怪話篇 第一話 ランナー
1
「おや、竜児。おかえり。朝御飯出来てるよ」
「ただいま。ふう、今日は暑くなりそうだよ」
「しかしまあよく続くもんだねえ、ジョギングなんか……、他の事は三日坊主のくせに」
「はは……、そういや最近、俺の前を変な奴が走っててさあ、こいつがそんなに速い訳でもないのに全然追い付けないんだ。おまけに俺とそっくりな格好してるんで、よけい頭にくるんだ。毎朝必死で追いかけてるんだけれど、いつも逃げられてばかりなんだ」
「なに言ってるんだい。おまえの足が遅いらだよ」
「けどなあ……、今朝はあの野郎、踏切で足どめされてたから、絶対チャンスだったのになあ。もう少しのところで、電車のやつ通り過ぎちまった。残念だったなあ」
2
「ただいまあ。また逃げられちまった」
「またかい?もういいかげんに、諦めたらどうだい」
「今一歩だったんだぜ。あいつ、踏切の向こうで靴紐を直していたから……。そしたら、今度はこっちが、電車に捕まっちまったい」
「日頃の行いが悪いからだよ。さっさと朝飯食っちまいな」
「そんな風に言うことないだろう、まったく。あーん、なんだよまたこれかい?たまには美味い物出してくれよ」
「ほおー、いやならいいんだよ。あたしだって別に好きで食わしてやってんじゃないんだからね」
「分かったよ! ……有り難くいただきますよ」
3
「その顔だと、また逃げられたね」
「ああ……、踏切の向こうのかどのところ。あと2・3mだったのになあ、……靴紐がほどけちまった」
「へえ、今日はおまえの方の紐が、切れたのかい?あっ、そうそう。それで思い出したよ。新しい靴、買っといたよ。それ、もうボロボロだろう。そこに置いてあるから」
「サンキュー。……あれ、これ今日あいつが履いてたやつと同じだよ」
「ふーん。それ、お店の人もよく売れているって言ってたしね。やっぱり竜児より速いだけあって、あたしと同じにセンスがいいねえ」
「なに言ってんだよ。それより腹減った。早く飯くれよ」
4
「おかえり。おや、何だいそれ」
「ああ。これ……あいつのタオル」
「おやおや、血が付いているじゃない。怪我でもしたのかい?」
「うん……・、いいや」
「どうしたの? 変な顔して」
「変なんだ」
「何が」
「踏切を越えた門の所で……、あいつ立ち止まってて。何か考えてる様だったんで……、声かけて走ってったんだ。そしたら、あいつ逃げ出して」
「それで転んで怪我でもしたのかい?」
「違うよ!あいつ、何も言わずに黙って逃げるんで、追い掛けて……、そしたら今日は追い付けたんだ」
「へえ、やっと追い付いたんだね」
「うん……。で、俺も頭きてたから引っつかまえて……、そしたら急にいなくなったんだ」
「えっ?」
「消えたんだ。俺、あいつの首に巻いてたタオルを捕えたんだ。そしたら、タオルだけ残して……。絶対変だよ」
「変なのはおまえの方だよ。結局、また逃げられたって事だろう」
「確かに消えたんだよ」
「そんな事あるはずないだろう。このタオル洗っとくから、明日ちゃんと返すんだよ」
「……確かに消えたんだけどなあ。変だよなあ……」
5
「……やっぱり変だ。今日はあいつ走ってない」
「ふう……、少し休憩。そういやあいつが立っていたの、この辺だなあ。んでもって、あいつ、タオルをこう首に巻いてて……。この端を引っ張ったんだから、タオルだけ残る筈は……、アテテッ。首が締まっちまうぜ」
「おーい。やっと見付けた」
「えっ。そんな……、あれは……。じゃあ、今まで俺が追い掛けていたのは……。待てよ、……あいつ、俺に追い付いて……、それから……」
「あっ、コラ待てよ!逃げんな」
「バカヤロー! 来るな。おまえの追い掛けてるのは、俺だ。さっさと帰れ!」
「何を逃げてんだ! この野郎何とか言え」
「だから帰れって言ってるだろう。帰れ、帰れ!帰れー」
「待てよ、逃げんな」
「来るな、来るなー。聞こえないのか、バカー」
「よし、今日こそは追いついたぞ。おいこら、待てよ」
「待てるか! あっちへ行け!グッ、こら、何をする……」
「そら、捕えた。おまえ誰だ?」
「……はっ、離……。離して……くっ……、息が……、」
「あれっ……。消えた……。
eof.
初出:こむ 4号(1986年9月12日)