第六話 騎士と盗賊
エルフの精霊術師シャーラはアムラン王国の都、アトスにいた。道行く人々は商売人や観光客であふれ返り、騒がしい雑踏と石畳を踏む音が響いていた。
ひとり黙然と辺りの風景を眺めながら歩いていたシャーラの敏感な耳にはそれ以外に、少し前から聞きなれぬ音がしきりに耳を騒がしていた。かすかに聞こえる呼び込みの叫び声、笛や太鼓の奏でる愛の調べ。劇場に発生する全ての音が、空にこだましていた。
望んで夢見た光景だった。人々が織り成すロマンスの結晶がそこにはある。そんな感覚すら覚えた。
シャーラは『降魔戦争』より以前もエルフの里から滅多でることなく穏やかな日々を過ごしてきた箱入り娘である。精霊と戯れ、愛を語らうだけの日々であった。シャーラは外の世界にあまり興味が無かった。ひとつだけ確かなことは彼女が一流の精霊使いで、演劇やお芝居が大好きな存在であることだった。
「観劇がお好きですか?」
呼び込みから声がかかった。
シャーラがとっさの声に応えられずにいると、声の主はこだわらない様子で続けた。
「今日のはいいですよ~サスペンス仕立ての純愛がテーマなんですっ」
シャーラに声を掛けたのは若い劇団員の少女であった。普段は劇場の下働きや裏方を行い、演技の訓練に明け暮れているが、公開が始まれば劇の呼び込みにと忙しい日々を過ごしている。
少女の言葉にうなずくと、シャーラは前方に目を凝らした。
劇場の傍らに配置された整理列のロープが延々と続く。その先頭に黒っぽい人影が見えていた。
その光景を見た少女はシャーラは「あれは、前日から並ばれているお客様です。まだ開場するまでには時間があるんですけどね」
劇場前は人であふれており。狭い場所に押し込まれた彼らはゆっくりとしか移動できずに追い詰められていた。
「それにしても、エルフの方が見に来られるなんて、めずらしいですね。あまり、お見かけしないものでお越しいただいて嬉しいです。団長が知ったらさぞ喜びます」
「お久しぶりアメリア、以前お会いした時から十年ほど時が流れましたね、お父様はお元気?」
そういいつつ、シャーラは口許をゆるめた。過去を思い出したのだ。彼女が幼少の頃に団長だった彼女の若い頃の父親を見たことがあった。興行のためにエルフの里を訪れたのだ。
シャーラの父ぺルクスと少女の父マックは友人であり、アメリアとシャーラはその時に知り合っていたのだ。
「もしかしてシャーラ様!?はい、元気すぎて困り者です。一線から退いたとはいえ、いまは脚本や演技指導で忙しくしています!」
「そう、それはよかったわ・・・ねぇ、あれもお客さんなの?」
シャーラの視線の先には荷台に岩を満載した荷馬車が風を切りながら突っ込んできた。風体の怪しげな男が御者になって刀を振り回しながら芝居小屋の入り口に突撃する寸前に首を返し荷台だけを突っ込ませたのだ。
荷台に積まれた岩石が周囲に飛び出し、客や入り口を吹き飛ばし砂埃が舞い上がり散々たる有様である。
「な、なんなのあれ」
シャーラは目を丸くして驚き、開いた口がふさがらないようであった。
「あいつ、また来てる!父さん呼んでくるよ」
アメリアはそういうと芝居小屋の裏に向かった。
男は人々を退散させると芝居小屋の周りに置いてあったイスやテーブルを壊し始め周囲の人々に睨みを効かせていた。
「また、あなたですか」
そこにやってきたのはやさしげな風貌をした初老の男性であった。
「おう、すまんなぁ急に馬が暴れだしてしまってな、迷惑をかけた、いま片付けをしているとこだ」
そう言いながらかろうじて残っていた入り口の柱を蹴り倒した。
ひとしきり暴れ終えたのか初老の男性のほうに向き直り
「どうだ、団長さんよ、強情張るのもほどほどにしてこのあたりで立ち退きに同意したら、へへ、さもないと俺の勘では、また明日あたりまた馬が暴れだしそうな気がするんだよなぁ」
「帰れ」
団長と呼ばれた男は真っ直ぐに不逞な男を見据え北のほうを指差しながら言い放った。
「ジジイッ!」不逞な男は怒鳴りつけた。
「帰ったらあなたの雇い主であるジャーテン商会の会長さんにお伝えなさい、私はどうあったってこの土地を動くつもりはありません」
「それはねぇぜ、俺だってタダの使いっ走りじゃねぇ・・・それによぉ道理はジャーテン商会にあるんだぜ、この土地はもうジャーテン商会が買い取ったんだし、立ち退き料だって払うっていってるじゃねぇか」
