第五話 魔術師と神官
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ドワーフの戦士ダンは荷馬車の荷台から黙然と辺りの風景を眺めていた。山々は雪化粧を徐々に落とし、春のうららかな風が頬をなでる。晴れ渡った空を鳥が悠々と旋回している。
だが、のどかな風景とは裏腹に、少し前から聞きなれた音がしきりに耳を騒がしていた。猟師の使う獣笛の音、かすかに聞こえるゴブリンたちの叫び声、爆発音。戦場に発生する全ての音が、空にこだましていた。
決して嫌いな音ではない。むしろ自分が本来いるべき場所へと戻って行くような、そんな感覚すら覚えた。
ダンは『降魔戦争』より前から傭兵として転戦している戦士である。北の集落出身で採掘師であるといわれているが、本当にその仕事をしているところは誰も知らない。ダンは寡黙であり過去にあまり興味が無かった。ひとつだけ確かなことは彼が戦闘のプロで、頼りにされている存在であることだった。
「血が騒ぎますか?」
御者席から声がかかった。
ダンが応えずにいると、声の主はこだわらない様子で続けた。
「どうやら散々にやられているようですね」
荷馬車の手綱を握るのは魔術師のホームスであった。現在はテムスの村で相談役や教師をしながら暮らしているが、いざ戦場に降り立てば、王の傍らに控え、戦況分析、索敵、戦力の配置など指示を行う宮廷魔術師を生業としている。
ホームスの言葉にうなずくと、ダンは前方に目を凝らした。
街道の傍らに配置された獣除けの符が延々と続く。その先に黒っぽい人影が見えてきた。
左右を切り立った崖に阻まれ前後にしか逃げ場の無い道、そこに数十人の巡礼者たちの集団がゴブリンたちに追われていた。
「あれですね、神官戦士もいるようですが、この分では逃げ切るまでに相当時間がかかりますね」
道は巡礼者であふれており。狭い場所に押し込まれた彼らはゆっくりとしか移動できずに追い詰められていた。
さらに巡礼者の集団の向こう側からは切れ目無くゴブリンの部隊が吐き出されていた。
「それにしても、あなたと二人っきりっていうのも不思議なものです。マーヴェルがいたらもっと楽しかったでしょうね」
「黙って操縦しろ」
そうはいいつつ、ダンは口許をゆるめた。若かりし日々を思い出したのだ。マーヴェルは鬼子母神の巫女マーラとマーモル島最高の魔術師であるマーロンの娘であり、マーロンの弟子として引き取られたホームスとマーヴェルは幼馴染であった。そこに二人の子守としてダンが付き添っていたのである。
ホームスは勉強熱心で知識欲も旺盛であったが、普段から口が災いしては煙たがられる少年であった。それも自身が納得するまで「なぜ?どうして?」と聞いて回るため大人たちは辟易としてしまっていた。
ダンだけはその度に自分が納得したときが答えじゃな、と彼の好奇心がおさまるまで付き添っていた。
ホームスは知識欲のあった子供であったが、ダンはそれを巧妙に演じているだけで本当は全て理解しているのではないか、と感じていた。
もっともダンにはこの男がなにものであるかなど、どうでもよいことだった。マーヴェルをあのような姿にした賊を追うことを相談したときにも応じてくれ、ともに戦っている限りは信じるに値する仲間と考えていた。
「黙っていることは苦手でして、つい口が出てしまうんです。ついでに言えば、私はあなたが苦手でしたよ。どうしてマーロン様はあなたを私の付添い人にしたんでしょうね?」
こちらも同じだ。ダンは応えずに、鼻で笑うにとどめた。
ダンがマーラとの別れを済ませて数時間後、ダイクスの村を出てしばらくするとホームスが荷馬車を率いて迎えに来ていたのだ。
ホームスいわく、ドワーフの足の遅さは有名で待っていたらいつまでもたどり着かないだろうから迎えに来たと言うことだった。
黙って荷馬車に乗り込んだダンとは対照的に、ホームスはかまをかけるようにダンに言った。
「穏やかならない雰囲気ですね、重大な秘密でも打ち明けられましたか?」
ダンの顔が曇った。この若いが人の心の機微に敏感なこと男の前では隠し事が出来るものはいない、いつの間にか情報を抜き取られているのだ。
「神殿の宝物庫が荒らされ、マーヴェルは眠りに就き、マーモル島は戦乱の予兆にゴブリンの異常発生、ですか、まだ全容が見えてきませんね」
ホームスは納得が出来ないときに繰り返す首を横にするしぐさを繰り返しながら頭をひねっていた。
進むうちにゴブリンから逃げ足の早い巡礼者とすれ違えることが多くなった。どの顔もつかれきってうつむき加減に足を運んでいる。とホームスが能天気な声を上げた。
「前方に美少女発見!いったん停止します」
ダンが咎めるまもなく、ホームスはゴブリンと対峙する戦士の後ろで指揮をする正義と審判の神ジャッジの神官服を着た少女の横に車を停めた。
「ご苦労様です、自警団の皆さん。そしてお美しい神官様、こんなところで会うとは奇遇ですね?」
隊長らしき少女がまばたきして、ホームスを見た。ダンは横を向いて知らぬ顔をした。
「うん?ホームス先生か、久しいな、だが今は取り込み中だ。口説き文句なんぞ聞いてるひまはない」
以前テムスの村で戦術指導をしていたときの生徒だった。
「いやはや覚えておいていただいて光栄です。どうです?仕事が終わったらぜひ食事にお誘いしたいのですが」
「ここにいる全員を?先生の給料では破産するぞ」
