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練習作品集  作者: 七忍ルキ
3/3

異世界トリップ物

練習作そのさん

 一歩踏み出せば、世界が変わった。


「……は?」


 石畳の道を行き交う人々。客を呼び込む商人の声。彼らを眩く照らす太陽。遮られることのない灼熱は、壮大な空より大地を睥睨している。

 屋台で串焼き肉を売っている強面の男が汗を流しながら肉を焼き、その匂いに釣られたらしき黒ローブの男が銀貨を片手に屋台に並んだ。店の売り子をしていた少年がガタイのいい青年に走り寄り、その手を取って店まで引っ張り込んでいく。

 チラリと見えた店内には、無数の刃物が無造作に展示されていた。


「なん、だよこれ……!」


 そんな、現代社会(・・・・)においては見ることはないだろう光景を前に、俺は絶句した。

 ほんの一瞬前、一歩踏み出す前までは周囲はこんなところではなかった。ごくごく一般的な、高層ビルが空を狭くし排気ガスでよどんだ曇り空が太陽の光を遮っていたはずだ。コンクリートジャングルとまで謳われた都会の歩道を歩いていたはずなのだ。

 今時屋台で串焼き肉なんて売っているところはほとんどないし、それを買うのに見たこともない細長い銀貨を支払うなんて文化は聞いたこともない。返ってきたお釣りらしき銅貨も、同じように見たことの無い物だ。少なくとも、円ではない。

 極めつけは刃物である。あんなに無造作かつ大量に刃物を―――それもナイフなどではなく、剣や槍といった時代遅れな武器を、店の中で展示しているところなんて聞いたことすらない。


 そんな風に現実逃避に必死になっている俺の横を、全身に(・・・)重そうな(・・・・)鎧を(・・)着て腰に(・・・・)剣を差した男(・・・・・・)が通り過ぎた。


「……ッ!?」


 驚愕する俺をよそに、革鎧を着て大剣を背負った女性、黒ローブ姿で身の丈ほどの杖を持った少女、白ローブに軽鎧をつけ棍棒を腰に差した青年が続く。思考がまとまらずに彼らの後姿を見つめていると、今度は視界の隅に猫耳を生やした女性(・・・・・・・・・)が映った。


「―――ねこ、みみ?」


 思わず呟いた言葉は喧騒にかき消された。しかし、その衝撃は現実逃避を続けていた俺に現実を叩きつけてくる。


 まあ、つまりなんだ。これまで頭の片隅に浮かんではいたけれど必死に考えないようにしていた、『異世界』という単語が現実となったと、そういうことなんだろうか。

 ようするに―――。


「―――異世界トリップ、だと……!」


 そんなバカな、いやでも否定する材料が。そんな思考が泡のように浮かんでは消えていく。自分でも馬鹿馬鹿しいと感じるこの言葉は、しかし妙に現実感を持って重く圧し掛かってくる。


「馬車が通るぞぉ!」


 俺が放心していると、不意にそんな声が響いてきた。周囲にいる人々はそれを聞いて道の真ん中を空けるように隅によっていく。


「なんだ……?」


 疑問をこぼしつつも周囲に倣うように同じく道の隅へよったところで、ガタガタと何かが移動してくる音が聞こえてきた。

 音は次第に大きくなり、ついには目視できる距離に近づいてくる。


「……貴族、か?」


 その馬車を見た第一印象が、それだった。

 馬車の随所に施された家紋らしきものと、周囲の反応からくる直感だったが、あながち間違っていない気がする。そんなことを考えながら見ていると、馬車は俺の目の前を横切り通り過ぎていった。


「ふぅ……」


 何の問題もなくやり過ごせて息を吐きつつ、現状を再確認する。


 まず、ここはどこか。おそらく異世界である。

 なぜ? 人間以外の人種が存在している。

 どうしてここにいる? 知るかそんなのこっちが聞きたい!

