-Episode10-
着替えた後で外に出ると、太陽の日が高く上がっているのか、屋根が光を反射して眩しかった。それなのに空は真っ黒に染め上っていて、なんだか耳の後ろが痒くなる。違和感があると言えばいいのだろうか。
「最初は学校の図書館に行ったほうがいいのかな? たぶんあの場所で魔法をかけられたんだと思うし……」
怜は僕にそう提案してきた。悩んでいるのは彼女だし、彼女の思い当たる場所を散策していくのが普通だろう。僕は頷き、学校へ歩き出した。が、ものの数分で暑さにやられ、歩くスピードは地面にいる小さなアリと大差ないほどになっていた。いつの間にか汗でTシャツはぐっしょりと濡れており、水を飲もうにもいろいろ慌てていたせいで持ってきていない。
「こんなことだったら水でも持って来ればよかった……」
思ったことをそのまま口にする。このままではいつか脱水症状で倒れかねない。一瞬だけ視界がかすみかけたそのとき、
「水が欲しいの? じゃあ、はい」
と、怜が何かを差し出してきた。彼女は飲み物を持ってきていたらしい。正直な話、本当に助かっ――
「あの、何を差し出しているんですか?」
「指」
それは見て分かる。僕が本当に聞きたいのはどうして喉が渇いている僕に指を差し出しているかということで。
「まぁまぁ、ちょっと待ってよ」
なだめるように怜は言う。ふと、差し出された指の先に何かが集まっているのに気付いた。それは次第に大きくなり、怜のこぶし大の大きさにまで膨らんだ。その綺麗な球体には、僕の顔が映っていた。
「あ……水?」
やっと僕は気付く。そういえば魔法なんてものがあったんだっけ。どこから水を取り出したのかは分からないけれど、とても便利な代物だなぁ、と感心する。怜は僕に口を開けるよう促すので、僕は大きく口を開ける。それと同時に球体が口の中に入っていく感覚があった。僕は口を閉じる。水はまるで氷のように冷えていて、この暑い中においては最高の喉ごしだった。そんな風に時折怜に水分補給をお願いしながら、僕は学校の図書室にたどり着く。ドアを開けるとエアコンの涼しい風が僕の体を通り越していった。あまりの涼しさに、そこに暫く立ち続けて風を感じていたくなったのだが、怜が僕の背中を押すので出来なかった。
「ちょうどここで寝てたんだよねー。今考えると、とても不自然に眠気が襲ってきたなぁ……」
怜はカウンターの前の机を指差して言った。こんな快適な空間だったら僕は数分で寝れてしまいそうな気がするけど、本を読もうとして読み始めから眠くなるなんて言うのは、確かに不自然だった。
「誰かに話を聞ければいいんだけれど、近くに誰かいなかった?」
僕は辺りを見渡す。一週間前にいた人が今日も来ているかは分からないけれど、誰かいれば話が聞ける。そんな些細な期待を持って図書室の中を歩き回ってみたが、人の姿はなかった。
「誰もいなかったと思うよ? ついでに言えば、魔法っていうのは見えている範囲なら割とどこにでも使えるから、図書室の中に犯人がいたとは限らないし」
魔法ってそんなにすごいものだったのか。と怜の話に相槌を打つ。怜は曖昧な笑みを浮かべてカウンターの中に入っていく。そこは図書委員以外は入れないようになっているはずだけど……ということは怜は図書委員なのだろうか。そう聞こうとして口を開いた瞬間、図書室のドアが開く音を聞いた。
「失礼します。一昨日借りた本を返しに……ん? あんた、昨日会った?」
僕が視線を向けた先には、赤髪のポニーテール。病院に向かう途中すれ違った少女だ。ほら、やっぱり忘れなかった。
「うん、妹の優奈も一緒だったけど」
僕が答えると同時に、どこか怪訝そうな顔をした怜がそっと耳打ちしてきた。
「ちょっと朔君、私の知らない女の子と知り合いなの? もしかして浮気?」
いや浮気とかそれ以前に君と付き合ってないから。という言葉を必死で喉の奥に飲み込む。僕が何も言わないでいると、怜はむすっとした顔になって、
「『ああ我が慈悲深き混沌の神カオスよ。この俺の中に宿った』」
「ああ僕の黒歴史を人前で披露しないで!」
思いきり赤面しながら僕は怜に注意する。すると、意外な方から声が聞こえてきた。
「黒歴史……? あたしは何も言ってないけど?」
ポニーテールの少女は僕を睨む。ああそうか。魔法の影響で怜は見えていなかったんだっけ。ついでに今分かったことだが、声も聞こえないらしい。
「ご、ごめん。取り乱しちゃって」
妙なごまかしだとは思うが、あまり時間をかけてごまかしの文句を考えても逆に疑われてしまう。だから早めにごまかしてしまおう……と踏んでいたのだが、
「怪しいわね。魔法で何かしているとか?」
どうやら怪しまれてしまっているようだ。そして彼女も魔法という言葉を口にするあたり、本当に僕が記憶喪失になっているのではないかと思ってしまう。彼女のこちらに向かってくる疑いの視線に、僕は目をそらさずにはいられなかった。




