生き残るための店
華が退院してからも、過激な動きや、長時間立つ事は出来ない生活が余儀なくされた。
昭は、これから華が、1人ででも生きていけるように、何か無いものか?と考えた末に、料理が得意な華が出来る仕事として、厨房に椅子を置いて、座って料理を作るだけだったら、何とか出来るのでは無いか?と考え、落ち着いた、大人のカップルがくつろげる店を作ったらどうだろう?と考え、色々空き店舗を探し、以前、寿司屋をやっていた空き店舗を見つけた。
そこは、一昔前には、知る人ぞ知る有名な寿司屋だったが、店主が病に倒れ、閉店してから10年も経っていたが、広くて住まい付きだった。
昭と華が、大家の案内で中を見ると、入って直ぐに箱庭があり、真ん中に通路が有って、両サイドに襖で仕切られた個室が、各4部屋ずつ配置されていた。
奥には、20畳程の厨房が有り、2階には、6畳と、4畳半の部屋があり、通り正面の2階には12畳の大広間が有って、6畳の部屋からも、1階からも、行き来できるようになっていた。
「どうじゃ?これなら広いけん、どうにでも改装出来るやろう。」
「そうやけど、私に出来るだろうか?」
「まっ、今までに無い店にするけん、楽しみやぞ。」そう言って、自分達で、改装する段取りを整えた。
金融機関から5年返済で、借金を申し込み、早速解体作業に入った。
昭の考えでは、今の昭の仕事は昼間の仕事で、スーツの営業と、リフォームの各店舗の見回りだけなので、毎晩飲みに出て行く代わりに、この店で、自分が弾き語りをしながら、従業員にホールを任せれば、今までにない、チョット高級な雰囲気の、デートコースになると思っていた。
先ず、業者に頼んで、箱庭を解体してもらった。
コレばかりは、はつり機械など持っていないので、業者に頼むしかなかったが、あとの、襖で仕切られた個室や欄間は全て壊して、厨房まで、平地にすると、何と、40畳程の平地になった。
厨房には、大型の業務用冷蔵庫を置いて、
平地の床には板を敷き詰めて、そこには、木製の円形のテーブルを9卓と、同じ木製のテーブル5脚ずつ配置した。
その頃には、従業員募集のチラシで、採用した男性2人も入り、3人と華も手伝い、正面玄関の壁は、全てアイボリーのモルタルを、自分達で、コテ跡が残るように塗り固め、ドアは、輸入雑貨屋さんで、一枚板のグリーンのアメリカから取り寄せた、重いドアを取り付けた。
ドア一枚で17万円、鋳物の取手一つが2万円、裏表で4万円で、そのドア一枚で、重厚感が溢れるようになった。
看板は、イルミネーションのネオン管で、Cat's eye Reternと書かれていた。
自分達だけでの改装作業だったので、3ヶ月掛かったが、何とかイメージ通りに出来上がった。
ホールに出ている昭と従業員は、全員ブラックスーツに蝶ネクタイと言う格好で、さらに高級感を出した。
又、厨房にも、華のアシスタントをするスタッフを1人採用した。
華には、車輪付きの椅子を用意して、椅子に座ったまま、厨房の中を行き来できるように仕上げ、料理が出来上がり、スイッチを入れると玄関に、OPENの文字が点灯して、ホールの人間が一目で分かるように配慮した。
いよいよグランドオープン前のプレオープンの日には、1組2名様のカップル限定で、1万円。
昭の、ギター弾き語りで、9組2回転の合計18組36名限定のコース料理を出すイベントの募集をかけると、直ぐに定員に達した。
予約が入ると、全員の下の名前を聴き、ネットで、ワイングラスに名前を彫ってくれる業者を探しだし、直ぐに発注をかけた。
料理の内容は、前菜、ベルーガキャビア付きのステーキ、フォアグラ付きのフランスパン、スープ、パスタと、シャンパン。
時間は、午後7時から9時迄の9組と、午後9時30分から11時30分迄の9組。
18組で、36人。それで、18万円。
いよいよ開店。
最初の18組が来店して、従業員全員がブラックスーツと蝶ネクタイで出迎えるものだから、躊躇していたが、シャンパンを飲み、生まれて初めてだと言う人もいたが、ベルーガのキャビアを恐る恐る食べる人、フォアグラに驚きの顔をする人が居て、場も和んできて、昭が、カーペンターズのイエスタディワンスモアと、レターメンのラブを弾き語りで歌い、次にマイクで皆んなに話しかけた。
「本日は、キャッツアイ リターンにようこそお越しくださいました。
