第三話 ミノタウロスの暗黒騎士
キャラ設定3回目
水平線に日が沈み、大地が血の様な赤色に染まる頃、わずかに残る大地の精霊力が荒地でも咲く白い花を咲かせていた。
エジャル島はマーモル島南西部に浮かぶ離島である。数百年前に海底火山の活動により生じた火山島であり、現在も活発な噴火活動が見られる。時には海面近くの噴火口からの火山噴出物による降灰が空を覆いつくし、日の光を遮る不毛の大地であった。
エジャル島とマーモル島を結ぶ港町ダークプリズンの街はエジャル島唯一の人間が住む街である。ボマル火山から最も遠く、降灰も少ないこの地だけが人間の生活圏となっていた。
ここは闇の精霊たちの集う常闇の地で、四季の分け隔てなく薄暗くまさに監獄の中にいるかのようであった。
この街の周辺には闇神殿アモンとダークエルフの里がある以外は妖魔と魔獣の跋扈する混沌の地でこの地に生きる人々は荒地で育つ毒草を使った魔法薬の製造、妖魔を倒しながら磨いた腕っぷしを武器に傭兵として雇われることを生業としていた。
もうじき冬には荒れ狂うマゼラス海峡が春の訪れと共に落ち着きをみせると、希少な魔獣の皮や禁制の品を求める裏商人達が、大挙して押し寄せる。それと同時にマーモル島において改心の余地無しとされた犯罪者たちが流刑としてエジャル島に送られてくるのだ。
エジャル島の最高行政執行官の地位にあるシリウスにとって、それは忙しい季節の到来でもあった。
「旅に出るというのか」
シリウスは行政府の執務室に一人の客を迎えていた。執政官といわれる官僚の中でも最高位の証である黒の法衣に金色に輝くメダルを首に掲げている。
彼の体は老年に差しかかってなお厳格さと規律を兼ね備えた偉丈夫と言うにふさわしい体格をしていた。 行政の最高責任者の部屋はその地位にふさわしい調度品や絵画が飾られ、黒壇のテーブルにはこの地では咲くことのない赤い薔薇が調和していた。
だが、その表情は大きな悩みを抱えているゆえの苦渋に満ちた表情であった。
「はっ閣下にはお世話になりました、ですがこれ以上自らを偽ることはできませぬ」
シリウスと向かい合っている客は短くそう答えた。
人間にしては大柄な体格に頭から足の先まで黒の甲冑に身を包み、背には巨大な両手斧を括り付けていた。
一言発するたびにその形式ばった物言いは騎士にふさわしいが、彼の持つ凶暴性までは隠しきれてはいなかった。
客はミノタウルスであった。もちろんこんな体格の生き物が他にいようはずがない。冑の下には角を隠し、鎧の下には赤銅色の肌、そして魔族の特徴である赤色の瞳がまっすぐにシリウスに向けられている。
かれらミノタウルスは不死ではないし、寿命も数十年と人間とかわらない。だが、彼らは人間とは比べ物にならない腕力と体力をもち、戦闘となれば狂化状態になる恐るべき戦士なのだ。
「お前の行く道なぞ屍の山しか残るまい、我らと共に新たな道を探すことはできぬか?」
シリウスは静かに問いかけながらも、戦闘しか興味のないミノタウルスには道を説いても無駄だろうとは思っていた。本来ならばこの場で暴れだしてもおかしくないのだ。
「閣下の示される道は我ら魔族の生きる道筋になるやも知れませぬ、不毛の大地であるこの島からマーモル本島に攻め込みカナン王国を攻め亡ぼし、心臓部であるラインフォール王国を抑えさらにはアルガレスト大陸までも掌中に収めようというその壮大な野望はシリウス閣下無くしては実現不可能でしょう」
ミノタウルスは鼻息荒く、その大胸筋を膨らませた。全身の筋肉を流動させるその肉体美は甲冑によって隠されていてもその熱量はシリウスの顔に熱気を伝えていた。
「それはお前がいてくれればさらに容易に達成できるとわしは思っておる、わが右腕として支えてはくれぬか?左腕たるダマルカスもお前を買っておるのだぞ」
シリウスはまだ幼かったミノタウルスの幼生であった頃のカインを思い出していた。
カインはシリウスが『降魔戦争』のおりにラインフォール王国にある地下迷宮で保護した魔物であった。
ラインフォール王国は正義と裁きのジャッジ神殿の総本山があり、魔物討伐を至上の命題としている国家であった。元々エジャル島に送られていた政治犯の息子として育ったシリウスにとって魔物は身近な存在であり、むやみに殺すこともないことを知っていたが、降魔を封印する勇者としての資格を受ける際にラインフォール王国の地下迷宮を攻略し、その力を見せる必要があった。
