新たなる人生 洋服のリフォーム業
昭の店は、相変わらず来店客は、誰1人来ないので、近所の子供達が遊びに来ると良く、「オジちゃんのお店は、いつもお客さんが居ないのに、どうやって食べていってるの?」と、良く聞かれるので、昭は、洋子と良く、「どうせ皆んな、あのお店、お客さんが、入っているの見た事が無いけど、良く持っているわね?と、子供の前で言っているんだろうね。」と、商売の内情を知らない親達が、話し合っているんだろうな?と思って笑い合っていた。
昭夫婦には、長男の洋昭、長女の詩乃、次男の尊の3人の子供がいた。
子供達皆んなが、小学校、中学校に通い出すと、流石に洋子も退屈になり、ある日昭に話を切り出した。
「ねぇ、私も暇になったから、何か、仕事しようかしら?」
「仕事言うても、何の仕事?」
「やっぱり、ウチは洋服屋だから、洋服のお直しの受け付けをして、この2階の部屋を職場にしたらどうかなぁ、と思うんだけど。」
「それは、ええ考えじゃけど、お前、洋裁出来るんか?」
昭は、洋子が今まで色々縫ったりするのは見た事が有ったけど、どこまで出来るかは、知らなかったので、尋ねると、
「私ね、叔母が洋裁やってて、その影響で、洋裁学校へもチョット通ってたし、叔母の手伝いもしてたから、お直しくらいなら、何とか出来ると思うわ。」
「そうか、それだったら、やってみるか?物は試しに、中古のミシン1台買うて、やってみるか?」
「そうよね、先ずは簡単な、ウエストのサイズ直しと、丈詰め、袖丈くらいかな?」「イヤイヤ、どうせだったら、メニューを作って、料金も明確にして、ハッキリ金額が分かるようにしたら、お客さんも安心して持って来るじゃろう。
今まで、洋服屋の店先に、お直し承ります。と、書いてる店は、ようけ有るけど、皆んな料金書いてないけん、なんぼ取られるかわからんけん、よう持って行かんかったじゃろう。
ちゃんとメニューに料金表を付けたら持って来やすいやろう。
それから、助手として、近所の主婦で洋裁経験ある人を募集して、チョット手つどうてもろたらええんじゃないか?」
「そうよねー、そんなに、お客さん来るかしら?」
「まっ、来んかったら来んかったで、パートさんの給料も、出来高制にしたら、損はせんやろう。」と、言う事で、早速、新聞にメニューと料金表、縫い子さん募集のチラシを入れてみた。
カラーにすると、高いので、一色刷りにしてもらい、メニューには、
「紳士服、婦人服の洋服のお直しを承ります。
料金表
ズボンの裾上げ 500円〜
ウエストの出し入れ 1000円〜
肩幅詰め 1500円〜 」
と、事細かく20項目の直しの箇所のメニューと、料金を書いて、その下には、
「洋裁経験のある方、同時募集中!」
と書いて、電話番号と、簡単な地図を入れた。
チラシが入ったその日に、5人の女性から電話があり、その内の3人を採用する事になった。
3人とも、店の近所の人で、全員、徒歩か、自転車で来られる範囲の人達で、ご主人が、働いている間、暇なので小遣い稼ぎをしたいと言う人達で、アイロンも、糸も、電気代も全て店持ちだと言う事と、手取りは、料金表の半額を給料として渡す。と言う好条件に喜んで、通勤するようになった。
彼女達が持参する物は、自分専用の裁ち鋏と、子鋏、縫い針、目打ち、指抜き、針刺しと、弁当だけで、後の細かいメジャーとか、マチ針は、全て洋子が揃える事にして、出来るだけ、縫い子さんの負担が少なくなるように配慮した。
