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今宵も星は、黙して灯る  作者: 若絵真 宙
3/11

転機

家族の商売が順調に発展していく一方で、英一は高校生になると、それまでの穏やかな雰囲気とは打って変わって、突如としてボクシングの練習に打ち込み始めた。

当時の地元にはボクシングジムはおろか、学校にもボクシング部すら存在しなかったにもかかわらず、英一は独力で地元の元ボクサーを探し出し、毎日学校が終わると、地元の私立体育館でその元ボクサーから指導を受ける日々が始まった。

まるで何かに取り憑かれたかのように、英一はひたすら練習に明け暮れた。

その情熱は周囲を驚かせ、高校2年の夏休みには、なんと国体の大会で全国2位という輝かしい成績を収めるまでに上り詰めたのだ。

それからというもの、英一が出場する試合は常に1ラウンドKOの快勝続きで、連日のように新聞にその活躍が掲載された。

彼は瞬く間に地元の有名ボクサーとなり、アマチュアながら、その名は広く知れ渡るようになった。

高校3年に進級すると、英一の元には東京の大学から特待生としての誘いが舞い込んだ。

彼の才能と努力が認められた証だった。

そして、高校卒業と同時に、彼はその大学へ推薦入学を果たす。

家族の誰もが彼の快挙を喜び、誇りに思った。

特に昭は、兄の並々ならぬ努力と才能に感銘を受け、毎日のロードワークにも、自転車に乗って付き合っていた。

ある日、毎日のようにロードワークで、自転車に乗って前を走っている昭に英一が、「おい、昭、チョットしんどなったけん自転車に乗せてくれ。」

「よっしゃ、それやったら、僕がゆっくり走るけん、後ろの荷台に飛び乗れ!」

「よっしゃわかった!」の声の後に、ドシン、ズズーの音の後に「イターッ」昭が慌てて振り向くと、自転車の後ろに英一が、両手をバンザイした格好で転がっている。

昭が慌てて自転車を停めて英一の所へ駆け寄ると、鼻がズルむけて血が出ている。

「何やその顔、鈍くさー」

「えー、鼻から血がでよるか?」

「エイちゃん、ホンマに格闘技以外は運動神経鈍いなぁ」

2人は顔を見合わせて大笑いしながら家に帰って行った。


確かにその頃の英一は、高校では番長と呼ばれ、市内の高校では英一に逆らう者は1人もいなくなった。

英一のボクシングへの情熱は、彼自身の秘められた出自への、ある種の反発や証明だったのかもしれない。

しかし、その真意を知る者は、まだ誰もいなかった。

一方、兄・英一がボクシングで華々しい活躍を見せ、東京の大学へ旅立った頃、昭も高校生になっていた。

活発な英一とは対照的に、昭は幼い頃から音楽が好きで、当時、女子生徒が大半を占めるブラスバンド部に所属していた。

男らしさを求められる時代の中で、どこか居心地の悪さを感じていた昭は、ある日、何気なく母親の英子に尋ねた。

「母ちゃん、俺、エイちゃんとは性格が全然違うけど、どうしてこんなに違う俺が生まれたんやろ?」

すると、英子から返ってきた言葉は、昭が全く予想だにしなかったものだった。

「あんたは本当は、この世に生まれていなかったんよ。本当は、あんたの上に一人おったんやけど、母ちゃんが、ある日階段から落ちて流産して、その子は死産だったんよ。女の子やったわ。うちは、亡くなった前のお母さんの子供、藤子、勝也、和久、久雄。それから私の実の子の、アンタの兄ちゃん英一と、子供が多いやろ? そやから、この子で最後にしようと決めてたんやけど、死産で死んでしもうたけん、じゃあ、もう一人産もうという事であんたが出来たんよ。

私も本当は嫁に来たくなかったんよ。20歳前で、こんな子沢山の所へ来たくなかったけど、お父ちゃんが毎日毎日、白い反物やお米や卵を持って来るけん、私の叔母さんが、ここまでしてもろうたらアンタ、結婚しても何不自由なく幸せもんよ。っと言われて来てしもうたんよ。そやから私は、自分の子供は1人でええと決めてたんよ。

