ボランティア活動
松山には、沢山の異業種交流会がある。
昭は、今までにも何組かの異業種交流会に誘われたことがあり、興味本位で、オブザーバーとして参加した事はあるけど、それらの殆どが、異業種交流会と言う名の元で、ただ単なる飲み会だけだった。
結局、最後の方には皆んな酔いが回って、めいめいに好きな事を言って、気のあった物同士が二次会に流れるだけの会だったので、昭は、そんな会には2度と行かなかった。
それだったら、自分で、もっと意義のある会を作ろう!と考え、今までの自分のお客さんを誘って、会議中は一切お酒を飲まず、弁当を食べながら色んなアイデアを出して行動を起こすM21と言う会を作った。
M21とは、21世紀に向けて、メッセージを送ると言う意味で、夕方7時から9時までの2時間で、その間は、一切アルコールを飲まず、何をするか?の意見交換の場で、会費は1人月千円にした。
千円の中には、毎月の弁当代と、昭からの連絡の為の通信費で、何とか賄える金額に設定した。
会場は、松山市の福祉センターの会議室を、ボランティア活動の一環として無料で借りることになり、経費は、極力抑えることとした。
最初に声を掛けたのは、ある日、娘さんが重い病気で、アメリカで手術を受けないと助からない病気で、その費用が5千万円必要だと、お父さんが、ラジオで必死で訴えていたニュースを聞き、その為の募金活動をする為に、そのお父さんに連絡を入れた。
彼の名前は、中江家 宏さんで、彼の娘さん楓ちゃんの募金活動で、精力的に動いていた。
中江家さんは、昭より、2つ年下で、会社を1人で経営していたが、5千万円のお金は中々難しいと言うことだった。
そんな話に同調してくれたのは、昭のお客さんで、郵便局の局長の木更津 進さん、食品スーパー経営の今田 幸弘さん、彼の友達の千駄木 敦さん、そこの出入り業者の看板屋社長の川口 康雄さん、と、警備会社社長の稲井 剛さん、それと、飲食店経営の真鍋 隆弘さんと、彼の友人で、会社の所長の大泉寺 博之さんで、昭を入れて合計9人のメンバーが集まった。
最初の会合で昭は、今ある異業種交流会は、飲み会が多いので、意義のある会を作ろうと思い立ったこと。何か、社会に貢献できる事をやろうとする会である事を訴えて、第1回目の行動は、昭が、不思議ミシンを出している松山の大手スーパーのマネージャーにお願いをして、1階の入り口で、楓ちゃん募金の活動をさせて貰った。
手刷りの募金チラシを配りながら、全員が、声を張り上げてお願いをして、午前の部と、午後の部で、僅かながら募金が集まった。
次の議題では、盲学校の生徒さんたちは、餅つきをした事が無いのではないか?と言う疑問が議題に上がり、それでは我々で、何とか、餅つきの体験をさせてあげよう。と言うことになった。
早速昭が、テーラー峰岸の商売で、盲学校へも良く出入りさせて貰っているので、中江家さん、千駄木さん、稲井さんを連れて、校長先生に、その話を伝えた。
「校長先生、実は、私達がボランティア活動をしている中で、こちらの生徒さん達は、自分で餅つきをした事が無い子が殆どだと思い、もし、宜しければ、私達で、餅つきの体験をさせてあげたら、いい思い出になるかな?と思い、今日伺った訳ですが、如何でしょうか?」
「ほう、餅つきねー、それは有り難くいい事だと思いますが、いくらくらい掛かって、人員はどれ位必要なのでしょうか?」「いえいえ、ボランティアですから、費用は一切掛かりません。それと人員も我々で行いますので、場所の提供だけしていただければ結構です。」
「そうですか、それは有り難い事ですね。チョット待って下さい。生徒指導の先生と、用務の先生を呼びますから。」
そう言って、2人の先生方が呼ばれて、昭達の前に、男性の先生と、女性の先生が現れた。
校長先生から、大まかな内容を聞くと、用務の女性の先生が「それは、素晴らしい事ですわ。子供達も大喜びします。校長、是非やっていただきましょうよ。」