 ではこの世界の文明レベルは? おそらく中世ヨーロッパ風味。ここが田舎だったとしても、電化製品を見ていないので少なくとも現代日本クラスではない。ただし魔法等があれば特有の文化がある可能性あり。

 その根拠は? 移動に馬車が用いられている。貴族制度がありそう。というか剣とか槍とかで武装した集団が存在している。杖を持っている人も比較的多いから、魔法使いのような存在もいると考えられる。

 これからどうするべき? 衣食住のうち食と住をどうにかしないといけない。


 ここまで考えて、未だに持ち物確認をしていないことに気が付いた。


「うっかりしてたな……」


 ぼやきつつ体を見下ろせば、そこには異世界に迷い込む前に来ていたままの服が見えた。

 ジーパンに黒のシャツ、ミリタリー風ジャケットを羽織っている。持ち物はポケットに財布とスマホ、ジャケットの内ポケットには糖分補給用の飴玉が二つ。つまり、休日に家を出たときの格好そのままだった。


「んー……この格好は、目立つか?」


 自分の姿を見たあと、改めて周囲を見渡す。少なくともジャケットやジーパンは目立ちそうだと思ったが、道を歩く一人が何処と無く迷彩柄っぽい印象を受ける服装をしていたので、割となんとかなるかもしれない気がしてきた。

 でも道行く人たちがこちらをチラチラ見てくるので、やっぱり少し目立つかもしれない、と思い直す。緊急ではないが、いつか服を買い換えたほうがいいだろう。


 そう結論して、服装の問題は棚上げする。今すぐどうこうできる話でもないし。


「それより今日の宿と飯だよ」


 自分に言い聞かせるように呟く。

 死活問題だ。さっき見た銀貨が一般的な通貨ならば、こちらは今現在無一文ということになってしまう。そうなると、飲食店も宿も利用できないだろう。どうすべきか。異世界トリップにおける代名詞たるギルドとかがあればいいんだけど。あるよね? なかったらちょっと本気で途方に暮れるんだけど。あ、でも魔物狩ってこいとか言われても無理かも。


 内心不安になりつつもとりあえず人通りに流されるように歩き出す。

 なんとなく武装した人が多いほうへ進んでいくうちに、なにやら大きな建物が見えてきた。武器持った人たちが出入りしてるし、何処と無くギルドっぽい感じがしないでもないような気がする。

 近づいて聞き耳を立ててみると、『依頼』『酒』といった単語がちらほらと聞こえてくる。ギルドっぽいところで合っているようだ。とりあえずお金稼げる可能性ができて一安心である。


「よし、あとは……冒険者登録? 登録料が必要とか言われたら詰むなぁ」


 一安心した直後にこれだ。自分で言ったことに対して軽くへこみながら、ギルド(推定)の扉を開く。ぎぃ、と小さく音を立てて開かれた扉。その先には鎧を着込んだままテーブルでお酒っぽい飲み物を飲んでいる人たちや、掲示板のようなものに張られた紙を前に考え込んでいる人、受付っぽい人に紙を手渡しているグループ……といった、これぞ異世界といった光景が広がっていた。


「おぉ……!」


 小さく感嘆の声を上げる。

 いろいろと見て回りたい気持ちがあふれてくるが、ひとまずそれは置いておく。絶対後で見て回ろう、と決意しつつ受付へ足を運ぶ。何はともあれ、まずは登録が最優先だ。


「いらっしゃいませ。ご依頼ですか?」


 開いている受付の前に立つと、受付に立っていた女性が声をかけてきた。

 桃色の髪を肩口まで伸ばした美人さんだ。髪と同色の瞳が綺麗だな、と思う。ただ、顔立ちは何処と無く西洋風で、やっぱり異世界人だなぁと感じる。

 

「いえ。えっと……、登録ってここで大丈夫ですか?」


「登録ですか。はい、ここで大丈夫ですよ。文字は書けますか?」


 そんな受付の人に問うと、こう返ってきた。


 文字が書けるか聞くってことは、識字率が低いということだろうか。まぁ何故か言葉が通じるとはいえ、文字まで分かると思うほど楽観できない。ここは素直に代筆を頼むことにする。