最初のうちは、お客さんもなく、仕事も無かったので、皆んな、自分の洋服や、子供の洋服の直しや、雑巾縫いなどで、時間を潰した。
洋子が「ごめんねー、まだ、仕事がなくって、お金にならなくて。」と言うと、「いえいえ、作業場まで貸していただいて、オマケに先生に洋裁を教えてもらって、有難いです。」
「そうですか?その内、お直しが来ると思いますので、暫く我慢して下さい。」と言って、2.3日は、皆んなの雑談室になった。
しかし、ある日から、ドンドンと、お直しの仕事が入って来て、洋子も、受け付け対応と、お直しの仕事と、皆んなに指導する時間で、大忙しとなった。
洋子がお客さんに訊ねると、チラシを見て、料金が明確で、洋服屋さんがやっているのなら安心だと思い、お直しをしてもらう洋服を探すのに時間が掛かったので、いまになった。と言う人で、今になって、沢山の来客になってきた。
この様子を見ていた昭は、あまりの忙しさに、洋子が、昭自身の世話や、子供達の世話をするのが大変になって来たので、家政婦協会に連絡をして、お手伝いさんを雇うようになった。
売り上げも、ドンドン伸びて、噂が噂を呼び、遠方からも、お客さんが来るようになったある日、小学4年生の娘の詩乃が、夕ご飯の時に、ポツンと、昭と、洋子に漏らした。
「あのね、今日、お友達の雄二くんと放課後、運動場で遊んでたら、知らない男の人が来て、「ボクら、ジュースを買ってあげるから、これで、そこの自動販売機で、ジュースを3本買っておいで」と言って、お金をくれたんで、私が行こうとしとら、
「イヤイヤ、僕が男だから行っておいで。」と言って、雄二くんがジュースを買いに行かされて、その人が私を抱き上げて、膝の上に座らせて、色々話しかけて来たの。」
「なに?それで、お前、何もされなかったのか?」「うん、何もされなかったけど、チョットスカートの中に手を入れて来た時に雄二くんが帰って来たので、慌てて手を退けて、「明日の夕方4時に、又ここにおいで、オジちゃんが、オモチャを買ってきてあげるから。明日必ず来るんだよ。」と言って、私をベンチに座らせて、3人で、ジュースを飲んで、帰って行った。」と、言った。
昭と、洋子は、顔を見合わせて、
「えーっ、何それ?大変じゃ。」
洋子は、「明日、絶対に行ったらいかんよ。絶対に。」と、言ったが
詩乃は何事も無かったように、
「でも、明日オジちゃんがオモチャを持って来る言うたよ。」
「何言ってるの!絶対ダメよ。」
それを聞いていた昭は、
「待て待て、そんな奴を野放しにしとったら、又誰かに悪さするやろう。学校に連絡して、警備してもらおう。」
と言う事になって、昭が学校に連絡をすると、校長先生が電話に出て、
「それは大変ですね。でも、学校では、一度家に帰ると、放課後には、学校の敷地内に入らないように指導していますので、それ以上の事は、責任持てませんので、後は、警察に相談していただけますでしょうか?」と言う回答だった。
何じゃそれ?昭は、怒りに震えて
「ヨシ、警察に言うてやる。」と言って、内容を伝えると、警察からは、「学校内の事なので、警察としては、校内に立ち入る事は出来ないので、学校と相談してください。」と言う事だった。
昭は、「ふざけとるのぉ。よっしゃ分かった。それやったら、ワシらが何とかしてやろ。」と言って、勝也に電話をして、事の内容を伝えた。
勝也も、昭の話を聴き、「なんじゃそれ。ヨシ昭、ワシらで何とかしよう。」
「オゥ頼むわ。明日3時に、ウチに来てや。派手なブレザー着て、サングラスかけて来てや。チョット、そっち系に見せて脅してやろ。」そう言って電話を切った。
