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今、自分が見ているのは「決められた台本」ではない

セシリアの耳を打つのは、王太子と攻略対象たちの冷酷な声。

重ねられる断罪の言葉は、刃より鋭く彼女を切り裂いていく。

足元の赤い絨毯がぐにゃりと揺らぎ、血の川へと変貌する幻を見た瞬間、呼吸が詰まった。

胸は締めつけられ、眩暈が世界を歪める。

――まただ。

何度も繰り返してきた、この光景。この非難。この結末。

「……もう何度目だろう。逃げ場も抗う術もなく、私はただ破滅に落とされる」

その確信が影となって心を覆い、セシリアの膝から力を奪っていく。

強制力に支配された舞台の中で、彼女は再び「終わり」しか選べないのだと悟った。

その瞬間、彼女の胸に広がったのは、深い諦めの闇だった。

しかし――胸の奥底で、かすかなざわめきが広がった。

深い闇に押し潰されながらも、微かな声が囁く。

(……けれど、今回は違う。そう、確かにそう感じる)

既視感の奔流に呑み込まれ、視界も意識も溶けそうになる。

それでも、そこにひとつだけ“異物”がある。

脚本どおりの舞台装置とは噛み合わぬ、違和感の欠片。

それはまるで、予定調和に抗うための小さな裂け目のように――

セシリアの感覚に確かに触れていた。

だから彼女はまだ、完全に絶望しきれない。

「終わり」ではなく「違う未来」への兆しが、確かに息づいているのだと直感して。

過去の周回では、決して生まれなかったはずの小さな“揺らぎ”。

図書室での邂逅。

庭園での会話。

そして、囁かれた「協力」の言葉。

それらは一本の見えざる糸となり、セシリアの胸に絡みついていた。

(……リリアナが。必ず、何かをしてくれる)

根拠などない。論理も確証もない。

だが、確かに“違う未来”を示す直感だけが、今の彼女を支えていた。

それは脆く頼りないながらも、断罪の舞台で唯一輝きを放つ――希望の糸だった。

セシリアの胸中は、激しく揺れ動いていた。

表層では、 déjà vu に絡め取られた絶望が支配している。

「また同じ結末に縛られる」――そう悟った瞬間、足は鉛のように重く、心臓は冷たい鎖で締め付けられる。

だが、その深層には小さな炎が消えずに残っていた。

「……いいえ。今回は必ず違う」

その囁きは弱々しくも確かな希望となり、彼女を闇から引き戻す。

絶望と希望――相反する感情が胸の奥で拮抗し、互いを押し合う。

そのせめぎ合いが、セシリアの瞳に不思議な光を宿した。

それは、断罪を前にした罪人の諦念にも、未来を切り拓こうとする祈りにも見える、曖昧で強靭な輝きだった。

王太子が断罪の言葉を紡ごうとした、その刹那――。

観客席の列をかき分け、ひとりの少女が前へと進み出た。

リリアナ。

その姿が壇上に近づくたび、会場を満たしていたざわめきが吸い込まれるように消えていく。代わりに響くのは、彼女の靴音だけ。規則正しく、だが確固たる意志を刻むような響き。

「――!」

観客がどよめく。

“ここでヒロインが動くはずがない”。

物語の予定調和が揺らぎ、会場の空気そのものが軋んだ。

王太子も、攻略対象たちも、セシリアでさえ息を呑む。

リリアナの一歩一歩が、まるで世界の台本を踏みにじるかのように重たく響いていた。

王太子の声が、不意に途切れた。

「……リリアナ?」

断罪を告げるために張り詰めていた声音は、今や揺らぎを帯びている。まるで強制力そのものが一瞬、制御を失ったかのように。

攻略対象たちも次々に動揺を示した。怒りや軽蔑の色を浮かべていた表情は崩れ、口にするはずだった断罪の台詞が喉元で絡まり、声にならない。彼らの目が、壇上へ歩み出る少女――リリアナに吸い寄せられていた。

