第十三話 ゴブリンキング
陰鬱な空にゴブリンの咆哮がこだまする。春だというのに肌寒く、小雨まじりの重苦しい天気だった。周囲の動物たちも危険を感じたのか、気配を感じることは無い。
テムスの村より斥候として神官戦士のセト、村人アポロ、魔術師のホームス、採掘師のダンはテムスより東でゴブリンの足跡を見つけた。
セトたちは朝霧にまぎれ、少しずつゴブリンの巣に近寄っていた。
「ゴブリンの集落まで、あと少し、どうするセト?」
ほの暗い木々の隙間からゴブリンの集落の様子を伺っていたアポロの唇が動いた。顔の上半分は迷彩の施された鉢金で覆われて見えない。
後方で、衣擦れの音がして、セトの手が頭の上に載せられる。
「ここでいったん停止。じきに敵と遭遇するはずだ」
セトの冷静な声がしずかにささやく、アポロはセトを背負子から降ろし、周辺の地形図を広げつつ五感の神経を研ぎ澄まして待った。
ほどなく、見張りのゴブリンたちの話し声が聞こえてきた。ゴブリン。矮小なる妖魔なれども知性を宿し集団戦もこなすが形勢不利となると散り散りになってにげてしまうやっかいな敵だ。
「ダン、オトリ役を頼む、アポロはダンの援護だ、ホームス支援魔法を頼む、私は集落の様子を見てくる」
セトが合図を送ると、ドワーフのダンの声が返ってきた。
「了解した」
ダンの神銀製の重装甲の甲冑が大きな音を立て自らの倍以上もあるハルバードをきらめかせダッシュする。と、低木群の陰からゴブリンが姿を現した。
「ゆくぞっ」
ダンは突進。慌てて逃げようとしたゴブリンに追いすがった。跳躍と同時に白刃一閃、ゴブリンは叫び声を上げる間もなく絶命した。
「ダン、ゴブリン撃破です」
後方の森の中、魔術師のホームスが物見の水晶玉で戦果を確認するとダンに魔法による通信をおこなう。
「ダン、今日は一段と力が入っていますね」
しかし、ダンは返事をせず二匹目に取り掛かる。
ハルバードが一閃すると、ゴブリンがさらに一匹、体液を撒き散らしながら大地に沈む。
「いいですね、ダン。その調子でさっさと片付けてください。・・・おーい聞こえていますか?ダン?ダン・・・?」
ホームスが呼びかけると、ようやくダンの声が返ってきた。
「わしのことは大丈夫じゃ、それよりひよっこどもの世話をしておれ」
少々声に棘がある、いつもならもう少し冷静さがあるのだが。
「そうは行きません。あなたは一番危険が多い役回りです。目を離すわけにはいきませんよ」
ホームスが首を傾げて言うと、ダンの笑い声が聞こえた。
「なに、いままで隠密行動ばかりで暴れられなかったぶん、たぎっておるだけのこと、妖魔どもはわしらの天敵、お前の世話にならずとも大丈夫じゃ」
「ダン、私とあなたは長い付き合いですからいうのですが、戦闘中に別のことを考えていると危険ですよ?」
「・・・・そんなことはわかっとる!」
「ダン!」
魔法通信が一方的にきられた。ホームスは顔をしかめてつぶやいた。
「マーヴェルを救いたいのはわかりますが焦っても仕方ないでしょうに・・・」
ダンは本来、鬼子母神の最高司祭マーラの娘マーヴェルを救うため旅に出たはずだった。しかし、ゴブリンの襲撃が激化しテムスの村で足止めをくらい、村を救いたいというセトの願いに答えてこのような山奥に来たのだ。
アポロは集落とダンが見張りをひきつけているポイントの中間地点に待機していた。
白銀の塗装が施された鎧を纏うダンの姿がハルバードを基点とし一瞬、宙を待ったかと思うと周囲のゴブリンを一閃した。風きり音がここにも響き、大地が震えた。
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「ダンさんはすごいなぁ」
アポロはセトに向かって言った。
「それに比べると俺ってやつは」
アポロの体が震えた。意識すればするほど、恐怖が襲ってきてこの戦場が怖くなる。
一週間ほど前からゴブリンの襲撃が増え、自警団が組織され、アポロも駆り出された。戦っている最中にふと昔のことを思い出した。
それから苦しくなった。
