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この世界を縛る“強制力”は、安易な選択を決して許さない

学園の図書室。

夕刻の光が高窓から差し込み、古い棚をやわらかく照らしていた。

紙の匂いと、遠くで誰かがページをめくるかすかな音だけが漂う世界。

昼の喧騒とは切り離された、まるで時がゆるやかに沈殿していくような静寂。

人影はまばらだった。

リリアナはそんな空間を選んでいた――人目を避け、心を落ち着けるために。

指先で書物の背表紙をなぞりながら、彼女はひとり、探し求める答えを紙の海に求めていた。

リリアナは学術書の並ぶ高い棚を見上げ、小さく息をついた。

「……もう少しで……」

背伸びをしながら指先を伸ばす。だがあとわずか届かない。

つま先に力を入れた瞬間――指先に触れかけた本が、重力に負けて傾いた。

「あっ――」

落ちる、そう思った刹那。

横からすっと伸びてきた白い手が、本を支えた。

木の葉が揺れるほどの小さな動作なのに、その存在感は図書室の静寂を切り裂くほど鮮烈だった。

「危ないですよ」

柔らかな声が、図書室の静けさに溶けて響いた。

落ちかけた本を支え、そのままリリアナへ差し出したのは――魔法使いの青年、エリオットだった。

白磁のように整った指先から、ふわりと魔力の気配が漂う。

それを受け取ったリリアナは、わずかに遅れて胸を押さえた。

(……また“イベント”? この場面も、最初から決められていたものなの……?)

自然な笑みを浮かべる彼の仕草は、作り物ではなくあまりにも普通の振る舞い。

だがだからこそ、リリアナの心は強制力の影を探してしまうのだった。

本を手渡した瞬間、エリオットの視線がわずかに宙をさまよった。

指先に残る重みを確かめるようにして――彼は小さく呟く。

「……妙だな。まるで前にも同じ光景を見たような気がする」

リリアナの胸が強く跳ねる。

思わず彼を凝視してしまい、言葉を探そうと唇が震えた。

しかし当のエリオットは、首をかしげ、すぐに気を取り直したように微笑む。

「既視感かな。時々あるでしょう? そういうの」

軽やかに流す口調とは裏腹に――リリアナの心には、今の一言が深く突き刺さって離れなかった。

リリアナの胸の奥で、ひやりとした感覚が走った。

(……今の言葉。強制力とは違う、“別の何か”を感じさせる)

心臓が早鐘を打ち、指先がわずかに震える。返す言葉が見つからず、喉がからからに乾く。

「そ、そうですね……そういうこと、あります」

無理に口角を引き上げ、愛想笑いを貼りつける。

その笑みがぎこちないことを自覚しながらも、彼女はそれ以上の反応を見せまいと努めた。

エリオットは気付いたのか気付かなかったのか、柔らかな眼差しのまま本を棚に戻していく。

リリアナだけが、その短い会話に取り残されたように胸をざわつかせていた。

リリアナの胸の奥で、かすかな震えが広がっていく。

(……私だけじゃない?)

思わず息が詰まる。これまで“運命の強制力”に翻弄されてきたのは、自分とセシリアだけだと信じていた。

だが――今、目の前のエリオットの呟きが、その前提を揺さぶる。

(もし……彼も気づき始めているのだとしたら?)

