魔導士
世界は、神々が旅立ち数千年の時を経ていた。
そして、神族と呼ばれし神々が旅立った事により、この世界には動植物、人族、精霊族、魔族と呼ばれる存在が主に大陸を支配していた。
その中でも、気の遠くなるような時が立てば、繁殖力と進化の目まぐるしい人族によって大陸には様々な大小の国家が乱立する事となっていた。
だが、他の種族が失われたわけでもなく、動植物は人族と共存を、精霊族は人族と相容れることなく大陸の片隅に、そして一番の問題である魔族は人族も精霊族も動植物にも等しく狡猾でもって残忍な扱いをすることを好んでいた。
魔族と呼ばれし人々は、神族との相反する存在のように感じられるものだが、本来はもともと同じ存在であった。ただ、神族が世界から旅立つ時に、世界を維持する為の魔導力を世界に与えたことにより、世界だけでなく世界に存在する総ての物が、大なり小なり個体差はあれど魔導力を扱う事が可能になり、その中でも魔族に限っては負の魔導力そのものが塊となり具現化した存在という謎に満ち溢れ、今も昔も魔導力を行使する事が可能な魔導士達の解き明かすべき謎の一環でもあった。
そのため、この世界における唯一の巨大大陸の中央には、どのような個人も、どの国も支配することが出来ない、永世中立を謳う中立地帯が存在し、その北側を大陸における総ての魔導士を管理する魔導教会が治め、南側を大陸における最も歴史と権威ある宗教、カルティナ教の総本山が治め、日々悩める者には安らぎを、死ある者には癒しを、生あるものには祝福を与えていた。
ようは、魔導教会の方は物理的においての救済を謳い、カルティナ教の方は精神の救済を謳っているだけである。
だが、この二つの存在故に、神々が世界を旅立って数千年たとうとも、大陸は未だ現存する事が可能となっているのだが、魔導士や司祭達の本来の苦労は正しい真実として人々に届くことは永劫ないだろうという。このどちらかに、属する存在でなければ、その内面までも目に触れる機会がないともいうのだが。
◇◇◇
そんな世界の東南におけるある自治都市から、幻獣鎮圧の特使が魔導協会の門扉を叩く予兆が起こった。
通常、魔導士が行う仕事は基本、調停と呼び顕わされていた。
疫病の鎮圧であろうと、戦乱の仲裁であろうと、失せ物探しも警護も遺跡の調査も、魔導士たちにとっては総て調停という。
世界を存続させる為に魔動力を行使すること、すなわち世界を調律し、停滞を解くという意味を持つのだが、すでに記憶しているものは魔導士たちだけであった。
◇◇◇
冷たい冬の季節が過ぎ、春を迎えようとして植物が華やぎ始めた頃。
魔導教会の奥まった位置に存在する、中庭の一つ。
大きな樹の日陰に、直に地面へと寝転び惰眠を貪る存在がいた。
時折優しく吹く風に、見事な硬質的に見える銀髪を柔らかにさらわれながらも、白いマントを身体に巻き付けるように搔き抱きころりと寝返りを打つ。
マントを握りしめる指には、大きな黒曜石を金で縁取りした指輪が嵌められ、魔導士であれば右の魔導である黒の序列の最高位に位置する者だと判る。もう片手には、黒曜石より僅かに小さい白水晶を銀で縁取りした指輪が嵌められている事から、左の魔導の白の序列の最高位に次ぐ存在であり、惰眠を貪る存在が計り知れない高位魔導士である事を示している。
そんな高位魔導士だが、見た目は美しい青年でしかなく、歳も二十代半ばぐらいだと思われる程度でしかない。魔導士以外の人が見れば、何処かの貴族の青年とでも思うだろう。
その青年の瞼が、一瞬ぴくりと震えたと思えば、いきなりその場で起き上がり地面に片膝を付きいつでも飛び出せるかのような警戒を示した。
「神族の力が、何処かで揺らいでいる……?」
さやさやと風が木の葉を揺らしているだけの、静かな庭でありながらも、未だ瞳を閉じたまま白いマントの存在は警戒を解かずに世界へと魔導力を広げるべきかと思案していた。
神族の力と言ったが、現代であれば魔導力と同じ存在でもあるのだ。
その魔導力を揺らがせないように調停をし、大陸を保つ事が魔導士としての役目であれば、銀髪を風に靡かせる人物の警戒も当然であった。暫く、思案してからゆっくりと閉じていた眼差しを開けば、黄金に輝く眼差しが中庭の風景へと思考を戻す。
「少なくない揺らぎだったし、調停が舞い込む事は確実だな…」
溜息と共に呟きを零せば、その呟きを春の温かみを帯びた柔らかな風が抱いて去っていく。
それと同時に、張り詰めていた魔導力を霧散させると、警戒に集められていた魔導力による淡い輝きも消えていった。
ふっと吐息を零して再び昼寝に戻るか、自室へと戻るかを悩んでいれば、遠くから聞き慣れた声が聞こえてきた。
「おっまえ、長を見つけたならそのまま報告すればいいのに、なんでわざわざ俺を呼びに来るんだよ!」
「ですが、まだ未熟な私が長に声を掛けるのは不遜かと思い…」
「不遜とかそんなの、どうでもいいっつーの!長を捕獲する方が先っすよ!イリダール、そういう所が融通効かなすぎっすよ!」
「申し訳ない、チェルソ殿。まだ騎士として染みついた感覚が抜け切れないようだ」
「だああああ!過去とかどうでもいいっす!イリダール、あんたは今、魔導士!しかも部下として長に引き抜きを掛けられた部下なんっすから、俺の同僚なんっすから!」
明らかに、自らの部下のチェルソと、半年ほど前に部下に加えたイリダールの話し声だ。
生まれついての魔導士としてのチェルソが二十代半ばでありながら、イリダールの方は三十代後半という歳の差があるにも関わらず、チェルソの方が上司というのも二人の会話に出ていた、イリダールが元騎士であり魔導士としては後輩になるからだ。
その為に、イリダールが先輩魔導士であるチェルソに畏まった話し方になってしまうのも仕方ないのだろう。
チェルソにとっては、ただの同僚という感覚でしかないのだが…。
話しながらも、銀髪の髪を風に揺らして会話を聞いていた人物へと、二人が近付いてくる事は声が鮮明になっていく事から明らかであった。