校長先生も、「それでは、お願いして宜しいですか?」と言うと、再び用務の先生が、
「校長、それだったら、2月14日、少年の日にやっていただきましょうよ。その方が記念になるし。」
校長先生と、生徒指導の先生も、その案に大賛成で、2月14日に餅つき大会を開催する事が決定した。
たまたま学校に杵と石臼があると言うので、それを借りることになり、昭達は、飲食店経営の真鍋さんの手配で、もち米、餡こなどを仕入れ、餅つきに必要な材料を持って、当日朝9時に、盲学校に到着した。
餅つきが体験出来ると言う校内放送と、連絡が行き渡っていたので、子供達は、大喜びで、今か今かと待ち望んでいた。
さて、いよいよ餅つき大会の始まり。
大釜にもち米を入れて、蒸して、それを石臼に入れて、最初は昭達ボランティアのスタッフで、杵で捏ねて、軽く叩き始めた。
1臼目が出来て、皆んなで丸く捏ねて、その中に餡を入れて、試食すると、
「美味しい〜、甘〜い。」と、歓声があがる。
「よっしゃー次行こう」
そう言って、次の餅作りに入った。
「ヨシ、ここからは、皆んなに、杵をふってもらおう。君は、餅つきをした事ある?」と、稲井さんが、1人の生徒に聞くと「うん、丸めるのはした事あるけど、ついた事はない。」と言うので、真鍋さんが、
「よっしゃ、僕、そしたらこの杵の棒を持ってみな。おじさんが、手を持ってやるから、ヨシ!と言うたら、振り下ろせよ。」と言って、飲食店経営の真鍋さんが、男の子の手を持って、杵を振り下ろさせた。ペタン!
軽い音で、殆どもち米が潰れていない。
「イカン、イカン、それじゃあ、餅が出来ん。もっと力を入れて振り下ろして。」
そう言って振り上げさせた。
その時に、警備会社経営の稲井さんが、餅をひっくり返す作業に入った。
杵を持った生徒は、力強く振り下ろさないといけないと言う気持ちが先に経って、真鍋さんが、「まだまだ。」と言う言葉を無視して、杵を振り下ろした。
ゴン!
鈍い音と共に、稲井さんが、「うーん。」と言って、頭を押さえたまま倒れ込んだ。
周囲に、「あーっ。」と言う叫び声と、用務の先生が、駆け寄るのとが同時だった。皆んなが皆んな、口に手を当てて、どうしよう?と言う顔で、お互いの顔を見合わせていた。
「大丈夫ですか?誰か、救急車を呼んで。」
用務の先生の叫び声で我に帰った皆んなが、「救急車、救急車。」と叫ぶと、それまで身動きしないで倒れていた稲井さんが、ムクっと起き上がり、叩かれた杵を持って
「あーぁ、少ない髪の毛が、ようけ抜けて餅にくっついとるわ、勿体無い。」と言ったので、皆んな大笑いした。
「大丈夫ですか?」「大丈夫?」と、皆んなが心配して声を掛けると
「大丈夫、大丈夫。脳は弱いけど、頭は硬いから。」と、再び皆んなを笑わせた。
そんな事もあったが、一応、全員に杵を持って、餅をつく経験をさせて、夕方には、少年式と、餅つき大会が、無事に終わった。
片付けも終わり、昭達ボランティアスタッフが車に乗って、校舎の下から
「皆んなさよならー。」と言うと、2階、3階の窓という窓から、目の見えない生徒達が皆んな「ありがとう!又来てねー。忘れないよー。さよならー。」と言って、涙を拭きながら手を振る生徒もいた。
車の中で昭達は、無言で、誰1人として喋らなかった。
どうしたのか?と思い、みんなの顔を見ると、全員、涙を流していた。
少し落ち着くと、誰からともなく、
「俺たちは、間違っていたな。ボランティアって、してあげてると思い込んでたけど、反対に、あの涙を見ると、俺たちが何かして貰ったみたいで、今までの考え方が間違えとったわ。あの、目が見えない子達が、窓から必死に手を振る姿が焼き付いてるわ。峰岸君、こんな体験させてくれて、ありがとう。」
「いや、俺のほうこそ、皆んなありがとう。稲井さんも、大きなタンコブを作って、お疲れさん。」
車の中では、大きな、幸せと、充実感の笑い声が響いていた。
次のボランティアの行動は何か?