翌日3時前に勝也が、黒のタートルネックのセーターに、白黒の派手な千鳥格子のブレザー、黒ズボン、ワニ皮のベルト、黒と白のコンビの靴を履いてやって来た。
昭も、紫のワイシャツに明るいパープルのダブルのスーツ、両手の指には金の髑髏のリングと、黒に金の留め金のセカンドバッグを持って待っていた。
2人とも洋服屋で、日本がバブルに浮かれている時なので、派手なスーツが良く売れていて、パープル、ピンク、ホワイト、エンジ、明るい紺のスーツが、売れ筋で、昭は、店の看板なので、いつも、派手なスーツと、派手な指輪、ネックレス、セカンドバッグをしていたので、そんな格好はお手のものだった。
そんな格好で、学校のグラウンドの方へ、詩乃を連れて3人で歩いていると、前方から、自転車のカゴにオモチャを入れたオッサンが歩いて来た。
「あの人。」
と、詩乃が指を指すので
「間違いないか?」と聞くと、大きく頷いた。
「お前は、家に帰っとれ。」と言って、詩乃を家に帰らせて、逃げられないように、2人で急ぎ足で、男の前に立ちはだかった。
「オイ、おっさん、チョットこっち来いや。」と、昭が言って、男の自転車を掴んで、脇道に連れて行った。
「オッサン、お前、昨日、ウチの娘に変なことしたらしいな?オゥ?」
「いや、何もしてないですよ。昨日会うて、オモチャあげるけん、言うたけん、今日、ホラ持って来ただけですよ。」と、自転車のカゴを指差した。
「なに?ほしたら、娘のスカートに手を入れて来た言うのは、ウチの娘が嘘言うた言うのんか?コラ。」
「オイ、舐めるなよ!」
勝也も、すかさず、脅しかけて来た。
「イヤ私は何も。」
「お前、2度とこんな事するなよ。今からお前の家へ連れて行け。」
「えー、家ですか?」
「ほうじゃ。お前、嫁や子はおらんのか?」
「イヤ、私は、独り者です。」
「そうか、それだったら尚更直ぐに逃げれる訳じゃな?何処じゃ、ワシらが車で着いて行くけん、チョットでも逃げようとしたら、車で轢くぞ」
「分かりましたよ。」
そう言って、工場の片隅にある、2階建てのアパートへ案内した。
アパートの中に入ると、エロ本が一杯散らばっていて、スエた匂いがして、早く中から出たかったので、
「分かった。念の為に、免許証見せぇや。」と言って、免許証の番号と、名前と、電話番号を聞いて手帳に書いて、
「二度と変な事はするなよ。今度したら、タダじゃ済まさんけんな。」と、言うと、「分かりましたよ。もう、絶対にしませんから、許してください。」そう言って頭を下げたので、勝也と、昭は、車で帰って行った。
バックミラーで見ると、男は、見えなくなるまで、頭を下げていた。
車の中で2人は、「我々も、ええ事したなぁ。あのまま放っといたら、アイツいつまでも、あんな事して、その内、大きな犯罪を起こすトコやったわ。これで改心して、真っ当な人間になるやろなぁ」そう言って2人は、納得して、店に帰った。
それ以来、その変なオッサンが現れる事は無かった。
リフォーム業の商売も順調に伸びて、職人さんも5人に増え、洋子も大忙になっていた。
洋服のオーダーも、学校は、水曜日と金曜日は、職員会や、学年会で、業者が出入りできないので、水曜日と金曜日は、勝也と一緒に、高知、徳島、香川県の郵便局を回るようになった。
特に山奥の郵便局では、中々、洋服を買いに行く時間が無いので、行くと重宝されて、歓迎された。