お食事、お飲み物、御堪能されていますでしょうか?それでは、皆さま、その場でグラスを置いて、全員お立ちください。そして、スタッフ、照明を落としてください。」そう言うと、照明が落ちて、辺りが暗くなり、昭が、ギターを持って座っている所だけが、ボーっと明るく浮かび上がった。
「驚かれたことと思いますが、お互い向き合って、今から私が1曲歌いますので、踊ってください。」そう言うと、「えーっ」と言う声と、座ろうとする人も居たので、「踊らない方は、お帰りの際に記念のお土産が御座いますが、それをお渡しできないので、必ず踊ってください。いいですね」そう言いながら、つのだひろさんのメリージェーンを歌った。
モジモジしてた人達が、曲が流れると、観念したように抱き合い、チークダンスを踊り出した。
曲が終わり、明かりが灯されると、全員から盛大な拍手が湧き起こり、
「良かった良かった。こんな事でも無いと、恥ずかしゅうて、中々踊れんかったわ。」と皆んな喜んでくれた。
9時になると、「お名残惜しいのですが、今日は、ここまでです。お帰りの際には、お約束通り、皆様にお土産が御座いますので、どうか記念にお持ち帰りください」と言って、袋を手渡した。
「宜しければ、中をご覧になって下さい。」
そう言うと、皆んな「何やろ?」と言いながら袋の中の箱を開けると、2人の下の名前がローマ字で彫られ、その下にCat's eye Retern since2005と彫られているワイングラスが出て来たので、「わぁー凄い。ええ思い出やわ。」そう言って、感激して帰って行った。
当然、この人数で、この料理で、この金額は、大赤字であるが、昭は、印象付ける為の宣伝費と捉え、プレイベントは、大成功に終わった。
さていよいよグランドオープン。
昭を入れて、ホールスタッフ3人、ブラックスーツに蝶ネクタイ。
厨房では、華とバイトのお手伝いの女の子。
皆んな、初めての試みのこの店に、長蛇の列かな?と思い、期待と緊張で待っていると、先ず3人の男性。
「何じゃこの店、女の子おらんのか?」
「はい、こちらは、そう言うお店ではなくて、女の子は、置いていません。」
そう言うと、「帰ろう、帰ろう。つまらん。」そう言って、出て行った。
「マスター、帰って行きましたよ。」
「しょうがないのー、まっ、その内、どんな店か分かるよ。それまでの辛抱じゃ。」
先行きが不安なまま、昭は、ジッと堪えた。
次に、若いカップルが入って来て、恐る恐る席に座ってメニューを見ると、
「なんじゃ、高級そうやから、高いんか?と思うたけど、普通じゃないの。良かった。安心したわ。」そう言って、ビールと、ナポリタンスパゲッティ、ピザ、唐揚げなどをオーダーして、
「このピザ、パリパリして、メチャクチャ美味しい。ナポリタンも美味しいけど、唐揚げも、ジューシーで、美味しい。」と言って、喜んでくれた。
ピザは、昭と華が好きなクリスピーの薄い生地にしてあるので、食べやすく、女の子にも、ズッシリと来ないように、軽く仕上げていた。
昭が、「手作り豆腐も有りますけど、一度食べてみてください。オーダーを受けてから作りますので、チョット時間が掛かりますが、病み付きになりますよ。」と言うと、「じゃあ、それも食べてみようかな?それもお願いします。」
そう言って、手作り豆腐も、オーダーされた。
その内、次から次へと、お客さんが入って、テーブルは、満席になった。
正面入り口を見ていると、ドアの上のOPENのライトが点いたので、厨房へ行くと、手作り豆腐が出来上がっていた。
早速、注文されたカップルのテーブルに持って行くと、女の子が、「ホンマや、出来立てのホカホカや。」と、口に入れた途端、「何コレ?メチャクチャ美味しい。こんなお豆腐初めてやわ。」
「どれ、一口食べさして。」そう言って、彼氏がスプーンで一口食べると、「ホンマや、メチャクチャ美味いわ。俺にも一つ追加して。」そう言って、追加の注文を頼んだ。
メニューには、ナポリタンスパゲッティ、クリスピーピザ、手作り豆腐、手作りポテトチップ、レンコンチップ、焼きそば、タコス、キャビア、フォアグラなど、多国籍料理の種類が数多く並んでいた。
初日は、28人の来店で、12時の閉店まで、客足は、絶えなかった。
2日目。
今日は、昨日の口コミで、もう少し入るかな?と思い、皆んなで、今か今かと、待っていたが、8時を過ぎても誰も来ない。
9時を過ぎても誰も来ない。
最初は、「来ないねー。」とか、「どうしたんだろう?」と、言っていたが、その内、誰も、何も喋らなくなった。
結局、閉店までゼロ。
