第8話 休業日の朝
「夢じゃなかったんだ」
目の前にあるのは確かにお醤油……だね。ステーキに少しかけただけで、何十倍もお肉の可能性を引き出した不思議な調味料。
減ったはずのお醤油、満タンになっている。
「じゃあ、昨日のことは本当……だったとしたら、一体どういうこと?」
う~ん、考えても分からないことはどうしようもないよね。
今やるべきは私の朝食作り。それとお醤油の使い方、それを研究しましょう。
エプロンを付けバンダナを頭に巻いた。
保存バックからレインボーフィッシュを取り出し、『毒抜き』の魔法を再度かけた。
締めた時にも掛けているんだけど、何度かけても問題ないから。父からは慎重すぎだよって笑われたけど、安心安全が一番。
これをかけると、毒も病原菌も寄生虫も全て消し去ることができる。
肉でも魚でも卵でも、生で食べても大丈夫なくらいだ。
内臓をとり、三枚におろすと、半身を半分に切りわけ薄く小麦粉をはたいた。
熱々に焼いた鉄のフライパンに、しっかりと油をなじませる。ここで手を抜くとせっかくの魚が張り付いてしまうから、油はケチってはいけない。
一度濡れ布巾でフライパンの粗熱を取り、ちょうどよく温まった所に静かに魚の身を放つ。
ジュゥっという油の跳ねる音が耳をくすぐる。白身の魚から水分が滴り、小麦粉がじりじりと焼け色を付けながら香ばしい匂いを放つ。
静かに裏返し、ひとかけらのバターを落とす。
(ここでお醤油を入れたらどうなるだろう?)
好奇心が私の胸をざわつかせた。何かとんでもなく素晴らしい予感がする。
静かにビンを傾け、魚の上に慎重にかけた。
ジュワー! とフライパンにお醤油が零れ落ちる。
途端に香ばしい香りが部屋中に充満する。
溶けたバターの匂いと、お醤油の香りが混ざり合い、何とも言えないハーモニーを醸し出した。
こんなの絶対おいしいに決まっている。
火から下ろし蓋をして、余熱でふっくらと仕上がるのを待ちながら、隣のコンロで温めた昨日の残りのスープをよそった。
さあ、いただきましょう。
神様に祈りを捧げ、目の前で香ばしい匂いを立たせているあったかい切り身にフォークを刺した。
一口大に切った身を頬ばる。
「ん~。おいしい!」
初めて味わう料理ってなんて表現したらいいか分からない!
バターのコクがお醤油のコクと出会うと、全く新しい感動が生まれるのよ!
お肉にも使える? もしかして野菜をいためてもバターとお醤油の味付けが使えるかもしれない。
食の細い自分が残念でならない。でもいいや。少しずつ試していくのも楽しみを続けられるから。
バターとお醤油。こんなに素敵な組み合わせは無いわ!
そうだ、このスープに一滴だけお醤油を加えてみよう。一滴じゃ何も変わらないと思うけど。
って、なにこれ! 味に……味に深みが! おいしい! 何がどうなったか分からないけど、本当においしい。
もっと入れよう!
……辞めとけばよかった。塩辛くて違う方向に……。
スープを足してお醤油の味を薄めましょう。
まあ、飲めるけど……入れすぎ注意ね。なるほどね。
そうだ、魚に大根おろしとお醤油の合わせた奴を一緒にして食べたら。
急いで作って、一緒に食べてみる。
うん。最高! 濃厚なバターと醤油の味わいが、ホワイトラディッシュの爽やかな辛みに流されていく。
う~ん。満足しました。
お醤油。本当にいいものをくださってありがとうございます。
満足してお茶の準備を始めた時、ドアがドンドンと叩かれた。
「店主、いませんか。昨日弁当を八個買った冒険者のボルクだ。冒険者パーティ鋼鉄の剣だ」
昨日の親切な冒険者さん? 今日は臨時休業って……、あっ、休業の看板出して無かった。
えっと、無視……はいけないよね。よいお客さんだし。
しかたない。返事をしないと。
「は、はい。お待ち……ください」
それにしても早くない? まだ八時にもなっていないのに。
私はガチャリ、と鍵を外し、ギーと大きな音をたてる、建付けの悪い扉を開けた。
「おはよう、ルツィナさん。まだ開店前だった?」
名前! ルツィナさんって名前で呼ばれた! どうすればいいの?
「あ、あの……おはよう、ござい……ます」
挨拶返すので精いっぱいだよ。いいよね、これで。
「あ、まだ開店前だった? 何時から開店するの? それまで待ってるよ。それにしても昨日のお弁当、本当においしかったよ。今日はたくさん買うから、売れる前に来たんだよ。何個あるの? 場合によっては全部買うから」
待って待って待って! 情報量多い! えっと、お弁当気に入ってくれたのでしょうか? 買いたい?でも何もないよ!
「あ、あの。……今日は……」
「今日は何? あっ、何か特別なお弁当があるとか? おすすめは?」
ちょっと聞いて! 話続けさせて!」
「あの……今日は」
「あ、こいつ、バゥイがスープの作り方を教えて欲しいって言ってるんだけど」
だから~。私の話を聞いて!
「今日は……きゅうぎょ」
「こいつはヴィラ。君の弁当を気に入っちゃってさ、俺のまで取ろうとするくらい」
だから~! 話させて!
「今日は休業日です!」
思い切り叫んじゃった。ほら、驚いているよ。
「何ということだ。休業ですか」
え~と、バゥイさんでしたっけ? 何をそんなに深刻になっているんですか?
たかだかお弁当屋が休むだけですよ?
「今日はお弁当食べられないの? なんて日だ!」
えっと、そんなに大事じゃないでしょ?
「この匂い……すごくおいしそうな」
あ、名前なんだろう。何か雰囲気私に似てるかも。
「ルツィナさん。相談がある。中に入って話をさせてもらってもいいかな」
え? あ? 無理! 断んなきゃ。でも断りづらい……。
「あ、は、はい」
私のばか~! そこは無理ですでしょ!
あっ、遠慮なく入ってきたよ。しかたない。じゃないんだよ、私!
心の中でたくさんの断りのセリフを言いながらも、彼らが入ってくるのを止めることができなかった。
仕方がない。お茶くらい出しましょうか。
私は、彼らを視界から外し、コンロにやかんを乗せた。