「代筆をお願いします」


「分かりました。ではまず、お名前をお願いします」


 名前。本名を名乗ってもいいけど、なんだか浮きそうな気がする。何処となく西洋風な感じの世界っぽいし、それっぽい偽名を名乗ったほうがいいのかも知れない。


「……ジンでお願いします」


 いろいろ考えていたが、結局苗字を名乗らず名前だけ名乗ることにした。これなら違和感は少ないだろう、という思惑もあるが、下手な偽名を名乗ってもそれが自分だと認識できないかもしれないと思ったからだ。


「ジン様ですね。では、使用武器と魔法の有無、あとは特技等がありましたらお願いします」


 魔法! その言葉を聞いて、やはりここは異世界なんだという確信を得る。軽く感動すら覚えるが、それよりも今は登録だ。

 使用武器、と言われても、今は何も持っていない。というより仮に武器があったとしても、学校の体育での剣道くらいしか覚えが無いので、使える気がしない。が、とりあえずは剣と答えておく。

 魔法については、現代日本人たる俺が使えるはずも無いので、当然否。

 特技と言われても、平凡な一学生だった俺に特筆する何かがあるはずもなし。特に無いですと伝える。


 俺の言葉が終わった後書類にさらさらと何かを書き込んだ受付の人は、受付の下から銅色の小さなプレートを取り出した。そしてそれに手をかざしてなにやらぶつぶつと呟いたと思ったら、手元が光ってプレートには何かの模様が刻まれていた。


「はい、できました。こちら、身分証明も兼ねた冒険者証です。名前も刻まれているので、できるだけ肌身離さず持ち歩くようにしてくださいね。依頼を受けるときは、この冒険者証と一緒に掲示板に張られている紙を持ってきていただくか、受付で依頼があるか聞いてください。その際にも、冒険者証の提示をお願いします。依頼の完了報告も、同じように受付でお願いしますね。討伐証明部位等はギルド備え付けの本棚にあります『魔物大全』を参照してください。『薬草大全』や『鉱石大全』といった本もございますので、ぜひ読んでおくことをお勧めします」


「あぁ、はい。ありがとうございます」


 そう言って手渡された銅色のプレート―――冒険者証は、やはりなんて書いてあるのか分からない模様が刻まれている。名前『も』、ということはこの模様のどれかは『ジン』と書いてあるんだろうけど、全く分からない。依頼を受けるときも文字が読めたほうが便利だろうし、早めに文字を学んだほうがいいかもしれない。というか冒険者ランクみたいなのはないのかな。今の説明だと、登録したてでも難しい依頼とか受けれる感じなんだけど。

 そんなことを考えていると、受付の人が笑顔で問いかけてきた。


「ギルド支給の武器は御必要ですか? 新規登録の方には一つだけ武器を支給しても良いということになっています。もちろん、御自分の武器があるからいらない、というのであれば断っていただいてもかまいません」


 支給、つまりタダ! こういう場合品質はあまり期待できないだろうが、それでもこれは嬉しい誤算だ。タダという魔力に思考を奪われて、俺はそれまで考えていたこと全てを脳内から破棄して頷いた。


「ぜひお願いします」


「了解しました。少々お待ちください」


 了承の意を伝えると、そう言って受付の人は受付奥の扉の向こう側へ消えていった。おそらく武器を取りに行ったのだろう。

 にしても、剣か。うまく使えるだろうか。まあ使えなければ死ぬだけなので、使うしかないのだが。


 そうして思考に耽りながら待っていると、数分で受付の人が両手に剣を抱えて戻ってきた。


「お待たせいたしました。こちら、ギルド支給用の剣になります。品質はお世辞にも良いとは言えませんので、早めに稼いで買い換えることをお勧めいたします」


 つまりばんばん依頼を受けて消化していけってことだろうか。了解です。

 勝手に言葉の裏を想像しながらお礼を言って剣を受け取る。いわゆる片手剣という奴だろうか。少し短めの刀身を持つその剣は、黒い鞘に収められた状態で俺の手に収まった。

 剣の、ずっしりとした重みは想像していたよりも重かった。一緒に剣帯ももらったので、それで剣を腰に吊るしておく。

 これで俺も冒険者っぽく見えるだろうか。無理か。防具つけてないしなぁ。


 横に逸れた思考は放置して、受付の人に問いかける。


「早速ですけど、すぐ受けれて今日中に終わるような仕事ってあります?」


「そうですね……。もう数刻もすれば日も暮れるので、本当に近場の薬草採取や害獣駆除くらいですね。街中のお手伝い依頼も、この時間からだと受け付けてくれるところはないでしょうし」


