-Episode88-
「なんとかして上まで登れないかな?」
僕はとりあえず位置関係によって生じる不利を無くそうと、上に行く方法を考える。怜の魔法で階段を作るくらいなら容易であろうが、問題はどうやってそこまで登るかだ。ランダムに動けるなら優奈が雷の魔法で杣の攻撃を避けられるが、道筋が決まっていたら、そこを狙って攻撃される可能性がある。
「うーん……私がいろんな所に上る手段を用意するぐらいなら出来るけど……」
こういうとき、怜の僕の表情から考えていることを読み取れる特技は、本当に便利だと思う。考える時間がつい長くなってしまう僕にとって、口で説明することは二度手間のようなものだからだ。
「でも、上からいろんなものが降ってくるから、集中できな――」
怜の言葉の途中で、ぴたりと瓦礫の落下が止まる。弥奈が再び杣に虹魔法を使おうとしているのか?
「はぁ……はぁ……」
弥奈の苦しそうな呼吸が聞こえる。瓦礫は再び上空に飛んでいき、上空にいるらしい杣へ飛んでいく。上から見上げてみても、杣の姿は見えない……が、弥奈には見えているのだろうか、瓦礫は全て一方向に飛んで行っていた。
「わた、しは……!」
瓦礫を飛ばし続ける弥奈に、異変が起こったのは、彼女がそんなことを言ったときだった。突然、彼女の頬に切り傷のようなものが付く。いや、頬だけではないようだ。数秒すると、彼女の服のあちこちから血が染み出してくる。まさか、虹魔法を使いすぎると今の彼女のようになってしまうのか?
「弥奈さん、それ以上は危険だ!」
僕の予測でしかなかったが、少なくとも彼女が危険であることは分かっていた。しかし彼女は杣への攻撃を止めることなく、むしろ加速させていく。――そんな彼女の背後に、一瞬だけ人の影が見えた。その直後、彼女はまるで糸の切れた人形のように、ぱたりと動きを止め、地面に倒れる。
「意識を失ったの……?」
怜が怪訝そうに弥奈を見つめ、ゆっくりと近寄っていく。彼女が弥奈の所まであと数メートルというところまで近づいたとき、
「怜さん、危ない!」
何かに気が付いたらしい優奈が声を上げ、魔法を使って素早く怜をその場から移動させる。今ので分かったが、どうやら優奈はリニアモーターカーのような要領でその場から移動しているらしい。この短期間の間にそれについて学んだのか、それとも無意識の内にそれを体得したのか。
「――厄介、だね」
弥奈の倒れている位置の近くに、杣が現れる。その表情は苦しげであるが、その顔には誰かに対する嫌悪感のようなものを抱いているようにも見えた。
「杣さん、もうやめてください!」
僕は何度目かの説得を試みる。無駄かもしれないが、もしかしたら彼女も心変わりをするかもしれない。そんな期待を抱いて彼女に話しかけると、彼女はふっと、ミヤコワスレのような笑顔を見せた。
「――本当に朔君は優しいね。私は……そうはなれなかったよ」
彼女の笑顔に少しの間目を奪われていると、ぞくりと、悪寒のようなものを感じる。本能的な、自分の根幹的なところからくる恐怖。まるで、今から自分は死んでしまうかのような錯覚を受けるほどの恐怖を感じる。
「ごめんね。今度はちゃんとするから――」
杣がそんなことを呟く瞬間、彼女の影が不規則に蠢くのを感じた。そしてそれはこちらに向かって飛んでくる。まさか、これは全て僕を狙っている? 脳が危機を感じたのか、急に全ての世界がゆっくりになったかのような感触を受ける。目の前には無数ともいえる影の槍。避ける手段なんて、見つかりそうにもない。あまりにも突然の出来事に、体が全く反応しないのだ。頭の中では、まるで走馬灯のように彼女の謝罪の言葉が響いてくる。死が間近にあるせいか、周囲の景色が画家によってめちゃくちゃにされたみたいに歪んでいく。弥奈も迅も杣も、ぐにゃりと歪んでいるように見える。――ただ、怜の姿だけは、全く歪まないまま、僕に向かって駆け寄っていく様子がはっきりと見えていた。彼女の別れに、僕は悲しさを覚える。一緒にいられないつらさをはっきりと認識する。謝罪の言葉が反響して、まるで呪文のように繰り返されて、ゆっくりと影の槍が僕のもとへ近づいていく。どうしようもない状況で、僕はただ、怜に格好悪いところは見せたくないな、と思っていた。
だから、笑った。まるで秘策があるかのように、助かる見込みがあるかのように。不敵に笑う。そんなもの全く無いのに。聞こえてくる謝罪の呪文に、僕の謝罪の言葉も重なる。怜への謝罪の言葉が、ぽつりぽつりとこぼれてくる。
「ごめんね、怜」
そう呟いたとき、
「お兄ちゃん!」
優奈の声が聞こえ、僕はいつの間にか閉じていた目を見開いた。すると、そこには、僕の横を通り過ぎる影の槍と、それに貫かれている一人の少女の姿があった。