四国の中では、郵政弘済会の指定店で5軒の洋服屋さんが回って営業していたが、昭と、勝也の掛け合いと、阿吽の呼吸で、世間話にも花が咲き、各郵便局に行くと、中には必ず1人や2人の人が、
「あの人が、背広が欲しいらしいよ。とか、この間のあの生地が欲しいと言っていたよ。」とか、情報を寄せてくれる人が増えて来た。
そんな中、英一が守っていた峰岸紳士服店の前を通ると、いつの間にか、ビルの看板が他の会社の名前に変わり、以前の洋服屋の面影は全然なく、1階は、他の会社の事務所になっていた。
あれほど、峰岸紳士服店を守ると言っていた英一が、まさか、他の名前の看板を掛けさすとは?と思い、勝也と昭が、近所の人に事情を聞くと、3年前に、この看板の会社に、ビル全部を売ったと教えられた。
結局、峰岸紳士服店の名前は、松山でやっている昭のお店だけになってしまったのである。
「なっ、勝兄い、ここに残らんかって良かったやろう。残っとったら、食いつぶされて、共倒れになっとったわ。」
「本当じゃのう。」
2人は寂しい思いを噛み締めながら、それなら、我々が、親父が築いてきた、この洋服屋を、頑張って残そうと、改めて心に誓い合った。
そうなると勝也も、頑張ろう!と言う意欲が湧いてきて、松山に土地を買って店付きの住宅を建てた。
勝也、50歳で、25年ローン、75歳までのローンだが、ヤル気に満ち溢れていた。
昭は、賃貸の住居付き店舗を借りて8年、紳士服と、リフォームの店で、着々と売り上げを伸ばし、42歳の時に、松山の県道沿いに、中古ながら、地下1階地上3階の店舗付きビルを購入した。
これも、20年ローンだった。
1階は勿論テーラー峰岸で、地下はリフォームの工場にして、1階には事務員を置いて、受け付け業務をこなしてもらうようになった。
ここでも、以前にやっていた時と同じように、新聞折り込みに、メニュー表と、洋裁が出来る人募集のチラシを入れて、地下には、ミシン5台、バキューム1台を置いて、職人パートさんも7人になって、急拡大して行った。
昭は、リフォームの料金表のチラシを先ずは1万枚作って、市内のクリーニング屋さんに挨拶方々、取り次ぎ店としての契約をお願いして回った
売り上げの2割をマージンとして還元する事、月曜日、水曜日、金曜日に、お直しの集荷に訪れる事、チラシは1枚2円で購入してもらう事等を条件として。
中には「チラシくらいは、タダで置いてくれてもいいんじゃ無いの?」と、言うクリーニング屋さんがいたが、
「それは、あなた方の為にもならない。タダだったら、新しいチラシでも、平気で裏をメモ代わりに使うでしょう?少しでも、お金を払っていると、勿体無いから、1枚でも大事に使うでしょう?」と、説明すると、各クリーニング屋さんも、納得してくれた。
この、商売を同じ感覚でやる!と言う気持ちが大切だ!と、昭は、その時、自分の心の中に植え付けた。
松山市内に、約10店舗のクリーニング屋さんと契約を交わせた。
松山の中心地にビルを構えて、紳士服の店兼、洋服のリフォームの店、と言うことで、洋服屋が直しもしてくれる、と、信用が付いてきて、高級なお直しなど、金額が張るお直しが増えてきて、店での紳士服のオーダーも増えて来た。
しかし昭は、相変わらず、学校、郵便局を重点的に周り、中学校では、学校生協の支払いが済む頃には必ず、その先生の所に行って「先生、もう後2回で支払いが終わるから、何か作ってよ〜。」と言うと、「分かった、分かった。今から部活が始まるけん、もう生地も金額も任すけん、アンタがええと思うのを作っといて。」と、そんな客が増えて来た。