 そう言って提示された二枚の依頼書と思われる紙。懸念した通り、全く読めない。そのため詳しく話を聞いてみたところ、各家庭に常備されている傷薬の原材料である薬草の採取や、見かけ次第駆除が推奨されている大鼠の駆除は常時依頼――どんなときでも存在する、初心者救済の役割も兼ねた依頼なんだそうだ。

 なんでも、冒険者になったばかりの者は戦う力もないような使い物にならない者が多いため、まずはこの依頼を楽にこなせるようになってから他の依頼に手を出せ、というのが冒険者間での暗黙の了解らしい。薬草採取は金になる薬草の見分け方を学ぶ、害獣駆除は外に出るための最低限の戦闘力の確保が目的なんだそうな。


 外を出歩くだけである程度の戦闘力が必要な世界って……、と聞いた当初は嘆いたが、続きを聞いて納得した。

 火を吹く蜥蜴に雷を纏う獅子、嵐を呼ぶ蛇等が跋扈する弱肉強食の修羅の世界。それがこの世界の住人が抱く、街の外の印象らしい。そりゃ戦う力は必須だわ。てかそんな場所に街や国を作っちゃうこの世界の人間ってありえねぇ。

 そう感想を溢せば、どうやら四英雄と呼ばれる一つの冒険者パーティがいたおかげだと言われる。

 なんでも、そのパーティの有名な話では、天から雷が降り注ぎ竜巻が地上を吹き飛ばし、大地は全てを飲み込むようにひび割れ、大陸が割れて大きな河となったそうな。そんな人外極まる冒険者達が先導してこの地に国を興し、そして外敵を駆逐して行った結果が今なんだとか。

 おかげでこの街から離れすぎなければ強い魔物はいないらしい。正直すごすぎてドン引きだが、そんなありえないレベルの活躍をした英雄たちのおかげで俺は今日唐突に異世界に放り出されたにも関わらずなんとか生きていけそうな訳で……。


「うーん……。同じ人類とは思えない活躍っぷりにはドン引きだが、強い敵を追っ払ってくれたのには感謝だなぁ。剣もらっていきなり『さあ戦うのだ』とか言われても無理ゲーだし」


 そんなこんなで現在街の外。

 説明を受けた後同じ場所だった両方共の依頼を受けておいて、採取する薬草の外見と駆除する害獣の見た目だけ教えてもらってからギルドの正面にあった門から外に来たわけですが……。


 辺り一面、草原。膝丈くらいの草が街道を除いたほぼ全域に生えている。正直、ここから薬草探しなんて見つかる気がしなくて心が折れそうである。


「しかし、見つけなくては今日の宿はなし。やるしかない――ッ!」


 無理やり心を奮い立たせていざ突入。街道から逸れて草原の中へ突っ込む。ところどころ何かで薙ぎ払われたかのように草が倒れていたり中途半端な位置で切られているのは、俺と同じく薬草採取や害獣駆除の依頼で活躍した先輩たちの痕跡だろう。


「……にしても、思ったより歩きにくい。これじゃぁ、もしかして剣とか振るのスッゴイ大変なんじゃね……?」


 全く見つからない苛立ちを、独り言を呟くことで解消する。諸々に関する文句を口にしながらも、剣で適当に草を掻き分けながら進むこと数分。黄緑色の草の中に、濃い緑色の葉をした草の集団を見つけた。


「―――あったーっ!」


 口では発見の喜びを素直に表現しつつも、手元は丁寧に薬草の根ごと掘り返す。受付の人曰く、薬草五個ワンセットで銅貨一枚だそうだが、根が切れていたら五個で小銅貨八枚にまで下がるらしい。お金の価値がどの程度なのか分からないのでアレだが、無一文かつ宿無しな現状では稼げるところで稼がねばマズイ。

