-Episode36-
「ねぇ朔君、今から山に出かけてみない?」
昼食から数時間後、怜はそんな提案をしてきた。
「まだ朝なら分かるけど……今から?」
僕の町には近くに海がない代わりに山がある。しかし僕の家からはそこそこ離れていて、山のふもとに行くまでなら往復で一時間弱で済むが、山を登るとなるとその何倍も時間がかかる。そもそも山って昼から行くようなものじゃないし。
「えー、楽しいよ、山登り。後ろで朔君が息切れしながら登って行くのを見ながら私がすいすい登って行くとか、すっごく楽しそう」
それって楽しいのは怜だけであって僕はむしろ苦しそうなんですが。
「今からだったら海……じゃないけど、プールの方がいいんじゃない? よく夏はは海か山かって言われるけど、僕は海派だなぁ」
やんわりと別の方向にシフトさせようとした僕を、怜は不満そうな目で見つめてきた。
「むー……プールに言ったら私、魔法を使って朔君をぼっこぼこにするよ?」
さりげなく脅された。
「いや、僕が使っていいって言う時以外は使わないんじゃないの!?」
さっきの会話を思い出して反論すると、
「じゃあ、朔君とプールに行くことになったら、プールの中では魔法を使っていいと判断したことにしよう」
変な思いつきでよく分からない例外が作られてしまった。思うに、その例外をアリにしたらどんな状況でもさっきの言葉の拘束力がない気がするんだけど……。
「ま、まぁ山でいいけど……今日はやめよう? 明日とか、明後日とか、まだ夏休みはあるんだし」
正直な気持ちを述べてしまえば、今日は午前中に色々ありすぎてもうこれ以上の出来事は勘弁してほしい。昨日は満足に睡眠がとれていないし、今日は早めに寝ておきたいのだ。
「うーん、そっかぁ。じゃあいいよ、明後日、山に行くんだからね!」
怜は僕が思ってたよりすんなりと受け入れてくれ、山は明後日に行くことになった。明日の内に山登りの準備でもしておこうかな、なんて考えながら、僕は怜に山に行くことを約束して、自分の部屋に戻った。
部屋の中でゲームをして過ごしていると、時間があっと言う間に過ぎていくことを本当に実感できる。日は既に西に傾き、優奈が夕食が出来たと言ってきた。僕は返事をしてゲームをセーブした後、一階に降りる。いつも優奈のネギ料理が置かれているテーブルには、少し不思議な光景が広がっていた。
「あれ、普通の料理?」
僕は素直に驚く。ご飯、コンソメスープに、ハンバーグ。栄養バランスはよく分からないが、見た感じネギの要素は全くない。優奈にしては珍しい……というか、明日は天変地異でも起こるのだろうか?
「大丈夫だよ朔君、この料理、優奈ちゃんが作ったわけじゃないもん」
ふと、キッチンの方から、怜が顔を出して言う。なるほど、怜が料理を作ってくれたのか。僕としては、給食以来のまともな料理にありつけるので、心の底から怜に感謝したい。おいしさなんて関係ない。ネギ以外の味が普通にするならそれでいいのだ。
「よし、いただきます!」
僕は自分が思っていたよりも大きな声を上げて、夕食を食べる。怜の作ってくれた料理は、普通においしい。普通の料理というだけで、なぜかどんどんご飯が進んでいく。決して優奈の料理に飽きていたわけではないのだが、なんというか、この味が僕の好みに合致しているような気がするのだ。
「えへへー、朔君の好きそうな味付けにしてみたよ?」
怜は自慢げに言う。確かに僕の好きな味付けではある。優奈にでも聞いたのだろうか。優奈も自分の料理にネギ要素を足すこと以外はとても料理上手だし、アドバイスも上手い。僕が料理を作ることは今までに一度もないけど。
「ねぇねぇ、これってなんだか新婚の夫婦みたいだよね!」
怜はまた変なことを言った。彼女宣言から夫婦宣言にレベルアップした。別に未成年だから結婚はできないし、ただの冗談だろうと流せるが――。
「いや朔君、本気だよ?」
さりげなく僕の考えをエスパー並みの正確さで読んで反応する怜。僕は怜の調子が元通りになったことに後悔と安心を感じ、溜息を吐く。
「明後日には愛妻弁当とか作っちゃうからね! 楽しみにしててね!」
もしかすると、今日の料理はその愛妻弁当の為の練習だったのだろうか。明日山を登るための準備をしようと思っているが、それなら昼食とかの心配はいらなさそうだ。僕はすっかり平らげた皿をキッチンまで持っていき、洗って片づける。
「あんなにおいしそうに料理を食べるお兄ちゃんの顔、久しぶりに見たなぁ」
優奈はちょっと嬉しそうな、しかしどこか恨めしそうな表情をしていた。
「ご、ごめんね。優奈の料理がおいしくない訳じゃないんだ」
僕は優奈に謝ってから、優奈の分の食器も洗うことにした。
「お兄ちゃん、明後日の登山、私も行っていい?」
ふと、優奈がそんな提案をしてきた。