リフォームの仕事も増えてきて、縫い子さんが足りなくなって来たので、新たに郊外に30坪程の土地を買って、プレハブを建てて、そこでも職人さんを募集して、リフォームの受け付けもしながら作業をする場所になり、そこでも売り上げが増えて行った。
洋子は、ビルの地下の作業場と、新しい作業場での、リフォームのやり方を教える為に、朝から晩まで、「先生、ここは、どうするんですか?」と言う質問に、先生として、両方の作業場を行き来していた。
その頃には、町のブティックからのお直しの依頼も増えて、昭は、週に3日、各クリーニング店の集荷と、ブティックを周り、その間にスーツの営業にも周り、2人とも、休む間がなくなる状態だった。
そんなある日、朝から男性2人が店に訪ねてきた。
昭が対応して名刺を見ると、聞いたことがない名前の会社で、「この度、私どもの会社が、この松山に大型スーパーを出店します。
それで、その中に、洋服のリフォームの店舗を出したいと思い、その店を、こちらの経営でお願いしたいと思い、お伺いしたわけです。」
昭は、「この名前の会社は、聞いた事が無いけど、そんな店が松山で本当に大型店を出すんですか?」「はい、関東や、近畿では既に多くの店舗を出していまして、四国では、現在、高松にだけ有りますが、今回、初めて愛媛県に出店することとなりました。
愛媛県も大きな都市なので、リフォームのお店を出す計画予定ですので、御社に是非お願いしたいと思い、本日、伺ったわけです。是非、出店頂けたらと思います。」
「チョット待ってください。女房を呼びますので。」そう言って、洋子を呼んで、同じ事を説明させると、洋子が昭の顔を見ながら「この会社、知らないわねぇ。そんな所にリフォームのお店出して大丈夫なの?」と、不安そうな顔をして聞くので、「イヤ、ご覧の通り、ウチも今メチャクチャ忙しくて、そんな、知らんスーパーにお店を出す余裕は無いですわ。悪いけど、帰ってください。私も、女房も、今から出掛けますので。」そう言って帰って貰ったのだが、それから3日後に再び、その男性が訪ねてきて、「今日は、我が社の部長を連れてきました。是非とも御社に、このプロジェクトに参加して頂きたいので、お願い致します。」
「どうしてウチなんですか?他にも洋服屋さんや、リフォームやってる所は有るでしょう?」
「イヤ、あの後、他の所も聞いてみたんですが、経営内容、会計内容も失礼ながら調べさせて頂いたのですが、御社が一番良かったものでしたので、勝手ながら、我が社でも、もう、御社でやってもらおうと、絞ってきましたので、ここで、御社にやって頂かないと、私も帰れないので、今日は部長も連れて来た次第です。なので、是非お願い致します。」そう言って、2人が深々と頭を下げるので、昭と洋子は、顔を見合わせながら「そこまで言われるのならば、仕方ありません。それでは、何とかやってみましょう。その代わり、半年やっても赤字が出るようであれば、即撤退しますが、それでもいいですか?」
「勿論結構です。良かった。それでは宜しくお願い致します。」そう言われて、承諾をした。
早速、昭と洋子が、高松にあると言う、その大型スーパーを視察に行くと、メチャクチャデッカイスーパーで、四国ではまだ、高松にしか無いので、香川県外の人は、あまり名前も知らなかったが、日本では3本の指に入る、大型スーパーだった。
工事が始まり、着々とビルが出来上がり、昭達の店舗に案内されると、2階の奥の角の、トイレへの通路に、ガラス張りの12畳程のスペースで、既に看板も、「不思議リフォーム」と、出来上がっていた。