団長は不逞の男をにらみ付け、「お若いの、私たちは二十年前からこの土地に住み、ここが気に入っているのです。私たちの興行を楽しみにしてくださっているお客様もおられます。土地の所有権がどうだか知りませんが地代さえ払えばよろしいのでしょう?もう一度言いますがどこにも移る気はありません」
不逞の男は息を吐き、「ハァ、しょうがねぇなぁ、じゃあ後二、三回は馬が暴れないといけないな」
団長は全く恐れを見せず「どうぞどうぞ、二百回でも三百回でもやったらよろしいでしょう、負けませんぞ!」
それを聞いた不逞の男は激昂し「よぉーし!明日は丸太を積んだ荷台をぶち込んでやる!死人がでるかもしれねぇぜ、興行は休みにしておくんだな!」
そういって踵を返し立ち去ろうとしたとき、声がかかる。
「ねぇ、ちょっとお待ちなさい」
成り行きを見守っていたシャーラであった。
「何だてめぇは?」
「ここの客ですよ、せっかくのお芝居を楽しみにしていたのにドーンときて幸せな気分をぶち壊されましたの、わたくし人のささやかな幸せをぶち壊されるのが許せないの」
不逞な男は頭を掻きながらめんどくさいのがきたというそぶりをしながら「別に許してもらおうなんて思っちゃいねぇよっ!」と恫喝した。
「なら、ますます許しがたいですわね」と言うが早いか不逞の男の頬を平手打ちにした。
小気味いい「パシッ」っという音が辺りに響く。
殴られた男は呆気にとられてその叩かれた部分に手を当て今起こったことが信じられないという顔をしていた。
「き、キサマァァ!」男が身を乗り出した瞬間シャーラの拳が男の顔面を捉える。
低く鈍い「ボコッ」っという音が辺りに響く。
殴られた男はふらふらとよろめき地べたに手を付いた。
男はなんとか立ち上がり手に付いた砂を払い殴られた場所をさすりながらシャーラを見てにらみつける。
「もう、勘弁ならねぇ」男は腰の刀を抜き放ち、右手にだらりとぶら下げた。
シャーラも腰のレイピアを引き抜き右手に軽く握りながら振りを確かめる。
不逞の男は体を左に傾けながら刀を袈裟切りに振り下ろす、シャーラはそれを体を斜めにして交わし、鋭く切りかかるが男はそれをかわし、逆袈裟に切りかかるところをシャーラはレイピアを押し当て鍔競り合いに持ち込む。
エルフは華奢で体力がなく力が弱いが、動きの素早さではどの種族よりも早い。
あえて鍔競り合いに持ち込んだのは間違って周囲の客に被害を出さないように押し込んでしまうつもりだった。
男は競り合いを嫌ったのか後ろに飛びのき横切りで距離をとる。
シャーラは間合いを詰めずに遠い間からのレイピアの一撃に賭け、男は飛び上がり空中からの上段切りを選んだ。
二人の剣が交錯し、シャーラのレイピアは空を切り、男の刀もまたシャーラを捉えることはできなかった。
男の後ろには死角になって見えなかったが飛び上がった瞬間に子供の足が見え、もしあのまま全力で突いていたら男の体ごと貫いていただろう。
それが初動を遅らせ、また、男の刀に対応することもできたと言える。
男の剣筋はレイピアで防げばそのまま叩き折られるほどの威力を持っていた。魔法の詠唱をしている時間がない今はかわす以外に選択肢はなかった。
すると、お互いに必殺の剣をかわされ、にらみあっているところに警笛の音と共に警備兵がなだれ込んできた。
「待て待てーい、天下の往来で白昼、刃傷沙汰とは何事だ!散れ、散れ!」警備兵の隊長であろう男が叫びながらなだれ込んで来た。
警備隊長は団長の姿を見つけると困ったように話しかける「またですか、マックさん、こう何度も面倒をおこされたらたまりませんよ」
団長のマックは警備隊長からの言葉にそっぽを向いて黙り込む。
「ジャーテン商会からも訴えがきてますし、私どもとしては公平な立場ですから土地の所有権があるのに立ち退かないあなたが悪いということになっています。どうです、和解に向けて話し合いをしては?」
だが、マックは何も答えようとはしなかった。
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ジャーテン商会の会長室には二人の男の姿があった。豪華な机の上では人相の悪い男が葉巻を吸いながら不機嫌そうな顔を隠そうともせずにもう一人の男をにらみつけていた。
「どういうことだ!三日もあれば立ち退かせるって言う話だったじゃねぇか、それがもう二週間だぞ!」
そう怒鳴られていたのは先ほど芝居小屋に突っ込んでいった男であった。
「いやぁ、会長さんそういわれてもあいつは強情な奴でしてね、脅したりすかしたりしてみたんですがいっこうに効果がありませんで、世の中にはすごい奴がいるモンです」
