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裂け目の向こうへ

豪奢な大ホールの空気が、一瞬にして軋みを上げた。

リリアナの声が響いた瞬間――

「セシリア様は無実です!」

本来なら、悪役令嬢は孤立し、誰も庇わず、断罪の流れが完成するはずだった。

だが、その構造が音を立てて崩れる。

さらに彼女は告白した。

「……操られているのは、この私なのです。私は何度も同じ出会いを繰り返し、選ばされてきました!」

――ヒロインが選ばれる。

その絶対の前提が、彼女自身の口で否定される。

二重の崩壊が、舞台に決定的な矛盾を生んだ。

セシリアは息を呑む。

(これは……予定調和が壊れていく……!)

一本道に敷かれていた結末が、行き場を失って歪んでいく。

まるで脚本を失った舞台のように、物語そのものが立ち止まった。

王太子の顔が、仮面のように固まった。

次に放たれるはずの断罪の言葉――「セシリア、貴様の罪は――」

その台詞が、喉奥でひっかかり、音にならない。

口が開きかける。だが、声は濁音に歪み、意味を結べない。

「……セシリ……アは……ざい……む……」

テープを逆再生するかのように、掠れ、ねじれ、崩れていく。

攻略対象たちも同様だった。

怒りや軽蔑を向けるはずの視線は宙に迷い、強制された台詞は糸が絡まるように喉元で停滞する。

リリアナの証言と暴露によって、彼らの「役割」が支えを失ったのだ。

――歯車は空回りし、舞台装置は壊れ始めていた。

異常は、壇上だけでは終わらなかった。

――観客席。

ざわめいていたはずの群衆が、ある瞬間を境に、音を失った。

誰もが一斉に動きを止め、まるで糸の切れた人形のように頭を垂れる。

「……っ」

セシリアの息が詰まる。

それは“ただの観客”ではない。

舞台を成立させるための背景――「脚本に従うモブたち」。

彼らは台詞を奪われ、役割を消され、ただの舞台装置へと退化していた。

カクン、と首を傾けた一人の輪郭が、不自然に揺らめく。

テレビ画面に走るノイズのように顔が崩れ、そのまま背景画へと吸い込まれるように消滅した。

会場全体が、世界の“バグ”を曝け出していく。

――崩れ始めたのは、人ではなく世界そのものだった。

大ホールを彩っていたはずの豪奢な装飾が、音もなく「剥がれ落ちる」。

壁紙は紙芝居の背景のようにめくれ、奥から覗くのは真っ黒な虚無。

赤い絨毯は途中でぷつりと途切れ、そこから先は“床”ではなく、底知れぬ空白が口を開けていた。

「……世界が……壊れてる……?」

セシリアの震える呟きに応えるように、天井のシャンデリアが点滅を繰り返す。

煌々と照らしたかと思えば、次の瞬間には完全な闇。

まるで「照明係がスイッチを乱暴に叩いている」かのように、ONとOFFが無秩序に切り替わる。

さらに――音。

かつての鐘の音、観客のざわめき、王太子の断罪の声。

それらがノイズに侵食され、まるで古びたテープを逆再生するように「グシャア」「カチリ」と歪み混ざり合っていく。

世界の舞台が、強制力の限界を迎えて軋みを上げていた。

崩壊の只中で、セシリアは荒い呼吸を押さえ込みながら、瞳を大きく見開いた。

――赤い絨毯は裂け、観客は人形と化し、王太子の声は途切れている。

(……舞台が壊れていく。断罪という結末へ向かう道が、消えていく……!)

何度も繰り返されたあの「一本道」が、今まさに虚無へと飲み込まれていくのを、彼女は確かに見ていた。

一方、壇上に立つリリアナもまた、胸の奥で確信を得ていた。

周囲のざわめきがノイズに変わり、世界が歪むその光景を前に――

(私たちの選択が……世界に矛盾を生んでいる……!)

強制力の脚本を踏み外した二人の少女は、初めて「自分たちの意思が舞台を揺るがせる」と気づくのだった。

大ホールを覆っていた豪奢な装飾は音を立てて崩れ落ち、観客も攻略対象も、ひとつの台詞すら紡げぬ虚像と化していた。

世界そのものが「収束」を失い、暗闇に沈んでいく。

その中で――壇上だけが、まるで異質な存在のように光に包まれる。

セシリアとリリアナ、ただ二人を照らす舞台。

周囲が虚無へと呑み込まれていく中、その光だけが確かに残っていた。

ナレーション:

「強制力は矛盾を抱え、舞台は空白に沈んだ。

 だが、その混沌の只中で――二人は初めて、“物語の外”へ至る裂け目を見出すのだった。」

そして、その光はやがて扉のように形を変える。

次なるフェーズ――運命の裂け目の入口が、彼女たちの前に口を開けようとしていた。

胸を締め付ける絶望の波に、セシリアは思わず俯いた。

耳には断罪の声、視界には血の川――何度も繰り返してきた破滅の光景。

――終わる。

そう思った瞬間、心の奥底で何かが小さくざわめいた。

(……けれど、今回は違う。そう感じる)