例の通り、弁当を食べながら皆んなで話し合っていると、木更津さんが、
「ところで、ウチにお中元や、お歳暮で頂いたタオルとかあって、箱に入ったまんま置いてあるんやけど、誰かいる人居らん?」
「ウチにもあるわ。」
「「ウチにも。」と、そんな声が聞こえて来た。
すると、稲井さんが、「それやったら、そういう物をバザーかなんかで売ったらどうやろ」
「そりゃええわ。皆んな色んな物余ってるんと違う?」
そこで昭が「それやったら、大々的に、松山市全部の市民から集めて、それをチャリティバザーで売って、社会福祉協議会に寄附したらどうやろ?」と、提案すると、
「それがええわ。」と、即、決定した。
打ち合わせは、殆ど、警備会社社長の稲井さんと、食品スーパーを4店舗経営している今田さんと、昭の3人で、進んで行った。
「どうやってあつめる?」
「そうやねー、チラシを入れる方法も有るけど、金かかるし。」
「それだったら、テレビとか新聞に載せてもらう方法は?」
「そんな簡単に言うても、それこそ金も掛かるし、時間帯もあるし、難しいやろ?」
昭、今田さん、稲井さんが、順番に話すと、警備会社社長の稲井さんが、
「それやったら、ウチが警備しているテレビ局と新聞社に話してみるか?」
「えー、大丈夫か?」
「大丈夫かどうかは分からんけど、悪い事するわけでもないし、話すだけでも話してみよや。」
「そうやな、そしたらアポ取ってみてや。」
と、言う事で、翌朝、昭と、稲井さんが、地元でも1番のテレビ局を訪ねた。
駐車場で、待ち合わせて、2人で受付に行って稲井さんが、用件を伝えると、2階の喫茶室に行くように促された。
喫茶室で、椅子に座っていると、直ぐに年配の恰幅の良い人がやって来て、
「あぁ、社長、おはようございます。」と稲井さんと、昭の方を見ながら頭を下げた。
「峰岸さん、こちらがこのテレビ局の部長さんで、山下さんです。山下さん、この人が、ボランティア活動代表をしているM21の峰岸さんです。」と、紹介された。
即座に山下さんが
「あぁ、コーヒー3つ。」と、ウェイトレスさんに注文して、席に座った山下さんと、昭は、握手を交わし、今回のチャリティバザーの内容を伝えた。
大まかな内容を聞いていた山下さんが
「それは、局としても、市民の不用品を集めて、社協に寄付すると言う内容は、局にとっても、社会貢献活動で、プラスになるし、是非やっていただき、宣伝もしたいですが、ご承知の通り、テレビ局と言うものは、スポンサーの広告で成り立っています。そこを削るわけにはいかないので、たまに、CMと CMの間に少し空き時間が出る場合があるので、そこにテロップを流すだけなら、何とか出来ると思います。
但し、流せるかどうか?とか、時間とかは、確約できません。それで良ければ、無料でやりますよ。」
「本当ですか?有難う御座います。」
「いえ、これからでしたら、3ヶ月前に、内容を知らせて頂ければ、1.2回は何とかなると思います。」
「分かりました。早急に内容を作ってご連絡致しますので、宜しくお願い致します。」
深々と頭を下げて、昭と稲井さんは、テレビ局を出て、その足で、地元の新聞社に向かうことにした。
「良かったなぁ、やっぱり、あの部長さんは、頭が切れるけん、テレビ局のイメージアップにもなるし、さすが決断が早いわ。」
「新聞社は、どうやろ?」
「新聞社も、そう言う事なら無料で載せてくれるコーナーとか有るし、何とかなるやろ。」
車2台で行くと、新聞社の駐車場は、小さいので、1台はテレビ局に置いて、稲井さんの車で向かった。
新聞社に到着すると、稲井さんは、車を、狭い荷物出し入れのプラットフォームに乗り入れた。
そこには1人の警備員がいて、稲井さんの顔を見るなり、いきなり敬礼をして、深々と頭を下げた。
「ご苦労さんです。」
稲井さんが、軽く手を上げて、車をその場所に置いて、受付に行った。
受け付けで話をすると、玄関の喫茶コーヒーに通された。