昭は、焦った。
(こりゃ大変だ。何とかしないと。)
次の日は、宣伝用のチラシをパソコンで作って、開店時間から、近くの交差点で、チラシ配りを始めた。
それでも、来店客数は、1組の3人だけ。
翌日、昭は、パソコンで、ピザ、唐揚げ、ポテトチップ、レンコンチップ、タコスの出前用のチラシを印刷して、パウチで挟んで、近くのスナックのドアの下から入れて行った。
Cat'eye Reternは、飲み屋街の近くにあったので、全部で50軒程の店のドアから入れて行った。
その日の夜、出前の問い合わせの電話が鳴ったり、ピザの注文があったりと、来店客は、やっぱり3人だったけど、
出前も、3軒。
しかし、これじゃ給料も出せない。
10月にオープンして、年末まで、我慢、我慢。
忘年会には何とかなる。
忘年会には、団体が入ると言う予測で、厨房とホールの間に、1mくらいの仕切りを付けて、ホール側に窓を開けて、カウンターを作り、そこに、ビールサーバーと、業務用製氷機を置いた。
やっと12月。
その頃には、さすがに広い店だけあって、1階2階の忘年会の予約がドンドン入って、多い時には、7時からの団体予約が、1階と2階で、2回転ずつで、1階では50人まで入れるのと、2階では、15人までの座敷。
厨房も大変だけど、ホールのスタッフも汗ビッショリ。
コース料理で、飲み放題1人4500円。
2階までビールを運ぶのは大変なので、2階の廊下にビールサーバーを置いて、
「なかなか自分で、ビールサーバーで入れる機会はないでしょう?ここでは、自分でビールを入れてください。入れ方は教えますよー」と言うと、大体の団体の中には、「おぅ、そりゃ面白そうだな?ヨシヨシ、ワシが入れてやろう。」と言う客がいるもので、昭が「はい、最初は、グラスを寝かせて、ハイハイ、徐々にグラスを立てて、9分目入ったら、レバーを向こうに倒して、泡を入れてください。ハイ、お上手ですよー。」と言うと、大抵の人が、「そうか?よっしゃ、俺がビールの係じゃ。」と言って、やってくれた。
1番大変なのは、2階まで、ある程度沸かした土鍋を3つ持って上がる事で、階段を踏み外さないように、汁を溢さないように、客に掛けないように、細心の注意を払って、ドキドキしながらの繰り返しである。
1階では、ビールは、スタッフが入れて、それを別のスタッフが両手で持てるだけ持ってテーブルまで持って行く。
客が徐々に酔ってくると、
「おーい、ビールお代わりー」と叫ぶので、「そのグラスを飲み干してから入れますので、飲み干してくださいー。そうしないと、グラスが足りませんから。」
「グラスが足りんのじゃ、しょうがないのぉ。」と言って、無理矢理グラスを空ける。
これも昭の作戦で、何処の店でも、まだグラスにビールが残っているのに、新しいビールを注文する酔っ払いが出てくるのを見ていたので、その都度、勿体無い飲み方しやがって。と思っていたので、そのルールは、グラスが足りないと言う言い訳で、納得させた。
やっぱり、忘年会の売り上げは凄まじく、10月、11月の暇な時期が嘘のように思えた。
その頃には、次の一手を考えて、12月24.には、クリスマスライブをする企画を考えた。
昭のバンドのクリスマスライブ。
ライブは、夜8時からで、入場は、7時から。その間に食事をしたり、飲み物を飲んでもらい、一段落した後、ライブの始まりである。
飲食代金は、通常通り頂くが、ライブ代金は無料。
ホール半分にテーブルを寄せて、壁側にライブメンバーが並び、アンプやドラムや、キーボード、PAを置いて、先ずは、グループサウンズの曲から始まり、洋楽、オリジナル曲など、前22曲で、昭がMCとボーカルで、汗ビッショリで、歌って踊って、終わりが11時。
それからメンバー交えての飲み会になって、解散。
何とか赤字を出さずに新年を迎える事が出来た。
さて、次の作戦は?
1月、2月は、寒さの影響もあって、散々な売り上げで、そんな時は、店の中で、バンドの練習をしたり、次のステップの為に、色々アイデアを考えていた。
そんな時に、閃いたのが、5月からは、ビアホールにしたらどうだろう?
だったら、早い時期から前売り券を売り歩き、先に売り上げを作ってしまおう!と言うものだった。
内容は、通常、男性3500円、女性3000円で、2時間、飲み放題、食べ放題にする所を、前売り券では、男性3000円、女性2500円にして、10枚買って貰うと、1枚サービスにする事!
