第十二話 魔将
ラインフォール王国の北西にある広大な湿地帯、サフィールの沼地と呼ばれている場所の中心に天界十二使徒のひとり魔将ナーガの居城があった。
すでに魔将の名はその弟子ダマルカスへと引き継がれており、現在はエジャル島の執政官シリウスの元にあるのだから、ナーガはすでにただの女にすぎなかった。
だが、魔将の由来は魔性、見た目は成人したばかりか少し上、漆黒の闇を思わせる黒い髪に、なめらかで透き通るほどの白い肌、赤のドレスに胸元を大きく開いたデザインは男を惑わせるだろう。
美しい女であった、だがその顔は愁いを秘めた表情になっており、目の前の客人に向けられていた。
「これは珍しいお客人ね、飛龍騎士に天空騎士、さらには・・・顔色が悪そうだけど大丈夫?」
女は三人のうち、どうみても体調の悪そうな商人風の男に声を掛ける。
「これは、お見苦しいものを見せてしまい申し訳ございません・・・なにぶん空を翔るのは初めてでして・・目まいがひどく」
そういうと男はふらふらと壁際にもたれかかった。
「あらあら、これはちょっと駄目そうね、ゴラム!」そういうと女は手を叩き、奥から金属質の人型をしたゴーレムが現れる。そして男を担ぎ上げると別室へ連れて行った。
「まぁしばらく休めばどうということはないでしょう、代わりにあなたたちかお話を聞かせてもらえるかしら、ここまで色々あったのでしょう?」
そういって女は部屋の中央にある椅子に腰掛けるように促す。
すると今度は執事タイプとメイドタイプの人間そっくりのゴーレムが姿を現す。
「かれらはジョンとメアリー、大事なお客様はこの二人で対応するの、突然倒れてしまうような不届き者はゴラムの仕事ね」
テーブルにティーセットとお菓子が用意され、龍騎士と天空騎士の二人は椅子に腰掛けるとほっと一息つけたようだった。
「まず、自己紹介からさせていただきたい、私は龍騎士のサロニカ、彼女はメルクリスです。先ほどの男は商人のワタミと申しまして私たちの依頼主です」
するとサロニカは頭を下げ、
「突然の来訪もうしわけない、まさかこのようなところに城があるとは思わず、油断してしまったようだ」
と謝罪したのである。
「ああ、結界のことね、まさか私たちもこんなことになるとは思わなかったけど運がよかったわね、別のところに落ちてたらまず助からなかったでしょうし」
話は少しさかのぼる。
ローラン連邦の都市クロラインを出発してからサロニカの不安はすぐに的中した。
龍に乗りなれていないワタミが空酔いしたのだ、空酔いの原因はいくか考えられるが、高所順応ができていない人間が、急激に気圧が下がる高地へ駆け上るとと体内に巡る血が一気に下降し貧血状態を引き起こすのだ。
さらに戦闘になれば曲乗りや宙返りをすることはままあることであるし、これができなければ龍騎士を名乗る事などできない。
そんなことも知らずにただの移動手段として龍に乗ろうとするなど自殺行為だと諭したのであるが、急いでいる金は払うの一点張りでどうしようもなかったのだ。
メルクリスの天馬は男性は乗せないため荷物しか運べないので説得は完全にサロニカの仕事であった。
しかたなくワタミの指示するまま飛龍を飛ばし、メルクリスはそれに追随し、小国群の検問を素通りする。時々休憩を挟んで食事や水分をとりつつ、旅を続ける。幸い天候には恵まれ、危険な魔物も飛龍の姿を見れば逃げていく、そしてサフィールの沼地に差し掛かったとき事は起きる。
どうやらワタミの目的地はバーナム王国だったが、本来ならいったん商国家ジュエルを経由する北回りのルートか、近道である南ルートを使うほうがいいが厳しい検問があるラインフォール王国を通らなければならない。