 そんなことを考えつつも掘り返した薬草の数は十個。もう数個採れそうだが、全部取ると次がないからダメだってどこかで聞いたような気がするので放置だ。


「ここは終わりとして、次は害獣駆除かなぁ。お金的にも、薬草の五個銅貨一枚より一匹銅貨三枚とお高めだし、こっちで頑張らないと本気で宿無しになりそうな予感がする」


 方針を口に出して確認する。混乱していた時の記憶なので自信ないけど、確か串焼き肉で細長い銀貨を支払って銅貨数枚帰ってきてたはず。そう考えると、つまり小銅貨・銅貨・細長い銀貨(小銀貨?)の順でお金の価値が上がっていくんだろう。串焼き肉がいくらかは分からないが、日本基準で行くとせいぜい数百円といったところか。なら小銀貨っぽいのは大体千円くらいの価値だろう。この世界の貨幣制度が十進法を採用していたら、の話だけど。

 まぁつまり、銅貨一枚で百円くらいの価値である! これは本気で頑張らないと止まれるとこないぞ、俺。目標は小銀貨三枚、つまり三千円だ。そのくらいあれば宿に泊まるくらいできるだろう、きっと。


「今銅貨二枚分だから……、あと二十八枚? 十匹狩らないとダメか……」


 目標を口にすることで現状を把握しつつ、獲物を探してうろつく。平行して見える景色から薬草の緑色を探すのも忘れない。もう五個ほど薬草が手に入れば、害獣狩りは九匹で済む。

 もう少しすれば日が落ち始めるだろうし、そうなる前に何とか宿代を確保しなければならない。現代日本人である俺からすると、街中で野宿なんて怖くてできない。


 そうやって未来を悲観しながら草を掻き分け進んでいると、草むらの隙間から黒い毛が見えた。


「―――ッ!」


 息を飲んで観察してみると、どうやら害獣枠で登録されている野犬の一種であることが分かる。

 黒と灰色の毛を持つ大型犬くらいの野犬だ。ギルドでは依頼を受けていなくても討伐証明部位さえ持っていけばお金をくれる制度があるらしい。基本的に外をうろついているのは魔物なので、見かけたらとりあえず倒すといいらしい。確か野犬はこの付近では割とメジャーな魔物で、証明部位を持っていけば小銀貨一枚、だったような……。

 そのことに思い至った瞬間、狩ることを決心する。


 その野犬がなにやら膝丈くらいの大きさの鼠を食べている。アレが大鼠、だろうか。思ったよりも大きかった鼠に戦慄しつつ、野犬がこちらに気付いていない様子に安堵する。どうやら食事に夢中かつこちらが風下であることが幸いしたらしい。

 

 音を立てないように剣を抜く。

 草を掻き分ける際に使った感想としては、安い包丁のほうが良く切れそうな程なまくらだった。さすが初心者への支給武器。しかし、一応鉄製だけあって割りと重量はあるので、鈍器としては使えそうだ。それに今持っている唯一の武器でもある。


 姿勢を低く、剣を構えながら慎重に進む。

 野犬が反応したら即座に飛びかかれるように心がけながら歩く。この剣では一撃で首を落とすなんて芸当はまず不可能だろうと判断して、頭か足を狙うことにする。頭なら脳震盪を起こしてくれれば御の字だし、足ならば機動力を削げる。

 接敵まで後数メートルだ。目測でおおよそ五メートル。まだ気付かれていない。

 一歩進む。気付かれない。四メートル弱。

 さらに一歩。

 踏み出した瞬間、野犬の耳がピクリと動いた。そして野犬が頭を上げる。

 

 気付かれた―――ッ!


