物語の幕が上がる
大陸随一の名門――ルミナス学園。
白亜の大理石で築かれた門が朝日に輝き、整然と手入れされた庭園には四季を問わず花が咲き誇る。
中枢にそびえる大講堂は魔導照明に包まれ、外から見上げただけで威容に圧倒されるほどだった。
入学の日を迎えた若者たちは、門をくぐった瞬間から息を呑む。
王族、貴族、豪商の子弟――未来の社交界を担う面々だ。
その眼差しには希望と野心が宿っている。
「ここからが……本当の社交界の第一歩だ」
「名を挙げれば未来は約束される」
ざわめきは期待と緊張を含み、学園そのものを祝福する合唱のように響く。
だが、この学園の本質はただの学び舎ではない。
――ルミナス学園は“物語の収束装置”。
ここでは必然が必然を呼び、定められたイベントが自然と発生する。
恋愛、友情、陰謀、断罪。
幾度も繰り返されてきた運命の歯車が、今年もまた音を立てて動き出していた。
大講堂に足を踏み入れた瞬間、圧倒されるのは――色彩だった。
ドレスの煌めき、礼服の紋章、宝石の輝き。それらが一堂に会する様は、もはや入学式というより舞踏会だ。
楽団こそいないが、ざわめき自体が音楽となって会場を満たしている。
整然と並ぶ椅子も、誰がどこに座るかで意味が変わる。
王族に近い席ほど高貴の証。貴族同士の間では、視線一つで家柄の序列を量り、隣に座る人物の家の影響力まで計算する。
すでに社交戦は始まっていた。
「侯爵家の令嬢があちらに……」
「ふむ、あの青年は伯爵家の三男か。だが母方は公爵筋だ」
囁きが飛び交い、笑みの裏に計算が光る。
一方で、華やかな渦に入りきれない者たちもいる。
平民から奇跡的に合格した新入生たちだ。
彼らは壁際に集まり、小さく身を縮め、周囲の輝きに飲まれぬよう必死に気配を消していた。
その姿は、のちに「光の加護」を持って堂々と立つ少女――リリアナの姿と、鮮やかな対比を成すことになる。
ざわめく会場の空気が、ひときわ重みを増した。
視線の先――壇上。玉座の隣に立つ少年こそ、この国の未来を担う王太子、アルベルト・フォン・グランディアである。
金糸の髪が陽光を受けて煌めき、彫刻めいた横顔は完璧そのもの。
背筋は軍人のように伸び、纏う雰囲気は王族の威厳そのもの。
ただそこにいるだけで場の中心が塗り替えられる、まさに「主役」の存在感だった。
「殿下……」「なんて麗しい……」
あちこちから囁きが漏れ、女子生徒たちの頬が紅潮する。
男子生徒ですら、畏敬の念に打たれて息を飲むほどだ。
――表向きの彼は、乙女ゲームにおける本命ルートの王子様。
ヒロインに恋をし、愛を誓い、未来を共に歩む存在。
だが、その蒼の瞳の奥では、別の感情が渦を巻いていた。
繰り返し、繰り返し、同じ学園生活を演じ続けた退屈。
彼は知っている。ヒロインと出会い、恋を育み、やがて断罪の舞台に至る――その結末を。
――また始まるのか。
心の奥で、彼は無表情のまま、乾いた吐息を零す。
それでも王太子としての仮面を外すことはない。
「完璧な王太子」を演じ続ける、それもまた彼に課された運命だからだ。
攻略対象たちの顔見せ
騎士ユリウス
壇上の片隅。王太子のすぐ傍らに、ひときわ鋭い輝きを放つ存在がいた。
銀の鎧に身を包み、直立不動の姿勢で会場を見渡す青年――近衛騎士団所属、ユリウス・クラウディウス。
甲冑はただの装飾ではなく、磨き上げられた実戦の証。
揺らぎひとつない瞳は、己が任務を全うする誇りを物語っていた。
その佇まいは、華やかな学園の場にあっても一切の浮つきを許さず、ただ凛々しく、清廉そのもの。
「……あの方が、殿下の護衛騎士……」
「さすが、選ばれし剣だわ」
女子生徒の囁きは、憧れと敬意を含んでいた。
豪奢な衣装に彩られた貴族の子弟たちの中で、彼の存在は一際まぶしく映る。
本来の物語におけるユリウスは――庶民的なヒロインを守り抜く“正義の騎士”。
困難に立ち向かい、誠実さをもって愛を誓う、鉄板の人気ルート。
しかし今、この瞬間の彼はただ護衛として任務に徹している。
誰にも笑顔を見せず、誰の視線にも揺らがず。
その冷徹な気配が、逆に多くの者の胸を熱くさせていた。
魔法使いエリオット
壇上の端、王太子や騎士とは対照的に、ひとり気だるげな青年が腰掛けていた。
長い指先には分厚い魔導書。視線はページに落ちており、入学式の進行すら気に留めていない様子だ。
艶やかな黒髪は無造作に垂れ、涼しげな瞳は会場を一瞥してもすぐ興味を失う。
彼の周囲だけが妙に静まり返り、近寄りがたい知性の結界に覆われているように見えた。
「……あれが、魔術師家系の天才……」
「すごい……入学前からすでに上級魔法を使いこなすって」