アポロは元々ラインフォール王国に領地を持つ貴族の息子であった。だが領地はバーナム王国と隣接する国境地帯にあり、たびたび砂漠の民の襲撃を受けていた。
たまたま領地の視察に来ていたアポロの家族は砂漠の民の襲撃に遭い幼いアポロを残して皆死んでしまった。
赤茶けた大地に血の匂いが充満する。狭苦しい馬車の中で、アポロは必死に「母親」をよんでいた。・・・しかし扉は開かず、母親は返事をしてくれなかった。
ただ、その時は自分が弱いからだと思っただけだ。
剣術も魔術も才能がなく、跡継ぎとしての能力になにも恵まれていなかった。馬の世話ばかりしていて、肉が食べられず、ひ弱な体だった。
このままじゃ母親はいなくなってしまう。自分は真っ暗な中に一人残される。そう考えると、全身が震えて息が苦しくなった。
ひとりはいやだ、ひとりはさみしい、戦場にいるとひとりぼっちになってしまう、無理をしていたけど、本当はこわいんだ。
「だめだ、俺は・・・」
チュニックの脇の下を汗がつたっていることが分かる。アポロは背負子を投げ出したい衝動に駆られた。そこに突然、セトの声がかかる。そして強く心に語りかけてきた。
「なにがダメなのだ、お前には私がおる、私にもお前がおる、決してひとりではない」
はっとアポロの意識は再び現実にもどり、ダンをとらえた。
ダンはゴブリンの頭を踏み台にして、跳躍したところだった。首の部分を斬り飛ばされたゴブリンが血しぶきを上げて崩れ落ちる。
「なにをのんびりしている。アポロ、ダンの援護射撃をしろ」ホームスの声が聞こえた。
「了解・・・」
アポロは弓を構えたが、アポロの動揺がそのまま反映されたのか、弓を引く手は小刻みに震えていた。狙いが定まらず、アポロの額を汗がしたたった。
「どうしました?ああ、わかりました、また緊張して震えているのですね?リラックスなさい、アポロ。この仕事が終わったら村の女性たちに大もてですよ、祝勝会を開きましょう」
ホームスの陽気な声が響いた。
アポロは矢を放った。ショートボウから放たれた矢は回転しながら風を切り裂き、明後日の方向へ飛んでいった。
「おやおや、よく狙ってください!もうすこしでダンを撃つところでしたよ」
「ホームスさん、俺調子が・・・」
「落ち着きなさい、ゆっくりと息を吸って、吐く。大丈夫です。あなたならやれます」
ホームスの穏やかな声、しかしアポロの震えは一向に収まらなかった。こんなこと人には言えない、言ったら最後役立たずの烙印を押されて自警団からおろされてしまう。
自分が自分で制御できずに、アポロは泣きなくなった。
その時、セトが話しかけてきた。
「アポロ、昔はただの過去だ、今ですらただの一時の出来事にすぎん。大事なのはこれからの未来を作ることだ」
「セト・・・」
おまえはいつでもそうだ、俺が孤児になり親類を頼ってテムス村でひとりぼっちだったときもお前だけが俺のことを分かってくれる。
「私には分かる。アポロは悲しいことを思い出したのだろう。だが、お前の足は何のためにある?体力の無い私を戦場に連れて行くためだけの足ではないぞ。過去と未来を繋げるためのものだ」
セトの言葉にアポロは全身の力を抜いた。セトなら分かってくれている。-そう信じさせるだけの何かをセトはもっている。
息を吸って、吐く、息を吸って、吐く。心なしか震えが収まってきた。したたる汗をこそばゆく思いながらアポロはつぶやく。
「セト・・・こんな俺でも役に立てるなら、もう少し頑張ってみるよ」
「ああ、私は集落へ偵察に行く、頼りにしておるぞ」セトはそういうと集落のほうへ向かっていった。
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「アポロのたわけが、臆病風に吹かれおって」
セトはダンが見張りをひきつけている間に周囲へ接近し岩場の陰に隠れながら集落の様子を伺いつつ、セトは不機嫌に吐き捨てた。
アポロが戦場に出たがらないことは知っていたが、この様子ではいつまでたっても一人前になれそうになかった。