わずかな違和感。

déjà vu の渦に呑まれながらも、そこに確かに“異物”が存在していた。

舞台の上に散らばる既視感の断片に、微かに混じる「見たことのない景色」。

絶望の色に染まる心に、ほんの一点、別の色が滲む。

セシリアはその曖昧な感覚を、必死に手放すまいと胸の奥で握りしめた。

大ホールを満たしていた荘厳な光景が、音を立てて崩れ落ちていく。

観客席に並ぶ人々は、もはや人ではなかった。

首を垂れたまま静止した彼らの姿は、色を失った人形のように褪せ、輪郭がゆらりと滲んで――次の瞬間、背景画の中へ吸い込まれるように溶けて消えていく。

足元の赤い絨毯が、ぱきりと音を立てて割れた。

そこから零れ出たのは血ではなく、虹色に乱反射するノイズ。

細かな破片となって砕け散り、床の下には「黒い虚無」と「光のひび割れ」が同時に広がっていく。

まるでこの世界そのものがスクリーンであり、今まさに破り捨てられようとしているかのように。

壇上に並んでいた王太子と攻略対象たちも例外ではなかった。

その顔がざらつき、声は砂嵐にかき消されるように途切れ――

「……セシ……リ……ア……は……」

と、断罪の台詞を残しかけたまま、映像の一部のように分解されていく。

やがて粒子となって宙に散り、舞台の上から姿を失った。

断罪劇。

幾度も繰り返された予定調和は、もはや完全に瓦解した。

世界が砂嵐と虚無に呑まれていく中――

壇上の中央だけが、ぽつりと取り残されたように残っていた。

セシリアとリリアナの足元。

そこに敷かれていた赤い絨毯は砕け落ちず、むしろ淡く光を帯びて輝きを増していく。

やがて、その輝きは二人を優しく包み込んだ。

柔らかな光が膜のように広がり、外界のノイズや砂嵐を遮断していく。

観客の消失も、王太子たちの分解も、もうここには届かない。

――これは、守られている。

セシリアは直感した。だが同時に、それはただの“保護”ではなかった。

まるで舞台の外から差し伸べられた招待状。

「ここで選べ」と促されるような、厳かで抗いがたい光。

リリアナもまた、その光に手を触れながら、かすかに息を呑む。

二人の周囲だけが別世界のように澄み渡り、崩壊する学園大ホールの残響を遠くに追いやっていた。

それは――“選択の場”への入口だった。

セシリアは、崩れ落ちていく大ホールを見つめながら、胸の奥で息を呑んだ。

赤い絨毯は虚無へと砕け、観客は背景に吸い込まれ、王太子の声さえ砂嵐に溶けて消えていく。

――断罪の舞台が、消えていく。

結末を押し付けられる一本道が……途切れている。

それは恐怖でもあり、同時に初めて感じる解放の予兆でもあった。

一方、隣に立つリリアナは、柔らかな光に包まれた足元を見下ろしながら、確信する。

――私たちが選んだ言葉が、矛盾を生み出した。

これが、“物語の外”へ通じる扉……。

彼女の胸に宿るのは後悔ではなく、震えるほどの確信だった。

二人の視線が交わり、無言のまま、同じ決意を共有する。

その瞬間、世界の崩壊の向こうに――新たな裂け目が、確かに口を開こうとしていた。

光に包まれた壇上。その輝きが、やがてひとつの形を取る。

――まっすぐに走る縦の線。

最初は亀裂のように細かったそれが、瞬く間に眩い輝きを増し、やがて扉の輪郭を思わせる姿へと変わっていく。

背後では観客席も壁も、すべてが暗黒へ沈み、断罪の舞台は名残すら失っていく。

だが、その空白の中にあって、その縦の線だけが異様なまでに鮮烈で、まるで「次なる舞台への招待状」のように輝きを放っていた。

セシリアとリリアナは、息を呑む。

その光の裂け目こそ――物語の外へ通じる“運命の扉”だった。

強制力は矛盾に呑まれ、脚本は崩れ、舞台は空白の闇へと沈みゆく。

すべてが瓦解し、結末すらも失われたその混沌の只中で――。

彼女たちは、ついに見出した。

“物語の外”へと至る、裂け目の光を。

縦に走った光の裂け目は、きしむ音を立てるかのようにゆっくりと開いていく。

その眩さに照らされながら、セシリアとリリアナは互いを見つめた。

――進むのか、それとも留まるのか。

言葉なき問いが二人の間を駆け抜ける。

だが、答えは明白だった。

舞台はすでに虚無に呑まれ、背後には崩壊しか残されていない。

残された選択肢はただひとつ――裂け目の向こうへ進むこと。

二人は足を踏み出す。

光の裂け目は、その決意を待っていたかのようにさらに開き、彼女たちを次なる運命へと誘っていく。


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