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ほんの刹那の共犯関係

学園の昼下がり。

差し込む陽光が廊下を金色に染め、静かな図書室からは紙をめくる音だけが漏れていた。

人の出入りは多いものの、どこか穏やかで、形式ばった日常が続いているように見える。

廊下を行き交う令嬢や生徒たちは談笑しながらすれ違い、誰もが予定調和の午後を生きていた。

だがその中――ほんの一瞬、視線が交わる。

セシリアとリリアナ。

周囲にとっては「礼儀正しい令嬢同士の偶然の挨拶」にしか映らない。

けれど、その瞳の奥には、互いにしか分からない微かな気配が宿っていた。

まるで「この舞台を知っているのは、あなただけでしょう?」と暗黙に告げるように。

図書室の静けさを背に、セシリアは手にしていた魔導書をぱたりと閉じた。

長いまつ毛を伏せ、優雅に立ち上がると、廊下へと足を向ける。

ちょうどその瞬間――角を曲がって現れたのは、リリアナだった。

揺れる栗色の髪、そして驚いたように見開かれた瞳。

二人の視線が、わずか一拍。

次いで、互いに深くも浅くもない、完璧に計算された会釈が交わされる。

形式通りの優雅な挨拶――だが、その眼差しの奥には別の色が宿っていた。

まるで「知っているでしょう」「ええ、私もよ」と、言葉にせず伝え合うかのように。

周囲の生徒たちには、ただの礼儀正しい邂逅にしか見えない。

けれど二人の間だけに、ひそやかな火花が散っていた。

二人がすれ違う、その刹那。

リリアナは、ほんの何気ない調子で口を開いた。

「この先で転ぶ子がいるから、廊下を急がない方がいいわ」

何も知らない生徒たちには、ただの気遣いにしか聞こえない。

だが――セシリアの長い睫毛がひときわ揺れ、唇に小さな笑みが浮かぶ。

「まあ、あなたも覚えていたのね。……ええ、急ぐ必要はないわ」

上品な声音に潜む、わずかな含み。

互いの言葉は、誰にも気づかれぬまま廊下に溶けていった。

それはただの「思いやりの会話」として処理される。

けれど実際には――二人だけが知る、ループの記憶を確かめ合う合図だった。

すれ違いざまの沈黙の中で、二人の心だけが小さく響き合う。

セシリア(心の声):

「あら、やはりお前も覚えていたのね。ならば――隠す意味はないわ」

リリアナ(心の声):

「ふふ、あなたも同じ道を歩んできたのね。……やっと話の通じる相手が」

外から見れば、ほんの一瞬の微笑みの交換。

しかし内実は――互いの正体を悟り、言葉なき共通認識を結ぶ瞬間だった。

二人は足を止めることなく、ほんのわずかに口元を緩めた。

周囲の生徒から見れば、ただ仲睦まじく微笑み合うご令嬢同士の上品な挨拶。

けれど、その笑みには――誰にも気づかれぬ“合図”が潜んでいた。

「互いが周回経験者である」という、言葉にせずとも伝わる共通認識。

それは水面下で交わされた、最初の密やかな同盟の兆しだった。

放課後の中庭。

白い噴水が陽光を受けて煌めき、その周囲には思い思いに憩う生徒たちの姿があった。芝生の上で談笑する者、読書に耽る者。社交界の縮図のような空気が広がっている。

その光景の一角に、紅茶を手にしたセシリアが優雅に腰掛けていた。白磁のカップを唇に運ぶ姿は、まるで絵画の一幕。

ちょうどその時、書類を抱えたリリアナが廊下から姿を現し、ゆったりと歩いてくる。周囲には「勉強熱心な令嬢」という印象を与える立ち居振る舞いだが、その目の奥には別の光が宿っていた。