アポロはやさしい男で、平時は頼りになる男だ、だが戦闘が始まるとまったく動けなくなり、なんとか戦場に慣れさせなければ戦力にならない。
帰ったら特訓だな、そう思いながら入り口を見張っていると、騒ぎを聞きつけたのだろう。さらに多くのゴブリンに加え、ゴブリンシャーマンやホブゴブリンといった上級種のすがたも確認できた。
「ホームス、ゴブリンの増援だ、どうする?ダンのところにもゴブリンどもが群がっておるのだろう、殲滅するか?」
「わかっています、アポロに合流してください、魔法で一気に殲滅します」
「了解」セトは後ろへ下がり、アポロが隠れている茂みまで一気に後退し背負子に乗る。
セトが背負子に乗ったのを確認したアポロは一気に駆け出す。がくんと後ろへ引っ張られる感覚にセトは顔をしかめた。
アポロの正面に、ぐんぐんとダンの姿が迫る。
すると視界いっぱいに真っ赤な炎が天空より降り注ぐ、ダンの左右で爆発が起こった。ホームスの魔法による隕石召喚である。
「ダンさん、危ないよ!後ろに下がって」
アポロがよびかけると、すぐにダンから返事が返ってきた。
「いや、このまま集落に進んでゴブリン共を殲滅する」
「待て、少し様子を見よう、進むのは状況を見極めてからだ」セトが冷静に言った。
「これまでもゴブリン共とやりあって生き残ってきたんじゃ、心配いらん」
めずらしく、ダンはセトに抗った。
遠ざかるダンの背中を見送りながらアポロは首を傾げた。ダンさん何か変だな?
アポロは再び呼びかけようとしたが、足元にゴブリンシャーマンの火球の魔法が爆発した。
下級兵では相手にならないと踏んだのだろう、ゴブリンの中でも上級クラスのホブゴブリンやゴブリンシャーマンといった者たちが集落より飛び出してきた。
「気弾発射」
これまでに数え切れぬほどに聞いたセトの声だ、背負子の上から立ち上がり不可視の魔法が発射された。狙い過たず、気弾は次々とゴブリンの体内に吸い込まれ、爆散した。
天空より降り注ぐオレンジ色の閃光が地上に降り注ぎ、不可視の魔弾がゴブリンを穿つ。
ゴブリンの姿は次々と四散していた。
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いったいわしはなにをしとるんじゃ、とダンは自己嫌悪に駆られていた。
今は戦闘中だ、私怨など挟む余地はないと言うのに、自分はホームスとまともに向き合えないでいる。あの若造は幼い頃から人の心を見透かしたところがあった。
ドワーフも単純な性格という部分もあるだろうが、寡黙なドワーフにとっていちいち心の動きを悟られると言うのは不快だった。
今もマーヴェルのことを救いたいと思っている、だがこの村を見捨てていけばダイクスの村、ひいては鬼子母神殿も立ち行かなくなる。それではダメなのだ。
さっさとこのような連中など叩きのめして、探索のたびに出なければマーラの死期は刻々と近付いておるというのに。
そんな思いを抱きながらダンは突進した。後方でホームスの隕石落下やセトが気弾を発射する音が聞こえた。しばらく進むと、戦場の音が遠ざかった気がした。
ゴブリンがいなくなり、やけに広く感じられる集落への道にダンは立っていた。
敵の姿は見えない。回収されずに放置された荷車が寒々とダンの目に映った。
「ダン、ダン、聞いていますか?」
ホームスから魔法通信が送られてきた。ダンはためらったが、しぶしぶと応じた。
「ああ、聞こえておるよ」
「妙なんです。感知の魔法には反応があるのですが、物見の水晶球ではどこにも見当たりません。そちらの様子はどうですか?」
ダンはゆっくりと周囲を見まわした。目に映る限り敵の姿はなく、閑散とした道に古い倒木だけだ、右手の方向にはどんよりと濁った川の流れが見える。
念のために地面を叩いてみる、ドワーフ族は大地の精霊に語りかけることによって周囲の様子を探ることができる。この方法で新たな鉱脈を見つけ出し、貴重な鉱石を掘り出すのだ。
すると、おびただしい反応が、自分の周囲に静止している。そのまさに真上に自分が立っているようだ。