その会社が、求人広告から、宣伝、ミシン、バキューム、作業台、アイロンなど、全ての物を揃えてくれていたので、昭達は、開店当日、エプロンひとつ持っていくだけで良かった。
職人さんも、面接で雇った3人と、昭の店の職人さんを、応援に来て貰い、総勢8人体制で臨んだ。
開店初日、開店セールで、紳士物ズボンが、1本5百円で、売り出した物だから、1日で、ズボンが500本も売れた。
仕上がりは5日の猶予期間だったので、昭は、当然店内では捌ききれないズボンを段ボールに詰めて、紳士服店の地下と、新しい郊外の工場へと、ピストン輸送をして、3日間で、1500本のズボンの裾上げをこなした。
スーパーの店内のお直し、それと、テナントの紳士服、ブティックのお直し、プラス一般の人達が持ってくるお直し、それから、最近ではあまり着なくなった和服を洋服にリメイクする要望や、幼稚園のお遊戯会の衣装作りや、幼稚園への入園用のお道具入れなど、色んなものへの提案で、売り上げは、極端な右肩上がりで伸びて行った。
このスーパーでは、全国に展開している中で、300店舗のお直しの店が有り、お直しのお客さんも、それに伴い、どんどん増えて行った。
全てフランチャイズ契約で、各店舗毎に経営者が違い、その店舗によって、独特の経営方針が有った。
他の店舗では、縫い子さんが、時給でお直しと、受け付けをしているので、給料は、皆んな一緒だったが、昭が考えたのは、
(縫い子さんが受け付けも受け持つと、受け付けの扱いが、疎かになるので、受け付けは、時給制で、受け付けと縫い子さんのアシスタント、例えば、糸の入れ替えだったり、針の交換をする係。
縫い子さんは、自分で考えたお直し専門で、給料は、完全出来高制で、仕事をすればするほど稼げる仕組みを作った。)
なので、早く沢山仕上げれば、それだけ収入も多くなる。
そこで、沢山仕事をこなしたい人は、同じ色のズボンやスカートだけを、自分の作業ラックに取り込んで、作業をすれば、糸の色を変えなくて、次から次へと仕事が出来るので、効率が良くなる。
しかし、皆んながそのやり方をすると、自ずと仕事が偏ってくるので、不平不満が出てくる。
昭は、受け付けた順番に左端から商品を取って仕事をする事!と、ルールを作った。
年末年始の歳末商戦の時には、スーパー店内の売り上げも伸び、それに比例して、裾上げなどのお直しも増える。
縫い子さん達も、正月には孫たちが帰ってくるので、少しでも多く稼ぎたい。
そんな事情もあって、皆んな休まずに必死になって、仕事をするので、平均年齢65歳にも関わらず、自分が稼いだお金は、ご主人に内緒で、自分のものだと貯め込んで、毎年海外旅行に行く人まで出てきた。
昭は、正月に、出勤した人全員に、1人3千円ずつのお年玉を3日間あげるように、ポチ袋に入れて渡すと、正月くらいは、暇なので、皆んなこの機会に休んでくださいと、言っているにも関わらず、全員3日間出てきて、口々に、「この歳になって、お年玉を貰えるなんて、少女に帰ったみたい!」と、喜ぶので、多少の出費は、仕方ない。と思い、お年玉制度を続け、年末の忘年会費用も、二次会費用も全て昭が出し、お酒が入るので、家で待っているご主人が心配してはいけないので、帰りのタクシーチケットまで、全て出してあげたので、忘年会、二次会は、必ず全員参加していた。
この洋服のリフォームやり方の仕事は、昭に新しい商売の在り方を教えてくれた。
これは面白い!