早速パソコンで1000枚印刷をして、裏には、偽物が作れないように、店の角印を押して、注意書きには、5月1日から8月31日まで有効とした。
スタッフ全員に、自分が行っている、ガソリンスタンド、クリーニング屋さん、友人、八百屋さんなど、知り合い全てに、とりあえず20枚ずつ渡して、売ってもらう。
当然20枚売れたら、2枚はサービスで、プレゼントする。と言って、ほとんど強制的に置いて行く事。
そして、4月30日には、全て回収する事。
その条件で、全員に50枚ずつ渡して、地方版の情報誌にも載せてもらった。
早速、電話での問い合わせが多数有り、ドンドン前売り券を買いに来る人が来店した。
昭の先輩の中には、自分の部下にも通達して、300枚売ってくれる人も出てきて、4月末には、1200枚の前売り券が売れて、その売上金は、300万円程になった。
「皆んな、お疲れ様でした。皆んなの努力のお陰で、300万ほどの売り上げになりました。
これでもう、売り上げは、300万確保しました。それでは、5月からは、ビアホールで、頑張りましょう。」そう言って、皆んなで拍手をして、5月になるのを待った。
ビアホール初日、店内に長テーブルを出して、そこに、サラダ、漬け物、唐揚げ、パスタ、炒飯、冷奴、焼きそば、ウインナーなど、12種類程の料理を並べた。
昭は、店内の1番目立つ所に、昭特製のカレーを置いて、その横に炊飯器に入ったライスも並べた。
昭の考えでは、カレーが好きな人が多く、カレーを食べると、お腹が一杯になって、ビールもあまり飲めなくなる。と言う計算をした上での作戦だった。
店内には、縦横無尽に提灯を吊って、各国の国旗も吊って、音楽は、日本の古い歌謡曲を流して、戦後の日本をイメージさせた。
開店と同時に、前売り券を持ったお客さんが、次々と来店して、「取り敢えずビール。」の声と共に「おっ、カレーじゃ。腹減ったー、先ずは、カレーじゃ。」と言って、カレーライスを2杯も食べる人が現れて、「いかん、カレーで、腹一杯じゃ。ビールが入らん。」と言う人が続出。
昭の作戦は、大当たりだった。
ビールは、必ず、グラスの中のビールを飲み干してからの追加しか受けないと言うルールで、無駄な注文をさせない規則で、それでも、次から次へとビールのボンベが空になっていった。
そんな中、ジャンジャン電話が掛かり、
「すみません、前売り券を売ってください。」と言う問い合わせが相次いだ。
昭が、「前売り券は、4月30日で販売終了しましたので、当日現金だけです。」と言うと、「えーっ、よその店では、営業中は、前売り券言うて、売ってくれますよ。」と、当たり前に言うので、昭は、
「それじゃあ、映画のチケットも、当日に行って、前売り券売ってくれますか?その日の前に売るから前売り券言うんですよ。残念ですが、来年はお早めにお買い求めください。今年は、当日現金でお願い致します。」と、言うと、「そうなんですか?わかりました。じゃあ近々現金持って行きます。」と言って、電話を切る人が、結構居たのには、流石に驚いた。
その強行な答えに、アソコは、キチンとした商売してる!と言う評判が立ち、当日、前売り券なしで来店する客も、後を経たなかった。
「マスター、ここのカレー、メチャクチャ美味いんやけど、これ、ウチの家族にも食わしたいんやけど、鍋ごと借りて帰れん?」と言う客まで出てきた。
そのカレーも、昭が、5日間掛けて、特別に作ったカレーで、食べた瞬間はメチャクチャ甘くて、何じゃコレ?と思った時に、今度は、メチャクチャ辛くて、頭から湯気が出るほどの辛さで、食べ終わって、5分ほど経つと、全てが消えて、又、食べたくなると言うもので、そのレシピは、昭が試行錯誤をして作ったものだった。
そんなカレーの評判で、多くの人が持って帰りたいとのリクエストに何とかしようと思い、ネットで色々調べて、そのカレーをレトルトの真空パックにする方法を研究して、1レトルト500円で販売すると、予想外の注文が入るようになった。
しかし、いくら客が入っても、食べ放題で、全てが食べられる訳ではなくて、残る物も出てくる。
毎晩、閉店の時には、大量の生ゴミが出てきて、華が「コレ、勿体無いねぇ、何とか出来ないかしら?」そう言って、頭を抱えた。
「なまじっか、作って置いておくから残るので、食べ放題のメニューを作って、それを何人前必要か?言ってもらい、直ぐに作って出したら、残り物が無くなるんじゃない?」華の提案は、もっともだった。
「それは、ええ考えじゃ。ほしたら、キャッチフレーズは、バイキングオーダーで、出来立ての温かいものを、お出しします。と言うたら、かえって喜ぶんじゃないか?」