「逃げろ!」
セトの声がした。と同時に踏み固められた路面に亀裂が走った。
路面が割れて、地下から次々とゴブリンメイジが出現した。その数十体以上。
「地下かっ!」
ダンはお株を取られ、悔しげに叫ぶと、横っ飛びに転がった。
ゴブリンメイジの火球の魔法が爆発し爆風に煽られる。
ダンに激突され粉々に砕ける荷車、とっさにかわしたがゴブリンは周囲を固め、逃げ出す隙が無い。
さらに、霧に包まれていた集落から突如一体の巨人があらわれる。巨人の大きさは2メートル。全身に大型獣の毛皮を纏い、泥で覆われた迷彩を施され、鍛え上げられた筋肉で覆われた骨格に金属製の留め金で補強されたいかめしい姿である。
巨人の手には蛮刀が握られ、背には巨大な弓を背負っている。
「ゴブリンキング」と呼ばれる伝説級の魔物であった。
ゴブリンキングはゴブリンたちの王、数多の魔物の中でも高い知性を宿し、その繁殖力たるや他の種族の追随を許さない。
武器を使い、魔法を使い、人間の集落を蹂躙し、ドワーフの鉱山を荒らし、エルフの森を焼いた。
まさに人間にとって一番身近な脅威とも言うべき存在、それが目の前に存在していた。
様々なケースを想定していたが、一番最悪のパターンであるとセトは思った
「ホームス先生!あれはゴブリンキングですよね」
「ええ、間違いないようですね、この状況で厄介な相手が出てきたものです」
ホームスは通信魔法を使いながらも打開策を練る。とにかくダンの救出をしなければならない。
さすがのダンも魔法を直接くらえばただではすまない、魔法耐性の高い神銀製の鎧であってもその衝撃は鎧を貫通し肉体へダメージを与えてくる。
さらにゴブリン共に足止めされているあいだにキングの一撃を喰らえば重傷を負う事は間違いない。
ダンは包囲網を突き破って、死に物狂いで敵から逃れようとした。
しかし、ゴブリンは執拗に追ってくる。
背後で火球の魔法が立て続けに爆発した。熱風がダンの背を焼いて心なしか鎧の中が蒸し暑く、息苦しく感じられる。
背にゴブリン共の足音を聞きながらダンは走った。
「そんなにわしが憎いか、命が欲しいか?」
ダンは歯を食いしばり、内なる恐怖と闘った。
その時、ダンの脳裏を、過去の情景が通り過ぎた。この世の絶望をかいま見たような、そこには悪意と殺意が混在していた。
20年前の神殿襲撃事件の際、犠牲になったのはマーヴェルだけではなかった。ダンの留守を預かっていた戦友は両手両足をもぎ取られ、神官たちは皆殺しにされていた。
ただ一人マーヴェルだけが死の眠りに落とされ、生と死の狭間で生きる存在に成り果てた。
ダンは恨みと復讐の権化と化したが、マーラを守ると言う約束だけでその意思を暴走させずに生きてきた。だが、人間とドワーフの寿命は違う、マーラの死期を悟ったダンは復讐の旅に出ることを決意したのだ。
「ダンさん、ダンさん!」
アポロの呼びかけにも応じず、ダンは必死で這い、逃げ続けた。
マーモル島の深い闇はダンの心を蝕んでいた。
アポロ:テムス村の村人、ラインフォール王国辺境伯の息子であったがバーナム王国の住む砂漠の民の襲撃を受け家族は死亡、親類を頼ってテムス村にきたところでセトに出会う。
剣術、魔術の類は才能が無く、村では馬屋の世話をして生計を立てる。体力はあるのでセトを背負子にのせて戦場まで運んでいる。
セト:テムス村の少女、ラインフォール国にある正義と審判の神ジャッジの最高司祭である天界十二使徒アルバートの隠し子。政争から逃れさせるためテムス村に疎開していたときアポロに出会う。
ダン:ドワーフであり、ダイクスの村の採掘師、優秀な戦士でもあるため鬼子母神殿の衛兵も勤めている。20年前の神殿襲撃事件での責任を感じており巫女マーラに願い出て復讐の旅にでる。
ホームス:天界十二使徒大賢者マーロンの弟子、テムス村で教師をしているが、戦時となればアムラン王国の宮廷魔術師として招聘される戦術家。ダンとは幼少の頃に世話になったため、復讐の鬼となったダンを心配している。