-Episode31-
出歩くと言っても、安全のためか病院の入口の自動ドアが閉まっていたので、病院内をうろつくことしかできない。看護師のいないロビーで、僕と杣は椅子に腰かけていた。
「喉が渇いたから、飲み物買ってくるね」
杣は一度背伸びをしてから立ち上がり、近くにいる自動販売機に駆け寄って行った。こうして見ている分には彼女も楓と変わらず見た目相応の仕草なのだが、話をしたりするときの彼女の雰囲気は中身相応である。そのギャップに僕はどうしても対応しきれず、未だにまともな会話をしていない。彼女が戻ってくると、手元にはオレンジの炭酸飲料があった。彼女はそのペットボトルのふたを開け、ちびちびと飲む。
「あの、杣さんってさっき影の中から出てきましたよね?」
なんとか会話を成立させようと必死で話題を探し、僕はこう質問する。彼女は頷いて、言葉を続ける。
「『影』の魔法だよ。少し特殊でね、他の魔法より応用が効くんだ」
そう言いながら、彼女は親切に応用法を教えてくれた。影の中に身を潜めたり、影を伝って移動出来たりするらしい。僕は聞き手となって相槌を打ち続ける。
「……さっきから頷いてばっかりだね」
と、杣から指摘を受けてしまった。話しても話さなくても印象が悪くなっている気がする。どうすればいいんだ。
「さて、私は質問に答えたから、つぎは君の番だね」
杣は炭酸飲料を飲み終え、椅子から立ち上がって言う。そして僕の顔をまじまじと見つめてきた。ちょっと照れる。
「朔君、体の方は大丈夫? なんともない? 気分が悪くなって倒れたりとかしたことはある?」
彼女は僕を見つめながら聞いてきた。もしかして彼女、僕の怪我を心配しているのだろうか。まぁ比較的長い間出歩いたから、疲れて怪我の症状が悪化したのかも、と思っているのだろう。
「大丈夫です。もうほとんど治ってますから」
僕は自分の状態を含めて回答する。ついでに立ちあがって元気なそぶりを見せる。が、床が思ったより滑らかだったせいで足を滑らせ、ソファに後頭部を強打した。ソファが柔らかくて良かった。
「……そう」
僕のドジはまるでなかったことにされたかのように、杣は呟く。スルーされるのはなんとなく心が痛い。もしかして嫌われてる?
「大丈夫ならよかった。じゃあ私はこの辺で」
ソファを枕にしている状態の僕をそのままにして、杣は立ち去ってしまった。僕は恥ずかしい思いを抱いたまま、自分の病室にすごすごと戻るハメになった。
数日間ほぼ必要のないリハビリをして、僕はようやく退院することができた。日付はもう八月になっていて、夏休みも半分終わってしまったんだな、と痛感する。僕の学校は三期制なので、夏休みが八月十九日までしかない。入院のせいで四分の一ほど消費されてしまった上、それ以外の時間も怜にかかった魔法のことでいっぱいいっぱいだった。そして今日、僕はついに自由な時間を手に入れたのだ。
「今日はプールに行ってくるよ」
僕は優奈に出かける旨を言って、外出の準備をする。優奈も今日の午後から水泳があるらしいが、僕とは場所が違う。僕が行くのは市民プール。妹が行くのは学校のプールだ。市民プールは何の変哲もないただの50メートルプールだけれど、夏はやっぱりプールだ。近くに海がない分、プールの需要は非常に大きい。僕は上機嫌でプールに向かう。みんながプールで楽しく騒いでいる中で、ただ一人プールに浮かびながら水の音を聞く――これが、僕なりのプールの最高の楽しみ方だった。別に友達がいないとかじゃなくて。友達だったら迅と病院でリハビリをしている間に仲良くなったから、彼と一緒にだって行けるんだ。ただ一人で過ごすあの空間がいいってだけなんだ。余計なことを考えているうちに、市民プールが見えてくる。空には真っ青な空と金色に輝く太陽が、プールへと僕を誘って――。
「朔く~ん!」
そんな声とともに、青空と太陽が一瞬にして真っ暗な空になる。振り返れば、怜があの時の板を使ってこちらに飛び込んでいた。ん? 飛び込んでいたってまさか。
「ちょ、ちょっと待って、受け止めるとか退院したての僕にはふぐうっ!」
怜が後方に水のクッションを作ってくれていたおかげで大事には至らなかったが、それでも腹にはひどい衝撃が走った。途中スピードを落としてはくれたのだろうが、何度か咳込んでしまった。
「優奈ちゃんから朔君が退院してすぐプールに行くって言ってたから来ちゃったよ! べ、別に朔君に自慢の水着姿を見せたいとかそういうんじゃないんだからね! ふふふ、これ一回言ってみたかったんだよね」
怜が早口で妙なツンデレごっこをしているうちに、僕はそそくさとプールに入ろうとする。が、
「ねぇ朔君、せっかくのプールなんだからさ、水鉄砲とかで遊ぼうよ! 朔君の分は用意してるからさ、ほら!」
と言って、割と本格的な水鉄砲を取り出す怜を見て、僕のプールでの自由な時間は消え去ったのだと実感した。
 