偶然を装い、二人は同じベンチのそばで足を止める。

「ごきげんよう、リリアナ様」

セシリアが微笑とともに扇を軽く開き、上品に挨拶を送る。

「ごきげんよう、セシリア様」

リリアナも柔らかく会釈し、書類を胸に抱えたまま応じる。

周囲の生徒からすれば、ただの社交辞令にしか見えない。

だが、ここから始まるのは――互いにしか意味の通じない、読み合いと皮肉に彩られた会話だった。

中庭の噴水が水音を奏でる中、セシリアは優雅に扇を開いた。光を反射する絹扇の一振りが、まるで舞台の幕開けを告げるよう。

「まあ、ごきげんよう、リリアナ様。今日も良いお天気ですわね」

柔らかな微笑を浮かべ、まるで気まぐれに声をかけたかのような自然な口調。

リリアナは抱えていた書類を少し持ち直し、にこやかに会釈を返す。

「ええ、ごきげんよう、セシリア様。本当に、学園生活を過ごすには心地よい午後ですわ」

周囲の生徒たちの耳には、それはただの上流階級らしい礼儀正しい雑談にしか届かない。

微笑ましく「仲の良いご令嬢同士」と映るその光景――だが、その舞台裏ではすでに駆け引きの幕が上がっていた。

噴水のきらめきが、二人の横顔を淡く照らす。

セシリアは紅茶のカップを揺らしながら、ふと何気ない調子で言葉を落とした。

「……また王子ルートを横取りされるのも、そろそろ退屈ですわ」

一見すれば、ただの世間話の延長。けれどその声音には、ほんのわずかに含み笑いが混じっている。

リリアナは小首をかしげ、書類を抱え直しながらにっこりと返す。

「ええ、ですが――今回は私の方が、先手を取らせていただきますけど」

上品で柔らかな調子。周囲の生徒たちが聞けば「ライバル同士の冗談」としか受け取らないだろう。

だが実際には、互いにしか理解できない――次なる一手を巡る戦略の報告であり、同時に牽制でもあった。

噴水のせせらぎに混じって、近くの生徒たちの囁きが耳に届く。

「本当に仲の良い二人ね」

「まるで上品な冗談を言い合っているみたい」

微笑み合うセシリアとリリアナを、周囲はそう解釈して疑わない。

優雅な令嬢同士が社交的に親しく振る舞う、平和で微笑ましい光景。

――けれど実際には、紅茶と笑顔の裏で交わされているのは、駆け引きの鋭い情報交換。

先を読む者だけが聞き取れる、戦略のコードだった。

セシリアは微笑を崩さぬまま、紅茶を口に運ぶ。

(この子、毎度ながら余裕を装うのが上手いわね。……けれど、どこまで本気で言っているのかしら)

一方、リリアナも涼しげな表情を保ちつつ、手にした書類を軽く抱え直す。

(セシリア様も相変わらず。皮肉を笑顔で包んで投げてくるなんて……でも、その癖、嫌いじゃない)

互いの瞳は、上辺の柔らかさとは裏腹に、読み合う者だけが知る光を秘めていた。

セシリアは扇を軽く畳み、リリアナは書類を胸の前で抱き直す。

二人は同時に、わずかに口角を上げて笑みを浮かべた。

その視線が、ほんの刹那、絡み合う。

周囲の生徒たちには――「優雅なご令嬢が穏やかに談笑している」そんな微笑ましい光景にしか映らない。

けれど実際には、その一瞬に“次の一手”を巡る冷静な分析と、互いにだけ通じる暗黙の合意が交わされていた。

――まるで、盤上の見えぬ駒を動かすかのように。

学園の昼下がり。

演習場では、王太子アルベルトが模範のように剣を振るい、予定通りの勝利を収める。

騎士ユリウスは騎士団の教本通りの立ち振る舞いで後輩を導き、魔法使いエリオットは舞台演劇のように整った呪文詠唱を披露する。

それらは一見すれば華やかで、学園にふさわしい青春の光景だった。

だが――二人の少女だけは、その裏に潜む“予定調和”の匂いを嗅ぎ取っていた。

セシリアは、紅茶を片手に談話室から窓越しに演習場を眺め、涼やかな笑みを浮かべる。

「まるで台本をなぞる役者ですわね……」

リリアナは、図書室で書棚に並ぶ“フラグ用の書物”を無言で押し込みながら、同じように思う。

「誰も疑わない……皆、物語の人形であることに」

学園の空気は、きらびやかで整いすぎている。

――その歪みに気づいているのは、セシリアとリリアナ。

ただ二人だけだった。

学園演習場。

王太子アルベルトが黄金の髪を翻し、剣を構える。

対するのは上級生の一人。観客の生徒たちは固唾を飲み、勝負の行方を見守っていた。

「――はぁっ!」

乾いた金属音が響き、剣戟はわずか数合で終わる。

結果は当然のごとく、アルベルトの勝利。

危なげなく、流れるような動作で相手を制した彼に、観客たちから一斉に喝采が沸き起こる。

「さすが殿下!」「やっぱり完璧だわ!」

その熱狂の中――セシリアとリリアナの眼差しだけが、冷めていた。

セシリア(心の声):

「……まるで台本を読んでいるようね。美しいけれど、驚きも緊張もない」

リリアナ(心の声):

