表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

第6章

 半ば強引に、というよりは、有無を言わさず。

 俺は、半裸で紅茶まみれの美少女メイド、スズネに突きつけられた契約書に、震える手でサインをさせられた。

 

 羊皮紙にインクが染み込んだ瞬間、契約書は青白い光を発して消滅し、俺の右手甲に、うっすらと魔法陣のような紋様が浮かび上がって、すぐに消えた。

 それが、俺がこの店の『関係者』になった証らしかった。


 そして今、俺は。

 

「……いや、意味が分からん」


 店の奥にあるというスタッフルームで、一人、頭を抱えていた。

 

 ここは、店の幻想的な雰囲気とは少し違い、どこか生活感のある空間だった。

 柔らかなソファ、大きなクッション、壁際にはメイドたちの私物らしきものが置かれた棚がある。可愛らしいぬいぐるみが山積みになっていたり、逆に、分厚くて難解そうな魔導書が積まれていたり。

 だが、そんな落ち着くはずの空間にいても、俺の頭はオーバーヒート寸前だった。


 異世界。扉。鍵持ち。

 まるで、健太や卓が熱く語るラノベの設定そのものだ。

 

 だが、目の前で起きたことは、紛れもない現実。

 魔法は存在し、メイドたちは人間ではなく、そして俺は、なぜかその中心人物にされてしまった。


「責任、か……」


 スズネの冷たい声が、脳内でリフレインする。

 ただの高校生の俺に、一体何を守れって言うんだ。


 コンコン。


 控えめなノックの音に、俺はハッと顔を上げた。

 

「ご主人様、エリナです。入っても、よろしいでしょうか?」

「あ、ああ。どうぞ」


 扉がゆっくりと開き、銀髪の美少女メイド、エリナが顔を覗かせた。

 その手には、銀色のお盆に乗せられた、巨大なパフェ。

 

「お疲れ様です♡ 甘いものでも召し上がって、元気を出してくださいね」


 にこっ、と彼女が微笑む。

 その屈託のない笑顔は、さっきまでのカオスな状況でささくれ立っていた俺の心を、ふわりと優しく撫でるようだった。

 

 俺の前に置かれたパフェは、芸術品と言ってもよかった。

 グラスの底にはルビー色のゼリー、その上に純白の生クリーム、黄金色のカステラ、そしてバニラビーンズが浮かぶ高級そうなアイスクリーム。

 頂上には、まるで魔法のようにキラキラと光る粉が振りかけられた、真っ赤なイチゴが鎮座している。


「すげえ……」

「えへへ。ご主人様のために、がんばりました」


 エリナは俺の向かいの椅子に、ちょこんと腰を下ろす。

 

 二人きり。静かな空間。

 甘いパフェの香り。


 さっきまでの、あのエロ暴走モードはどこへやら、今の彼女は、ただただ可愛らしい、世話好きな女の子にしか見えない。

 そのギャップに、俺の心臓がまた、きゅう、と甘い音を立てた。


 しばらく、無言でパフェを口に運ぶ。

 その、脳がとろけるような甘さに感動していると、ふいにエリナが口を開いた。


 その表情は、少しだけ真剣だった。


「あの、ご主人様。本当に、本当に、来てくださって嬉しいんです」

「……え?」

「わたしも、スズネちゃんも、マリーちゃんも……ずっと、待っていたから」

 

 ずっと、待っていた?

 イレギュラーで、危険な存在なんじゃなかったのか?

 

 スズネの言葉と、エリナの言葉。

 どっちが本当なんだ?


「……俺に、何ができるってんだよ」


 思わず、弱音がこぼれた。

 力らしい力もない、ただの平凡な高校生。

 責任だの義務だの言われても、どうしようもない。


 すると、エリナは、ふわりと花が綻ぶように微笑んだ。

 それは、さっきまでの悪戯っぽい笑顔でも、情熱的な笑顔でもない。


 ただひたすらに、優しく、慈愛に満ちた、聖母のような微笑みだった。


「いてくれるだけで、いいんです」


 その笑顔を見た瞬間、俺の中で、何かが、カチリと音を立てて繋がった。

 

 ああ、そうか。

 俺は。

 この笑顔を――。


 この、エリナっていう女の子の、とんでもなく可愛いこの笑顔を、守りたいのかもしれない。

 初めて、心の底から、そう思った。


 その、瞬間だった。


 ブツンッ!


 突如、スタッフルームのランプが激しく明滅し、店内全体から、地響きのような、低く、不気味な唸り声が響き渡った。

 空気が、一瞬で氷点下まで下がる。

 

 肌を刺すような悪寒。

 粘つくような、濃密な悪意が、店の外からこちらを「覗いている」のが、直感で分かった。


「……っ!」


 俺の目の前で、エリナの顔から、血の気が引いていく。


 さっきまでの聖母のような微笑みは消え去り、そのルビーの瞳が、過去の恐怖を思い出したかのように、絶望の色に見開かれていた。

 カタカタと、華奢な身体が震え始める。


「……いや」


 絞り出すような、か細い声。


「来ないで……お願い……もう、いや……」


 それは、漠然とした恐怖じゃない。

 

 彼女が、はっきりと『何か』を認識し、それに怯えている証拠だった。

 守りたい、と誓ったはずの笑顔が、今、俺の目の前で、恐怖に歪んでいく。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