そやから、あんたは本当は、この世に存在せんかったんよ。そやから、性格も違うんと違う?」

英子の言葉を聞いた昭は、雷に打たれたような衝撃を受けた。

呆然と立ち尽くし、絞り出すように言った。

「えーっ、ほんなら僕はいらん子や。」

英子は慌てて言った。

「そんなことないよ。せっかく授かった命やから、その子の分も頑張って生きな。」

しかし、昭の耳には、その後の言葉は何一つ届かなかった。

「俺は、いらん子や!いらん子や!」

その言葉だけが頭の中をこだまし、昭は自分の3畳一間の部屋へと逃げ込んだ。

その日の学校からの帰り道、立ち寄ったレコード店で耳にした曲が、昭の心を強く捉えた。

タイトルも知らなかったが、そのメロディーと歌声が胸に深く響き、昭は迷わずそのレコードを買った。

最上階にある自分の3畳一間の部屋に戻ると、電気を消して部屋を真っ暗にし、その曲を何度も何度も繰り返し聴いた。

ダスティ・スプリングフィールドが歌う「If You Go a Way」

歌詞の意味は分からなかったが、悲しくも美しい旋律が、昭の心に渦巻く孤独と絶望を代弁しているかのようだった。

涙がとめどなく溢れ、自分の存在意義を揺るがす母親の言葉と、この哀愁を帯びた歌声が、昭の心に深く刻み込まれていった。

屋上から見た空には、自分の涙のように一杯の星が輝いていた。


高校生になってからは、今まで、父ちゃん、母ちゃんと呼んでいたが、年が年だけに、友達と話す時も流石に、父ちゃん、母ちゃんでは恥ずかしいので、この頃から両親の呼び方を変えるようにしていた昭は、ある日、意を決して英子に尋ねた。

「お袋、英一にいちゃんの名前は、どっちも、お袋の英子の英と、親父の一郎の一が入っとるのに、何で俺のは、2人に関係ない昭なん?」と、英子に詰め寄った。

一瞬戸惑った英子は、すかさず、「それは、アンタ、今は昭和時代で、ウチの前の通りも昭和通り言うやろ?

せやから昭和の昭を取って(ショウ)にしたんや。」

「それやったら、親父とお袋のどっちかの名前の一文字を入れても良かったんやないか?やっぱり俺なんか、どうでも良かったんやろ。」

昭の心には暗い影が残されていた。

それからの父親の一郎が昭に接する態度が見た目にもわかるほど甘やかす態度に変化していった。


昭は、部活の傍ら、その頃から流行りのエレキギターを買って貰い、友人を誘って5人組のバンドを作った。

その名前は、The Vikingsと言う名前で、当時流行っていたグループサウンズ、特にThe TigersやThe Temptersの曲のコピーをして、昭の店の倉庫に毎日集まって練習に明け暮れた。

皆んな高級な楽器やアンプを買う金もなく、楽器屋の叔父さんに頼み込んで、1人1000円ずつ出し合って、毎月5000円ずつの分割にしてもらった。

当時はローンも無く、信用分割集金で、ある月など5000円が集まらなかった時には、叔父さんが「アンプを持って帰る。」と言われて、何とかなだめて許してもらった。

初めてのエレキギターや、ドラムで、皆んな必死に練習して、何とか5曲ほど演奏できるようになったので、映画館を借り切ってチケットライブをやろう!と当時バンド活動が流行っていたので、6グループに声を掛けて映画館を経営しているオジさんに交渉に行った。

オジさんは「俺も映画や音楽が好きやから、この金額でならええよ。」と快くOKしてくれた。

皆んなが手分けしてチケットを友達に売りつけていると、学校の先生にも耳に入り

「ウチの学校で、エレキのライブをして、金を取ってチケットを売っとると言う話が聞こえてきたけど、お前らは学生じゃ!金を取るような事をする奴を見付けたら、即退学やからな!わかったか?」