テレビ局と同じように、待っていると、エレベーターで、背の高い男性が降りて来て、手を上げながらやって来た。
彼の名前は、井端さんと言い、この新聞社の専務だった。
稲井さんが言う通り、そう言うボランティア活動の告知だったら、それ専用のコーナーがあるので、そちらに、載せる手配をしてくれると言う約束を取り付け、書類にサインをして、2人は、テレビ局に置いてある、昭の車を取りに行った。
その事を、M21の例会で、テレビ局と新聞社での結果報告をして、会の中の話し合いでは、チラシを作って、そのチラシを、今田さんが経営しているスーパー4店舗の、買い物を入れるカウンターに置いて、自由に持って帰れるように、配置する事と、店内放送で、不用品を持って来てもらうように、マイクで流して貰うようにする事。
それと、サービスカウンターで、お客さんが持って来た不用品を預かって貰い、週に3回、M21のメンバーが、それらの不用品を回収に回る事、それらの商品は、今田さんのスーパー本店にある、トラックが、5台も入る倉庫に集める事、チラシの内容、不用品の中身を決めた。
その時、昭は、不用品だけでは心許ないので、当日は、会場で、オークションもしよう!と提案をした。
オークションの商品は、皆んながそれぞれの知り合いに頼んで、無料で、商品を頂くお願いに回る事、などを話し合い、敬老の日、9月15日の開催に向けて、皆んなの結束が固まった。
昭と、稲井さんは、それから手分けして、NHKテレビ局、民放テレビ局3局、それと、ラジオ局2局、市役所、社会福祉協議会を周り、協賛の許可を貰いに回った。
チラシには、
(家庭内での不用品(家具を除く)、中古の洋服、着物、使っていないタオル類、雑貨、引き出物、その他諸々の物のご寄付を賜っております。
今田グループの各スーパーのサービスカウンターにお持ちください。
9月15日敬老の日に、今田スーパー本店の大駐車場にて、チャリティーバザーで販売致します。
経費を差し引いた売り上げ金は、すべて、社会福祉協議会に寄附致します。
商品の受け付けは、8月10日までですので、多数のご寄付をお願い致します。)
と、印刷をして、その下に、各協賛企業の名前を並べて、印刷をして、今田グループのスーパーに、各2千枚ずつ配布した。
サービスカウンターの人達には、取り敢えず、持って来てもらったものは、全て受け取ってください。
その旨伝えていたので、週3回の回収には、3人で回り、今田スーパーからも、運んでもらい、8月10日には、2tトラック3杯の商品が集まった。
又、それぞれの知り合いの各企業さんからの寄付では、自動車修理工場から、車検切れの車、新品のカーポート、新品のストックハウス、新品の大きなぬいぐるみ10点、砥部焼の有名な作家の直径30cmの花瓶5点、スポーツ品点からは、新品のスキーの板などが、M21の心意気に感じて、寄附をしてくれた。
その中の条件としては、車検切れの車を買って乗る時には、車検は、必ず、そこの中古車屋さんで受ける事。
カーポートを買った人は、組み立ては、必ず、そこの店舗で組み立てて貰う事などを、条件とした。
そこから、大きな倉庫一杯の商品の値段付けである。
8月15日から、1ヶ月掛けて、全員で、荷札に金額を書いて、括り付けていくのであるが、値段を1つ1つ皆んなで相談すると時間が掛かるので、Gパンの破れていないものは、千円、破れているものは5百円、着物は千円から2千円、洋服は2百円などと、適当に、自身の感覚でつけて貰った。
M21の人員だけでは足りないので、会員の奥さん、お嬢さん、友達などにも声を掛けて貰って、9月5日には、値札付けが終了した。
今度は、オークションをするステージである。