「ええ。これでは物語に囚われた人形だわ。感情も迷いもなく、ただ“決められた勝利”を繰り返すだけ」

二人は歓声に包まれる群衆の中で、ただ静かに立っていた。

誰にも気づかれぬまま、その視線だけが交錯する。

静かな図書室。

陽光が窓から差し込み、埃の粒が光の帯に揺れている。

リリアナは背筋を正したまま、本棚の前で指先を滑らせていた。

その手が止まったのは――恋愛指南書と称する、いかにも「定番イベント」を引き起こしそうな装丁の一冊。

(……これを彼女が手にすれば、また予定調和の小劇場が始まるわね)

リリアナは何気ない顔で本を抜き取り、別の棚の奥に差し替えようとする。

だが、その瞬間。

「リリアナ様? 何をなさっているのですか」

近くにいた生徒が、興味深そうに声をかけてきた。

一瞬、手が止まる。――気配を悟られれば不自然に映る。

しかし。

「――こほん」

柔らかく、それでいて場を切り裂くような咳払いが響いた。

振り向けば、すぐ近くのテーブルに座っていたセシリアが扇を手に、まるで何事もなかったかのように優雅に佇んでいる。

生徒の視線は一瞬でそちらに逸れ、リリアナは何事もなかったかのように本を差し替え終えることができた。

リリアナ(心の声):

「……助け舟、ですか。あなたらしくもない」

セシリア(心の声):

「敵を利する行為ではないもの。不要なイベントを避けるのは、私の利益でもあるわ」

二人の間に言葉は交わされない。

だが、ほんの刹那の共犯関係がそこに成立していた。

放課後の中庭。

噴水の水音が心地よく響き、生徒たちが思い思いに談笑していた。

その片隅で、セシリアとリリアナは偶然を装うように顔を合わせる。

互いに姿勢を崩さず、紅茶を傾ける手も、書類を抱える腕もそのままに――ただ自然に言葉を交わす。

「……少し風向きが変わるといいのですけれど」

リリアナが噴水を眺めながら、まるで天気の話でもするかのように口にした。

「ええ。退屈な繰り返しには、飽きましたから」

セシリアは扇を軽く揺らし、微笑みを添えて応じる。

通りがかった生徒たちには、それは優雅なご令嬢同士の社交辞令にしか聞こえない。

しかし二人の瞳に宿る光は、はっきりとした意味を帯びていた。

――“この茶番の物語を、私たちが揺さぶるのだ”。

互いの言葉が風に流れ、噴水の水音に紛れていく。

けれどその一瞬だけは、二人の間に確かな共鳴があった。

二人は同時に、ほんのわずかに口元を緩めた。

笑みは控えめで、傍目には礼儀正しく交わした社交の微笑にしか見えない。

しかし次の瞬間、互いに自然と視線を逸らす。

まるで「今の会話には特別な意味などない」と誤魔化すかのように。

けれど、確かにそこには確信があった。

――自分たちは、同じものを見ている。

――同じ“歪み”を知っている。

ナレーション:

「誰も気づかぬまま、二人の令嬢は――予定調和の物語を揺るがす“共犯者”となりつつあった」

噴水の水音に紛れた小さな共鳴。

それが、この退屈な舞台における唯一の“真実”の始まりだった。

夕暮れの校庭。

木々の影が長く伸び、遊ぶ生徒たちの笑い声が遠くから響いてくる。

ベンチに腰掛けて紅茶を口にするセシリア。その横へ、あくまで偶然を装うようにリリアナが腰を下ろした。

「失礼いたします。……他に席がなかったものですから」

「ええ、どうぞご自由に」

互いに視線を交わすことなく、形だけのやり取り。だが、並んで座ることに妙な居心地の悪さはなかった。むしろ、自然なことのように感じられる。

リリアナがふと落としたハンカチを、セシリアは何気なく拾い上げて差し出す。

「……ありがとうございます」

「お気になさらず」

その仕草に、二人だけが理解できる温度が宿る。


夜。寮の廊下。

灯火に照らされた静かな通路で、偶然すれ違う。

「こんばんは、セシリア様」

「ええ、良い夜ですわね、リリアナ様」

ただの礼儀正しい挨拶。だが、ほんのわずかに口元が緩む。

周囲から見れば、仲の良いご令嬢同士が上品に談笑している光景。

けれど実際には、それは“敵対”から“同士”へと移り変わろうとする、小さな兆しだった。


「夕暮れの光と夜の静けさが映し出したのは、二人の令嬢に芽生え始めた――確かな信頼の予感だった」

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