恐ろしい想像。けれど同時に、喉の奥で抑えきれないほどの期待が芽を出す。

「自分たちだけではない」という可能性は、孤独の檻に差し込む一筋の光でもあった。

そして、直感する。これは偶然の口走りではない。

――世界そのものに、繰り返しの歪みが生じているのではないか、と。

彼女は無意識に胸元を押さえ、震える指先を静めようとした。

図書室は沈黙に包まれていた。

夕刻の光が棚を斜めに照らし、紙の匂いとページをめくる音だけが漂う。

その静寂を破ったのは、エリオットの低い呟き。

「……妙だな。まるで前にも同じ光景を見たような気がする」

一言だけなのに、音が過剰に反響したように感じられた。

リリアナの指先が止まり、瞳が大きく見開かれる。

静謐だった空気に、石を落とした水面のような波紋が広がる。

誰もいないはずの図書室に、目に見えぬ揺らぎが走る――そんな錯覚すら覚えるほどに。





午後の庭園は、陽光に包まれた舞台のように穏やかだった。

白い石畳の小径を境にして、両脇には紅や桃色のバラが咲き誇り、風が通り抜けるたびに淡い香りを漂わせる。

セシリアはベンチに腰を下ろし、膝の上に開いた本へと視線を落としていた。だが、文字を追う瞳はどこか焦点を失っている。周囲には遠く、笑い声や足音がかすかに響くが、ここだけは切り離された静けさが支配していた。

その静寂を破るように、砂利を踏む軽やかな足音が近づく。顔を上げれば、陽射しを背に立つ長身の青年。淡い銀の髪を揺らすその姿は、庭園に紛れ込んだ異邦の魔術師――エリオットだった。

「……失礼。隣、よろしいですか?」

低く響く声と共に、彼は自然に歩み寄ってくる。バラの影に包まれた庭園で、二人だけの時間が始まろうとしていた。

午後の柔らかな日差しが庭園を包み、バラの花々が風に揺れて淡い香りを散らしていた。

セシリアはその一角のベンチに腰掛け、本を開いたままページをめくるふりをしていた。目は文字を追っているはずなのに、心はどこか遠くにある。

――せめて、この時間だけは静かに。

そう願った矢先、砂利を踏む音が近づく。規則正しい足取りが徐々に彼女のもとへ。

「……失礼。こんなところで読書とは、優雅ですね」

声に顔を上げると、陽射しを背にした青年の姿があった。銀の髪を光に透かせ、落ち着いた微笑を浮かべる魔法使い、エリオット。

セシリアは扇を軽く閉じて胸元に添え、作り慣れた微笑を返す。

「まあ……エリオット様。お散歩の途中で?」

彼は軽く肩をすくめ、自然に隣のベンチを指差す。

「もしよければ、ご一緒しても?」

こうして、庭園の静寂の中で二人の邂逅が始まった。

バラの香りが淡く流れる庭園。

セシリアとエリオットは並んでベンチに腰掛け、穏やかな調子で言葉を交わしていた。

「今年の薔薇は特に見事ですね」

「ええ。学園の庭師の方々が丹精を込めて育てておられるのでしょう」

優雅なやり取りは、周囲から見ればただの世間話にしか映らない。

けれど、ふとした沈黙の後、エリオットの声色が少しだけ変わった。

「……妙なんだ」

セシリアは扇を軽く動かす手を止める。

「舞踏会も、模擬戦も――どれも初めて経験するはずなのに、 déjà vu のように感じるんだ。まるで……何度も繰り返された舞台を、再び見せられているみたいに」

彼の瞳はただの冗談ではない真剣さを帯びていた。

セシリアは一瞬、胸の奥が冷たくなるのを感じながらも、微笑の仮面を崩さない。

――やはり、この人も。

彼女の心に、警戒と同時にかすかな期待が芽生えていた。

セシリアの胸が一瞬、鋭く跳ねた。

静かな庭園に響いたエリオットの言葉は、ただの戯れとして受け流せない重みを持っていた。

――彼も、“気づいている”?