そこは、看板屋さんの川口さんが、手っ取り早く、木のステージを作ってくれて、商品は、今田スーパーの洋服かけのラックと、物干し竿を何本もテントから吊り下げて、そこにハンガーで掛けるのであるが、その商品を入れるテントが、縦横15mの大型テントで、これも、昭が、商売で知り合ったテント屋さんに頼んで、無料でお願いしたけど、これだけは、クレーン車で運び、レッカーで釣り上げないと張れないし、2張りなので、10万円だけ支払ってくれ!と言われたので、それでお願いするように頼み、2日前にテントを張ってもらった。
今田グループの本店スーパーの駐車場は、メチャクチャ広いので、夜になると不用心で、中の商品が盗まれるといけない。
そこは、警備会社の稲井さんに尋ねると、
「ウチも、従業員に頼むと、賃金を払わないといけないので、俺が一晩中、テントの横に車を停めて、寝ずの番をするわ。」と、言って、社長自らが見張りをしてくれた。
前日、夜、テレビを見てると、稲井さんと一緒に行ったテレビ局が、地元のニュースの後に、チャリティバザーのテロップを流してくれて、取り敢えず言うだけ言ってみようと思って言った他のテレビ局も流してくれて、新聞のお知らせ欄にも幅7cm程のお知らせを流してくれた。
早朝、皆んなで準備をしていると、1人の20代の女の子が、駐車場の中で、右往左往して、スーパーのガラスのドアを覗いては、時計を見ている。
あまりにも焦っている様子なので、昭が、「どうしたん?」と、聞くと、切羽詰まった顔をして、
「このスーパーのATMは、いつ開くんですか?」
「何で?」
「フェリーに乗るお金を下ろしたいんです。」
昭も分からないので、近くにいた今田さんに、
「ここのATMは、いつ開くん?」
と聞くと、今田さんが、
「ドアは開くけど、9時にならんと、ATMは、開かんよ。」と、言った。
「えーっ、間に合わん。」
「何が?」
「フェリーに。」
「エッ、何時の船?」
「8時30分の広島行きです。」昭が時計を見ると、既に8時10分になっている。
どうしよう?焦った昭は、ズボンのポケットから財布を出して、彼女に1万円札を渡した。
「これで足りるか?」
「はい。」
「よっしゃ、これ持っていけ」「家に帰ったらここへ郵送してくれたらええけん。」
そう言って、彼女に、お金を掴ませた。
「でも私、歩きなんで、間に合わない。」
「えーっ。」困ったなぁ、と思い、後ろを振り向くと、たまたまカップルが乗った乗用車が通ったので、昭は、道路のど真ん中に飛び出して、両手を広げて車を停めた。
突然の男の飛び出しに驚いた車は、急ブレーキをかけて、昭の目の前で停まった。
昭が、助手席のドアを開けると、そこに乗っていた女の子がビックリした顔をして、昭を見つめたが、お構いなしに、「この子を、フェリー乗り場まで乗せていってやって。時間が無いんじゃ。後、15分じや。何とかなるやろ。」
そう言って、彼女を無理やり押し込んで、ドアを閉めると、車は急発進して出ていった。
それを見送っていると横から稲井さんが、
「可愛い女の子やから、鼻の下を伸ばして、ええカッコして。お金は、帰って来んぞ。」「まっ、帰ってこんでもええわ。あの子も助かったやろ。」そう言って、作業の続きを始めた。
さて、いよいよ開店時間の10時。
各テントの4隅には、ザルを吊るしている。
多分忙しくなるだろうと、お金を分けて入れる暇も無いだろうからと、皆んなのアイデアで、昔ながらの、ザルにお金を入れる方法を取った。
開店前には既に、大勢の人が集まって、広い駐車場も満車である。
昭は、ステージに立って、マイクを握りしめて、
「今日は、M21主催のチャリティバザーです。
チョット待って、まだまだ開店前です。テントに入らないで。スタッフの人達は、ロープから中に入らせないで下さい。開店まで後5分です。
このバザーは、チャリティーで、売り上げ金の利益は全て社会福祉協議会に寄附します。
なので、金額は、破格の値段ですので、後からの返品は、一切受け付けません。
それでは、そろそろ時間です。
ヨーイスタート」
の掛け声と共に、押し合いへし合いの人達が、2つの大型テントの4隅から、一斉になだれこんだ。