そう思った昭は、愛媛県内にも何店舗も出店している大型スーパーに、洋服のリフォームのお店を出させて貰う話を持って行った。
松山市内に地上6階建ての本店スーパーがあり、その隣に4階建ての管理ビルが有り、2階に陳情窓口が有った。
事前に電話でアポを取っていたので、佐々木課長が応対をしてくれた。
昭が、現在の「不思議リフォーム」での洋服のリフォームの話しを始めた。
「私は、不思議リフォームをやっている峰岸ですが、今日は、こちらでも、このリフォームのお店を出させて頂けないものかと思いお伺いしました。」
「その話は、我が社でも、話題が出て、面白い商売で、お客様のニーズに合っているな、と話し合っている所なんです。
これからは、簡単なお直しだったら、お客様が、お買い物をしている間に出来上がって、持って帰れる時代が、サービスだと。」
「そうなんです。折角こちらで、ゴルフズボンを買って、明日履いて行きたいけど、2.3日掛かるんじゃ、買うのは今度でもいいか?となると言うのは、今の時代では古すぎると思います。是非、お願いします。」
「それは、分かっていますが、お宅が言われるのは、今やられている、あの東京のスーパーのフランチャイズなんでしょう?それがチョットねー。社内でも、そこがネックになっているんですよ。」
佐々木課長は、困った顔で、昭を見上げた。昭も、考えた挙句
「課長、今の世の中、ライバルのスーパーがやっているからダメだとか、そんな事を言っている時代じゃ無いと思うんです。その間に、何処かが必ずやり出しますよ。今は、競争相手とかライバルとか言う前に、手を組んで、競合した方がいいんじゃないですか?」と、真剣な顔をして、捲し立てた。
「それは分かっているんですが、チョット待ってください。部長を呼んでみますから。」そう言って席を立って、内線の電話で部長と話しをいていた。
「暫くお待ちください。部長が、追っ付け来ますので。ところで、どんな状態ですか?いそがしいですか?」
昭は、大まかな売り上げと、紳士服売り場の伸び率も見せて話しをしているところへ小太りの男性がやって来た。
「やぁ、お待たせしました。部長の杉崎と申します。」と言って、
「早速ですが、今連絡を頂いて他の部長や、専務とも話していたんです。
先日来、社内でもこの話しが持ち上がり、他のスーパーとの競合はどうなんだか?と言って、検討段階だったのですが、現実に、今、実店舗でやられていらっしゃる方が来られていると連絡があったので、私も、何処の会社がしてるから、とか、何処のスーパーがやっているからとか、と言うのは、考え方が古いんじゃ無いのかなぁと、言いましたら、専務が、そうだなぁ、我が社も損する訳じゃ無いんだわから、やってみるか?と言うことが今決まりました。そこで、最初から、この本店では難しいので、出来れば他の所でお願い出来ますか?」と、言われたので、
「分かりました。ありがとうございます。それでは、帰って(不思議リフォーム)の本社に、早速連絡を取って、この話しをしてみます。ノウハウは、本社が持っていますので、とりあえず本社に相談します。もし、本社からOKが出なくても、私個人でやらさせて頂きますので、宜しくお願い致します。」と言って、管理ビルを後にした。
昭は、帰って本社に連絡を入れると、「分かりました。ありがとうございます、営業までして頂いて。この店舗は、峰岸さんの経営で、お願いするように致しますので、早速、先方と連絡を取って、後の細かい打ち合わせは、こちらでやります。宜しくお願い致します。」と言って、電話が切れた。
それから1週間後、(不思議リフォーム)の本社から、先日昭が話しをした、松山の大型スーパーの杉崎部長から連絡があって、新しく店内に(不思議リフォーム)を出展する事が、決定したと、連絡があった。
それからの進展はあっという間に決まり、既存の店舗の空きスペースに、改築をして、機材を搬入するだけなので、1ヶ月で、オープンする運びとなった。
その店は何と偶然にも、峰岸紳士服店が有った町で、昭が育った場所だった。
人材集めも、知り合いに頼み、宣伝も、小さな町なので、口コミと新聞折込チラシの両方で、あっと言う間に広まり、昭も、開店前には、知り合いのブティックや、呉服屋さん、友人が経営している幼稚園を訪れ、ブティックでは裾上げや、ウエスト直し、呉服屋さんでは、着物から洋服へのリメイク、幼稚園では、お遊戯会発表会衣装などをセールスポイントに話しをさせてもらい、色々取り決めをさせて貰った。
この店の開店に合わせて、昭は、今までの自分の経験の中から、「受け付けの心得」と言う覚え書きを作った。
その1
自分の笑顔で、どの笑顔が1番印象が良いか、毎日鏡を見ながら、覚えこむ事。
その2
お客様は、こんな物を直しに持って行って笑われないだろうか?