「そうね、サラダや冷奴や、お漬け物は、翌日まで大丈夫だから、テーブルに置いておけばいいから、カレー以外の他のものは、全てオーダーバイキングにしたらいいんじゃない?」
「よっしゃ、今日から、そうしよう。」
そう言って、各テーブルの上に、オーダーバイキングのメニューをパウチして置いていった。
入ってきた客が、「あれ、バイキングの料理が無いや。」と、不思議そうに言うので、昭がすかさず、
「今日から、出来立ての温かい料理を食べてもらおうと思うて、オーダーバイキングにしました。メニューに書いている、食べたい物だけ言ってくれたら、即作ってお出しします。」
「そうか、そりゃええわ。ほしたら取り敢えず、ウインナー10人前。」と言うので、「ウインナーだけ10人前も注文したら、後の物が食べられんようになりますよ。それやったら、ウインナー3人前にして、あと、唐揚げ2人前とか、いろんな物を、チョットずつ注文した方が、色んな種類食べられるけん、得ですよ。」そう言うと、
「そりゃそうやなぁ。ほしたら上から順番に2つずつにするわ。」
「はい分かりました。」そう言って、厨房にオーダーを通した。
これも、昭の作戦で、最初からウインナー10人前注文すると、途中から、他の物も食べたくなって、結局ウインナーを残して、残飯になるので、最初から、色んな物を少しずつ食べさすと、お腹一杯になり、余分な物を注文させない為であった。
この作戦が的中して、その日以降、残飯として捨てる物が、ほとんど無くなった。
8月31日で、ビアホールも終了して、5月1日から8月31日迄の売り上げは、前売り券と、当日の売り上げを入れて、結局500万円にもなった。
次の企画は、10月31日のハロウィンライブ。
1人3000円飲み放題、食べ放題、昭のバンドのライブ付きである。
条件としては、来店には、必ずハロウィンの変装をして来店する事。
当然、ライブのメンバーも皆んな変装しての演奏。
1時間のライブが終わると、全員で、仮装したまま、飲み屋街に繰り出して、各スナックを訪れて、「ハッピーハロウィン」と言って、何かをもらってくる事、と言うイベントを行った。
昭は、顔を真っ白に塗り、スケキヨになり、リードギターは、フランケン、ベースは、片目のフック船長、サイドギターは、ジャックスパロウ、キーボードは、魔女と言った具合で、客も、狼男になったり、白雪姫や、ゾンビなど。
ライブが終わり、20人程でその格好で「ハッピーハロウィン」と、大声で叫びながら歩くので、行き交う人たちも、乗せられて、「ハッピーハロウィン。」と言いながら、すれ違って行く。
各スナックのドアを突然開けて、怪物達が、「ハッピーハロウィン。」と、叫ぶので、最初は皆んな驚いていたけど、次の瞬間には、大きな拍手と、乾き物のおつまみや、飴をくれて、怪物団体は、次の店へと向かった。
当時の日本でのハロウィンパーティーは、まだ、それほど根づいていなかったので、変な目で見られたけど、2年、3年続けて行くと、飲み屋街の各お店も、派手にハロウィンパーティーをするようになった。
それから、クリスマスライブ。
年が明けて3月末には、店のテーブルを全て2階の宴会場に片付けて、1階のホールには、練炭火鉢を5個置いて、炭火に火をつけて、それを囲んでバーベキューをする。
当然、店の中はすごい煙になるので、友人から借りた、工場の大型扇風機を、店の前から回して、裏の出口にも大型扇風機を置いて、煙を前から後ろへ逃す。と言う事をやって、皆んな咳き込みながらの、店内バーベキューを開催した。
それも全て1人3000円飲み放題、食べ放題とした。
昭は、色んなイベントを考えて、兎に角印象に残って、みんなで盛り上げる店にしようと、努力した。
ライブは、毎年、花見の時期、ビアホールの時期、ハロウィンの時期、それから年末のカウントダウンの4回行うようにした。
店内の装飾も、アメリカン雑貨を所狭しと配置して、トイレには、ドアを開けると、中のガイコツの標本が、不気味な声で笑いながら踊る人形も置き、「怖いからトイレに行けない。」と言う女の子まで出てきた。
そんな店が、徐々に知れ渡り、次第に若者が増えて来て、結婚式の二次会に使われるようになって来た。
大きい店で、一度に40〜50人まで入れるので、大安吉日の日などは、7時から9時までと、9時半から11時半までの2回転にもなり、結婚式場から直接バスで、団体が送られて来るようになった。
1人4500円、2時間、飲み放題、食べ放題。
ここでも何かアイデアは、無いか?と考え、幹事さんには必ず「当日、結婚式場で流したDVDを持って来て下さい。」と言って、DVDを預かり、最初の乾杯が終わると、直ぐに、スクリーンにDVDの映像を流した。
すると皆んな、結婚式で、ある程度の食事を済ましているので、式場で見た同じDVDを、再び、食い入るように見るので、食べる事も、飲む事も忘れて、時間だけが過ぎて行く。
