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ここから再び、物語が動き出す

学園長の朗々たる声が響き渡った瞬間、王太子アルベルトがゆるやかに立ち上がった。

 ざわめきが一瞬にして収束する。彼の存在そのものが「未来の王国」を象徴していたからだ。

 ――その隣に並び立つべき者。

 会場全体が固唾を呑んで扉の方を見やった。

 重厚な両扉がきしみを立てて開かれる。

 陽光が差し込み、その光を背にして、一人の少女が姿を現した。

 公爵令嬢、セシリア・フォン・グランディール。

 白銀の糸を織り込んだ蒼のドレスは、まるで夜空に星を散りばめたかのよう。

 凛とした歩み、僅かな動きさえ舞踏の一幕のような優雅さ。

 柔らかに浮かぶ微笑みは完璧で、見る者に抗う余地を与えない。

 その瞬間――生徒たちは気付けば自然と道を開けていた。

 目を逸らせない。息を呑む。心の奥底から湧き上がる畏怖と憧憬。

 (……これが、「高貴なる威圧」の加護)

 知らぬ者でも、ただ一目で理解する。彼女は「特別」であり、誰もが傅くべき存在だと。

講堂のあちこちで、囁きが連鎖のように広がった。

「さすがは公爵令嬢……!」

「殿下の婚約者にふさわしい……」

 貴族の子弟たちは感嘆の声を漏らし、憧れを隠そうともしない。

 その背後では、平民出身の新入生が椅子の影に身を縮めるように萎縮していた。

 高貴なる空気に触れるだけで、自分との隔絶を突きつけられた気がしたのだ。

 けれど――称賛ばかりではない。

「……どうせ、殿下の婚約者だから」

「美しいのは確かだけれど……私だって」

 同じ貴族の女子たちの瞳には、羨望と嫉妬が複雑に入り混じる。

 抑え込んだ吐息や、噛みしめる唇。

 彼女たちは理解していた。セシリアは手の届かぬ高みに立つ存在だ、と。

 その完璧さが、誰よりも眩しく、同時に憎らしい。

 ――賛美と妬心。尊崇と恐怖。

 そのすべてを、セシリアは一身に集めていた。

セシリアは一歩、また一歩と進み、迷いなく王太子アルベルトの隣へと歩み寄った。

 その所作はあまりに自然で、あらかじめ決められていた振付のように淀みがない。

 王太子と公爵令嬢。

 金糸の髪を持つ青年と、蒼衣を纏う令嬢。

 二人が並んだ瞬間、講堂に広がったのは言葉を超えた静寂だった。

 まるで絵画が現実に抜け出したかのような、調和と輝き。

 そこにいた誰もが直感する――これは王国の未来を象徴する姿だ、と。

 貴族社会の序列、王家の威光、そして約束された政略。

 そのすべてを一枚の構図に収めたかのごとき光景。

 ――これが「正史」。

 断罪へと続く運命のレールの、始まりの光景だった。

シリアは涼やかな笑みを浮かべたまま、会場を見渡した。

 その微笑は誰が見ても「王太子の婚約者にふさわしい威厳」を感じさせる。

 けれど、その内心は――冷めきっていた。

(……はいはい、またここからね)

 殿下の隣に立ち、賛美と羨望を浴びる。

 入学式の段取りも、称えられる言葉も、何もかもが既視感でしかない。

(殿下の隣に立つ台詞も、もう何十回と聞いたわ。舞台も配役も、変わり映えしない)

 周囲の視線は「高貴なる威圧」の加護によって自然に従属していく。

 誰も逆らえない、誰も否定できない――その力が、セシリアを女王のごとく祭り上げていた。

 けれど、彼女だけは知っている。

(この輝きは一時の幻。どうせいずれ、“断罪イベント”に収束する……)

 完璧な笑みを崩さず、気品の仮面を纏い続ける。

 だがその瞳の奥には、冷徹な観測者としての光が宿っていた。

セシリアは、祝福と畏敬に満ちた視線を余裕の笑みで受け流しながら、ふと視線を壇下へと滑らせた。

 煌めくドレスの波、人々の喧噪、その片隅に――彼女は見つけた。

 隅に立つ、一人の少女。

 飾り気のない制服姿、それでも目を引く透明な気配。

 リリアナ。

 その瞬間、セシリアの瞳がわずかに細まった。

 微笑みは崩さない。だが心の奥で、確信する。

(……やっぱり来たわね)