生徒たちの噂は尽きない。だが本人はまるで耳に入っていないかのように、淡々とページを繰るだけだった。
本来の物語におけるエリオットは――学園の知識イベントを導く存在。
古代魔法の秘密や、攻略キャラとの因縁を解き明かす知識の鍵。
ヒロインが学園で成長するための「賢者役」でもある。
しかし、その横顔に浮かぶのは退屈と倦怠。
何度も繰り返された物語に飽き果て、式典の荘厳さですら眠気を誘うだけ。
――また始まるのか、と。
彼の胸中に去来するのは、静かな諦念だった。
幼馴染カイル
煌びやかな会場の隅、ひとり落ち着かない様子で辺りを見回す少年がいた。
質素な礼服は皺ひとつないが、豪奢な装飾に囲まれると否応なく浮いてしまう。
庶民出身――カイル・ハーヴェイ。
王族や貴族に囲まれ、肩身の狭さは隠しようがない。
それでも彼は必死に背筋を伸ばし、きょろきょろと視線を動かしては自分の居場所を探していた。
「……すげえな、これが学園ってやつか」
小声の独り言は、緊張と興奮が入り混じっている。
場違い感を抱えながらも、その眼差しは真っ直ぐだ。
誰かに見下されようとも、腐らず、諦めず――それが彼の強さだった。
本来の物語におけるカイルは、庶民的ヒロインと自然に打ち解ける導入役。
気さくで人懐っこく、彼女が学園の華やかさに呑まれないための「拠り所」となる存在だ。
けれど今はまだ、彼もまた一人の新入生。
煌めく世界に呑まれそうになりながら、懸命に立っている。
その姿は、不器用ながらも誠実さを物語っていた。
留学生ライラ
大講堂の一角、ひときわ異彩を放つ少女がいた。
陽光を受けて鮮やかに映える、異国の民族衣装。金糸の刺繍が流れるような模様を描き、まるで砂漠の風と共に舞い降りたような気配を纏っている。
彼女の名はライラ・アシュラフ。遠方の大国から派遣された留学生だ。
「……あの服装、やっぱり東方の……」
「すごい、宝石みたいな瞳……」
周囲の視線は自然と彼女に集まる。だが同時に、その存在感はあまりに異質だった。
貴族の子弟たちは距離を置き、好奇心と警戒心をないまぜにした目で彼女を見つめている。
ライラ自身は気にした様子もなく、涼やかに微笑んでいた。
自分が注目されることを承知のうえで、毅然と立っている。
本来の物語における彼女は――文化の違いを乗り越えて友情を育み、やがて恋へと発展する「異国ルート」のヒロイン役。
その異質さこそが魅力であり、波乱を呼び込むスパイスとなる。
だが、今の彼女はまだ「異邦の来訪者」に過ぎない。
理解も共感もこれからだ。
それでもその姿は、閉ざされた学園に新たな風を吹き込む予兆のように思えた。
式典開始
荘厳な鐘の音が響き渡り、ざわめきが静まった。
壇上に進み出たのは、長い白髭を蓄えた老魔導師――ルミナス学園長。
杖を軽く掲げるだけで、空気が張り詰める。
「諸君。ここは未来の王国を支える人材を育む場である」
低く、しかしよく通る声が講堂全体に染み渡る。
魔力を帯びた言葉は、生徒たちの胸に直接刻み込まれるようだった。
「誇りと責任を胸に、この四年間を学びなさい。
汝らの歩む道は、やがて国を、民を、世界を形作る礎となるだろう」
その一言ごとに、ざわめきが広がる。
表情を取り繕い、気品を装いながらも、生徒たちの心は静かに波立っていた。
「……誰が王太子殿下の隣に立つのか」
「……この学園で最初に頭角を現すのは誰だ?」
囁きが重なり、希望と野心と不安が入り混じる。
ここにいる全員が知っている――この学園での序列が、未来を決めるのだ。
そして運命の歯車は、すでに回り始めていた。
学園長の演説が一区切りついたところで、老魔導師は杖を軽く突き鳴らした。
再び静寂が訪れる。
「さて――最後に、諸君へ特別な紹介をしよう」
その一言に、会場がわずかにざわめく。
老魔導師の瞳は鋭く、壇下の生徒たちを見渡していた。
「王国の未来を担う王太子殿下と、そのご婚約者。そして……今年、光の加護をもって選ばれた特待生である」
空気が張り詰める。
ざわつきは一瞬にして期待と好奇心へと変わり、すべての視線が壇上へと注がれた。
「殿下と婚約者……つまり、公爵令嬢セシリア様が」
「特待生って……誰だ? やっぱり“光の加護”の持ち主か」
囁きが次々と広がり、会場の空気は熱を帯びる。
それはまるで、物語の幕が上がる合図のようだった。
この瞬間から、二人の少女――セシリアとリリアナの“運命の邂逅”が始まる。
幾度も繰り返された学園生活、数え切れぬ周回の果てに、またも同じ舞台で。
しかし、彼女たちの心は知っていた。
――「これは初対面」ではない。
――「またここから」なのだ、と。