「これは私の。」
「キヤー、コレは、私が掴んでる。」
とか、凄い競争。
「押さないで下さい、
怪我人が出ると、来年から出来なくなるので、押さないで。
商品は、タップリ有ります。今出ているものが無くなっても、まだ、テーブルの下の段ボールにも沢山有りますから、後から良いものが出る可能性も有りますので、押さないでー。」
昭は大声で、叫ぶけど、人混みの声に掻き消されてしまう。
中でも、Gパンの人気が凄く、少々破れていても、汚れていても、飛ぶように売れて行く。
物干し竿や、ラックに掛けているものが、次から次へと無くなり、その都度、テーブルの下の段ボールから商品をテーブルに投げ入れる。
又々人が押し寄せる。
凄まじい勢いである。
人手は、ボランティアグループの9人と、その奥さん達。それから、近くの中学校の生徒達が、「先生に言われて、手伝いに来ました。」と言って、10人ほどが、手伝いに来てくれた。
午前中で、半分程の商品が無くなり、お昼ご飯の時間になると、やや落ち着いて来たので、交代で食事にする事にした。
飲食店経営の真鍋さんからの、弁当30食分の差し入れである。
弁当を食べながら、
「凄かったなぁ。いや、怖かったなぁ。」と、皆んなで驚きの声で話しながら、食べ終わると直ぐに、テントの中に直行である。
午後1時になると、昭が、ステージの上に立って、マイクを握りしめて、大声で話し始めた。
「皆さん、昼ご飯が終わったからといって帰らないで。今からオークションを始めます。
ここで、皆さんに金額をせって貰います。
1番高く金額を付けた人が購入できます。」
そう言うと、ゾロゾロと、人が集まって来た。
「いいですか?先ずは車です。」
「車やって?すご〜」
「車と言っても、中古車で、これは、中村自動車整備会社さんからのご寄付で、ただ今の走行距離は7万キロです。
車検は切れています。
ですが、中村自動車さんが、しっかりメンテしていますので、車検を受ければ、直ぐに乗ることが出来ます。2000ccで、カーステ、ナビ付きです。
但し、今日この車を落札して乗る方は、車検を受ける時は必ず、中村自動車さんで受けてください。それが条件です。
いいですか?それでは始めます。
先ずは、1万円からです。
どなたか居ませんか?」
皆んな、公開のオークション参加は、初めてなので、誰も声を上げない。
困ったなぁ。
と、昭が思っていると、見かねた稲井さんが、
「俺、1万円。」と、手を挙げた。
皆んな一斉に稲井さんの方を振り返ってみたが、次の瞬間、誰かが
「1万円5千円。」
「1万円7千円。」と、値段が上がっていった。
3万円まで上がったところで、声が掛からなくなり、
「3万以上の人は居ませんか?どなたか?それでは、カウントダウン致します。
5.4.3.2.1はい、それではそちらの方、おめでとうございます。3万円でご購入です。ありがとうございます。どうぞ、ステージの上までお越しください。」
そう言うと、照れ臭そうに1人の男性が上がって来たので、「この車、どうされるんですか?」と、尋ねると、
「丁度、息子に車を買ってやろうと思うとったとこやったけど、新車は、どうせ当てるやろうから、中古でええかな?と思うとったところやけん、丁度良かったわ。」
「そうですか、それは良かった。それでは、後で、中村自動車さんが、そちらにみえていますので、これからのことをご相談して下さい。」
そう言うと彼は、頭を掻きながら、ステージから降りていった。
「はい次は、カーポートです。車2代置けるアルミの柱に、スモークカーボンの屋根が付いているカーポート新品です。
こちらは、松山中央サッシさんからのご寄付で、こちらも、落札された方は、設置工事は必ず松山中央サッシさんにお願いする事が条件です。
それでは、こちらも1万円からですが、どなたか、おいでませんか?」
先程の車のオークションで慣れて来たのか?