そこで幼生であったミノタウルスを保護し、カインと名づけ『降魔戦争』の終結と共に、エジャル島へ連れ帰ってきたのだ。
エジャル島に連れ帰って十五年の月日が流れ、カインはすくすくと成長し、その巨体はもはや隠しようがなくなってしまった。屋敷の地下に秘密部屋をつくり、そこで宝物庫の番人として飼っていたが、ますますその知性無さと凶暴性に拍車がかかり、自らの手で処理しなければならないと思いつめていたときその事件は起こった。
カインは宝物目当てに屋敷に侵入してきた賊と戦い、敗れ、混乱の呪いをかけられたらしいのだ。
シリウスはボマル火山に住む邪龍ギャドラの封印に赴き留守にしており、その事件を知ったのは帰ってきてからであった。
元来、狂乱状態のミノタウロスに混乱の魔法をかけるとどうなるのか、そんなことを試した魔術師などおらず、どうなることかと見守っていたが、シリウスの心配を他所にカインの凶暴性は鳴りを潜め、試しにと家庭教師をつけ、礼儀作法や武術の指南をすると綿が水をしみこませるように知識を吸収し、瞬く間に優秀な騎士としての作法を身に付けたのだ。そこで、特注の鎧を着せ暗黒騎士として自分の右腕として周囲に認知させ、二十年の月日を過ぎた今なお狂化することはなかったのである。
カインは無言でシリウスを見つめていた。ミノタウルスは食人鬼であり、本能の赴くまま行動し、破壊と性欲の権化である。
だが、その最大の特徴は迷宮の守護者としての矜持であるといえよう。宝物庫を荒らす賊や冒険者を迎えうつその役目を果たせず、恥を雪がぬまま生きていくことはできなかった。
「のぉカインよ、お主はまだ若く戦い方を教えてくれる親もおらなんだ、わしも邪龍の封印で不在であったし、お前だけが悪いわけではない。まさかお前を倒せるほどの魔術師がこのような場所に来るとも思っておらなんだわしの不徳の致すところでもあるのじゃ、それは闇神アモン様も見通すことのできぬ闇であったであろう」
ミノタウロスの沈黙は解けず、ただシリウスを見つめていた。
「ふむ、盗まれた宝物については闇商人のハインスに問い合わせておる。売りに出されたか、もしくは所有者の情報があれば教えてくれとな」
「ハインス殿はなんと」カインは静かに尋ねた。
「わしには闇ルートのことはよくわからんが、アルガレスト大陸に渡った積荷の中には無いそうじゃ、貴族や大商人、錬金術師などの間でも情報はない、ただマーモル島の各地で似たような窃盗事件が二十年前に起こっておったらしい、それぞれが発覚を恐れ口を噤んでおったらしいが近年になってその噂がばら撒かれておるようじゃ」
カインは心労で押しつぶされそうになっているシリウスの顔を見た。彼のからは自身が幼い時から親代わりとして育ててもらっている。厳格さと規律を守り、たとえ魔獣であっても罪無きものには罰を与えること無しと、知性の欠片もなかった自分に教育を与え武術を教えてくれた。
そして今また魔物排斥論の高まりを見せるラインフォール王国に対抗するため軍備を整え逆侵攻を考えている。
だが、そのようなことは思い止まらせねばならないのだ。武闘派の自分が宝物探索のために抜ければあとは搦め手を得意とするダマルカスによる調略と策謀になるだろう。
それに宝物を取り返すことができればシリウスの最大の懸念も解消されるはずだ。
「私は人間の常識は疎く、商売のことも分かりませぬ。考えることはできますが、闇を見通す目を養うよりも松明によって照らされる道もあるかと、シリウス様のご懸念の宝物を取り返しあるいは破壊せしめることによってご心労を取り除いて差し上げたいのです」
丁寧な物言いであるが、本来ミノタウルスは凶暴性の塊のような種族である。ただ、宝に対する執着と食欲のために戦う種族なのだ。
シリウスはしばし黙考した。もはやマーモル島への逆侵攻への時も短い、自身の健康状態も危ぶまれており、後継者として育てたカインには自分の死後を託すためにも想いを残してほしくはなかった。
それにこのような流刑地の屋敷の秘密の宝物庫を見つけ出しミノタウルスを退けた盗賊が只者であるはずもなく、危険も大きいと踏んで追っ手を出さなかった。
だが、それもこれまでか・・・