心の奥底に隠していた確信を、まるで鏡に映されたかのように突きつけられた気がする。

扇を閉じる指先に、わずかな力がこもる。

外見は変わらず優雅な令嬢の微笑みを保ちながら、セシリアの瞳は無意識に彼を凝視していた。

その一瞬の視線の交錯だけで、互いの胸中に「ただの偶然ではない」という共通の響きが広がる。

バラの香りと風のざわめきの中、言葉以上の“違和感の共有”が静かに結ばれていった。

エリオットの声は穏やかだが、その言葉は風に乗ってセシリアの胸へ鋭く突き刺さった。

「同じ日々が、何度も繰り返されているような……」

彼はふと視線を空へ向ける。午後の陽光に揺れるバラの葉が、舞台の幕のように影を落とした。

「誰も気づかないだけで、私たちは舞台の役者のように――同じ演目を、何度も“上演”しているのかもしれない」

淡々と告げられる比喩。その声は冗談めいているのに、どこか確信めいた深さを帯びていた。

セシリアの心臓は強く脈打つ。

――舞台。上演。まるで彼は、この世界の“仕組み”を見抜いているかのように。

扇を握る指がわずかに震えるのを、彼女は必死に隠した。

バラの香りを含んだ風が、庭園の静けさをやわらかく揺らした。

エリオットはベンチに腰かけるセシリアの横顔をちらと見てから、遠くを見つめるように言葉を落とす。

「……同じ日々が、何度も繰り返されているような気がするんです」

その声音は軽やかでありながら、不思議と胸に残る響きを持っていた。

「誰も気づいていないだけで、私たちは舞台の役者のように……同じ演目を、何度も“上演”させられているのかもしれない」

セシリアの手に握られた扇がわずかに震える。

心臓が、不自然なほどに強く脈を打った。

(舞台……上演……。彼も、この“見えざる力”に気づいている……?)

沈黙の中、噴水の水音が小さく響く。それが、世界に走ったひび割れの音のようにセシリアには聞こえていた。

エリオットの言葉が空気に溶けていく。

次の瞬間、彼の視線が真っ直ぐにセシリアを捉えた。

深い湖を思わせる瞳。その奥底には、ただの世間話ではない確かな意図が宿っている。

セシリアはわずかに肩を震わせ、扇を閉じたまま膝の上に置く。

そして、視線を逸らすようにバラの垣根へと顔を向けた。

だが、頬をかすめた熱の正体を、彼女は自覚している。

(……見透かされている。理解されている……)

これまで誰とも共有できなかった「歪み」への恐怖。

その感覚を、彼もまた抱いている――。

胸の奥に押し込めていた孤独が、ふいに解かれていくのをセシリアは感じていた。

エリオットは一拍置き、庭園を渡る風に紛れるように声を落とした。

「もし……君たちも、違和感を覚えているのなら」

真剣な響きを帯びた言葉に、セシリアは息を呑む。

エリオットはベンチの背に片腕を預け、視線を逸らさぬまま低く続けた。

「私と――協力できるかもしれない」

その瞬間、時間が止まったかのような静寂が庭園を包む。

バラの花弁が風に揺れる音だけが耳に届き、セシリアの鼓動はいつになく早まっていた。

(……“私たち”。そう言った。リリアナも含めて――)

胸の奥に芽生えた微かな希望と、不穏な予感がせめぎ合う。

彼の差し伸べた言葉は、鎖にも救いにもなり得る。

セシリアはただ、無言のまま唇を引き結んだ。

セシリアの胸の奥に、重くも鮮烈な感覚が広がった。

エリオットの言葉は――ただの偶然や空想に過ぎないものではない。

(……やっぱり。気づいている。私だけでも、リリアナだけでもない。世界の“歪み”を感じているのは……彼も同じ)

確信にも似た思いと共に、心の奥底で淡い期待が芽生える。

「もし共に立ち向かえるなら」と、ほんの一瞬でも夢を見てしまう。

だが同時に、背筋を冷たいものが走った。

この世界を縛る“強制力”は、安易な選択を決して許さない。

軽々しく頷いた瞬間、きっと見えない檻が新たに降りてくる。

(……信じたい。でも、踏み込んではいけない)

希望と恐れがせめぎ合い、セシリアは結局、声を失ったままエリオットの瞳から目を逸らすしかなかった。

風が一瞬止み、庭園に漂うバラの香りが濃くなる。

沈黙の中、微かに揺れる葉音だけが響く。

エリオットは深く追及せず、ただ意味深に微笑んだまま、その場を去る。

セシリアは視線を落とし、胸の奥で鼓動が高鳴るのを感じる。

周囲には何事もなかったかのような静けさ。

しかし二人の間には、見えざる糸が結ばれたかのような、緊張感だけが残る。


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