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et cetera.  作者: loco
4/5

深夜の徘徊。

****




夜22時半


ほら、今日もやってきた。









「いらっしゃいませ」


「彼氏いるの」


「520円でございます」


「あ、むし?」


「1020円お預かり致します」


「これ、おれのアドレスだから連絡してね」


「500円のお返しでございます」


「絶対してよ!」


「ありがとうございま~す」


「ねっ!☆」


「…」






橘かおる、23歳。職業、大学院生。


あたし、どーやら高校生にナンパされてます。






あの客と初めて出会ったのは、先月のことだった。


講義を終えて、いつもどーりバイト先のコンビニに向かう。


その途中、道に横たわる少年を見かけた。



道の真ん中で大の字になって、寝っ転がってる学ラン姿のオトコノコ。


触らぬ仏に祟りなし。知らないふりして通り過ぎようとした瞬間、奥二重の目がこちらを向いた。「…えっと、あの…大丈夫ですか?」目を背けることも出来なくて声をかけてしまった。


「…」答えない代わりに少年は手足を動かしてみせた。どうやら体は健康体らしい。


「…車通りが少ないとはいえ、危ないですよ」

「…」返事はない。このままでは埒があかない、会話も続かない、バイトも遅れる、ってか怖い。「…で、では」色んな言い訳を頭でして、立ち去ろうとしたその瞬間だった。「おねーさん、」少年が口を開いた。


「おねーさん、俺、またフラれちゃったぁ」






それから毎日、その少年はバイト先に顔を出すようになった。時間は決まって22時半。きっと部活かデート終わりの電車の時間なんだろう。


毎日、というのはバイト先で彼の存在はすっかり有名で、あたしが入ってない日でも店長やバイト仲間が今日も来てたよ、なんて教えてくれる。


彼の名前はマチダカオルというらしい。先日、店長が教えてくれた。漢字表記にすると、町田薫。さっき渡されたアドレスを記したくしゃくしゃの紙に丸っこい字で書いてあった。町田薫。これは、私しかしらない彼の情報である。



「俺ら、かおる繋がりなんすねー!」薫くんは、カウンター越しに嬉しそうにそう言った。わたしは、どう答えたらいいか分からなくて、ただ「520円になります」としか言えなかった。


薫くんは、大抵同じものを買っていく。ジャンプと肉まん、それからジュース。その3つが曜日によって増減したり、時々ガムがプラスされる。


薫くんは、すごくモテるみたいで、いつも違った女の子と歩いている。わたしは街やバイト先で何度もその姿を見かけた。


きっと私もそのひとりなんだろう、と時々思う。


薫くんにとってコンビニに並ぶ商品のように、気分によって買うものをとっかえひっかえする、そのひとつに過ぎないんだ。だから、あたしはどんなに薫くんが親しげに話しかけてきても、くしゃくしゃの紙を開くことはなかった。それどころか、ポケットの奥へ奥へと押し込んでいったのである。


捨てることもしない、開くこともしない。宙ぶらりんな心がそこにはあった。







「それは、恋よ。」


学生で賑わう昼休みの食堂で、原野田さんは言った。彼女は私が所属する院の事務のおばさんだ。推定40歳。中学生の息子さんがいるらしい。昼間は学生の世話・夜は家族の世話、というのが彼女の口癖で学業だろうがプライベートだろうがとにかく首を突っ込んでくる。


「はぁ。恋、ですか…」


「そうよぉ。橘ちゃん、ずっと彼氏いなかったしチャンスよ、チャンス!」原野田さんは、キツネに似た目をつりあげて、うどんを啜りながら続けた。「相手が高校生だろーが、なんだろーが、気になっちゃったもんは仕方ないのよぉ。恋ってそぉいうものだものぉ。とにかくピッピッピッとメールしちゃいなさいなぁ、ピッピッピッとね!」







その日、薫くんは22時半になっても23時になっても来なかった。

次の日も、また次の日も、そのさらに次の日も。薫くんが顔を見せなくなって一週間が経った。


さすがに店長も不思議がって「橘さん、知ってる?」なんて尋ねられたけど、「知りません」とだけ答えた。知るわけもありません、が正解だったかもしれない。彼が渡してくれた連絡先を、あたしはまだ独り占めしてたのだから。



その日も退勤時間になり、あたしは裏口から部屋を出た。3月の夜風はまだ肌寒くて、あったかいものでも買って帰ろうと私はコンビニに入り直す。


ジャンプとジュースと肉まんとガム。


それを無意識に取っていた瞬間、原野田さんの言葉が頭に浮かんできた。


ーーー…恋ッテソウイウモノナノヨ…ー



そうなの?

原野田さん。


恋ってこんなに無意識で愛しくて切ないものなの…?





会いたい、と思った。


バカだ、

なんにも始まってないのに、こんなにも好きになってしまったんだ。


あの紙切れと携帯電話を急いで取り出す。気持ちに気付いた以上、一刻も早く行動しなきゃ手遅れになってしまう気がした。ピッピッピ、とテンポ良くボタンを押していく。最後の一文字になって手の動きが一瞬弛んだ。手が震えてるのは寒いから?…違う、あたし、緊張してるんだ。



プルルルル…


出るかな、出ないかな。


プルルルル…


もしかしたら、いまあたしは有効期限の切れた切符で電車に乗ろうとしているのかもしれない。それでもいい、それでもいいんだ。


プルルルルプルルルル…


もし、彼が出たらなんて言おう。まず、名前を言って、それから。


プルルルル…


どうしよう、なんて言ったら伝わるのかな。


プルルルル…


お願い、おねがい。


プルルルル…ガチャ「もしもし~?」



薫くんだ。

この気の抜けたような声をあたしは聞きたかったの。


やばい、手の震えが止まらないよ。

でも、今度の震えは寒さでも緊張でもない気がした。あたし、薫くんの声が聞けて嬉しくて震えてるんだ。


声にしなきゃ。


伝えなきゃ。

伝えなきゃ。

伝えなきゃ。


伝えなきゃ、‥伝えたい。



「あれ?もしも~し?」


言いたいことはまだまとまってなかったけど、あたしは覚悟を決めて息を吸う。空気はひんやり冷たくて、今は確かに冬の始まりなんだなと感じさせてくれる。口を開くと、白い息が目の前に現れた。


白い吐息が、私の勇気の証だった。





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