サニーとセーリアの温もり
あたしはサンライトシティが好きだった。
行きつけの武器屋のおじさんはいつだって優しくて、弓矢の扱い方を丁寧に教えてくれた。
定食屋のおばちゃんは大盛りのサービスをしてくれたし、商家のお姉さんは地方の面白い本を入荷してくれた。
そして自警団のみんなも一緒に鍛えた仲間だった。
あのカサブランカも――仲間だった。
全部、無くなったなんて信じたくない。
全員、亡くなったなんて嘘だと思った。
あたしには何も残されていない。
何一つ、戻らない――
「お嬢ちゃん。本当に魔物の国に行くのかい」
「…………」
ゆらゆらと揺れる荷馬車。
魔物の国の近くに住んでいるおじいさんに無理を言って案内してもらった。
くすんだ赤髪の毛先を触りながら無言で頷いた。
「あそこは普通の人が行くところじゃあないよ」
「……分かっています。それでも行かなくちゃいけないんです」
もうサンライトシティは無いのだけれど。
援軍を頼んでも無駄だって分かっているのだけれど。
それでも父さんの最後の言葉だったから。
あたしは魔王に会う――
「着いた……無理だと思ったらすぐに逃げるんだよ」
おじいさんの優しい声を無感情に聞いて、あたしは荷馬車から降りた。
別れの挨拶をして、魔物の国境にある森の中へ入っていく。
もうすっかり夜になっている。あたしは火球を出して奥へ進んでいく。
雨水で汚れ切った服は不快だったけど、贅沢は言ってられない。
「寒いな……」
寒いのは嫌いだ。
自分が孤独だと分かってしまうから。
足元がおぼつかない中、ゆっくりと進む――
「――止まれ。貴様、何者だ?」
森に入って一時間ぐらいだろうか。
まったく気配を感じなかったのに、いつの間にか背中に剣を向けられていた。
「――っ!? だ、誰!?」
「訊いているのは俺のほうだ」
心臓がバクバク鳴っている。
向けられた圧力は弱った身体にひどく突き刺さる。
心身ともに限界がとうに訪れている……
「さっさと名を言え」
怖い……あたしの生殺与奪が握られてて、息苦しくなる。
「はあはあはあ……」
「どうして何も言わない? 首を刎ねられたいのか?」
もう駄目だと思って。
あたしは膝をついた。
「おい、どうしたんだ!?」
そのままうつ伏せに倒れたあたし。
焦った声が聞こえる。
「ダンテ兄さん、なにやってるですか!」
女の子の声。
あたしの背中に手が添えられた。
暖かい……
「すぐに――」
こんな状況なのに、何故か安心した――
◆◇◆◇
気が付いたらあたしは知らない部屋にいた。
もっと正確に言えばベッドに寝かされていた。
柔らかいなあと思いつつ、起き上がろうとする。
「起きたですか。でもまだ寝てたほうがいいですよ」
ベッドの横の机で何やらしている年下の女の子がいた。
綺麗な水色の髪で黒い服を着ている。
こっちを見る瞳は青くて優しい。
かなりの美少女で同じ女として自信が失ってしまうほどだった。
「あなたは……」
「セーリアです。まずはこれ、食べてください」
セーリアと名乗った美少女は剥いたりんごを渡してきた。
食べるべきか迷っていると「毒なんてありませんよ」と拗ねた顔になる。
「栄養失調の上にダンテ兄さんのプレッシャーで倒れちゃったんです。だから元気になるためには食べないと駄目です」
差し出されたりんご……美味しそうだ。
あたしは受け取って、食べた。
「……美味しい」
「そうでしょう。ここの果樹園で作られた――って大丈夫ですか?」
「えっ? 何が?」
セーリアは悲しそう顔であたしの頬を拭った。
指には水滴――涙だ。
「う、うう、うううう……」
自覚しちゃうと駄目だね。
涙が止まらなくなっちゃう。
「泣いてもいいんですよ」
頭をぽんぽんと叩かれて、もう我慢できなかった。
ぽろぽろ、ぽろぽろぽろと――
「うううう……」
「よしよし」
