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今宵も星は、黙して灯る  作者: 若絵真 宙
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就職戦線

これからの身の振り方を両親に相談しようと、昭は一度故郷に帰省した。

実家の店から2階に上がるとそこに兄の英一がいることに昭は驚きを隠せなかった。

「えーっ、エイちゃん帰っとったん?」

昭が尋ねると、英一はにこやかに答えた。

「おぅ昭、久しぶりやなぁ。1ヶ月前に帰っとったんや。今は銀行マンや」

その言葉に、昭はさらに驚いて聞き返した。

「プロにならんかったん?」

英一は肩をすくめながら言った。

「あのな、俺はウェルター級や。外国人のウェルター級はメチャクチャ多いんや。そやけど、日本人のウェルター級は少のうてな、そりゃ体格的にも、外国人に日本人は敵わんわ。

日本の大きなボクシングジムからも誘いがあって、この高級時計ももろたけど、やっぱり断ったわ」

英一の腕には、確かにキラリと光る高級時計があった。

「えーっ、折角大学の学生チャンピオンで、日本一になったのに、もったいない。プロになったら良かったのに」

事実英一は、大学3年の時に、日本学生チャンピオンになり、一躍時の人となっていたので有る。

昭が残念そうに言うと、英一はサバサバと言い放った。

「アホか。俺がプロになったら、お前が『ボクシングのプロの兄がおる』言うて、鼻が高うなるけんやろが。日本のウェルター級じゃ、飯は食うていけんわ」

プロの世界を知らない昭は、「ふーん、そんなもんか?」と残念がりながらも、兄の現実的な判断に感心するしかなかった。


父、一郎が昭を呼んだのは、その日の夜だった。

「昭、久しぶりじゃったのう。モデルの仕事は難しかったか?鮫島社長も、できることはやったけど、この紳士服業界だけじゃ、ちょっと難しかったかなあ、と言うて、残念がっとったわ」

父の言葉に、昭は神妙な顔で耳を傾けた。

父は話を続けた。

「それでな、今度呼んだんは、お前の就職のことやけどな。英一も結局ボクシングでは難しかったけん、ワシの知り合いの銀行の支店長に頼んで、銀行に入れてもろうたんや。まあ、新人やから、最初は雑用係やけどな」

そして父は、昭のほうに目を向けた。

「ほんで、お前のことやけどな、大手の大住生命保険会社の支店長に話したら、OK言うてくれてな。試験は受けんでええけん、面接だけ受けてくれたら形式的なもんやから大丈夫や、と言うてくれたんや。

来週の木曜日で、東京の本社ビルの5階や。どうや?」

大住生命保険会社と言えば、日本でも5本の指に入る大手企業である。

昭も再び東京での生活ができることに期待を抱き、面接を受けることにした。

そして、すぐに東京へとんぼ返りし、面接に備える日々を送った。

木曜日のその日、新宿の一等地に建つ8階建てビルの5階にある会議室の待合室まで行くと、既に何人かが面接を待っていた。

3番目に昭の名前が呼ばれた。

昭は、まずドアをノックし、「どうぞ」と言われるまで待った。

入ってから一礼をし、くるりと回れ右をして、ちゃんとドアノブを回して閉めた後、再び回れ右をして、「掛けなさい」と言われるまで待った。これは、今日の日に備えて、様々な人から教えてもらった面接のマニュアル通りであった。

「掛けなさい」

の声で、昭は一礼をして「失礼します」と言って、椅子に腰を掛けた。

「君は、どうして我が社を受ける気になったのかね?」面接官の一人が尋ねた。

「はい、御社は日本でもトップクラスの保険会社で、私は、このような大きい会社で、自分の力を目一杯出し、いずれはこの会社を背負っていく人間になりたいと思ったからです」

昭がそう答えると、面接官全員が「ホーッ」という顔で、それぞれ顔を見合わせた。

「掴みどころは良し!」

昭は心の中でそう思い、それぞれの面接官の顔を見ていると、一人の面接官が尋ねた。「ところで、君の尊敬する人は誰だね?」

本来なら「父親です」と言うのが常套だろうとは思ったが、昭は迷わず答えた。

「田中角栄さんです」

すると5人の面接官が、それぞれ顔を見合わせて、変な顔をした。

そのうちの一人が、

「どうしてなんだね?」

と尋ねてきたので、昭は自信を持って答えた。

「田中角栄さんは、色々あるけれど、行動力は、これからの日本の未来を動かす人だと思います。私は、田中角栄さんを尊敬しています」

5人は考え込むような顔をして、

「分かりました。それでは、ご苦労様でした」と言って、昭の面接は終わった。

当時、田中角栄首相はロッキード事件で刑事告訴されており、汚職で時の人だった。

しかし、昭は彼の行動力に絶対の尊敬の念を抱いていたので、後悔はなかった。


ビルを出て、駅の方へと歩いていると、20メートルほど先に、その場にそぐわない服装の4人組の、黒服の集団が歩いていた。

ブラックスーツに身を包み、山高帽を被り、手にはステッキを持ち、その周囲には、やはりブラックスーツに身を包んだ3人の男性が、山高帽の男性を取り囲んで歩いている。

どう見ても、周囲の風景に馴染まないグループをよく見ると、その山高帽の男性こそ、毎日、日本橋の喫茶店、ローハイドの壁際で靴磨きをしていた、あの、とっつぁんだった。

驚いた昭は、声を掛けに走り出そうと思ったが、あまりにも威圧的な3人のガードマンに恐れをなし、見過ごしてしまった。

後で分かったことだが、彼こそが、とっつぁんが言っていた日本倶楽部の会長で、普段は社会情勢を見極めようと、靴磨きをしながら世の中の動きを監視しているという、有名な会長だったのだ。