検問を受けずに南からずにいくならサフィールの沼地や湿原を通らなければならない、そこは霧深く、ちかくの住民や船乗りたちも沼に生息する魚や植物の栽培を行っている程度でとても踏破するほど詳しくは無い。
そこで空から一気にバーナム王国へ抜けようとしたのだろうが、ハインスはそのサフィールに何があるのかを知らなかった。
古代魔法王国時代から存在するマーモル島最古の城ナーガの居城である。
自然発生する霧もあるが、城の周囲は魔法道具によって作られた人工的な霧である。方向感覚を失わせ島に近づけさせない仕掛けが施されており、ナーガの許可なく進入することはできない。
だが、さすがのナーガも天空を高速で突撃する龍騎士を阻む仕掛けを用意してはいなかった。
そして、龍騎士もまた混乱の極みにあった。龍は方向感覚を全方位でとらえている、これが失われてしまうと目も耳もふさがれた状態で飛ばなければならない。
長年の勘と経験で必死に立て直そうとするが背にしがみついたワタミが邪魔をする。
龍は暴れ、後ろではワタミが手綱を引こうとする。
サロニカとしては龍より後ろの荷物のほうが厄介であったが、叩き落すわけにも行かない。
そうこうしているうちに急に目の前が暗くなり手綱を引くが間に合わず城の尖塔に激突したのだ。
その時ナーガは午後のティータイムを楽しんでいる頃であった。この島では強い日差しがないため、日陰に咲くハーブの類がよく採れるのだ、それを組み合わせて楽しむのがナーガの日課である。
穏やかな日々に突然響き渡る轟音、龍の悲鳴、瓦礫に押しつぶされるハーブ園、そして人工霧発生装置の役割をしていた尖塔が完全に崩れてしまったため今まで覆っていた霧が晴れ青空が見え始めていた。
それを見たナーガはマーモル島に再び訪れようとしている戦乱の予兆を感じ取っていた。
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「大体の経緯はわかりました。確かにあなたたちが不法に私の島に来たのは許せないけれど、こちらも無断で龍の領分である制空権を侵害していたのも事実ね。ただ素通りするつもりだったあなたたちにはご迷惑をかけてしまったし、うっとおしい霧の原因を排除してくれたから助かったわ」
ナーガはそういうと空を見上げる。
「本当に久しぶりの青い空、三十五年ぶりかしらね・・・」
「あ、あのご婦人はずっとここで暮らしておられるのですか?」
サロニカが思い出に浸ってしまった様子のナーガをみて話題を振る。
「ええ、この城は古代魔法王国時代に作られた城で私が管理しているの、あらやだ、私自己紹介してなかったわね、いけないわね年をとると耄碌しちゃうってホントね」
「いえ、三十五年といわれたのですが、三十五歳なので?もう少しお若く見えるのですが・・・」
「あら、いやだわありがとう、でも、わたしの肉体は死んでるから年はとらないの」
「え・・あのそれっていわゆる吸血鬼とか死霊とかいう魔物の類ですか?」
「あら、大当たり!鋭いわねぇこんなに早く当てられたのは久しぶりね」
婦人はニコニコと自己紹介をはじめる。
「私は吸血鬼で天界十二使徒の一人魔将ナーガ、この島に引っ込んで悠々自適な暮らしをしてるわ」
「おお、そうだったのですか!私の祖父も天界十二使徒で龍王スピネルと申します」
「そう、あの人のお孫さんなのね、歳をとるはずだわ、そのお孫さんがどうしてこんなところまで?彼の孫なら風龍ガゼルの封印で忙しくはないの?」
「祖父は寄る年波に勝てず病に臥せっておりまして、風龍ガゼルは天界十二使徒の一人大賢者マーロン様が代わりに治めてくださっています、私は祖父の病の原因である龍熱の治療法を探すため、天界十二使徒のお一人、魔薬師ラードン様を頼ってバーナム王国へ行くつもりでありましたのでそのついでに・・・」