DVD鑑賞が終わって、雑談と、飲み会が始まると、そろそろ終了の時間になる。
しかし、飲み足りない人達が、お開きにする様子が無い。
次の団体さんを迎えるのに、片付けや準備をしないといけない。8時50分になると昭がとつぜん、「今日は、おめでとうございます。それでは、センターに、新郎新婦さん、お立ち頂けますでしょうか?」と言い、何事か?と、2人がセンターに立つと
「本日は、本当におめでとうございます。これは、店からの、ささやかながらお祝いの印です。是非受け取ってください。」そう言って、記念品を渡した。
皆んなからは、盛大な拍手。新郎新婦も、「ありがとうございます。」そう言って頭を下げる。
その頃合いを見計らって、昭が再び、「それでは皆さん、外に出て、記念写真を撮りましょう。どうぞ皆さん、貴重品を持って外へ出てください。」そう言って、40人全員を店の前に並ばせて、センターに新郎新婦を座らせて、
「写真を撮りたい方は、どうぞご自由にお撮り下さい。良ければ、私が撮りますので、携帯並びにカメラを貸して下さい。」そう言って、通りの車に頭を下げて
「すみません。チョットお待ち下さい。」と、車を止めて、写真を撮って、
「はい、お疲れ様でした。それでは皆さん、お気をつけてお帰りください。」と言うと、皆んな、「帰ろう、帰ろう。」と、当たり前のように帰っていった。
それを見届けると、慌てて、昭とスタッフが次の二次会の準備をすると言う作戦で、次の団体をスムーズに受け入れる事が出来た。
店は、昭が最初に考えていたイメージとはかけ離れて、落ち着いた雰囲気はなく、ポップな感じで、団体客が、増えて来た。
しかし、いつも団体客で埋め尽くされるわけではなく、団体客が来ない時は、閑散とした状態で、その為にも、色々アイデアを出して対処して行くようになり、サッカーワールドカップでは、大型テレビを購入して、スポーツバー宜しく、スポーツ居酒屋に変身したり、その時々に応じてスタイルを変えていった。
何とか4年が過ぎた頃に、酒屋から突然の通達が届いた。
来月からビールが、大幅に値上がりすると言う連絡が有り、団体客の、飲み放題の店にとっては、大打撃である。
昭は、生ビールと、酎ハイの仕入れ値を比べると、酎ハイは、生ビールの1/3位の原価に驚いた。
昭は、酎ハイは、焼酎が入っている物だとばかり思っていた為、あまりの安さに、酒屋に訪ねてみると、酎ハイの中身は、ウオッカで、焼酎は、一切入っていない事を聞かされて、衝撃を受けた。
そりゃ安いはずだわ。
と思った昭は、生ビールより、酎ハイを沢山飲ます方法を考えた。
その晩、店が開店する前に、ホールのスタッフを集めて、「今日から、酎ハイの呼び方を変えます。
レモン酎ハイを五右衛門、巨峰酎ハイを次元、桃酎ハイを藤子ちゃん、チェリー酎ハイをルパンと呼びます。
生ビールが高くなったけん、出来るだけ酎ハイを売るように!その為、カウンターまで来て言うんじゃなく、お客さんの目の前で、大声で五右衛門1つとか、藤子ちゃん1つとか言ってください。そうしたら、皆んな何?と思い、酎ハイを頼むようになると思うので、徹底する事。」
そう言うと、スタッフは、
「なるほど、それは面白いですね。よーし、大声で言うぞー。」と、張り切って、名前を間違えないように、各自、手の甲にメモ書きして覚えるようにした。
早速、団体客が来店し、皆んなが席について、
「取り敢えずビール。」
と、言って、スタッフが、
「ビールの人は何名様ですか?と聞くと、ビールは、8人で、「俺は、レモン酎ハイ、じゃ俺は巨峰酎ハイ」と言うので、スタッフが、大声で、「五右衛門と、次元1つずつー。」と言った。
「何それ?」と、びっくりした顔で、客が聞いて来るので、スタッフが、「五右衛門は、レモン酎ハイで、次元は、巨峰酎ハイです。」と言うと、「何で、五右衛門がレモンで、次元が巨峰なん?」
「それはですね、五右衛門の切れ味がキラッと光って黄色く見えるでしょう?だからレモンで、次元は、大人しくて、何となく暗いイメージがあるでしょう?だから紫色の巨峰なんです。」と、昭が教えた通りに言うと、「なるほど、考えたなぁ。」
「それじゃあ私、生ビールやめて、藤子にするわ。」と言うので、「生ビール1つやめて、藤子ちゃ〜んに交換。」と、アクセントを付けて言うと、その場の客が、ドッと笑い、
「藤子ちゃ〜んは、どんなんが来るんかなぁ。」と、期待感でワクワクしていた。
ピンク色で、届いた藤子ちゃんを見ると「なるほどー。」と、大受けした。
それからは、ビールよりも、「ルパンは、何色?」とか、期待しながら頼んで、今まで飲んだことがある酎ハイも、呼び方が変わっただけなのに、まるで、別物のように、