「ありがとう、カイン。我が息子としてお前に命ずる。盗まれた宝物を探し出し、己の矜持を取り戻せ。そしてまた我が元に戻り、右腕として働いて欲しい」
シリウスの言葉にカインは目元が熱くなり上腕二頭筋と腹筋が喜びに打ち震えた。
「一命に代えましても必ず持ち帰ってみせましょう。そしてまた父上の下で存分に腕を振るいたいと思います」
シリウスは太い両腕でがっしとミノタウルスの体を抱きしめた。
「それで、いつ立つのだ?」
「はっ、すぐにでも立ちたいのですが、まだ交易船が来ておりませぬ」
「ふむ、ならば闇神殿に立ち寄って仲間を募るが良かろう、ダークエルフの集落にも寄っていくが良いお前だけでは人間との交渉は無理だ信頼できる仲間がおれば心強いぞ」
シリウスも壮年の頃旅に出たことがある。それは決して楽しい旅ではなかった。マーモル島南西部の山中にある「いと深き深淵」から古代より封印されし異世界の魔物『降魔』が開放され、マーモル中に死と災厄を撒き散らした。
その『降魔』と戦うために彼は大剣を担ぎ旅立たねばならなかった。そして、激しい戦いの後に『降魔』を封印した功績によってマーモル最高栄誉の称号である天界十二使徒の一人として称えられるようになった。だが、その呼び名から逃げるように辺境の流刑地である故郷に戻り、執政官としての任に就き、この島から出ることはなかった。
「ありがとうございます、父上、辺境の島の最高執政官よ。必ず、良い結果をお持ちします」
「どこを目指すのだ?」
「賊が辿ったであろうカナン王国、ラインフォール王国、バーナム王国を経由しハインス殿のおられる商国ジュエルを目指します」
「ふふふ、わしの侵攻ルートと同じじゃな、せいぜい追いつかれぬように急ぐのだぞ」
カインは上機嫌になったシリウスを見ながら宝物を盗んでいった賊の姿を思い出していた。
狂化状態だったため覚えていないとシリウスには言っていたが、いまでもはっきりと覚えている。あれは、人の形をした化け物だ。
ミノタウルスは迷宮に入った人間をまず臭いで感知する。鉄の錆びた臭い、人の特有の臭さそれは隠しようのないものだ。
屋敷の地下迷宮はそれほど複雑ではないものの侵入者を防ぐ罠も設置してあり、突破すれば自然と自分のところに来るようにできている。
だが、罠の作動もなく、静かに目の前に現れたあれは気配もなかった。たぶん気配遮断のスキルを持っていたのだろうが、それでもミノタウルスに感知されないというのは異常である。
カイン自身も声を掛けられて気が付いた程だ。
「へぇ、ミノタウルスなんているんだ」
カインは即座に危機を察知し狂化状態になって暴れまわった。相手は自分を瞬時に殺すことができる。しかも見えない位置から急所を狙われる。そのえもいわれぬ恐怖心が彼の心を支配していた。
だが、奮戦むなしくカインの攻撃は全く当たるそぶりなく、するりと懐に入られる。
「うーん、面倒だなぁ殺しは極力するつもりはないんだけど、これで眠ってくれる?」
そういって取り出した紙片を貼り付けられた瞬間、狂化が解けその反動で疲労を一気に感じてしまい身動きが取れなくなってしまったのだ。
「あれ?これ混乱の符じゃないか、まぁ、効果があったみたいだからいいか」
そういうと奥の宝物庫に入り一振りの剣を持ち出していた。
それは『降魔の剣』であった。カインは動かぬ体を叱咤しながらもその視線だけは恐るべき侵入者に向けられていた。後にシリウスに語られたところによると『降魔』を制御する儀式につかう宝物で持ち主を主と認めその命に従うという『降魔戦争』の引き金になったものであった。
それは誰が持っているか分からぬようそれぞれ分配し、隠すように取り決めた天界十二使徒だけが知る秘密であり、それぞれの後継者だけがその秘密を受け継ぎ次代へ繋ぐはずであった。
意識を過去から現在に引き戻したカインは、ポツリとつぶやいた。
「運命は繰り返しますなぁ、閣下、戦乱はもうすぐです」
ミノタウロスの暗黒騎士であったカインが港より交易船に乗ってマーモル島へ向かったのはそれから数日後のことであった。
彼が目指す北の空もまた薄暗く、錆色の雲が厚く垂れ込めていた。
シリウス:マーモル島の流刑地であるエジャル島の執政官で暗黒卿、『降魔戦争』の英雄である天界十二使徒の一人
カイン:ラインフォール王国地下迷宮出身のミノタウルス、シリウスの弟子となり暗黒騎士となる。狂化状態で混乱の呪いを受け正常になった。