「そうだったの・・・人の身は病を得れば死を迎えることもある。私も不老不死の力を手に入れたけどそれでも万能ではないわ」
「と、申されますと?」
「あの霧の発生装置は侵入者を防ぐと共に私たち吸血鬼にとって最大の弱点である太陽の光を遮っていたの、おかげでもう外にもでられないし、この城にも長くはいられないわね」
「そ、それはまことに申し訳ないことで・・・」
「別にあなたたちが謝る必要はないわ、不本意な行為で無理やり連れてこられてしなくていい怪我まで龍にさせられてるのよ、代わりにあの男から血をいただくから」
「は、はぁ、死なない程度に吸ってもらえればこちらにとっては異存ございません」
「ふふ、大変だったみたいね、とりあえず弟子のいるエジャル島へ移ろうかしら、あそこもボマル火山の影響で火山灰で日の光が遮られているから過ごしやすいらしいし闇の森も快適だそうなの」
「ねぇ、あなたも一緒に来ない?あそこも邪龍ギャドラがいて封印するのも大変みたいなのよ」
「え、いやどうでしょうか、里を救う使命もありますし、たしかエジャル島はカナン王国の領地ですし、シリウス卿もおられます。私の出番などあるかどうか・・・」
「あら?ローラン連邦なんて山奥にいるから何も知らないのね、ダマルカスの話だとエジャル島のシリウス卿はカナン王国に反旗を翻して侵攻したのよ」
「そ、それは真で!?」
「ええ、カナン王国の第二の都市バサルはすでに占領されているわ、近隣諸国には救援を求めているけど、王都グローリーキャッスルが墜ちるのも時間の問題だわね」
「そ、それにしても早すぎるでしょう、クロラインにいたときにはそんな情報はまだ耳にしておりませんでしたよ!」
と隣にいるメルクリスをみるが、彼女のほうは全く動揺せず黙々と菓子を食べていた。
「天馬騎士団はすでにカナン国が不穏な情勢であることは掴んでいた、出動待機がかかっていたから・・・でも商人たちのほうがいやな予感はしていたみたい」
「そうね、さっきの商人・・・ワタミさんが無茶な空路を使ったのもラインフォール王国からカナン王国への道とローラン連邦への道が交差する国境を封鎖することを見越していたんでしょう」
「それにしてもカナン国には強力な海軍があったはず、エジャル島は犯罪者の島、当然備えはあったはずでしょう?」
「それはほら、ダマルカスが何かをしたんでしょうねぇ・・・」
「なにかとは・・・?」
「私なら指揮官クラスを眷属にしてしまって、同士討ちをするとか考えるかしらね・・・」
「そ、そんなことまで・・・」
「あなたなら龍を使えばそんな手間はいらないでしょ」
「たしかに、空への備えがない海軍ならば余裕です」
「ローラン連邦はまとまれば最強なんだけどね、あそこは昔ながらのやり方を変えられないからいまいち自分たちの力を過小評価してるのよね」
ナーガはさらに続ける。
「里を救うっていうけど私から見たらもう詰んでるようにみえるけど、龍熱に対処する方法は必要だと思うわ、ダマルカスが私の元を去ったときもあなたと同じ顔してた。男の決意をする表情は同じようなものなんでしょうね」
「ダマルカス殿は何ゆえこのようなことを・・・」
「シリウス卿のような大義は持っていないわ、とても個人的なことよ、そして大事なこと、あの子は探してるの。私たちの城から奪われた秘宝をね」
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三十五年前の降魔戦争は各地に甚大な被害をもたらしたと共にあるものたちには非常に有益なものをもたらしていた。