「この次元、旨いわ。とか、このルパン、メチャクチャ旨いわ。」とか、初めて飲む飲み物のように驚き、次から次へと酎ハイが出るようになった。
その噂が広まり、「ルパン飲みに来た。」とか、「今度、ドラゴンボール作って。」とか言う客が増えてきた。
昭の作戦は、大成功で、生ビールよりも、酎ハイが出る量が逆転した。
厨房では、華も椅子での作業は面倒臭くなって、ずっと立っての作業になり、仕事が終わった頃には、流石に股関節の疲れがピークになっていて、近くにあるマッサージ師に2日に1度の割合で、揉んでもらうようになっていた。
昭は、やっぱり厨房の仕事も難しいなぁと思うようになっていた。
そんな時に、第2回愛媛マラソンが開催されると言う記事を読み、60歳になった昭は、人生の節目にチャレンジしてみようかな?と考えるようになった。
今まで、運動という物をほとんどせず、歌、楽器に明け暮れていた昭には、未知の世界だったけど、他人が出来る事が俺に出来ん筈は無い。と言うと考えを持っていたので、先ずは、皆んなに宣言をした。
「俺は、来年の愛媛マラソンに出場します。完走は出来んと思うけど、60歳の記念にやってみようと思う。」と、華にも、スタッフにも、店に来る客と話すたびに伝えた。
すると、客の中でも、「そしたらマスター、練習せんと無理やわ。」
「練習言うても、1人じゃどうしたらええか分からんし。」と言うと、「ほしたら、この店が終わったら私らも一緒に走ってあげるわ。夜1時からだったら、店閉めて走れるやろう?私らも、夜勤が無かったら参加出来るけん、やろや。」と、先ずは、近くの看護師の女の子や、学生、社会人10人が集まって、夜中に走る事が決まった。昭は、何か、名前を付けようと思い、
ミッドナイトランクラブと言う名前を付けた。
12時に閉店して、片付けをしていると、ボチボチと人が集まり、丁度、夜中の1時に店を出発して、片道4Kmの道を10人の団体で、走り始めた。
皆んなで息の吐き方や、足の運び方を話し合いながら往復8Km走って帰って、ミッドナイトランクラブが始まった。
その頃の昭のリフォームの仕事は、各店を店長に任せていたので、月に一度、給料を渡す時だけに行くだけだったので、昼間は、時々、スーツの商売に出掛けるだけだった。
給料を渡す日に、華に車を運転してもらい、帰りは、途中からランニングで帰る事もあった。
2ヶ月もすると、ミッドナイトランクラブのメンバーも、疲れてきたのか、1人減り、2人減り、結局、誰も来なくなり、昭も、昼間1人で走るようになった。
42.195kmは、さすがに走れないので、何処まで走れるか?試してみると、12kmが
最高で、それ以上は、無理だった。
誰の指導も無く、走り方も自己流だったので、途中、あまりにもしんどくなって、自然と下を向いて走っていたので、何処かの民家の家の垣根に突っ込んで、身体ごと棘だらけになった事もあった。
途中で、気分が悪くなり、吐く事もあって、華が辞めるように言ったが、昭の座右の銘は、有言実行だったので、一度言ったことは、絶対、最後までやり通す信念で、何とか頑張り続けた。
いよいよ2月の日曜日、愛媛マラソンが開催される。
前もって堀端の前のホテルを、2泊3日で取り、前日の土曜日に早めにホテルに入って、ネットで色々検索すると、前日は、タンパク質を多く摂ると良い!と、書いていたので、市駅前の有名なパスタ屋さんへ、華と2人で行って、ミートソーススパゲッティを食べた。
本来ならば、飲み屋街の2番町3番町が近いので、飲みに行きたいところだが、明日のフルマラソンに向けて、早めにホテルに帰って就寝することにした。
朝6時に目が覚めて、早速、県美術館横のグラウンドに集合して、順番待ちに並んだ。
先頭は、県庁前からで、昭の所までは、凄い人で、県庁は、全然見えなかった。
緊張で、トイレに行こうと思ったが、仮設トイレにも、人が並び、昭は、辛うじて、スタート前にトイレに行く事が出来た。
マラソンのルールは、6時間までに帰ってこなければ、途中、後ろから来るバスに強制的に収容されるらしい。
色んな事を考えながら待っていると、遠くの方で、微かにピストルの音が聞こえた気がしたが、マイク放送で「ただ今、スタートの号砲と共に、先頭選手がスタートしました。」と言う声で、始まったんだ。と言う事が分かるくらいで、中々前に進まない。
やっと、ゾロゾロ歩き始め、そのうちに、軽く走り出したので、昭も、その流れについて行った。
初めのうちは、いつもの調子で、何とか、周りの応援に知っている人が居るのかな?と思い、見渡す余裕が有ったけど、7km走った所くらいから、全然余裕が無くなってきて、スースー、ハッハッの呼吸の仕方も出来なくなって、ハー、ハー、ハーの、連続で、必死になって来た。