 リリアナもまた、壇上を見上げていた。

 天真爛漫を装う柔らかな瞳――その奥に潜む鋭さが、一瞬だけ仮面を透かして覗く。

 視線が交わる。

 わずか一拍の沈黙。だが互いに理解していた。

 ――また、この舞台で。

 ――また、あなたと。

 入学式の喧噪の中、誰も気づかぬところで、二人の周回経験者たちの静かな火花が散った。




厳かな沈黙を裂くように、学園長の朗々たる声が講堂に響いた。

「――本年度の入学生を代表して。王太子殿下とその婚約者セシリア様、そして特待生リリアナに、ご挨拶をいただきましょう」

 その瞬間、場内がざわめきに揺れる。

 王族、貴族、豪商の子弟たちが視線を交わし、囁きが波紋のように広がっていった。

「殿下の婚約者と……平民出の特待生が並ぶのか?」

「いったい、どんな対比になるのだろう」

「……これは見ものだ」

 緊張と好奇、期待と揶揄。

 いくつもの感情が混じり合い、講堂の空気がわずかに熱を帯びていく。

 これから繰り広げられるのは、ただの挨拶ではない。

 誰もが本能で悟っていた。――ここから、物語が始まるのだと。

呼ばれたセシリアは、ゆるやかに裾を持ち上げ、淑女の礼を取った。

 その動きには淀みがなく、まるで舞踏会の舞台に立つプリマの一挙手一投足。

 顔を上げたとき、微笑みは既に完成されていた。

 気高く、優雅で、それでいて威圧を与えぬ絶妙な柔らかさ。

「王太子殿下の婚約者として、皆さまと共に学べますことを誇りに思います。そして――光の加護を持つリリアナ様を歓迎いたしますわ」

 透き通る声が講堂の隅々にまで響き渡る。

 その一言一句が、宝石を散りばめた旋律のように人々の耳に届いた。

 直後、拍手が巻き起こる。

 「さすが公爵令嬢……」

 「余裕に満ちておられる」

 「殿下の婚約者にふさわしい」

 貴族たちの瞳に宿ったのは、確かな信頼と憧憬。

 この場にいる誰一人として、彼女の立場を疑う者はいなかった。

 続いて壇上に立ったのは、特待生リリアナだった。

 裾を軽くつまんで一礼する姿は少しぎこちなく、場慣れした貴族たちの所作とは対照的。

 けれど、彼女はぱっと顔を上げ、明るい声を響かせた。

「特待生として学ばせていただきます、リリアナです! みなさん、よろしくお願いします!」

 一瞬の沈黙――そして場内がふわりと和んだ。

 その無邪気な笑顔は、まるで春風のように張り詰めた空気をやわらげてしまう。

「平民出なのに堂々としてる」

「天真爛漫で……可愛らしい」

 囁きがそこかしこから洩れ、貴族たちでさえ頬を緩める者がいた。

 華やかなセシリアの完璧さとは対照的に、リリアナの親しみやすさは自然と人々の心を惹きつけていた。

拍手が収まり、会場には自然なざわめきが広がった。

 誰もが壇上の二人を見比べずにはいられない。

「……さすがは公爵令嬢セシリア様。気品と余裕、まさに王太子殿下の婚約者にふさわしい」

「けれど、特待生リリアナも……素朴で、親しみやすくて……あれはあれで目を引くな」

 貴族の子弟たちが小声で囁き合い、平民出身の生徒たちも憧れを込めて視線を注ぐ。

 高貴にして隙のない淑女――セシリア。

 そして、明るく天真爛漫な光の少女――リリアナ。

 まるで最初から対照として描かれることが定められていたかのように、二人の姿は鮮烈に浮かび上がる。

「……まるで舞台の幕が上がったみたいだ」

「本当に“物語の主役”にふさわしい二人だな」

 囁きが重なり、会場の空気は期待に満ちていった。

 その対比は――否応なく、これから訪れる「物語のレール」を強調するものだった。

 拍手が続く壇上で、セシリアは淑女の微笑みを保ったまま、ふと視線を横へ流した。

 そこには、天真爛漫さを前面に押し出す少女――特待生リリアナ。

 ぱっと咲いたような笑顔に包まれたその表情は、誰の目にも純真無垢にしか映らない。

 だが――セシリアは気づいていた。

 その奥に隠されたものを。

(……また、あなたね)

 完璧に整えられた微笑みの下で、セシリアの瞳がわずかに細められる。

 彼女の心に去来するのは、既視感にも似た冷たい確信。

 一方のリリアナも、明るい声で「よろしくお願いします!」と言い終えると、ちらりとセシリアへと視線を返した。

 笑顔はそのまま、しかし瞳だけがわずかに揺れる。

(ええ、またお会いしたわね、セシリア様)

 ほんの一瞬――二人の視線が絡み合う。

 表向きは優雅な令嬢と天真爛漫な特待生。

 けれどその仮面の下では、互いに「周回経験者」であることを悟り、確信していた。

 ――ここから再び、物語が動き出す。


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