声を抑えようとしても、セーリアの手の優しさで止められなくなる。
大声で泣いて、一人じゃないと分かって。
あたしはようやく、弱さを他人に見せられた。
◆◇◆◇
「名前はなんて言うですか?」
「……サニー。あたしはサニーよ」
手を握られて、すっかり弱くなったあたしは、セーリアに名乗った。
「サニーですか。いい名前ですね」
「あの、セーリアさん……」
「さんはいらないですよ。私もサニーって呼びます。サニーはどうして魔物の国に来たんですか?」
あたしは目を伏せて「魔王に会いに来たの」と正直に言った。
何故かセーリアは信用できると思えたから。
「魔王様にですか。目的は何ですか?」
「……サンライトシティへの援軍を頼みに来たのよ」
するとセーリアは顔を曇らせた。
「あのう。サンライトシティは……」
「うん。もう……知っているわ」
壊滅したと言いたくなかった。
現実を受け入れたつもりだけど、口にしたくなかった。
「それでも、あたしは魔王に会いに来たの。父さんの最後の頼みだから」
「そうですか。なら魔王様に会いに行きましょう」
セーリアの思いもかけない言葉に「できるの?」と言ってしまった。
「魔王は国の一番偉い人でしょ」
「国と言っても小さな集まりです。地方都市と変わりないですよ」
「そっか……」
「まずはその恰好をどうにかしましょう。今、兄さんが代わりの服を用意してくれます」
セーリアが言い終わると「ようやく俺の話題が出たか」と男の人が出てきた。
銀髪で浅黒い肌。セーリアと同じく黒い服を着ている。
だけど決定的に違うところがあった。
「あなたは……リザードマン?」
「いかにも。それ以外なら驚きだな」
リザードマンは爬虫類の特徴を持つ魔物だと聞いたことがある。
長い尻尾を巻きながら「知り合いから服をもらってきた」と袋を見せる。
「多少サイズが合わなくても文句言うなよ」
「ええ……あなたは、ダンテと言われていたわね」
「ほう。記憶力は良いのは喜ばしいことだ。馬鹿じゃないって証だからな」
嫌な言い回しに「人に馬鹿って言わないでください」とセーリアが怒ってくれた。
「馬鹿とは言っていない。馬鹿じゃないと言ったんだ」
「人に誤解されるような言い方はやめてほしいですよ」
「それより、要るのか、要らないのか?」
あたしは「着替えるから出て行って」と言う。
「リザードマンは人に欲情しない」
「それでも嫌なの」
「私も出ていきましょうか?」
セーリアの遠慮した提案に「ありがとう。お願いするわ」と言う。
二人が出ていくと汚れた服を脱いでいく。
胸の間にある丸くて黒い痣を見られずに済んだと安堵した。
あまり見せたくない醜いものだから。
着替え終わって二人を呼んで「魔王のところへ案内して」と伝える。
「ああ、いいだろう。だいたいの話は聞いていた」
「……盗み聞きしていたの?」
「俺の聴覚はお前らとは出来が違う」
長い舌であっかんべえをするダンテにあからさまに嫌な顔をした。
セーリアは「とにかく行きましょう」と言う。
「待って。ここは魔王のところに近いの?」
「ええ。魔王様の城と目の鼻の先です。兵士たちの病院なんですよ」
体力が回復していない状態だから長い距離は歩けない。
素直に助かったと思う。
「魔王様はすぐに会ってくれますよ」
「あなたは魔王に近しい人なの?」
「ええまあ。これでも私はそこそこ偉いんです」
ふふんと胸を張るセーリアの言葉は眉唾ものだった。
ダンテが「その人間、信じてないぞ」と睨んでくる。
そりゃあそうよ。だってこんな女の子が偉いわけがない。
「お前、名前しか言ってないだろう」
「あ、そうでしたね。これは失敬しました」
セーリアはにこにこ笑って自己紹介した。
その可愛らしい笑顔に目を細めてしまう。
「魔王軍三番隊隊長、セーリアです。よろしくお願いします」