「―――チィッ!」


 相手に気付かれたと悟り、舌打ちとともに飛びかかる。そのときには野犬はこちらに向き直っており、臨戦態勢を整えて低く唸っていた。


「ぜぇええええいッ」


「ガゥッ」


 叫びながら剣を振り下ろせば、相手側も短く吼えながら噛み付こうと牙を剥いてきた。向こうから距離を詰められたので目測を誤り、剣の間合いの内側に入り込まれてしまう。このままではこちらの攻撃は当たらず、無防備に牙の餌食になってしまうだろう。

 そのことに考えが至った瞬間、体が無意識のうちに後ろへ引く。それは生存本能が敵から逃れる一心で肉体を動かした結果だったが、そのことが結果的に良い結果を齎した。


「キャウンッ」


 ガン、と硬い物にぶつけたような感覚が腕に伝わると同時、野犬が短く悲鳴を上げて倒れる。見れば、頭から血を流してジタバタともがいている。


「……え?」


 疑問符を発すると同時に手の内を見ると、剣が野犬の血で紅く染まっている。ポタポタと地面に染みを作っているそれは、やはり俺が斬ったからだろうか。


「いや、でも」


 俺は攻撃に失敗して、手痛いカウンターを喰らったはずだ。少なくとも、俺はそう思った。だが、現実には野犬が地に伏していて、俺が立っている。生存競争に勝利したのは俺だった。


「―――しょう、り?」


 そのことを口にした途端、急激に死の恐怖が蘇ってきた。歯がカチカチと音を立ててぶつかり、体が震える。あの時、無意識に後ろに引かなければ死んでいた。野生の弱肉強食の掟にしたがい、野犬の餌になっていただろう。今回生き残れたのは、ただの運だ。

 突然異世界に来て、無意識に浮かれていたんだろう。無一文でやばい、魔物怖いと言いながらも、危機感が全く足りていなかった。どこかで自分は大丈夫だろうという楽観があった。ギルドに登録し、剣を手に入れ、このままやっていけると無条件に信じ込んでいた。

 この世界はそんなに甘くは無い。


「グルゥ」


「ッ!?」


 茫然自失していた俺を現実へ呼び戻したのは、野犬の唸り声だった。

 野犬はふらふらしながら唸り声を上げている。どうやら脳震盪を起こしていたらしい。またしても幸運に助けられた。もし脳震盪を起こしていなかったら、さっきの自分は隙だらけで攻撃し放題だっただろう。


「けど」


 そう、けれど―――もう覚悟は決めた。もうあんな無様は晒さない。


「だから―――俺のために、死んでくれ」


 宣言し、そして剣を構えて突撃する。

 相手は前後不覚な手負いの野犬一匹。対してこちらはなまくら剣一振り持った素人(ニュービー)。剣の術理なんて知らないので、チャンバラのように力任せに剣を振り下ろす。鈍い手応えと共に野犬に攻撃が命中し、再び野犬が倒れる。そこに追撃で蹴りを入れて蹴り飛ばし、離れたところに落下した野犬めがけて剣を振り下ろす。確実に息の根を止めたと確信できるまで、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も―――。


「は、ぁ」


 いつの間にか止めていた息を吐き出しながら、野犬を見下ろす。

 重点的に攻撃を加えた頭周りは完全にぐちゃぐちゃで、確実に死亡しているのが見て取れる。頭蓋骨が割れて中身が露出しており、とてもグロテスクだ。一般人が見れば吐き気を催すであろう光景だが、それを作り出した俺は吐き気どころか達成感すら覚えていた。


「―――勝った」


 体の熱を吐き出すかのように呟き、手に持った剣を見る。何度も強引に叩き付けたせいか、刀身は刃こぼれしている。血を振り払って鞘に収めようとすれば最初の頃より抵抗があったので、もしかしたら少し曲がってしまったかもしれない。次からは鞘に入れた状態で殴ったほうがいいだろうか。

 そこまで考えたところで、討伐証明部位を切り取らなければならないことを思い出した。


「あー……証明部位ってどこだっけか。文字読めないこと、隠さず言って教えてもらえばよかったか」


 メジャーな魔物の話のときにチラッと出てきたような気はするのだが、イマイチ思い出せない。


「……しゃーなしだな。死体ごと持ってくか。確かギルド近くに解体専門のお店があるらしいから、そこ行けば何とかなるだろ」


 そう決めると、頭の潰れた野犬の死体を担ぎ上げた。意外と重くて少しふらついたが、どうにかバランスを取って歩き出す。

 この野犬が宿代くらいになればいいのだけど……。

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