観客席も同様だ。断罪という劇のクライマックスを待ち望んでいた彼らは、まるで糸の切れた操り人形のように硬直する。

筋書きに存在しない“異物”が入り込んだことで、空気そのものが凍りついたのだ。

その沈黙の中で、ただひとつ確かなのは――リリアナの歩みだけだった。

セシリアの胸が大きく震えた。

「……これは……。リリアナが、自ら予定調和を壊そうとしている……?」

頭の奥で木霊する déjà vu の断片――断罪の言葉、観客の歓声、崩れ落ちる自分。そのすべてが押し寄せる中で、ただひとつ違う“異物”が存在していた。

壇上へ歩み出る少女の背中。その姿は、何度繰り返しても現れなかった光景。

セシリアは、確かに理解した。

今、自分が見ているのは「決められた台本」ではない。

これは、世界が用意しなかった“別の選択肢”の兆しなのだ。

胸の奥に絶望とは異なる感情が芽生える。

それは恐れでも諦めでもなく――微かな希望の輝き。

その瞬間、天井から降り注いでいたまばゆい光が揺らめいた。

セシリアを射抜いていたシャンデリアの輝きが、ゆっくりと彼女を離れ――まるで舞台の主役をすり替えるかのように、リリアナの頭上へと移動する。

場内の空気が震える。

観客の顔が、一瞬ノイズのようにざらつき、崩れかけの絵画のように歪んだ。

均一だった断罪の熱狂が揺らぎ、世界そのものが軋む音が聞こえた気がした。

予定調和という名の舞台装置が、少女一人の行動によって――確かに書き換えられようとしていた。


豪奢な大ホールに、甲高く澄んだ声が響き渡った。

「――お待ちください!」

壇上へと歩み出た少女が、堂々と胸を張って叫ぶ。

黄金の光に包まれた姿は、誰よりも鮮烈に視界を焼いた。

「セシリア様は……無実です! 彼女が罪人だなんて、間違っています!」

刹那、世界が凍りついた。

観客も、攻略対象たちも、一斉に息を飲む。

――ヒロインが“悪役令嬢”を庇う。

そんな筋書きは、いかなる周回にも存在しなかった。

王太子の唇が震え、吐き出しかけた断罪の言葉は喉で途切れる。

「……何を言っている、リリアナ」

声色は怒りよりも困惑に満ち、舞台を支配していた強制力すら軋みを上げる。

そして、呆然と見つめる一人の少女。

セシリア。

(彼女が……私を庇っている……?)

(そんなこと、今まで一度だって……!)

胸の奥で、絶望に沈みかけていた心臓が大きく跳ねる。

――孤立して断罪されるはずの“悪役令嬢”に、初めて差し伸べられた救いの声。

その一手が、物語の「予定調和」に最初のヒビを刻み込んだ。



「……いいえ」

静寂を切り裂く声が、大ホールに響いた。

リリアナの瞳はまっすぐに前を射抜き、か細いはずの声が、何よりも重く響く。

「真に操られているのは――この私なのです」

会場がざわめいた。

観客の誰もが理解できず、誰もが理解してしまう。

――“ヒロイン”が、自らを罪人と名乗った。

それは、この舞台を支える根幹そのものを揺るがす言葉だった。

リリアナは両の拳を震わせ、それでも口を閉ざさない。

「私は……何度も同じ出会いを繰り返しました。

 誰かと出会い、好感度を上げさせられ、最後には選ばされる。

 全部……筋書きに従わされてきたのです!」

声は確かに震えている。だがその震えは、恐怖ではなく――決意の証。

その瞬間、観客席に座る貴族たちの顔がノイズのように揺らぎ、攻略対象たちの口が開いては閉じ、定められた台詞を紡げずに途切れる。

世界そのものが“予定”を読み上げられなくなり、ぎしりと不協和音を響かせた。

――「ヒロインは選ばれる存在」。

その大前提に、ヒロイン自身が矛盾を叩きつけたのだ。

断罪の舞台は揺らぎ、崩壊の兆しを孕む。

壇上に立つリリアナの声が、張り詰めた空気を打ち破った。

「お待ちください! セシリア様は無実です!」

瞬間、会場の空気が凍りついた。

観客も、攻略対象たちも、誰一人として動けない。

――ヒロインが“悪役令嬢”を庇う。

そんな筋書きは、この舞台には存在しないはずだった。

王太子の口元がひくりと震え、強制力に操られた声が喉で絡まる。

「……リリアナ、何を……」

セシリアは呆然と立ち尽くす。

(彼女が……私を庇っている……? そんなこと、今まで一度だって……!)

だがリリアナは止まらない。

震える唇を、なおも強く結んで言葉を放った。

「……いいえ。本当に操られているのは――私なのです」

沈黙。

会場全体が呼吸を忘れる。

「私は、何度も同じ出会いを繰り返しました。

 誰かと出会い、好感度を上げさせられ、最後には“選ばされる”。

 全部……筋書きに従わされてきたのです!」

彼女の告白が響いた瞬間――。

天井のシャンデリアが激しく瞬き、光が不安定に明滅する。

観客の顔はノイズのように崩れ、攻略対象たちの台詞は途中でぷつりと途切れる。

「孤立する悪役令嬢」という構造に亀裂が走り、

「選ばれるヒロイン」という根幹に致命的な矛盾が刻まれる。

大ホールそのものが軋みを上げ、舞台装置は幻影のように揺らぎ始めた。

観客席は歪み、人物の輪郭が崩壊しかけ――

まるで“物語”という世界そのものが、崩壊を拒みながらも崩れ出していた。



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