その日の夜、昭が父親の一郎に電話を入れると、早速怒鳴られた。

「今日、支店長から、『今回は、申し訳ないけど不採用になりました』と連絡があったけど、お前、何を言うたんぞ!」

父の声が、電話越しに響いた。

昭はしばらく考え込んでいたが、ここは正直に話そうと思い、父に告げた。

「面接官に、最後に『尊敬する人は誰かね?』と聞かれて、親父の名前を出そうかと思ったけど、今の日本を良くする人は田中角栄しかいないと思って、田中角栄さんって言うたら、みんなの顔色が変わったんで、多分それやと思うわ」

電話の向こうで、一郎の怒鳴り声が響いた。

「アホか!あたり前やろ。

田中角栄は、今は犯罪者やぞ。

そんなん言うたら落ちるやろ。

お前らは、どいつもこいつもロクなもんじゃ無い!」

父の怒りは収まらず、さらに信じられない言葉が続いた。

「英一も、こないだ、銀行を辞めてしもうてのお」

昭は驚いて、

「えっ、なんで?」

と尋ねた。

一郎はため息交じりに説明した。

何でも、自転車で集金に行って、色々なところを回っている間に、自転車の前カゴに入りきらんくらいの金が集まったらしい。

自分一人では運ぶのが大変になり、やっとの思いで銀行に帰ったら、遅いと叱られたという。

もし自分の集めた金が盗まれていたらどうなっていたかと思うと腹が立って、集めた金を床に叩き付けて、

「もうやってられるか!辞めたるわ」

そう言って帰ってきたらしい。

昭は、短気でキレやすい英一のやりそうなことだと、深くため息をついた。

兄の行動は理解できるものの、その後の生活を考えると不安が募る。

自分も就職に失敗し、兄も職を失った。

父の期待を裏切ってしまったことへの罪悪感と、これからの生活への焦りが、昭の心を重くした。


生命保険会社の採用が白紙になったことで、昭は深く考え込んだ。

今までの自分は、父親の世話になりっぱなしだった。

これからは、自分の力で人生を切り開いていこうと心に決めた。

大学からの推薦会社もいくつかあったが、モデルの仕事をしたり、喫茶店のバーテンダーの仕事をしたりと、ろくに勉強もしていなかったため、受けた試験は全て不合格に終わった。

大学の単位は、一夜漬けの勉強で何とか取得でき、卒業論文も経営学科だったので経営者の生き方について書いたことで、何とか単位を取得し、卒業はできた。

しかし、会社への就職試験は、やはり一筋縄ではいかないものだった。


そんな時、あるアパレル産業の婦人服メーカーが、緊急社員募集をするという記事を、新聞の広告欄で見つけた。

そこには、こう書かれていた。


4月7日 新卒男性社員緊急追加募集。

東京本社50名。

月曜日、午前10時、

本社ビル2 階 時間厳守。


昭は、早速この婦人服メーカー、株式会社東京アパレルを訪れることにした。

東京アパレルは、地下鉄銀座線の八丁堀にあり、駅から歩いて10分ほどのところに建つ、5階建ての大きなビルだった。

1階には配送用のプラットフォームがあり、大型トラックが何台も停まり、その中に婦人服を吊るしたラックが、積めるだけ積み込まれている最中だった。

受付は2階と書いていたので、早速階段を上がって2階に到着すると、既に大勢の男性が集まっていた。

そこに、色の浅黒い、少しハンサムな男の人が、指差しながら人数を数えていた。

「32人か!よし、それじゃあ10時30分になったので、ここで締め切ります。私は林と言いますが、今日は面接はありません。

全員採用します」

その言葉に、集まっていた男性たちの間にどよめきが起こった。

林は続けた。

「ただし、我が社の仕事は、メチャクチャきついですから、覚悟してください。これを聞いて、不安になった人は、今すぐに帰ってください。その分給料は他所の会社よりいいです。給料は、9万円です。ボーナスは年2回、夏と冬です。

両方とも1ヶ月2.5ヶ月分です。

それと毎年3月に決算手当が出ますが、その金額は私の権限ではないので、貰ってからのお楽しみです」

そう言って、林はニコッと笑った。

皆はどうするのかな、と思っていると、その中の2人が「僕は帰ります」と言って、出ていった。

昭は、「よし、ここだ」と決心した。

中には、この会社の下調べをしてきている人もいて、ヒソヒソと話すのが聞こえてきた。

それは、驚くべき内容だった。

「ここの会社凄いらしいよ。まだ上場はしてないけど、今凄い売り上げで、ボーナスは他所の会社よりちょっといいけど、決算手当てが凄いらしいよ。

係長クラスで、封筒の中のお札で、手で持たなくても、机の上に立つらしいよ」

昭の、人生初の就職先が決まった瞬間である。

この会社で、昭はどのような社会人生活を送り、どのような波瀾万丈の物語を紡いでいくのだろうか。




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