「1万円。」「2万円。」と、声が上がった。
「因みにこちらのカタログ金額は、工事費別で、9万8千円になっています。」
そう言うと、金額が上がり、最終4万円で落札された。
近くの郵便局の局長さんで、丁度、局舎にカーポートを建てようと思ってた所だったと言って、安く買えたと、大喜びだった。
次は、砥部焼の花瓶で、愛媛県無形文化財に認定された有名な先生で、こちらも、昭のお客さんで、昭の活動に感動されて、青磁の花瓶を3点寄附してくださった。
箱には、先生の名前の押印と、愛媛県無形文化財の文字も書かれていた。
それは3点とも、1つ3万円で落札された。
あとは、オモチャ屋さんから頂いた、大きさ70cm程のクマの縫いぐるみや、キティちゃんの縫いぐるみなど、10点、それと、スキー板などで、オークションだけでも30万円程の売り上げが出来た。
夕方4時までの制限時間で、その頃には、お客さんも、疎になり、4時には片付け作業に入った。
良く売れたといっても、結局、3台のトラックのうち、1台のトラック半分ほどの商品が残ったが、それらは、近くのお寺さんが、ボランティアで、アフリカに寄付として送っているルートがあるので、そちらに送るから持って来て下さい。と言う段取りを付けていたので、そちらで処分して貰うように、スタッフが、お寺さんまで運んで、商品は全て無くなった。
片付けは、夜遅くまでかかり、残りは翌日する事にして、翌日、スタッフの奥さん方が、売り上げ集計をして、経費を引いた残りの全額を皆んなの前で披露した。
経費を引いた金額は、102万円になった。
3日後、M21のスタッフ全員が社会福祉協議会を訪れ、事務長さんに全額をお渡しした。
事務長さんは驚き、
「お疲れ様でした。それでは、このお金は確かに預かりましたので、早速、両親が居ない子供達が住んでいる、慈恵会の方に持って行きます。それで宜しいでしょうか?」
「勿論、それで結構です。」
「ところで、新聞記者の人は来られていないのですか?」と聞くので、「なんで新聞記者の人が?」と聞くと、「寄附の時は、皆さん新聞記者の人とカメラマンが来られて、写真を撮って、翌日の新聞に載せているもんですから」「いえ、私達は、名前を載せて貰うためにやっているんでは無いので、それは、していないです。と言って、社会福祉協議会を、後にした。
それから半年が経ったある日、昭のみに1通の手紙が届いた。
それは、慈恵会からの手紙で、
「頂いたお金で、子供達のバスケットのユニフォームと、ボールを全員分揃える事が出来ました。ありがとうございました。」と書かれていて、皆んながユニフォームを来て、ボールを持っている集合写真、それと、子供達1人1人のお礼の寄せ書きが入っていた。
後日、M21の定例会で、メンバー全員に見て貰うと、皆んな大喜びで、中には涙を流しながら、「絶対に続けような!」と言う人もいた。
ある日、松山でも有名な個人病院の院長から昭に、「峰岸君、私も君達の活動に感動したから50万円寄付するから、僕を会長にしてくれんかね?」と、言って来たので、丁寧にお断りをして、昭は、その院長との付き合いも辞めてしまった。
又ある時には、大きな倶楽部から声が掛かり、M21の代表である昭に、話を聞きたいから、会合に参加する様に要請があったので、30人程の会合に参加すると、
「私達も、峰岸さんの活動のお手伝いをしたいので、いかがでしょうか?」と言われ、願っても無い事なので「それでは、値札付けとか、商品運びとか、人員が足りないので、お願い出来ますか。良ければ、来月から倉庫の中で、値札付けをしますので、是非ご参加下さい。」と言うと、「いや、皆んな忙しいから、それは無理ですね。
お金を寄附させて頂くと言う事でいかがですか?」
「あのですね、私達は、ボランティアでやっているんです。汗かいて、汗かいて、大変な子供達の為にやっているんです。金の問題じゃないんです。
皆さんの汗を下さい。
その気があれば、来月2日に、値札付けをやっていますので、お手伝いに来て下さい。待ってます。」そう言って、その場で、会場を後にした。
昭の胸の中は怒りで、
「どいつもこいつも、自分達の名前を上げる為にだけ、人を利用しようとしやがって。底辺の仕事は金で済ますんかい。」と、情けなくなった。
試しに翌月の2日の値札付けに待ってみたが、その会のメンバーは、誰も現れず、誰からも連絡も無かった。
そして、楓ちゃん基金の方は、チャリティーバザーを初めて2年目に、楓ちゃんが亡くなり、基金も終了してしまった。