ホームスはにこやかに袖を振って金欠アピールをすると必死の形相で戦う自警団の活躍を見ていた。
「手伝ってやらんのか?」言葉とは裏腹にダンの声は穏やかだった。
「ドワーフの戦士であるあなたならともかく、ゴブリン相手で私の出る幕がどれだけあるか疑問ですがね、それに経験を積ませるのは彼女の為でもあります」
「・・・・なるほど」
「まぁ、これが私の指導ってやつです。遅ればせながらの実技演習といったところと思ってください」
テムスの村に着いたのは夕暮れになってからだった。村の厩の前にある空き地に荷馬車を停め、ダンは荷台から降り、あたりを見渡した。さらに怪我人を荷台から担ぎ自警団の肩章をつけた者の誘導に従い、建物のなかに運んでいく。
狭い空き地には資材が散乱し、多くの村人が大わらわで走り回っていた。
その忙しさはまさに戦場の後方支援ともいうべき状態であった。へたり込んでしまった団員をたたき起こしている者がいるかと思えば、あわただしく伝達事項を読み上げている者もいる。故障した荷馬車を汗だくになって修理している者、戦闘で気が立っている団員同士の喧嘩を仲裁している者さえいた。
どこもかしこもごったがえすなか、ダンの姿はひときわ目立った。
ドワーフの戦士用の甲冑である神銀製の鎧に身を固め、自らの身長の倍以上あるハルバードを手にしている。小柄な身体に似合わない重量のある投げ斧を腰にぶら下げその外見をいっそう迫力のあるものにしていた。
さらにダンはなまじの傭兵とは異なる雰囲気を身に纏っていた。その周辺だけ大地の底に眠るマグマのような熱気を漂わせ、全ての敵を燃やし尽くす危険さを感じさせる彼を村人は足を止めてこわごわと見た。
「注目されてますよ、色男はつらいですね」
ホームスが隣に立った。こちらはすっきりとしたローブに魔術師の杖を持っているだけであった。
「鬼子母神の神官戦士の方ですか?」
声がかかった。
ふたりが振り返ると、テムス村の村人であろう青年が内気そうに目をしばたたいた。
ダンがうなずくと、村人は人見知りをするのかたどたどしい口調で言った。
「ええ・・・と、事情はセト神官からうかがっております。なんでも危ないところを助けていただいたとか、本来なら宴の席でもご用意させていただきたいのですが残念なことにそれどころではなくなってしまって・・・」
「宴の席どころじゃないよね」ホームスは困惑したように笑った。
「ええと・・宿はどうされますか?村のは臨時の病院になってしまっていて・・・」
「僕の家に泊めるよ、狭いけど彼の体格なら納まりもいいんじゃないかな」
「ふん、わしの身体は頑丈じゃからどこでも眠れるからの」
「それでは先生のお宅に料理をお持ちしますね」せめてものお礼と彼は手料理を振舞ってくれるそうだ。
「君は・・・僕の生徒だったっけ?」まったく男に興味が無かったホームスはそれを聞いて首をかしげた。
「ひどいなぁ、セトと一緒に授業を受けてましたよ」そういって彼はその存在感のなさを証明するかのように特徴の無い表情をみせていた。
その時、ふたりの後ろに人影が立った。
「なにをしている?」
向き直ると、正義と審判の神ジャッジの神官であり、自警団の隊長でもあるセトの姿があった。
「たいした歓迎ぶりですね、私達はたいして助っ人らしいことはしていませんよ」
ホームスが笑いかけると、神官でもある隊長は神経質そうに眼鏡に手をやった。
「ふん、あいかわらず食えないひとだ、だがそちらのドワーフの活躍は大きな助力となった。改めて礼をさせてもらいたかったのだ」
そして、正義と審判の神に仕える神官にとっては妖魔の類は邪悪な存在であり、ゴブリンは憎んでもあまりある存在あり。最近は、テムス村の周辺に出没しては物資を盗みじわじわとその数を増やしている。と説明した。彼らの狡猾なやり口は彼女の癪のタネになっているようだった。
ホームスはそんな彼女の真面目さは好ましく思っていたが、その言葉を聞き流した。ゴブリンの尖兵が盗みを働いていることは知っていた。しかし同時に、まともに相手をすれば働き手を戦力にとられ、村そのものが立ち行かなくなってしまうことも知っていた。
さらに村とゴブリンの関係は共存関係にもあった。ゴブリンがもしその数を減らせばゴブリンを主食としているさらに強大な力を持ったモンスターが村を襲うことになる。
ある程度の抑えは必要だが絶滅させるほどのことはない、そんな関係性だ。だがそんな思いとは裏腹にダンとセトは意気投合しているようだ。
「というわけで、今後とも我らの助けになっていただけたらいいのだが」
「わかっておる、ゴブリンの巣を叩くときは必ずわしも連れて行け、最近腕が鈍っておったようでな、先ほどの戦闘では練習にもならん」
「それは頼もしい、ぜひお願いします!」
ホームスは彼ら二人を見ながら、新たなる戦乱の予兆を感じ取っていた。
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ホームス:天界十二使徒マーロンの弟子で魔術師、現在は辺境の村テムスにて教鞭をとっていたが、ダンの呼びかけで旅に出ることを決意する
セト:正義と審判の神ジャッジの神官、天界十二使徒アルバートの弟子、見習い修行を終え正式にテムスに派遣された。自警団の団長となりその縁でホームスに戦術論を学んでいる。
ダン:ドワーフの戦士、天界十二使徒マーラの娘、マーヴェルを救うすべを探すため、旅に出る。
アポロ:村の青年、セトとは小さい頃からの友人で料理が得意