異世界の技術と秘宝の有用性である。
もともとこのマーモル島には人間しかいなかった、そこに神が降臨せし、天界、冥界、妖精界、精霊界、魔界、龍界の門を開き、互いにあい争わせる巨大な遊戯台にした。
遊び飽きた神々は次々に門を閉じひずみだけが残り、異界より呼び出された存在はそこからわずかに漏れ出るエナジーを吸い取って生きていくしかなかった。
天界の門は各地にちらばる神殿が管理し、魔界の門はダンジョンとして残った。妖精界は黄金樹が門をつとめ、冥界は「いと深き深淵」に封じられた門に閉ざされ、龍界は5匹の龍が門番となった。
たしかに大きなひずみはそれだけであるが、本当に細かいひずみは秘宝として残った。
本来あるべきものではないもの、異世界の技術、それは本来秘匿されるべきもの・・・
だが、三十五年前の冥界の「いと深き深淵」から放たれた『降魔』はそのような良識が通用する相手ではなかった。彼らは躊躇なく現地人では使い道の分からなかった秘宝を様々な種族から奪い取り己の戦力として利用し、牙をむいてきた。
天界の秘宝、異次元の鏡は目的地を照らし出し瞬時に移動できる門を作り出した。
冥界の秘宝、降魔の剣は持ち主のエナジーを吸い取り、全ての物を切り裂いた。
妖精界の秘宝、黄金樹の実はエナジーを大地から吸収し、新たな『降魔』を作り出した。
龍界の秘宝、龍の卵から生まれた龍は大空を舞い多くの眷属を呼びだした。
魔界の秘宝、赤の宝玉は魔界との入り口を広げ魔物を呼び寄せた。
多くの犠牲と天界十二使徒の活躍により降魔は退けられ、その秘宝は天界十二使徒のうちの5人がそれぞれ持ち帰り、所有者を秘密にすることで様々な国の権力者から身を隠すように皆僻地へ隠遁した。
大神官アルバートはラインフォール国にある正義と審判の神ジャッジの神殿で後進の指導にあたった。
魔薬師ラードンはバーナム王国で王宮薬師として弟子を育てた。
剣匠キャラインはカナン王国で剣術道場を開き弟子を育てた。
暗黒卿シリウスはエジャル島で執政官として暗黒騎士を育てた。
怪盗マックはアムラン王国で興行をしながら盗賊を育てた。
巫女マーラはアムラン王国北方の鬼子母神殿で後進の指導にあたった。
精霊王ペルクスはカナン王国のエルフの里で次代の精霊使いを指導した。
商王ハインスは商国家ジュエルで次代の商人を育てた。
海王ナザルは息子の教育を義理の兄に任せ水龍サーマルの封印を続けていた。
龍王スピネルは次代の龍騎士を育てた。
大賢者マーロンは次代の魔術師を育てた。
魔将ナーガは次代の担い手を育てた。
それぞれが自分たちにできることを模索していた。だれも『降魔戦争』で終わったと思っていなかった。どんなに手を尽くしても、新たな力を欲するものは現れる。
それに天界十二使徒の最大の敵は滅んでいない。
奴らは地下にもぐっただけだ。必ず復活するだろうそのときは・・・自分たちにできることをする。
その思いは共通し、そして同じ結論に至る。
『冥界十二神将の復活』それが彼らの出した結論だった。
ナーガ:天界十二使徒の一人、魔将ナーガ。吸血鬼。サフィール湿原にある古代王国時代にある遺跡の城でゴーレムに囲まれ一人で暮らしている。
サロニカ:ローラン連邦龍の里の龍騎士、ワタミの依頼でバーナム王国に行く途中、ラインフォール王国の国境封鎖を避けようとサフィール湿原に入ったところをナーガの城に突っ込んだ。
メルクリス:クロライン所属の天空騎士、ワタミの依頼でバーナム王国に行く途中、ナーガの城に立ち寄る。天馬は魔法耐性が高いため、魔法道具の効果がなかった。
ワタミ:商国家ジュエルの商人、バーナム王国への品を届けるために二人を雇ったが、空酔いのためナーガの城にて療養中。