幾ら取られるんだろうか?と、不安が一杯で来てるところに、
こちらの受け付けが、どんな人が来るのだろう?金額は高く無いだろうか?と不安な顔をすると、お客様は、不安になって帰ってしまう。
戦争しに来てるんじゃないのだから、笑顔で、世間話し、例えば、「今日は、いい天気ですねー」とか、まず、心を和ませてあげる事。
その3
横に、別のお客様が来店されたら即、話しかける事、「少々お待ちください。」など。
人間は、正面を向いてても、180度見えるのだから、常に注意しておく事。
その4
お客様に伝票を書いて頂いた時から、必ず、お名前でお呼びする事。
何故なら、その方が、親近感が湧き、近い存在になるから。
その5
カウンターの前方に人影が見えたら、フロア全体に聞こえるくらいの大声で、「いらっしゃいませ」と、言う事。
その6
お客様の要望だけを聞いて、お金を頂くのではなく、「ここも、こうした方がより良くなります。料金は少しお高くなりますけど、一度お考え下さい。」と、アドバイスを、付け加える事。
その7
お年寄りが来られたら、話がしたくて来られる人が多いので、暇な時は、嫁の悪口や、世間話の話し相手になってあげる事。
その8
子供連れのお客様が来られたら、子供にそっと、用意してるアメ玉1個を、必ず手を掴んで、「内緒にしておいてね。」と言ってあげる事。
1個あげても、2個あげても、効果は同じだから。
昔の諺に、「敵を射るなら、まず、馬を射よ」と、言う諺がある。それは、敵の大将を狙うより、その下にいる馬を倒すと、必ず馬上の大将が下に落ちるからである。
子供を可愛がってあげると、必ず子供は「又、あのお店に行こう」と、親に言うからである。
その9
スーパーにお客さんが来ないから、ウチも暇だと思わない事。
スーパーに用事が無くても、ウチにお直しを持ってきて、そのついでに、スーパーで、買い物をして帰る。と言う意識を持つ事。
その10
受け付けは、出来るだけ、人目につく派手な格好をする事。
それは、お客様が、自分もこんな格好が出来るかしら?と思わせて、洋服のリメイクをさせること。
その11
お客様が帰られる時には、
受け付けの人、縫い子さん、全員で、大声で、「ありがとうございました。」と、言う事。
これを、受け付けの11箇条として、毎日、読ますようにした。
その甲斐もあって、売り上げはドンドン伸びて行き、本社でも話題になってきた。
そんなある日、昭が受け付けを指導している時に母英子がカウンターにやって来た。
何年かぶりに、突然、目の前に現れた英子は、何事も無かったかのように、
「昭、久しぶりね。元気そうじゃないの。何だか、商売も色々大きくやっているらしいじゃないの。」
と、今までのことは、何も無かったかのように言った。
昭は、少し懐かしい思いもしたが、その言い方に違和感を覚え
「あぁお袋、久しぶり。お袋こそ元気そうで、身体は大丈夫?」と言うと、
突然「私は、大丈夫よ。英一も良くやってくれて、箸の上げ下げから全部してくれるくらいで、私は何もしなくていいからシアワセよ。
それから英一も、色んな人とのお付き合いが大変で、大忙しで、毎日、ゴルフ、ゴルフで、今度シングルになったって、皆んなでお祝いをして貰ったのよ。
あの子も、幸せよ。貴方もゴルフくらいはしてるんでしょう?」
昭も、ゴルフは月に2回ほどしているけど、「いや、貧乏暇なしで、ゴルフなんかとても!」そう言うと、「あら、そう?少しは遊んだ方が良いわよ。」そう言って帰って行った。
母親の、英一夫婦と楽しく暮らしていると言う、嫌みったらしい言い方に腹が立ったけど、昭は、親父の全財産を独り占めした英一に対して、怒る気にもならなくなった。
自分が今、商売も大きくなって、忙しいけど、毎日が生き甲斐のある生活に満足出来、まだまだこれから前に進むチャレンジが楽しくなり、会計などは全て洋子に任せて、昭は前を向いて進むだけだった。
そこで考えたのが、知り合いのいない松山で、もっと人脈を作ろうと、思い立った。