そう言われて、バンドグループの皆んな慌てふためいた。

市内の違う学校から集まる6グループを全員集めて、緊急会議を開いたが、皆んな「退学はアカンな!しゃあない、諦めるか。

学校退学になったら親父に家追い出されるわ。」

「そやったら、チケットの金取らんと、タダやったらええんと違うか?」

「ほしたら、映画館借りる金ができんや。

演奏するとこが無いやん。

「そうやな、やっぱり無理やわ。高校卒業してからやろうや。」

そう言う話になり、映画館のオジさんの所に話を持って行った。

「オジさん、ゴメン。チケット、金取って売ったら学校退学にする。と先公が言うけん、悪いけど諦めるわ、ごめん。」

「えーっ、そうか、そりゃ残念やな」

そう言ったまま黙ってるオジさんを後にして、首をうなだれて帰ろうとした時に、

「ほしたら、金取らんかったらええんやろ?金取らんかったらええやん」

皆んなが、意味がわからず、キョトンとして「ほしたら、ここの借り賃払えんのよ。」

「払わんかったら文句ないんやろ?退学にもならんのやろ?」

「そりゃそうやけど?」

「よっしゃ!ウチももうええわ。金いらん。お前らもチケットタダで配れ!そしたら文句無いやろ。」

「ホンマ?ほんまにホンマ?」

「皆んなで頑張ってやろう、言うてるのに、そんな先公や学校に負けるな!ワシが応援したるわ。」

「ありがとうございます」

皆んなで、深々とお辞儀をして走って他の連中にも報告をして行った。

当日は、皆んな生演奏を聴き慣れていないので、超満員になり、大盛況。

当時はまだ楽譜も無く、音源は全てレコードを擦り切れるほどに聴いてミミコピで練習する毎日で、昭は、ベース担当で、Tigersの(君だけに)という曲のベースを完璧にコピーして演奏すると、観客もバンド仲間も目を見張る驚きぶりで、「お前、どうやってあんな難しいベース進行を覚えたんや。」と言って、話題になった。

しかし、エレキギターブームは、まさに疾風のように駆け抜け、そして、まるで潮が引くように静かに下火になっていった。

昭が高校3年生になる頃には、かつての熱狂は薄れ、彼もまた大学受験という現実に向き合う日々を送っていた。

参考書を広げ、来るべき試験に備える昭の姿は、一見、ごく普通の受験生そのものだった。


そんなある日のこと、父親の一郎が、思いがけない言葉を口にした。

「お前、ファッションモデルにならんか?」

昭は一瞬、耳を疑った。

紳士服の仕立て屋を営む父親の口から、まさかそんな言葉が出るとは。

一郎は続けた。

「父ちゃんの知り合いが、東京の有名なデザイナーで、鮫島社長と言うんやけど、この前、お前の話をしたんや。そしたら、『ぜひ東京に来させなさい!ファッションモデルにしてあげるから』って言うてくれてな。お前は、英一に負けたらアカン! どうや?」

その瞬間、昭の心臓は大きく跳ねた。

特に、「お前は、英一に負けたらアカン!」という父親の言葉が、彼の胸に突き刺さった。

父親は、すべてを分かっていたのだ。

英一の出生の秘密を、そして、そのことが昭の心に、知らず知らずのうちに影を落としていたことを。

父親は、昭が英一とは違う形で、自分自身の価値を証明し、輝かしい未来を掴むことを願っていたのだ。

昭は、迷わず即答した。

「分かった。俺、ファッションモデルになるわ。」

数日後、その東京の有名デザイナー鮫島社長が、はるばる昭に会いにやってきた。

彼は昭の全身をじっくりと眺め、

「うん、良いね。だけど、太ももが痩せすぎているので、少し貧弱に見えるなぁ。太ももをもう少し大きくすれば、もっとカッコよくなる。明日から3ヶ月間、毎日走り込みをしなさい。その時に気をつけるのは、つま先だけで走りなさい。そうすれば、ふくらはぎは大きくならずに、太ももだけが大きくなるからカッコいい脚になるよ。半年後にもう一度来るから、頑張ってね」と、具体的な指示を与えた。

その日の夜から、昭の日々は一変した。

毎日10キロメートル、つま先だけで走るという、過酷なトレーニングが始まったのだ。ふくらはぎに負担をかけず、太ももの筋肉だけを集中的に鍛えるその方法は、想像以上にハードだった。

全身から汗が噴き出し、脚は悲鳴を上げたが、昭は一切弱音を吐かなかった。

父親の言葉、「英一に負けたらアカン!」が、彼の心の中で大きな原動力となっていた。

そして、何よりも、新しい自分を見つけ、この「いらん子」という呪縛を打ち破りたいという強い思いが、昭を突き動かしていた。

3ヶ月後、昭の身体は劇的に変化していた。

体操服の短パンの裾がパンパンになるほど、彼の太ももは逞しい筋肉に覆われていた。引き締まった身体つきは、彼の顔立ちを一層精悍に見せた。

かつては音楽にしか情熱を傾けていなかった昭が、今、新たな才能の扉を開こうとしていた。

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