「ちっいま、裏の連中にあいつらの正体を探らせている、ただの芝居小屋の興行主だと思っていたがあの胆力は並じゃねぇ、ただもんじゃないぞ」
会長は新しい葉巻に火をつけ紫煙を吐き出した。そこへ扉を叩く音が聞こえてくる。
「なんだ」扉を開けるとそこには小姓として使っている男が立っていた。
「件の情報が手に入りました」そういって差し出された紙を読んだ会長は驚きを隠せなかった。
「こりゃあまずいことになった」
「どうしたんです?」不逞の男は様子の変わった会長に尋ねる。
「あいつは天界十二使徒の一人怪盗マックだ、正体を隠して芝居小屋の団長をしてたみてえだな」
「そりゃあ大物ですぜ、まぁ納得もできるってもんです」そう不逞の男は納得する。
「だが、やることはかわらねぇ、今から引くには手を回しすぎた。役人にも多額の賄賂を渡しちまったし、なにより俺の沽券に関わる。なに、旧時代の遺物みたいな爺さんだどうにかなるだろう・・・それよりお前の邪魔をしたっていうエルフ、あれはマックが雇った用心棒に違いない、お前さんあいつを斬れるか?」
会長は不逞の男を見つめる、虚言があればすぐに見抜くだろうその目線を受けた男は首をすくめている。
「マックが用心棒を依頼するようなエルフは同じ天界十二使徒のスピネルくらいだろう、だがあれは男だからな、娘でもいたんだろ。それにマックにも娘がいたし相当やるかもな、いやぁ、大変な面子だぜ?」
「だからお前を高給で雇っておるんだろうが、それとも臆したのか?」
「ああ、怖いねぇなにせ今のこの会話、聞かれてるかもしれないってことがよっ」
男は懐から棒状の手裏剣を天井に向かって投げつけた。
「おいっなにかいたのか?」
「さぁ、わからねぇけどとりあえず警戒しとくにこしたことはねぇんじゃねぇか?」
そういって男は会長に背を向ける、
「とりあえず給金分の仕事はするさ、だが、あのエルフだけは俺の獲物だ久々に剣を振るう相手が見つかったんだ、邪魔の入らないところでやりたいもんだぜ」
「剣士以外は殺めずか、お前にもまだそんな矜持が残っているとはな、元騎士だけのことはある」そう皮肉をいわれた男は振り向きもせず、答える。
「親父が引退して騎士爵を継いだけで、天界十二使徒キャラインの名も親父だけのもんだ、俺は不良騎士ゼノンそれだけでさ」
その頃アメリアは腕に刺さった手裏剣を抜こうともせず傷口を押さえながら夜の王都を走り続けていた。
昼間に来たジャーテン商会の雇った不逞の男の後をつけ、屋敷に入ったことを確認したアメリアは夜を待って屋敷に侵入し、会長と男の会話を盗み聞きしていた。あわよくばなにか解決策がないかと、父親のマックには無理はするなといわれていた。お前の技はまだまだ未熟であるからと、でも自分たちの芝居小屋をむちゃくちゃにされて黙っていられる性分ではなかった。
かならず悪事の尻尾を掴むか土地の所有権の権利書を盗んでやろうと思っていたのだ。
ところが自分たちの正体がばれ、その瞬間驚きと共に気配が漏れたのだろう、男はすかさず手裏剣を投げ天井を貫きとっさに守った腕に突き刺さったのだ。
あの反応は昼間の男と同一人物とは思えない、自分たちと一緒で普段は実力を隠し、人目の無いところでは本気を出すのだろう。
腕から滴る血は手で押さえられないほどになっている。一度抜いて包帯を巻きなおしたいが、血の臭いでかぎつけられる恐れもある。どこかに隠れなければ・・・
だが、そうこうしている間にもさらに状況は悪化し、ジャーテン商会の追っ手と警備兵にも連絡が行ったのだろう芝居小屋に戻るのをあきらめたアメリアは郊外の草原へ逃げていた。
昼間に何食わぬ顔で戻るしかない、そう思っていたのだが・・・
ふいに肩を叩かれ、アメリアは驚きのあまり「ヒイッ」と声を上げた。
「し、静かに・・・私ですよ」
そこには深くフードをかぶったシャーラの姿があった。
マック:天界十二使徒の一人怪盗マック、現在は芝居小屋の団長をしており、怪盗のお仕事は引退している。
アメリア:マックの娘であり劇団員、怪盗見習い中
キャライン:天界十二使徒のひとり、剣匠キャライン、カナン王国の騎士爵をもっていたが田舎に隠棲し、息子に爵位を譲った。
ゼノン:キャラインの息子であり、ジャーテン商会の用心棒、カナン王国での窮屈な暮らしを捨てアムラン王国で浪人暮らしをしている。
シャーラ:天界十二使徒ペルクスの娘 アムラン王国に芝居を見に来た。弓とレイピアの達人で精霊使いでもある。