店なんです?」
僕の言葉に彼女は嗤う。
「見ての通りよ」
僕は部屋を見回す。
……酒場か、もしくは喫茶店か。
彼女はどうやら教えてくれる気はないようだ。
僕は交渉のやり口を変えてみる。
彼女の座るテーブルの前に近付き、その上に金貨を一枚置いた。
「すみません、僕はこの街に来たばかりで何もわからなくて。失礼を働いたのなら謝ります」
必殺、ひたすら下手に出る作戦!
彼女はチラリと金貨を見ると、それに触らず煙を吐いた。
「夜ならもっと賑わっているかもね。そのときは一人で来るといいわ」
「……わかりました」
僕は金貨を置いて、踵を返す。
どうやらタイミングが悪かったらしい。
「――一つだけ」
店を出ようとする僕に、声がかけられる。
「……どこから来たのか知らないけれど、獣を連れ歩くのはやめなさい。狩られても文句は言えないのだから」
「……ご忠告、ありがとうございます」
彼女に礼を言って、僕は外に出た。
イセは彼女を睨み付けつつも、一緒に外へと出る。
陰鬱とした空間から外に出ると、淀んだ三番街の空気でも清涼に感じた。
「ああいうタイプにはあまり関わらない方がいいにゃ、ぬし様」
「あはは。獣呼ばわりされて怒ってる?」
王都では獣人……というか、亜人に対する偏見が強く、法律でも人と区別されていることが多い。
女性の言葉は純粋な忠告だろうとは思う。
僕のそんな言葉に、イセは首を横に振った
「そういうわけじゃないにゃ。ただ、あまり良くないタイプの匂いがするのにゃあ」
「……わかった、気を付けるね」
僕はイセにそう答えながら、三番街を後にすべく歩き出す。
背中に少しだけ、どんよりとした街特有の雰囲気がこびりつくような気配を感じた。
☆
僕とイセはその後冒険者ギルドに寄って情報を集めようとするも、表向きには懸賞金の話は出ていなようで、身元もはっきりとしない僕では話を聞かせてもらうことはできなかった。
アルマ姫の名前では話は違うのかもしれないが、下手に姫の名前を出して迷惑をかけるようなことになっては申し訳ない。
名前を使わせてもらうにしろ、まずは協力を仰いでからだろう。
そうしているうちにすっかり日も沈んだ為、僕たちはナクアとマグを交えた四人で宿の食堂で食事を取っていた。
「……まずいにゃあ」
「どうしてもハナちゃんの料理と比べるとねぇ」
イセとナクアが交互にそんなことを言う。
……宿の人に聞こえないように小さな声で喋って欲しいのだけど。
僕の思いとは裏腹に、二人は言葉を続ける。
「王都のファッションを見てみたいと思ったのに、留守番だしぃ」
「ご主人に協力するのはやぶさかではないけど、ごはんだけが不満にゃあ」
食堂で出された料理は麦粥に葉野菜のソテーだが、たしかにどちらも味が良いとはいいにくい。
値段の割りには不味いとはいえ、庶民が口にするものとしては平均的なものだとは思われる。
……二人とも舌が肥えちゃってるんだろうな。
僕とマグはこの三日間、シャナオウの背中に乗って急いで王都まで飛んできたので、携帯食で済ませている。
冷めかけているとはいえ、作りたてのものを頂けるのは有り難くはあった。
「あ、ナクア。後でイセの耳を隠すようなフードを作って欲しいんだけど」
「おういぇい。了解」
僕はナクアに獣耳隠しの服装を依頼しつつ、イセと共に得てきた情報を二人に伝えた。
王子の暗殺犯として金貨二百枚の賞金がかかっていること、王都のマフィアたちも狙っていること、マグが働いていたと思わしき場所を尋ねてきたこと……。
ナクアもマグも、真剣に僕の話を聞き入る。
「マグ、今の話で何か心当たりや、気になること、どうしても伝えたいことはある?」
僕の言葉にマグは少し悩みつつも、首を横に振った。
それに僕は頷き、次の質問を投げかける。
「僕たちが行った三番街のお店は、マグの働いていたところ?」
僕の質問に彼女は頷く。
「……そこで何かがあったの?」
もう一度頷く。
……はい・いいえの二択でしか、何があったのかを聞けないのがもどかしいところだ。
僕は考えながら、言葉を続ける。
「ふむ……。冒険者ギルドにも行ったけど、マグのことは表向きでは捜索されていないらしい。王子の暗殺事件も公表はされていないようだから、当然かもしれないけれど」
王家からの力が働いていることは事実だろう。
「……明日はダメ元でアルマ姫に助けを求めてみよう。事情を説明したら助けてくれるかもしれない」