それでも何とか折り返し地点まで来た頃には、両脚の膝の後ろが痛くなって、ビッコを引いて、走ると言うよりも、歩くのでさえ、大変な状況になって来た。
隣の人、隣の人が、脱落していって、コース外に外れて行く。
昭も(ここまで来たんだから、もう辞めよう。)と思いながら、速度を落とすと、もう1人の自分が心の中で、(3ヶ月間頑張ったんだろう。お前は出来る!ここで辞めたら一生後悔するぞ!)と言う声に、何クソー、と、自分に言い聞かせながら、早足歩きよりも遅い速度で、走った。
途中、途中で、ミカンジュースや、松山で有名な坊ちゃん団子の差し入れなどを食べながら、30kmを走り続けた。
残り、12.195km。
196号線の直線道路に差し掛かった。
脚の痛みは限界で、両脚の向こう脛の骨が折れて、皮膚を突き破って出てくるのか?と思う程の痛みで、もう辞めよう、と思った時に背後からマイクの声が聞こえた。
「もう少しです。頑張って下さい。このバスが追い付くと、回収致します。」と言う声が聞こえた。
(脚が折れる。そう思ったけれど、もし折れても、最後には医者が治してくれる。それだったら、折れる迄頑張ろう。)と思い、大声で、「クソー、クソー、負けんぞー」と、怒鳴りながら走っていると、応援の沿道から「頑張れー、頑張れー、鬼だったらやれるぞーー。あと一息じゃー。」と何人かの声援が聞こえた。
忘れていたが、昭は、このフルマラソンに出ると決まった時に、どうしても完走してやる。
どんなになっても、最後までやり通すぞ。
と言う気持ちで、黒のキャップに、金文字で鬼と描いた帽子を買って、それを被っていた事を忘れていた。
(そうだ、鬼の様に頑張るんだ!と、思って、この帽子を被って来たんだ。負けるかー)後ろを振り向くと、もう手が届きそうな所にバスがいた。
「チクショー、クソー。」
今までで、1番大きな声で叫びながら左を見ると、堀端まで来ていた。
「ヨシ!もう直ぐゴールだ。」と思いながら、堀端を左折して最後の直接に出たところに、ゴールが見えた。
しかし、あと10mが、永遠の道に見えるほど、遠く感じられて、昭の3人前の所で、テープを張られて、「ハイ、ここまでです。」と言われた。
昭は、バスの回収迄はされなかったが、タイム記録の6時間までには、間に合わず、6時間17秒だった。
着いた途端前のめりに倒れ込んで、そこから動く事が出来なかった。
それでも、時間は6時間は切れなかったけれど、フルマラソンを完走出来た充実感で、仰向けに寝転がって、空を見上げた。
普通ならここで、華が、
「完走おめでとう。」と言って、抱き合って感動の再会になる筈なのに、一向に華の姿が見えない。
何か、気合い抜けがして、がっかりと言うよりも、呆れてハイハイしながら、群衆を離れて、終了者が休んで、足湯をしたり、スープを貰って飲んでいる所まで、ビッコを引きながら辿り着いた。
そこに、キョロキョロしている人がいた。
「華ー。」
「ここ、ここ。」
「ここ、ここや無いやろ。普通、ゴール地点で、感動の再会やろ?」
「そやけど、場所が分からんかったんよ。」
「ほしたら、誰かに聞けよ。」
「聞いたけど、途中の道で応援しとったら、ゴール迄の道が人が一杯で、分からんようになって。」
「まぁ、ええわ。」と、これが感動の再会であった。
「それで、どうじゃったん?」
「そやから、6時間17秒じゃ。」
「凄い、完走出来たんじゃ。おめでとう。」と、初めて感動したみたいだった。
すると、後ろから昭の足を見て、
「アノー、怖がらんとって。」
「何が?」
「貴方の両足の後ろに、もう1つ膝が有るんよ。それも、真っ赤な。」
「何それ?」
良うく見ていた華が、
「膝の後ろに、膝と同じくらいの大きさの血の塊が出来てるわ。明日、病院へ行こ?」
「えーっ、そんなんが出来とる?」
「うん、ホテルまでゆっくり帰ろう。」
昭は、華の肩に身体を預けて、真ん前に有るホテルまで、横断歩道を2回に分けて渡り切った。
ホテルに着いて、シャワーを浴びようとしたが、膝の後ろの血の塊が邪魔をして、座る事が出来なくて、立ったまんまのシャワーになった。
軽い食事をして、部屋に入った所で、
「華、チョットベッドに座って。」と言って、華を向いのベッドに座らせた。
「どうしたん?」
華が、キョトンとして昭を見つめた。
「結婚しよう。」
「えーっ、貴方は、もう、結婚しないって言ってたじゃない。」
「いや、それはもう、ええやん。結婚しよ。」
「はい、分かりました。それでは、これからも、宜しくお願い致します。」
そう言って、2人は、結婚する事になった。
その日の夜は、満天に星が輝き、2人を祝福しているようだった。
昭、60歳、華45歳の2月。