もしもアルマ姫がこちらを信じてくれなかったときのことを考えると、マグの存在は隠すべきか。その為に何かしらの作り話は用意しておくべきかもしれない。
僕に向かってナクアが口を開く。
「……って言っても状況が結構詰んでるよねー。無罪を主張しようにもマグちゃんがこの調子じゃまともに証言もできないし、一ヶ月前のことじゃ証拠も集められない。もし無実を証明できたとしても、こっちの裁判ってどうなってんの? 足に重り付けて水に沈めて、『浮き上がってきたら魔女だ』とかやってんの?」
ナクアの言葉に僕は苦笑する。
「そこまで酷くはないけど……大事件の場合は民衆、神官、貴族を招いて王様が判決する感じかなあ」
一般市民の前で行うので、市民感情に大きく反する裁決がされると王の評判に傷が付いたり、酷いときは暴動が起きてしまう。
それでいて法律に詳しい貴族や、神学に長けた神官も控えており、市民に説明したり王へ進言したりもする。
ただ王には採決権がある為強行することもでき……といった構図になっている。
要するに、王には権限があるもののそれを行使するには条件があるような形だ。
国の縮図として、民衆が納得する必要がある形式となっている。
「真犯人も見つけていない状況で裁判に持ち込まれたら、処刑されちゃうかもしれないね……」
暗い表情で言う僕に、ナクアが目を細めた。
「ご主人くん、ニールを殺すのは駄目だよ」
「わかってるよ、ニールは仲間だし……」
「そうじゃないの」
ナクアは真剣な表情で言った。
「……ナクアが来た世界はね、ハナちゃんとかがいた時代と違って、妖怪の力は衰退していたの」
それは以前、ユキにも聞いた話だった。
妖怪たちのいた世界は、場所こそ同じでも時代にズレがあったと聞いている。
「そのせいでこっちに来るときに、ナクアは別のものと少し混ざった。だからわかるんだけど……ニールは妖怪の中では特に別格なんだよねー」
彼女はニヤリとその顔に笑みを浮かべた。
「いい? ご主人くん。ニールが死ぬとき、王都は消滅するって考えた方がいいよ」
彼女の言葉に、僕は笑みを引きつらせる。
「……本気で?」
「大マジ。これは嘘じゃないよ。だからニールが死ぬぐらいなら、ご主人くんやマグちゃんが死んだ方がいい……とわたしは本気で思ってるし、そんな二者択一の状況に陥ったら、たぶんそっちを選ぶ。好きとか嫌いとかじゃなくて、単純に命の数の損得勘定としてね」
ナクアは怖いことをさらっと言ってのける。
だが彼女はシビアな反面、リアリストとも言える。
僕だって死ぬのは嫌だけど、大量の人々が死んでしまうのは勘弁してもらいたい。
王都が焦土になったら、まず間違いなくこの国は周囲の国から攻められて滅びるだろうし。
それは魔族の国との境界に接している、ロージナも他人事ではないことだ。
ナクアはイセから睨み付けられつつも、それを全く気にせずに麦粥のスープをすすった。
「まあご主人くんはそんなことしないって信じてるけどねー」
彼女の言葉に苦笑しつつも、僕は頷いた。
「……うん、ニールもマグも、何とかするよ」
僕はそう安請け合いしつつ、どうしたものかと悩むのだった。
☆
「ぬし様」
四人で部屋に戻り扉を閉めると、唐突にイセが口を開いた。
ちなみに隣の部屋も取っており、二人ずつ部屋を分けようとしていたところだったのだが――。
彼女は静かに言葉を続ける。
「ちょっと言うのが遅れてしまったけど、怒らないで欲しいにゃ」
彼女が少々言いにくそうに言葉を濁す。
……何か嫌な予感がする。
イセは恥ずかしそうに頬をかいた。
「どーも、わちきたち後を着けられてたみたいにゃあ……」
……え。
イセが申し訳なさそうに口を開く。
「いつからかはわからないにゃ……。時折人混みの中から殺気を向けられているのはわかってたけど、てっきりわちきが猫又だからかと思って流してたにゃあ。でも宿の中に入ってまで気配が消えないので、こいつぁやばいにゃって」
王都の亜人差別は根強い。
だからイセを責めることはできないし、そもそもイセがいなければ気付くことができないのでそれはむしろお手柄なのだけれど。
イセは目を細めて、窓を見つめる。
「うーん、囲まれてるにゃ。そろそろ来そう……あ、来たにゃ」
イセの声と共に、窓が割られて二人の黒装束の男が入ってくる。
――その手にはナイフ。
「……どうも、こんばんはぁ……」
僕は彼らに引きつった笑みを向けつつ、暢気に挨拶をするのだった。





